ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

眼が見えるようになって

2012-06-26 | 日記風
年度末から続いていた仕事も、梅雨に入ってようやく一息ついたので、かつてから懸案だった眼の白内障の手術を受けることにした。2年ほど前に手術を受けようと思い立って、病院に行ったところ、医者に様子を見ましょうと言われ、ああ、まだ手術するほど悪くは無いんだと思って思いとどまったことがあった。あれから2年、右目の見え方はかなり悪くなったように思う。我慢できないわけではないが、いつも左目だけで世の中を見ているような気がしていた。病院に行くと、今回は手術しますか様子を見ますかという選択肢を示された。どうやら、そろそろ手術をしてもいいよと言うことのようだ。

 まだ待っても良かったような気がしたが、いろいろ思い悩むのも面倒だし、いつまで生きられるか分からない今の日本では、生きているうちにもっと目を見開いて世の中を見ておきたいという気持ちもあった。もっとも、世の中の美しいものはほぼ見てしまったという気持ちもあったが。よく見えるようになると言うことは、美しいものだけが見えると言うことでもない。汚れたものも、よく見えると言うことだ。汚れた人たちの心までも見える。でも、それが見えないとまちがった世の中が、そのまま進んでしまう。

 もっとしっかり世の中の出来事を見ておこうというつもりもあって、手術を受けることに決めた。実際の手術は、わずか10分~15分程度で終わった。眼の水晶体を吸い取って、人工物に置き換えるという手術なのだが、目をつぶっているわけにはいかない。部分麻酔をするから痛くは無いと聞いてはいたが、目を開いたまま眼の手術を受けるというのは、どう考えても恐ろしい。頭からすっぽりとずきんのようなものをかぶせられ、右目だけを出し、目をつむらないように固定される。そして、医師がよく見えるように眼をものすごく明るい照明で照らし出す。太陽を直接見ているようにまぶしい。目をつぶることも許されないので、これは拷問のようなものだ。でも、痛くは無い。ただひたすらまぶしい。

 まぶしさに耐えているうちに、手術は終わった。その日は、右目に眼帯が懸けられ、どうなったかは分からない。次の日に、医師が眼帯を外してくれた。びっくりするほど世の中がクリアに見える。しかも、近眼で0.3しか見えなかった右目のレンズを1.5が見えるような人工レンズに入れ替えたため、遠く山の上の木までよく見える。これで、両眼とも1.2以上が見えることになった。ただ、今まで右目が0.3しか見えていなかったため、右目と左目のバランスが、それを前提にとっていたのが、バランスが崩れてしまった。しかも、近視は治ったが、老眼は治っていないので、ますます近くは見えなくなった。

 でも、遠くまでくっきりと見えることが、これまでメガネをかけてもそれほど実現しなかったのが、いまや実現してしまった。こんなにくっきりと見えて良いのかしら、と思おうほどだ。でも老眼鏡を作るまで、しばらくは近くが見えないので、仕事をするのが難しい。本も読めないから、時間を潰すのが難しい。しかたなく、テレビを見るが、最近のテレビって、見たいと思う番組がほとんど無いのだ。チャンネルの選択肢は、BSも見えるようになったから、20くらいあるのに、本当に見たいと思う番組が無い。みんなこんなアホ番組ばかり見ているのだろうか。

 せっかく手術をしてよく見える目になったのに、その使い道が見つからない。しばらく本が読めるようになるまで、我慢我慢の毎日だ。

 今日、消費増税法案が衆議院を通過したそうだ。圧倒的な多数で。野田政権は許せない。彼らは自民党に戻るべきだろう。国民を騙すために民主党を作ったのか。原発の再稼働は、もっと許せない。金曜日の夜は、みんなで官邸を取り囲もう。

ホタルを楽しむ京都

2012-06-13 | 花と自然
毎年恒例になっているホタル見物。今年は5月の低温で少し遅くなるかと思ったが、5月22-3日頃に、ホタルが見え始めた。しばらくはあまり飛び回らなかったが、5月末あたりからは、賑やかに飛び始めた。夜になると、夕食を済ませて近くの琵琶湖疎水にホタルを見に出かける。昨年までは夕涼みがてら、出かけていたが、今年はホタルが出ている時期は、夜になると肌寒いくらいで、どうも季節感がおかしくなっている。

 遠くの友人を招いたりして、何度かホタルを見ながら疎水沿いの散歩道を夜歩くのは、楽しみの一つとなった。ホタルを見たことない子供たちも、初めての体験に、しばし言葉を失う。ホタルは黙って静かに見るのが良い。そうすると、ぼやっと光る蛍の灯りがなんともいえず、心を癒やしてくれる。

 ところが、最近、携帯やスマホとかいうものが蔓延し、京都の蛍見物に関する情報サイトができたりして、いろんな人がいっぱいやってくる。蛍の数よりも見物客の方が多い。今年の蛍は、出現数が昨年に比べてかなり少ない。疎水沿いではただ一ヶ所だけ、たくさんの蛍が舞っている場所がある。そこは周りに車が走る道路がなく、周りも草が生い茂り、樹木も枝を水面に伸ばしている。そして街路灯や周辺の家の灯りもほとんどないのが、蛍がたくさん集まる理由なのだろう。疎水沿いの街灯や民家の灯り、自動販売機、車の通行など、この時期だけでも良いからもっと規制できないものだろうか。京都市は、蛍がいっぱいいた高野川の河川改修をやったりして、それ以後ホタルが出てこなくなってしまった。そんなことをしている京都市だから、ホタルなどどうでもいいのかもしれないが、お寺と神社だけが京都の良さではないのだ。

 中には、懐中電灯を持ってきて、蛍を見るのにライトで照らしてみている人がいる。いったいどういう了見なのだろうか。他にもたくさんの人が、幽玄の世界を楽しんでいるのに、自分のためにライトで照らすなんて。本当に、エゴイストだ。ホタルを写真に撮りたいと何度か試してみたが、いまどきの自動制御のカメラでは、写らない。中にはストロボを光らせている人もいる(笑)。

 ようやく、蛍の最盛期が過ぎた。今夜と明晩も蛍を見るために、夜中にいそいそと出かける予定だ。そろそろ今年最後の蛍になるかも知れない。いつまでも蛍が楽しめる町であって欲しい。

めちゃくちゃのドジョウの論理

2012-06-11 | 政治
「国民の生活を守るために、原発を再稼働させる」。野田首相が大飯原発を再稼働させる理由として挙げた理由だ。およそ理解不能な言葉。冗談を言ってるんじゃないかと思ったくらいだ。この人、日本語大丈夫なのかな。「国民の生活が第一」というマニフェストを掲げて政権交代をした民主党だが、野田政権はマニフェストを次々と反故にして、自民党政治へと変身していった。「国民の生活が第一」をきちんと守るべきだという小沢一郎グループの主張が頭にあったのかも知れないが、「国民の生活を守るために」どうして原発再稼働なのかさっぱり分からない。

 福島では、20年たっても帰還できないと言われている地域が有り、そこに住む人々は、国内難民となりはてた。そんな国民を作り出しておいて、「国民の生活を守るため」原発を再稼働する。この論理矛盾にもう言葉もない。日本政府はここまでどうしようもないドジョウを首相にしているのだと思う。

 それにしても日本人はおとなしいね。むちゃくちゃな論理で国民を再び恐怖に陥れる道を選ぶ首相にも、しぶしぶついていこうというのだろうか。「国民の生活を守るために」原発の再稼働政策を今すぐ撤廃して欲しい。

再び「暗闇の思想」を

2012-06-06 | 政治
野田首相は、日本の経済を危機に陥れないために、原発を再稼働させていくと決意をのべたとか聞く。この人は、消費増税にも政治生命を懸けて取り組むと言っている。どうしてそんなに国民が嫌がることばかりに、命を懸けるのだろうか。やはりこの人は、私たちと全く違った方向を向いて政治をしているとしか思えない。

 大飯原発が再稼働しなければ、関西の電力は、この夏15%不足すると関西電力は再稼働をもくろむ。でも、この15%というのは、最も暑い夏の1週間ほどの昼間のそれぞれ数時間のことにすぎない。それも大幅な節電で、かなりの部分は何とかなるという試算もある。福島第一原発の事故の原因も検証されず、事故の責任者がまったく何の処分もされないまま、再稼働なんて、どうしてできるのだろう。

 経済発展のために原発を動かす。これこそ、これまでの原子力ムラの原動力そのものだったはずだ。これだけ原発を推進してきた原子力ムラの構造が批判されているのに、日本の首相自身が、何の反省も無しに「経済発展のため」に原発を再稼働させると言う。人々の健康や命など、経済発展のためならどうなっても良いというのが、野田首相や経済界の一部のお偉方の考え方なのだ。でも、私たちは違う。命と健康を守るためなら、経済などどうなっても良い。右肩上がりの経済発展というのは、一時的な幻想でしかなかったことが分かってきたこの頃。経済的に豊かになろうとして「成功」した日本が、いかに多くの不幸な人間を生み出してきたことか。毎日100人の人たちが自殺をしている日本。金持ちになっても幸福にはならないのが、ようやく明らかになってきたのだ。今、日本の半分以上の土地の人々は、健康と命の危機にある。

 松下竜一という作家が、「暗闇の思想」という本を書いている。彼の主張がいまやっと人々の心に届きかけている。豊前火力発電所の建設が、彼の地元の海とその環境を破壊することに反対して、少々電気が足りなくても生きていけると、ろうそくの下で「暗闇の思想」を提唱した。彼の運動した豊前火力発電所は、豊壌の海を埋め立てて完成したが、その建設の前提になっていた周防灘総合開発は、幸いなことに中断し、瀬戸内海西部に奇跡の海と言われる豊かな瀬戸内海の原風景を残している。そして、中国電力は、その奇跡の海に再び原子力発電所の建設を計画している。野田政権が原発の再稼働を進めれば、次は新しい原発の建設へと動くことになるだろう。いま、再稼働を止めなければ、日本の政治の得意技「なしくずし」に国民は黙ってしまいかねない。

 大阪市長の橋下某は、原発再稼働反対と言って、民主党政権との対決まで唱えていたのが、結局、簡単に再稼働容認に態度を変えた。マスコミなどからは、豹変したなどという言葉が投げかけられているが、私は、必ず彼は最後には容認に動くと思っていた。彼のこれまでの言動を見ていれば、彼の言うのはとりあえず大衆受けする言葉で煽っておいて、最後は適当にごまかすというのが、彼の本質であることがよく分かる。そして、彼の本当にやりたいことは、新自由主義を広め、自己責任という言葉で99%の貧困層を作り、君が代と日の丸の日本軍国主義を復活させ、アメリカに奉仕することでしかない。その上で、自分は日本の指導者になりたい。彼はそのためなら、何でもする。原発再稼働反対派、そのための手段でしかなかったから、用済みになれば簡単に撤退する。それには何のためらいもない。鉄面皮=橋下。