台風の直後の石垣島で、まるで温泉に浸かるように、海の中に浸かって、のんびりお話をしてきた。暑い八重山の日射しに焼かれた肌も、海の水に浸すと柔らかく気持ちものびのびとする。身体を伸ばして空を眺めながら水の流れに身を任せていると、心の底まで青い空と海に染まったような気がする。仕事も現世もみ~んな忘れてただ何も考えずに時間を過ごす。
しかしこの極楽の地にも、政治の貧困と環境破壊がいたるところに顔を出す。沖縄県の水産研究のメッカだった八重山支場に見学に行こうとしたら、建物は閉ざされて中はもぬけの殻。いつのまにか廃止になったらしい。聞くと今の日本の各県の農林・水産の試験場はどこも地方を閉鎖しているとか。ここにも地方と中央の格差が決定的に開きつつある。昔も中央と地方の格差はあったが、地方は地方で小さいながらも頑張って研究ができていたと思う。しかし、今は地方は無に帰してしまっている。無からはいくらがんばっても何も生まれない。地方切り捨てはあらゆる面で音を立てながら進んでいる。
八重山の青い空と海の世界から、飛行機を乗り継いで雲に覆われた関東に戻ってきた。今日は、時折強い雷雨が襲い、一日陽の射さない暗い日だった。
かつてこのブログでも何度か取り上げた高知県警察の白バイ事故の証拠デッチアゲ事件で、最高裁判所第二小法廷で全員一致で片岡さんの有罪が決定したらしい。大新聞やNHKは、この事件を無視し続けているので、最高裁の決定があったことに気がつかなかった。しかし、シラを切り続ける高知県警と検察が共同で仕組んだ証拠のねつ造劇を、まったく審査もしないで、弁護側の要求を一顧だにしないで、検察の言うとおりの判決を下した最高裁判所に心からの怒りを覚える。司法も完全に「奴ら」の一味でしかない。
近々衆議院の解散総選挙が行われるようだ。政権交代ができるかどうかももちろん関心の的だが、最高裁判所判事の国民審査を今度こそ実効あるものにしたい。第二小法廷で片岡さんを無実の罪に陥れた裁判官は今回の国民審査に該当していないようなのは残念だが、最高裁判所の長官は当然責任がある。これまでの国民審査では20%前後の「不適格」投票しかなかったが、今度こそは3分の1以上を目指そう。裁判員制度などという責任逃れの制度で司法改革などと言わせてはならない。裁判員は拒否しよう。
片岡さんは彼を無実の罪に陥れた高知県警を「証拠隠滅」の罪で訴えたが、検察は不起訴処分にしてしまった。自らのやった誤りを自らに認めさせるのは無理であることは明らかだから、この不起訴処分は最初から判っていたことだ。片岡さんはこの不起訴処分を受けてあらためて裁判に訴えることにしている。もちろん有罪が確定してしまった事件についても再審請求を続けることにしている。片岡さんは先日交通刑務所に収監されてしまった。証拠を捏造してまで彼を罪に陥れた警察の人間は何の罪の意識も感じないのだろうか。ぜひ、人間の心を持った警官が一人でもいて、「実は・・・」と名乗り出て欲しい。警官である前に、本当に人間であるならば。
『1999年当時不祥事が噴出した神奈川県警の内部文書には、本部長訓示としてこういう表現があります。「不祥事はマスコミに騒がれて初めて不祥事となる。あった場合は、県警全体で処理に当たる。県警としてチエを出していく。組織に乗せる」 不祥事は、バレなきゃいいのだ、バレないように組織として全力を尽くす、もしバレたら、組織的に全力で取り繕うのだ、と言わんばかりです。現職警察官として、愛媛県警の捜査費横領を告発した仙波敏郎さんは、「警察官だけは、法を曲げてはならない」と言う硬骨漢です。その信念の人が、昨秋、私にこのように語りました。「今の日本で、仕事として、日常的に法を犯しているのは、暴力団と警察です」』(ネット新聞janjanよりhttp://www.news.janjan.jp/living/0808/0808235335/1.php)
本当に情けない日本になってきた。国内にいる限りこの情けない状態からは抜けられないのは判っているが、それでもそろそろ居場所を変えようと思う。このブログも今日限りでお休みにしたい。みなさん、もう少しで日本も変わるかもしれない。自民党総裁選の茶番劇を見ていたら、自民党ももう終わりだなとしみじみ思う。日本が変わることを期待しながら、お別れしたい。小江戸川越からいにしえの都、京都に生活の拠点を移すことにしました。みなさん、どうも長い間ご愛読ありがとう。またどこかで皆さんのお目にかかれるのを楽しみにしています。
しかしこの極楽の地にも、政治の貧困と環境破壊がいたるところに顔を出す。沖縄県の水産研究のメッカだった八重山支場に見学に行こうとしたら、建物は閉ざされて中はもぬけの殻。いつのまにか廃止になったらしい。聞くと今の日本の各県の農林・水産の試験場はどこも地方を閉鎖しているとか。ここにも地方と中央の格差が決定的に開きつつある。昔も中央と地方の格差はあったが、地方は地方で小さいながらも頑張って研究ができていたと思う。しかし、今は地方は無に帰してしまっている。無からはいくらがんばっても何も生まれない。地方切り捨てはあらゆる面で音を立てながら進んでいる。
八重山の青い空と海の世界から、飛行機を乗り継いで雲に覆われた関東に戻ってきた。今日は、時折強い雷雨が襲い、一日陽の射さない暗い日だった。
かつてこのブログでも何度か取り上げた高知県警察の白バイ事故の証拠デッチアゲ事件で、最高裁判所第二小法廷で全員一致で片岡さんの有罪が決定したらしい。大新聞やNHKは、この事件を無視し続けているので、最高裁の決定があったことに気がつかなかった。しかし、シラを切り続ける高知県警と検察が共同で仕組んだ証拠のねつ造劇を、まったく審査もしないで、弁護側の要求を一顧だにしないで、検察の言うとおりの判決を下した最高裁判所に心からの怒りを覚える。司法も完全に「奴ら」の一味でしかない。
近々衆議院の解散総選挙が行われるようだ。政権交代ができるかどうかももちろん関心の的だが、最高裁判所判事の国民審査を今度こそ実効あるものにしたい。第二小法廷で片岡さんを無実の罪に陥れた裁判官は今回の国民審査に該当していないようなのは残念だが、最高裁判所の長官は当然責任がある。これまでの国民審査では20%前後の「不適格」投票しかなかったが、今度こそは3分の1以上を目指そう。裁判員制度などという責任逃れの制度で司法改革などと言わせてはならない。裁判員は拒否しよう。
片岡さんは彼を無実の罪に陥れた高知県警を「証拠隠滅」の罪で訴えたが、検察は不起訴処分にしてしまった。自らのやった誤りを自らに認めさせるのは無理であることは明らかだから、この不起訴処分は最初から判っていたことだ。片岡さんはこの不起訴処分を受けてあらためて裁判に訴えることにしている。もちろん有罪が確定してしまった事件についても再審請求を続けることにしている。片岡さんは先日交通刑務所に収監されてしまった。証拠を捏造してまで彼を罪に陥れた警察の人間は何の罪の意識も感じないのだろうか。ぜひ、人間の心を持った警官が一人でもいて、「実は・・・」と名乗り出て欲しい。警官である前に、本当に人間であるならば。
『1999年当時不祥事が噴出した神奈川県警の内部文書には、本部長訓示としてこういう表現があります。「不祥事はマスコミに騒がれて初めて不祥事となる。あった場合は、県警全体で処理に当たる。県警としてチエを出していく。組織に乗せる」 不祥事は、バレなきゃいいのだ、バレないように組織として全力を尽くす、もしバレたら、組織的に全力で取り繕うのだ、と言わんばかりです。現職警察官として、愛媛県警の捜査費横領を告発した仙波敏郎さんは、「警察官だけは、法を曲げてはならない」と言う硬骨漢です。その信念の人が、昨秋、私にこのように語りました。「今の日本で、仕事として、日常的に法を犯しているのは、暴力団と警察です」』(ネット新聞janjanよりhttp://www.news.janjan.jp/living/0808/0808235335/1.php)
本当に情けない日本になってきた。国内にいる限りこの情けない状態からは抜けられないのは判っているが、それでもそろそろ居場所を変えようと思う。このブログも今日限りでお休みにしたい。みなさん、もう少しで日本も変わるかもしれない。自民党総裁選の茶番劇を見ていたら、自民党ももう終わりだなとしみじみ思う。日本が変わることを期待しながら、お別れしたい。小江戸川越からいにしえの都、京都に生活の拠点を移すことにしました。みなさん、どうも長い間ご愛読ありがとう。またどこかで皆さんのお目にかかれるのを楽しみにしています。