ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

素晴らしい湖南アルプスの景観

2011-03-28 | 花と自然
彼岸過ぎてもう1週間もたつというのに、寒さがおさまらない。この世の終わりのような被災地へ寒さはこれでもかと襲っているようだ。京都でも昨年桜の開花があった日よりもう1週間もたつのに、まだ桜は咲かない。今週、明日か明後日にはきっと桜の開花が見られると思うが、吹く風はまだ冷たい。

 しばらく山歩きをしていない。そのせいか、最近体調が悪い。年のせいかもしれないが、山歩き以外に運動をしない生活なので、山歩きをしないと体調もなんとなくおかしくなるような気がする。でもしばらく歩いていないと足が痛くて歩けないのではないかと心配で、山行の計画もついつい止めてしまい、悪循環が続くことになる。そこでようやく花も咲き始めたようすを見こんで、簡単な山歩きをしてみた。場所は琵琶湖の南、湖南アルプスとよばれる尾根歩きである。4時間ほどの歩程で、最高峰の竜王山でも605mとしばらくぶりの山歩きにはちょうど良い。比叡アルプスを歩いたから、今度は湖南アルプスとしゃれよう。

 結果としてこのコースを選んだのは大正解だった。湖南アルプスは標高400m前後の、比叡アルプスと比べても低い山並みだし、距離も短い。つまらない山歩きになりそうだという予感もあったが、その予感は湖南アルプスの景観の良さに完全に否定された。比叡アルプスが平凡な尾根歩きであるのに比べて、湖南アルプスは奇岩巨岩が累々と連なり、景観はまさに絶景。危険なところはあまりないが、それでも登山道のバリエーションは楽しい。途中の天狗岩などは、鳳凰三山の地蔵岳のオベリスクを思わせる。



 さらに麓の登山道が、落葉樹林の中を流れる渓流沿いにつけられ、基盤の花崗岩を舐めながら流れるさまは、なかなかのものだ。いたるところで、休憩したくなる景観が続く。山も京都の山と違って、明るく、人工林も少ない。

 唯一残念だったことは、このコースが比較的楽なコースであり、しかもこれだけ景観が良いと、当然ハイキングコースとしてよく知られることになり、多くのハイカーで賑わうことだ。今回も、草津の駅からバスに大勢の若者のグループと乗り合わせた。ほかにも貸し切りバスが1台、同じ時間に同じコースを行った。そのために、ハイライトと思っていた天狗岩への登り道は狭い登山道に100人ほどが詰めかけ、大渋滞。少し待ってみたが、とても待ってはいられないと、天狗岩はスキップせざるを得なかった。



 心配していた膝の痛みも、歩行時間が4時間を超えた頃から少し痛み始めたが、歩けなくなるほどのこともなく、下山できた。歩行時間は4時間半。半年ぶりの山歩きとしては、まあまあ良く歩けたと思う。翌日は少し筋肉痛があった。月に1回以上歩いていれば、筋肉痛に悩まされることはほとんどないのだが、さすがに今回は久しぶりだったせいだろう。

なぜリビア侵略を支持するのか

2011-03-23 | 政治
日本中が地震と津波と原発の事故で右往左往している最中に、まるで火事場泥棒のごとき侵略が行われていた。フランスとイギリスが主導し、アメリカが全面的な支援をしたリビアへの軍事行動だ。英仏米は、この軍事行動を「リビアの国民を独裁者からの虐殺から守るため」という理由をつけて人道的な行為と正当化しているが、それがウソで固められたものであることは、ガザにおけるイスラエルの反人道的な行為(市民への爆撃や狙撃)に対して、これらの国はイスラエルを支持し続けたことを見るだけで、簡単に分かってしまう。

 ベネズエラのチャベス大統領がいみじくも言ったように、「英仏米はリビアの人民に何の関心もない。あるのはリビアの石油利権だけ」なのだ。アメリカは及び腰だが、その理由はイラクでもアフガンでも泥沼化したアメリカ軍の戦争維持だけでも手がいっぱいなのにという理由に過ぎない。リビアの石油はのどから手が出るほど欲しい。

 しかし、英仏米の多国籍軍が頼みにしたアラブ連合の参加や、イタリア、北欧などの参加はどうやら躓きつつある。アラブ連合は攻撃に参加する戦闘機を引き返させた。イタリアもスエーデンも出撃した戦闘機や爆撃機はリビア攻撃に参加しないまま、自国に引き揚げた。アメリカもできるだけ早く逃げ出したい。リビアの石油利権を欲しいフランスがどこまでこれら消極的な国を率いて多国籍軍を維持できるのだろうか。

 ここでもっとも腹立たしいのは、日本の民主政権がいち早く多国籍軍の軍事侵攻を支持すると表明したことだ。まるでイラクへ侵攻した米英軍を即日支持すると表明したコイズミアメリカのポチ首相と同じような反応が、民主党政権から出てくるとは思わなかった。でも冷静に考えれば、昨今の菅政権の自民党化、アメリカべったり化を見ていると、コイズミ路線の継続者は、麻生でも安部でもなく、菅直人であることが分かる。そうみると、菅政権がいち早く軍事侵略の支持を表明したのも、むべなるかなである。

 地震と津波と原発事故の対応に手一杯のはずの菅政権が、なぜいち早く支持を表明できたか。それは外務官僚がアメリカの動きを常に追い、アメリカが何を望んでいるかを常に把握することを最大の仕事と思っているからだ。アメリカに忠誠を尽くす外務官僚にとっては、地震も津波も原発事故もアメリカとの関係でしか見えないのだろう。そして、その官僚にすべて依存することで自らのクビを長らえることにした管直人にとっては、外交を官僚に任せてコイズミと同じ道を歩むことに何の痛痒も感じない。そして、日本は壊れ、人々は見捨てられていく。

大地震、大津波に思い出す人々

2011-03-20 | 日記風
今回の地震は桁違いに大きかったようだ。私はそのとき、札幌のビルの中にいた。最初は気がつかなかった揺れが、すぐに大きく体を左右に揺すり始めた。大きいな、と感じたのだけど、まあこの程度の地震は道東にいる頃にはかなり頻繁に経験していたから、今度はどこで起こったのかな、と言う程度の関心だった。そのうち北海道の太平洋岸に大津波警報が出たので、震源が三陸沖だと分かった。

 夕方ホテルに帰ってテレビをつけて驚いた。東北の太平洋沿岸が巨大な津波ですべて流されたという。とうとうその日は夜中までテレビの前に釘付けになってしまった。茨城県の沿岸はほとんどすべての海岸を見て回ったことがある。日立市の海岸では歩いて見て回った。海岸で地元のおばさんたちと海岸の変化についていろいろ話をしたこともあった。福島県の沿岸は原発がいっぱいあるのであまり近寄れなかったが、相馬市の海岸、松川浦の干潟にはわざわざ車で見に行ったこともあった。東北地方の太平洋岸では数少ない素晴らしく広い干潟があった。

 宮城県では、仙台空港は何度も利用した。海に近い空港だと知ってはいたが、あの空港が津波の被害に遭おうとは、驚くばかりだ。近くの七北田川の河口には有名な蒲生干潟があり、多くの友達がここで仕事をしていた。仙台、石巻、女川など若い頃何度も通った町だった。聞き取れない方言に驚いたのもこのあたりの漁師たちとの交流から感じたことだった。その北の南三陸町には、自然活用センターというところがあり、ここで行われた観察会に参加したこともある。センター長は古くからの友達でもあった。センターの職員もみな顔見知りだ。この南三陸町の住民の2人に1人は、行方不明という状態が続いているという。このセンターも津波で完全に崩壊したようだ。

 岩手県では、大船渡、越喜来、釜石、大槌、山田、宮古とほとんどすべての町で、たくさんの思い出を持っている。主に漁師さんたちとのつきあいだったから、私が出会ったほとんどの人たちが、被災したことだろう。考えたら涙が自然に出てくる。

 あの人たちは、どうなっただろうか。日本の漁業の大きな部分が失われたというだけではない。個人的に言えば、多くの友人や友人になる人たちを失った。

 羽田空港がまだ一部使えないというので、東京経由だった飛行便を札幌-関空便に急遽変更してもらい、なんとか京都へ帰り着いた。京都は雪が積もっていたが、地震の影響はなく、平穏な毎日が続いているように見えた。でも、テレビなどで知る現実は悲惨を通り越したものだった。そして福島の原発事故。まだまだ最悪へのシナリオは閉じられていない。そして、最悪になっていない今でさえ、恐ろしい事態が始まっている。

 フィリピンで潜水したときに、鼓膜を損傷してしまったのが、しばらく私の耳の能力を妨げていた。片方の耳が何も聞こえず、頭の半分がなにか詰まってしまったようで、考える力も半減したようになっていた。大地震、大津波、そして原発のメルトダウン。すべてまるで真っ白くなった頭の半分が感じる夢のような毎日が続いた。地震から一週間、ようやく耳が乾燥してきて、少し聞こえるようになった。それとともに地震と津波と原発事故が現実のものとして感知されるようになった。でも、夢なら夢のままの方が良いような気がしている。

 被災地では、ようやく復興が始まったようだ。幸いにも私の近しい知人たちはほとんどが無事だったようだ。ホッとしているが、彼らがこれからどうやって生きていくか、彼ら自身もわからないようだ。地震と津波被害を直接受けなかった私たちができることは何か。なんとかしてあげたい。

あとは時間の問題なのか!

2011-03-16 | 環境
いやあ、あきれてものも言えない。菅首相が東電本社に出かけて怒鳴り挙げたが、その内容を知って驚いた。東電では、福島原発の事故はもう手に負えないから、あとは国に任せようという「東電撤退論」がでたというのだ。東電はいったい何を考えているのか。菅首相ならずとも怒るよ!

 事態は深刻な様相を呈している。第一原発の定期点検中の原子炉も含めた6基中5基でメルトダウンが起こっているようだ。もう炉心の爆発を止める手段は無くなったという。あとはどのくらい遅らせることができるかだけだという。現場で対応している自衛官からのメールでは、以下のような恐ろしい事態を知らせている。

以下、転送:
フリーライターの島田健弘さんが、被災地入りしている自衛官と携帯メールでやり取りした中で、福島第一原発は14日からメルトダウンが始まっており、爆発を遅らせることしかできないとの書き込みあったことを知らせてくれました。なるべく多くに知らせて欲しいということなので、転送いたします。ちなみに、福島第一原発の燃料は、使用済み燃料を含めるとチェルノブイリの5~6倍あり、しかも3号機はプルトニウムなので爆発するとかなり大変なことになります。

ちなみに私は月曜日に既に、子どもを岡山に送っております。
それぞれ冷静に判断していただければと思います。

<転送ここから>
(私=島田健弘さんです)
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3/14 20:10
(私)救助活動中か。原発はどうなってる?
(自衛官) 逃げろ。出来るなら今すぐに。

3/14 22:28
(自衛官)嫁さんだけでも西日本に避難させとけ。逃げ遅れた被災者は悲惨だぞ。

3/15 1:30
(私)メルトダウンするってこと?スマン。もう少しくわしくきけるか?いま被災地?
(自衛官)メルトダウンは昨日からしてる。化学防護の部隊が踏み留まって頑張ってるが、爆発を遅らせることしかできないらしい。もう現場の一人は死んでるという噂。被災地は酷い。死体だらけで酷い匂いだ。2日寝てないのでもう眠らせてくれ。とっとと避難しとけ。
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東電と政府は、できるだけ知らせる情報を減らそうとしているように見える。東電は都合の悪い情報は隠し続けようとする。一号炉の水素爆発の時に4人負傷したと発表があったが、一人死んでいるという情報もある。でもそれは隠蔽されたという。あと頼れるのは自衛隊の化学防護隊と米軍の核戦争対処班くらいだろうが、それも爆発を防ぐことはできないだろう。遅かれ早かれ日本列島は地獄になる。原発を推進してきた「天罰」だろう。

東電さん 私たちを救って下さい

2011-03-13 | 環境
ついに福島原発は第一も第二もメルトダウンの状態に陥っているようだ。チェルノブイリの大事故でも原発から30km以内の人たちを避難させた。福島原発では早くも20km範囲の住民を強制避難させている。深刻な事態になっていることを政府も認めざるを得ない状況だ。第一原発1号炉では、水素爆発が起こり、大量の放射能をばらまいた。住民が100人以上被曝した。官房長官は、健康に被害を及ぼさない放射能だと、アホなことを言っているが、そんな放射能はありえない。ヒロシマ長崎の原爆で、日本人ならみんなよく知っている。

 第一原発の3号炉も1号炉と同じようなトラブルになっている。いつ水素爆発が起こってもおかしくない。原子炉格納容器が爆発しなければ大丈夫みたいなことを官房長官は言っているが、そんなことはない。爆発を防ぐために、放射能を含むガスを外へ逃がし続けている。3号炉では、そのガスを逃がす弁がうまく動かず、格納容器そのものが爆発する危険も大きくなっている。そうなるとチェルノブイリの大事故に匹敵する悲惨な事態がうまれる。

 東電の人たちよ。体を張って事故を防いで下さい。安全だとあれほど言っていた原発です。あれほど作りたがった原発です。地震があっても安全だと言っていた原発です。事故を起こし、放射能をまき散らす事態だけは避けて下さい。身をもって防いで下さい。お願いします。下請けの労働者を危険な作業にさらさないで、東電の社員が、社長を先頭に、原発の建屋に入って、身をもって日本国民を救って下さい。そうしたら、私たちはあなたたちの献身的な努力を称えます。あの人たちのおかげで私たちは助かった。もう二度と原発に頼ったりしない生活をしようと。そう、東電の社員たちのお墓の前で誓いましょう。

福島原発 大量の放射能を放出開始

2011-03-12 | 環境
福島原発は地震により損傷し、緊急停止したものの緊急冷却装置のすべてが働かず、第一原発の1号炉では、原子炉の圧力が高まり、爆発の危険性が高まってきた。冷却水も通常の最大60℃という限度を超え、冷却水の温度が100℃を超えて沸騰し始めているようだ。

 そのため、経済産業相は原子炉の空気を逃がすことを命令した。これにより大量の放射能が大気中に放出されることになり、日本列島が放射能に汚染され始めることになる。このことを予想して、政府は半径10kmの範囲の住民を避難させることを決定し避難を強制している。
 また、第二原発でも同じことが起こっており、冷却水の急速な蒸発で燃料棒が露出する危険性も現実のものになってきた。これで、日本の経済回復もなにもかもすべておじゃんになりそうだ。原発を建設して経済発展などと経済界のあほどもに踊らされた自民党や民主党の政治家の責任は大きい。

原発を地震列島の日本に作ることの愚かさを政府は肝に銘じてほしい。

福島原発がメルトダウンのおそれ

2011-03-11 | 環境
緊急!

福島の第一・第二原発が緊急冷却装置がすべて使えなくなったらしい。冷却水の水位が低下しつつあり、燃料棒が露出しつつあるらしい。メルトダウンが起こりそうだ。福島の人はすぐにも避難した方が良い。政府も原子力非常事態を宣言している。東京電力も会社始まって以来初めての緊急事態体制を取っている。IAEAも緊急モニタリング体制を取った。なのに、テレビもあまり緊急性を持って報道しない。

これは怖い。チェルノブイリ級の事故が起こりそうだ。

原発は直ちにすべて止めてほしい。

アメリカはだましとゆすりだ

2011-03-10 | 政治
アメリカの日本部長だったメアという男が、アメリカの本音を聞かしてくれた。沖縄の人はごまかしとゆすりたかりの名人だそうだ。その発言が沖縄の人だけではなく日本人にも反発を受けたことから、アメリカ政府はメア部長を更迭し、公式に謝罪した。謝罪の言葉は、メア部長の発言は「沖縄と日本に敬意を持ち、日米関係を重視するアメリカ政府の立場とまったく相容れない」というものだった。でも、この言い方こそ、「ごまかし」と「ゆすり」ではないか。アメリカ政府が日本人に敬意を持っているなどとは誰も信じない。そして沖縄にアメリカの都合で基地を押しつけることが、脅迫でしかないことを日本人なら自民党以外の人は知っている。

 沖縄の人が怒るだけではない。日本人も怒る。でも政府の人間は怒っていない。彼らはそれがアメリカの本音であることをすでによく知っているから。そしてアメリカが怒ることを恐れ、アメリカのウソを受け入れる振りをする。そうして沖縄に辺野古の基地を受け入れるように脅す。アメリカの海兵隊は日本の抑止力として重要だと、信じてもいないのにアメリカの言うことをそのまま受け入れる。みんなウソと知りながら。いまさら鳩山さんの正直さを思う。抑止力は方便だと言う言葉。まさにそれこそ裸の王様のウソを指摘した子供の心だ。幼い子供の心を持つ鳩山元首相だからこそ、本当のことを言えたのだろう。

 もうウソを続けるのは止めよう。アメリカにはいて欲しくないとはっきり言おう。沖縄からも日本からもアメリカの兵隊は帰ってもらおう。アメリカの兵隊がいないと北朝鮮が攻めてくるなんてウソはもう止めよう。日米同盟が日本の生命線だなんてウソだとはっきり言おう。日米同盟こそ日本の疫病神だ。

ミンダナオの新しいジュゴン

2011-03-08 | 南の海
一週間ほどフィリピンのミンダナオ島に出かけてきた。毎年出かけているジュゴンの観察行だ。ミンダナオ島の南ダバオ州のマリタという町でジュゴンがよく見られる場所がある。そこの海岸に建てられたツリーハウスの上から、ジュゴンが観察できる。もっとも地面からでもジュゴンは見ることができるのだが、目の悪いわれわれには少しでも高い場所から見ていないと気がつかないことが多い。ところが、昨年の嵐でこの観察塔がかなり傷んでしまい、階段も腐朽して、歩くとどんどん壊れてしまう。とても危なくて登っていけなかった。しかたなく、今年は3段になった観察塔の一番下の段から見るほかない。

 昨年は、この観察塔から観察してもついにジュゴンを見ることができなかった。地元の人に聞くと、ジュゴンの出現が少し減っているという。もっとも、昨年は観察時間をあまり取らなかったのが、ジュゴンを見ることができなかった原因かもしれない。そうそういつでもジュゴンが見られるわけではないので、ジュゴンを見るためには朝から夕方までこの観察塔に座って海を見つめている必要がある。それでも一日に1-2頭くらいしか見られないのが普通であるから、昨年は努力が足りなかったのだろう。今年は二日目の朝、ジュゴンが現れた。一頭の成獣が15分ほどいたが、その後見失った。

 今年はマリタだけではなく、他にもジュゴンが見られるところを探して、ダバオから東に向かった。車で時速80km以上でぶっ飛ばして、車とバイクと自転車とトライスクルとよばれるバイクタクシーと歩く人の間を縫って、車はぶっ飛んでいく。怖くて前を見ていられない。3時間ほどしてマティという町に着く。マリタよりも大きい町だ。この町は太平洋につながったプハダ湾に面している。このプハダ湾にはジュゴンがよく現れるというので、やってきた。プハダ湾の隣にマユ湾という砂浜がきれいな湾があり、その海岸に面したリゾートに泊まった。このリゾートはできたばかり。まだ塗料の臭いが残っていそうなほど、新しい。部屋は大きくてきれいで、ミンダナオ島の田舎の宿とは思えない。もっとも値段もかなり高い。高いと言っても日本のビジネスホテル程度だが、フィリピンの物価の安さを考えると、この値段はかなり高い。

 このマユ湾にもジュゴンが現れるという。しきりにベランダからも食堂からも海に目をやるが、そう簡単にジュゴンが見られるわけではない。結局、ここではジュゴンを見ることはできなかった。次の日に、船を借りてプハダ湾に向かった。プハダ湾のいくつかの点で潜ってみて、ジュゴンの食べ跡を探したが、いくつかの古い食べ跡を見つけただけだった。本当にここに多くのジュゴンが来ているのだろうか。疑問に思いながら、最後に湾口近くでファンダイビングを楽しんだ。といっても、楽しんだのは私以外の人。私は一つ前のダイビングのときに、深さ7-8mに素潜りをしていて、浮上の時に右耳の鼓膜を破ってしまったので、最後のファンダイビングはできなかった。船に残ってみんなが楽しそうに潜るのを見ていた。安全のために船に付き添ってくれた女性警官も、みんなと一緒に潜っていった。

 ところが、そのとき、湾口の海峡部を湾の奥に向かって泳いでくるジュゴンを見つけた。あれ、ジュゴンではないのか、と目をこすってよく見ていると、巨大な背中が次々と見える。どうやら一頭ではない。体長も3mくらいの成獣のようだ。数えると6頭が見えた。もっといたかもしれないが、確認できたのは6頭だ。船の船頭さんといっしょにしばらく(5分くらい)ジュゴンが群れになって泳いでいくのを眺めていた。船頭さんもこんな光景は滅多に見たことがないといっている。幸運はどこに転がっているか分からない。悠然と巨大な茶色い背中を水面に現しながら、ジュゴンたちはプハダ湾の藻場で夕食を食べるために泳いで通り過ぎていった。

 これらのジュゴンが湾の中のどこで餌を食べているかを是非知りたいと思ったのだが、予定の日程はもう終わった。耳も痛めてしまったので、ゆっくりしているわけにはいかない。潜っていた人たちはジュゴンを見ることができなかったが、それはまた次回にしてもらうしかない。マリタ以外にもジュゴンを見ることができる可能性が高い場所を見つけることができたことで、今回は満足した。また、来年もここに来たいと思う。