ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

辺野古の海に潜った

2007-10-29 | 南の海
沖縄・辺野古と嘉陽の透き通るような海に潜ってジュゴンの食べ跡と餌の海草を探した。辺野古ではジュゴンの食べ跡は発見できなかったが、きれいな海、広がる海草の原っぱ、晴天に恵まれて、海の中に潜るのが楽しい。嘉陽ではジュゴンの新鮮な食べ跡を発見。みんな大喜びで観察した。

 しかし、ジュゴンの食べ跡には無粋な鉄棒が立ち並び、それに大きいテープが結びつけられていた。海底に黄色いテープが立ち並んでいる。防衛施設局の調査グループが「このジュゴンの食べ跡は俺たちのもの」と主張するように、マークをつけていったらしい。調査のためだろうけれども、これではジュゴンが餌を食べる邪魔になりそうだ。すぐ近くでボートの上から私たちをじっと監視している。

 辺野古の海はキャンプシュワブの浜のすぐ前だ。キャンプシュワブには瀟洒な米軍の住宅が建ち並び、真ん中には凝った造りの建物がある。きくと米軍族のための映画館だとか。鉄条網で区切られた米軍専用の広いきれいな浜辺には数人の米国人男女が水着で戯れている。ここはいったいどこの国だろうかと思う。

 名護市の住民が、米国政府とブッシュ大統領をアメリカの文化財保護法違反で訴えている。原告にはジュゴンも加わっている。アメリカと日本政府はキャンプシュワブに普天間基地を移設しようとして、辺野古の海を埋め立ててジュゴンを絶滅の危機に追い込んでいる。アメリカの文化財保護法は政府による絶滅危惧種の保護を義務づけているので、住民はアメリカの裁判所にアメリカ政府を訴えた。アメリカ政府は、これは日本の政府がやっていることでアメリカ政府は関係ないと逃げていたが、アメリカの裁判所はこのたび名護の住民の訴えを受理し、アメリカ政府が被告となりうることを認定した。判決は来年2月の予定だ。ぜひ、アメリカの司法の良識を期待したい。

 この裁判の中で、辺野古の新しい基地に弾薬装着場の建設が含まれていることがわかった。これは日本政府はこれまで公表していなかったことだ。辺野古の基地はあくまで普天間基地の移転であり、新しい機能拡大はないというのが政府の言ってきたことだが、それがどうやら嘘であることが明らかになった。さらに、アメリカ政府は辺野古に250mの長い桟橋を建設して軍港としても使えるように要求しているらしい。日本の防衛施設局の話では、そのような桟橋の建設は予定していないといっているが、アメリカの予定では将来軍港として使う予定が書かれている。ここでも日本政府が明らかにしていないアメリカとの裏交渉があることが明らかだ。

 辺野古の海には戦争は似合わない。ジュゴンが生き続けられる平和な海を守りたい。
 

沖縄は熱い!そして暑い

2007-10-25 | 南の海
ようやく涼しくなった埼玉だけど、今日はまたまた暑い沖縄に来た。座席の3分の2を占める修学旅行生の嬌声に悩まされながら、那覇まで2時間半の空の旅だった。那覇空港に着いたとたん、むっとする熱気に包まれた。こちらはまだ真夏の暑さ。もっとも那覇の人に言わせればずいぶん涼しくなったという。

 それでも気温は28℃以上ある。じっとしているだけで汗が流れる。ホテルでも私はクーラーを使わないので暑さはこたえる。窓を開けて風を入れようとしたら、風で窓際に干していたシャツが道路まで飛んでいってしまった。

 沖縄は暑いだけではない。いま、沖縄は熱い。住民の集団自決をめぐる教科書の検定問題で、沖縄は島をあげて文部科学省の対応に批判の声を上げている。地元の新聞「琉球新報」「沖縄タイムズ」をみるとニュースの取り上げ方が大新聞とはまったく違う。地元の問題を取り上げるだけではない。大新聞が書かない重要なことをきちんと書いている。

 今日の琉球新報で知り得たのは、問題の検定意見をつけた教科書調査官が、皇国史観を教科書に入れたいとつくられた「新しい歴史教科書をつくる会」といっしょに本を書いていること。それだけではない。この調査官と教科書審議会の委員もいっしょに「つくる会」と共著の本を書いている。これらの本はどれも旧日本軍の立場から沖縄戦の見直しを主張するような内容だ。

 文部科学省の調査官や審議会委員は、公正公平な立場で教科書を審査・審議するという名目で仕事をしているはず。しかし、実際はそうではない。自分たちの皇国史観を教科書に反映させるために検定をしていることが明らかになった。文部科学省の中立性はとっくの昔に無くなっていた。

 沖縄に来ると日本の政治のおかしさがよく見える。米軍基地の鉄条網に囲まれて生活している沖縄の人々の気持ちも少しはわかるようになる。明日は港川の海を見て、辺野古の海を見に行く。ジュゴンがいつまでも沖縄の海を泳げるように祈って。

まだまだある警察のでっち上げ(その2)

2007-10-24 | 政治
高知新聞の記事から次も高知で起きた事件を紹介しよう。
 『水産会社社長が警官を告訴 元窪川署員接待汚職
 高岡郡四万十町の元窪川署員の外国人キャバレー接待汚職事件に絡み、贈賄容疑で書類送検されている町内の水産会社社長(63)が二十一日、「県警に容疑を認めるうその録取書を作られた」として、男性を取り調べた県警本部監察課の警部=当時=を虚偽公文書作成・同行使の疑いで高知地検に告訴した。http://www.kochinews.co.jp/ から引用

 以下は(1)で書いた片岡さんのブログから。
 告訴状によると男性(会社社長)は昨年5月21日、窪川署にて県警本部の警部から
「今回のことは、あなたに迷惑をかけんようにするから、この紙に名前をかいて、押印してくれ」と言われ、白紙の用紙に署名押印をした。県警本部の警部はこの紙を使って男性が容疑をみとめるうその録取署を作成。「上記の通り録取して読み聞かせたところ、(男性は)誤りのないことを申し立て署名押印した」と記載し高知県警監察課に提出した。

 男性側は「捜査に協力してくれ」と言われて署名押印した。あとから9枚に及ぶ録取書が作られたと聞いて驚いている。と説明した。
 (補足) 
 この男性は窪川署の巡査部長に身内の経営する風俗店の取り締まり情報を得るために、飲食の接待をしたという容疑がかけられていた。巡査部長は懲戒免職されている。
 また 男性は「キャバレーは妻が経営している。私は警察官に便宜を得たい考えも無かった。」「収賄容疑で送検された元巡査部長以上に私から飲食の接待を受けた警察官がいる中、トカゲの尻尾きりをしたい県警が偽装した録取書。内容はうそだ」と 容疑を否認している。
  これに対し 録取録を作成した警部(今は警視)は「うその文書を作るなど警察官としてできるわけが無い」 と否定。県警の土居秀樹主席監察官は「調査は適正・妥当に行われている」としている。
 この事件で懲戒免職になっている元巡査部長は「男性とは友人関係で収賄関係ではない」と県人事委員会に不服申し立てしている。

 なんということでしょう。警察の手にかかればご覧の通りです。もちろん この告訴の通りの事実があったかどうかは、現時点では不明ですが、同じような目にあっている私は「男性」を信用いたします
 「うその文書を作るなど警察官としてできるわけが無い」なんてことが信じられないから 困ります。
 私たちの事件で真実が明らかになれば、誰が「尻尾」にされるのでしょうか。また、告訴をされた男性に敬意を表します。がんばってください。
以上。

 警察と検察は(そして政府は)嘘をつかないという前提(建前)でこれらの組織は動いている。しかし、嘘をつく組織だと言うこともお互い知っていて、それで庇い合いをする。裁判所もその構造に荷担している。このシステムを本当に壊していかない限り、日本の司法は限りなく堕落し、人々は常に冤罪におとしめられないように警察に対してビクビクと生活しなければならない。裁判員制度は、この司法の腐敗を隠蔽することを目的として国民をその中に引き入れるために行われる。

まだまだある警察のでっち上げ(その1)

2007-10-23 | 政治
 警察が無辜の人を犯罪者に仕立て上げるでっち上げを20日のブログに書いた(富山と志布志)が、まだまだ警察によるでっち上げ・えん罪事件は山のようにある。表に出たものでもそうだから、実態は本当にひどいと思われる。表に出たいくつかの例を紹介しよう。問題は、警察が身内を庇うために虚構の事件をでっち上げたり、見込み捜査を行って犯人を最初から作ってしまうことにあるようだ。さらに問題なのは、検察が事実関係を十分吟味しないで警察の言うことを頭から信じてしまうことがある。少し調べれば警察の言っていることはおかしいことがすぐ判るのに調べようともしないし、犯人だと思いこんで捜査し起訴してしまうことが多いようだ。警察と検察のなれ合いも当然その根底にある。もっと救いがたいのは裁判所だ。証拠をきちんと調べて何が真実かを判断するはずの裁判所がなぜか理屈にもならない理屈で検察の証拠をまるまる認めてしまい、弁護側の証拠を一顧だにしないことが多い。日本の刑事裁判の98%が有罪であるという嘆かわしい事実がその検察と裁判所の癒着を暗示している。

まず、高知県でおきたある交通事故の裁判を紹介しよう。
 この事故はバスの横腹に警察の白バイが衝突して白バイの交通警官が死亡した事故である。この事故で、バスの運転手が起訴され1年4ヶ月の実刑(禁固)を言い渡された。なぜぶつかられたバスの運転手が起訴されたかというと、警察はバスがレストランから出てきて道路を横断しようとして白バイをはねたと主張した。しかし、バスの運転手は道路の半分まで前進して右折しようと左側から来た車をやり過ごすために停車していたと主張している。バスに乗っていた中学生もバスは止まっていたと証言している。停まっていたバスに猛スピードで走っていた白バイがよけきれずにぶつかって死んだ。付近の住民の話ではこの道路ではよく白バイやパトカーが猛スピードで訓練のように運転していたと言う。きっとこの白バイも相当の速度で走っていたに違いない。制限速度の60km以下で走っていたら、停まっているバスを避けられないはずはない。

 ところが警察はバスが白バイがくるのを知っていながら道路を横断したとして、白バイの過失を認めない。そのために、バスの運転手を過失致死で送検した。警察によるとバスは時速10kmの速度で進んでいたことになっている。さらにおかしいことに、事件後6ヶ月もたってバスが急ブレーキをかけた証拠として道路のタイヤ跡の写真を出してきた。

 検察の主張は、バスが10kmのスピードで道路に侵入してきており、そこに60kmの速度で走ってきた白バイが衝突したというものだ。警察の言うとおり。しかし、乗っていた中学生やつきそいの先生もバスは停止していたと証言している。一方、検察側の証人として証言したのは、「たまたま」白バイの彼方後ろから別の白バイを運転していた警察官だった。この警官の言う場所からは実は現場はよく見えないことも弁護側の検証で明らかになった。

 それでも裁判所(高知地裁)は、検察の言うとおり、中学生などの証言をいっさい認めず、「バスは動いていた」ことにして運転手に一方的に責任があるとした判決を書いた。普段はタクシーの運転手をやっていたこのバスの運転手(片岡さん)は仕事を失い路頭に迷っている。片岡さんはもちろん控訴して争った。10月30日、高松高裁で二審の判決が出る。地方の小さな交通事故の裁判だけど、この裁判には日本の司法の問題が露わになっている。注目したい。
片岡さんのブログは http://blogs.yahoo.co.jp/zassou1954/12945529.html

 今夜は13夜。

川越まつりを楽しんだが・・・

2007-10-22 | 日記風
 じつに20年ぶりに小江戸川越のお祭り「川越まつり」に出かけた。川越まつりは年々盛んになっていくようで、20年前に中国の友人を連れて見に行ったときは40万人が集まったと聞いた。昨年は2日間でじつに110万人が来たそうだ。川越市の人口は33万3千人なので、人口の3倍以上の人がこのお祭りを見るために集まってきたことになる。今年はいったい何人だったのだろうか。

 街を歩いてみると老若男女がわさわさと歩いている。露天の夜店も狭い街の通りにぎっしりとたち並んでいる。久しぶりに夜店を覗きながら歩いてみた。しかし、むかし子供の頃感じたようなどきどきした面白さは微塵もない。大人になったせいなのだろう。けれどもそれだけではないように思う。夜店の多様性が無くなったと感じる。昔はいろんな夜店があった。食べ物屋はもちろん、輪投げ屋、金魚すくい、ヤドカリ売り、おもちゃ屋、風船屋、お面屋、ブロマイド屋、飲み物売り、飴屋、焼き芋屋、手品師、的屋、ガマの油売り、大道芸人、見せ物屋、その他ありとあらゆる店があった。その中でも私に興味深かったのは、絵を上手に書く機械を口上もうまく売っている香具師だった。絵を描くのが下手だった私には、ブロマイドの中村錦之助や美空ひばりの写真を(あっ、年が判ってしまう)なぞっていくだけで写真そっくりに絵を書くことができるこの機械は魅力的だった(機械といっても6本の平たい木をボルトで留めただけのものだったが)。たしかそれは120円くらいしたと思う。当時、お祭りだからといって特別にもらったお小遣いは100円か200円くらいだったと思うから、この機械は子供の私には買うのは清水の舞台から飛び降りるほどのことだった。

 また話が脱線したが、今日びの夜店は8割が食べ物屋。それもタコ焼き、お好み焼き、焼きそば、チョコレートバナナ、杏子飴、綿菓子。それだけで大部分だ。食べ物屋を除くとあとは金魚すくい、風船屋くらいか。多様性の低下にはびっくりしてしまう。大学の学祭が今そうなっている。ほとんどが食べ物屋をやり、コンサートや講演会・討論会など昔の学祭の主流だった催し物はほとんど無くなった。大学祭が夜店化している。昔は大学生は一般大衆とはレベルが違った。今は大学生と大衆は同じレベルになった。いいことか悪いことか判らないが、大学祭と夜店との間に差が無くなったのは当然なのだろう。

 またまた脱線した。私が見に来たのは夜店ではなかった。川越まつりの真髄は山車の曳き回しと「曳っかわせ」にある。川越まつりの山車は350年の伝統のある山車で、出し入れできる3段になっており、一番上の段にそれぞれの山車に別々の人物の人形を飾っている。日本武尊や木花咲姫、徳川家康、八幡太郎、徳川家光、太田道灌など歴史上の人物や神話の人物の人形である。それがからくり人形のように山車の中から突然にゅーっと空に立ち上がる。見物人から盛大な拍手がおこる。山車は昔よりも増えていて、今年は16台だった。一台を作るのに1000万円は下らないと言われているように、山車の飾り物は豪華絢爛だ。夜の闇の中で提灯の明かりに照らされて金色の山車の飾りがきらめく。山車を曳き回す老若男女がもつ提灯は電池ではなく本物の蝋燭の明かりだ。周りの小江戸川越の倉作りの町並みに映えて、江戸情緒たっぷりだ。東京には江戸はもうあまり残っていないが、川越には江戸が残っている。

 山車には笛と太鼓のお囃子が乗り、踊り手が一人乗って踊る。踊り手はおかめ、ひょっとこ、媼、婆、狐、狸などの面をつけてひょうきんな振り付けでお囃子に乗せて踊る。「曳っかわせ」というのは、二台の山車が出会ったときに山車どうしが正面を向き合ってお囃子を競演することをいう。この競演は勝負がある。じつはそれぞれの山車のお囃子は似ているがそれぞれ違ったリズムのお囃子なのだ。その二台が向き合ってお囃子の競演をして、どちらかの山車の太鼓や笛や踊りが相手のリズムに引き込まれて間違ったら勝負ありで、負けた山車は道を譲って引き返したり道を空ける。この曳っかわせが川越まつりの最大の呼び物だ(写真)。

 観光客はたしかに20年前より多かった。しかし、曳っかわせなどの時の盛り上がりは以前ほどではないような気がした。20年前もやはり曳っかわせの周囲はラッシュアワーの電車の中のような混み具合だった。それはそう変わっていない。しかし、110万人という人出は感じられない。山車の曳っかわせを見た後、帰りに裏通りを歩いてみた。そこには表通り(山車が通る)以上に多くの露店が出ており、若い男女があふれるようにひしめきあっていた。川越まつりにきても山車を見るよりも夜店で何かを買い、食べ、遊ぶことに専念している若い人たちが多いことに気がついた。彼らにとっては重要民俗文化財の山車の競演よりも、食べてダベルことがハレの日のお祭りの楽しみだったようだ。川越まつりは盛んになっているのか、それとも先が危ういのか。

 私には久しぶりの山車の競演「曳っかわせ」は楽しかった。だけど、25年くらい前に最初に川越まつりを見たときと同じように、なにか盛り上がりに欠けるお祭りだと感じた。それは何故だろうか。それはどうやら、川越まつりのクライマックスである山車の「曳っかわせ」の勝負が横で見ていてもよく分からないことと、負けた方がそっと道を譲るという温和しい勝負だからかもしれない。

 私の故郷(四国)のお祭りでは、御輿どうしのぶつかり合いがあり、山車の曳き回しは荒っぽく、ものすごいエネルギーが感じられた。酒をラッパ飲みしながら暴れ回る御輿や山車。子供が御輿に乗って太鼓をたたいているのを担ぎ手たちが御輿をひっくり返し、乗った子供たちは逆さまになりながらも太鼓をたたき続ける。とにかくエネルギーが溢れていた。毎年怪我人が何人か出た。川越まつりはそのような荒っぽさがない。温和しく平和だ。勝負もお囃子で行う。酒の力で暴力をふるうお祭りがいいとは思わないけれども、川越まつりのようなおとなしさもなにか物足りない。

 有名な東京の三社祭りもかけ声は勇ましいが荒っぽさはない。しかし、関西の祭りはどこも荒い。岸和田のだんじり祭りなど毎年死者がでるほど荒っぽい。これはひょっとしたら関西と関東の違いなのだろうか。逆のような気がするのだけれど。それとも時代の違いなのだろうか。関西ではいまはもう温和しいお祭りに変わったのだろうか。久しぶりに故郷のお祭りも見てみたくなった。

えん罪をつくらない、つくらせないために

2007-10-20 | 政治
 鹿児島県の志布志町議選挙での選挙違反事件を警察にでっち上げられた17人が国家賠償請求訴訟を始めた。富山県では、警察に犯人にされてしまった男性が無罪判決を受けた。えん罪が広い範囲で広がっている予感がする。この二件はたまたま真犯人が見つかったり、あまりにひどい検察のでっち上げでさすがに裁判官も黙って認めるわけにいかなかったにすぎない例なのかもしれない。

 自衛隊の海外派兵に反対するビラ配りを逮捕有罪にしたり、ビラ配りを各地で検挙する思想取り締まりのような警察の態度も目に余る。国策捜査と言われるような警察や検察が政治的な動きをすることも目立ってきた。テロ対策という名目で人権をまったく無視するような捜査・事前検閲も横行している。「権力と戦う弁護士」安田好弘さんを経済事犯で立件して罪を認めない彼を一年以上拘留したのも、オーム事件その他権力にとって目障りな事件の弁護を邪魔しようとする検察の意向だったという。

 また、北朝鮮へ渡航しようとした病気の女性の点滴液を密輸出だと難癖をつけて朝鮮総連を家宅捜索したりして政治的な動きを強める日本の司直のおかしさも目に余る。結局、この女性は起訴さえもできなかった。もともと理由を探して家宅捜索するのが目的だったから、起訴をしようともしなかった。

 富山の場合のように明らかになったえん罪でも、裁判所はけっして謝らない。間違った判断をしたことについての反省は一度も表明されたことがない。警察と検察は一応謝罪を表明したが、だれも責任をとったという話は聞かない。日本の裁判は98%が有罪になる。世界でも先進国ではダントツの多さだ。それだけの判決の中でどれだけの人が無罪を認められず絶望の淵に落とされたことか。

 問題は建前として警察・検察・裁判官は嘘をつかないということを前提としているからだ。しかし、誰でもよく知っているように警察も検察も、そしておそらくは裁判官もウソを言うことはある。裁判は本来、検察官と被告の主張が異なる場合、どちらが真実かを見つけるものだ。しかし、日本の裁判のほとんどは検察のいうことを疑うことをしない。被告がウソを言っているかどうかを判断するだけなのだ。そして、疑わしきを罰せずでという原則は無視されていく。

 このような裁判のシステムをそのままにして、裁判員制度を来年の5月から導入するという。しかも裁判員を入れるのは重罪に相当する事件だけだという。そして裁判員候補はくじ引きで選びながら、裁判所によって気に入らない人はふるいおとされる。たとえば、死刑制度に反対する人は裁判員にはおそらく選ばれない。公正ではないという理由で。

 さらに問題なのは、裁判員にふるい落とされた人はそのことを公にして批判することを許されていないことだ。裁判員候補に選ばれた人、裁判員に選ばれた人は、自分の経験を根拠に批判することを許されない。それをすると秘密漏洩で逮捕されるからである。つまり、裁判員制度に関する批判は経験ある人からはいっさい出てこない。最初からこの制度は批判封じの制度なのだ。

民主党や野党にお願いしたい。ぜひとも裁判員制度の見直し法案を国会に提出していただきたい。始まってからでは批判はできなくなる。すべての国民は口にチャックをされてしまうので。まだ遅くない。ただちに裁判員制度の開始を遅らせて、いまいちど見直して欲しい。いつ私たちがえん罪で逮捕されるかもしれないし、えん罪を作り出すかもしれないのだから。

すべてを愛し、わずかを信じる

2007-10-19 | 日記風
 昨日、新座市の平林寺へ出かけた。平林寺は臨済宗の禅寺で新座市内に広大な敷地を持っている。敷地の多くは武蔵野の面影を残した林になっていて、天然記念物にも指定されている。思い立ってこの武蔵野の片鱗を味わいたいと思った。

 門前の茶店の駐車場に車を置いて寺の境内にはいる。拝観料300円なりを払う。近くの小学生が遠足にきていて賑やかだ。この騒がしさを避けてそそくさと寺の裏手の林に分け入ってみる。林の入り口にこの寺を創建した松平信綱一族の墓がある。信綱は三代将軍家光の老中で、15万石の川越城主でもあった。島原の乱を平定した徳川方の指揮官でもあった。信綱一族の近くに島原の乱の死者を弔った碑があるというので、感心に農民の死者を弔ったのかと立ち寄ったが、どうやら島原の乱で死んだ幕府軍の死者を弔ったものだった。まあ、そうだろう。幕府の老中が謀反人の死者を弔ったりはしない。

 散歩道になっている林の中は寺の僧侶たちの手によって手入れが行き届いていて歩いていても面白みがない。下草はほとんどなく、花もない。しかし、樹木は昔の木を丁寧に育てていて、どれも10mを超えるような大木になっている。また、植林にも気をつけているようで、あちこちに苗木が植わっていた。中心にたくさん植えているソメイヨシノの木を除けば、イロハモミジ、コナラ、クヌギ、エノキ、エゴノキなどの雑木林で、いかにも武蔵野の里山林だ。紅葉にはまだまだ早いが、あと1ヶ月すればここは綺麗なモミジの紅葉が見られるだろう。

 散歩道から外に外れたあたりの手入れされていないところは、下草に笹が生え、いかにも昔の武蔵野を思わせるたたずまいだ。いったい天然記念物になっているのは、手入れをした大部分の林なのだろうか、それとも外周にあるわずかの手入れしていない(天然の)林なのだろうか?

 林を抜けて平林寺の僧房の近くを通ったら、ちょうど午後の勤行が始まったところだった。般若心経のリズミカルな合唱?が聞こえてくる。近くにお寺の教えが書かれた立て札があった(写真)。「すべての人を愛し、わずかの人を信じ、何人にも悪いことをしてはいけない」と書かれていた。人を信じてはいけないという教えなのだろうか。それとも心を開いた人は何があっても信じなさいという教えなのだろうか。私は後者だと思いたい。

 騒がしい世相とうるさい世間を離れて、しばし幽玄の世界の周囲を歩いた一日だった。心がそれでも少し清々しくなった。

私は人殺しを手伝ってしまった

2007-10-18 | 政治
 秋が始まったばかりなのに寒さが急激にやってきた。こたつを引っ張り出したいと早くも思うようになった。窓から遠く見える浅間山ももう雪化粧だ。暑い夏の後は早い冬の訪れだろう。

 海上自衛隊がテロ特措法で行っていた米軍への給油はほとんどすべてイラク戦争のために使われていたことがはっきりしてきた。空母キティホークの指揮官だった人が「キティホークの任務は100%イラク戦争だった」と証言している。しかし、日本政府は米国大使と口裏を合わせ、日本が給油した燃料はすべてアフガンのテロ対策に使ったと言いつのっている。

 米国が言っている以上それを信用するのが当然という石破防衛大臣の言葉は、日本政府の情けない外交路線を如実に示している。米国との交渉でどれだけ密約があっただろうか。沖縄返還の核持ち込み密約、日本の肩代わり支払い、金大中拉致事件の韓国との密約など、どれも密約の存在が明らかになってもいまだに認めない日本政府の態度。まして現在問題になっていることで密約を認めるはずもない。それが密約の存在をますます強く暗示している。

 やりきれないのは、私が支払った税金からこれらの石油が買われ、そしてそれが米軍に供給され、イラクの多くの女性や子供などの非戦闘員を殺していることだ。けっして賛成もしなかったのに私の手が彼らを殺戮することに使われてしまった。こんな悲しいことはない。そして嘘を言ってそのことをした日本政府と自民党に言いようのない怒りを感じる。

 一時も早く自衛隊は帰ってくるべきだ。アフガンでやっている作戦だってテロの防止にはなんの役にも立ってはいない。アフガンでやっていることは米国が仕組んだ侵略戦争でしかない。この戦争の後でテロは10倍に増えた。


早くも化けの皮が剥がれそう

2007-10-18 | 政治
 アベシンゾー内閣の政権放り投げの後を継いだ福田内閣は低姿勢を売り物にしている。なんでも野党ともよく相談して、なんて言っている。なんとか民主党と連立を画策して自民党が下野するのを避けたいと思っているのだろう。国会での福田首相の答弁を聞いても、まったく自分の意見をいわず、それもこれもよく相談してとか、議論をして慎重に、とか言うばかり。なんだこれって思うような答弁だった。

 しかし、いろんなメディアによると福田さんは以外とキレやすい人だという。小泉政権でもっとも長い官房長官をやったことで知られているが、それ以外の閣僚経験はない。官房長官をやめたのも国民保険料の未払いがあったことが理由で突然辞任を表明した。これも実は小泉政権の中でアベシンゾー重用に反発していたのが、コイズミの「人生いろいろ」発言などの無責任に一矢を報いたつもりなのだという話もある。まあ、我慢するのをやめてあの時点でキレたのだろう。

 昨日の国会の答弁を聞いていてびっくりした。テロ特措法延長が無理になって、新テロ特措法を閣議決定したが、野党の皆さんに十分議論していただき納得いく説明をしたいと言っていたはずなのに、国会で野党議員に米国艦隊への給油がイラク作戦に使われたという疑惑を突かれて、「どんなに議論したって、どうせ反対って言うんでしょ」と答えている。野党の皆さんに十分議論を通して納得してもらう、というのは建前だと言うことはすっかり判っちゃっているけれども、それにしても委員会審議が始まってすぐこのような答弁をするというのは、「衣の下の鎧」が見え見えだ。

 この国会のおもしろいところは、福田さんのキレるときはいつかということだろう。その時が解散総選挙へとなだれ込む政治の季節の到来だろう。福田さんのあの達観したように見せているにやけ顔が怒りに引きつるまでの過程をこの国会に期待したい。そして、民主党にはこれまで反対してきたテロ特措法や教育基本法、教育二法などをもとの法に戻す手続きを進めて欲しい。民主党も自民党と同じかどうかが問われている。
  

狂い始めた花たち

2007-10-16 | 花と自然
 先日、大宮花の丘公園を訪れた。都市型公園であったので、私には公園の周りの雑木林の方が親しみやすい風景だった。ただ、公園の中のキンモクセイの生け垣が香り高かったことが印象に残っている。また、公園の一角に広くサルビアの真っ赤な花を寄せ植えていたのも強烈な色とともに印象に残っている(写真)。

 驚いたのは、ソメイヨシノの花が咲いていたこと。2本のソメイヨシノが花をつけていた。どちらも春に比べるとやや花が少ないきらいはあるが、個々の花は春の花に遜色のないくらい立派な花だった。気温が高く異常な季節を象徴するように、春の桜が狂い咲いていた。キンモクセイの花も今年は半月以上遅いとか。

 沈黙の春に気がついたレイチェル・カーソンが警告を発したのはもう40年近く前だった。環境の変化を植物や動物は敏感に感じて、しかし、徐々に徐々に警告してきた。人々がそれを感得するには、常日頃から植物や動物と親しく接していないとわからないだろう。カーソンの代わりを私たちが務めなければならない。みんなの一人一人が。