ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

ラテンアメリカの希望と社会主義

2006-12-25 | 政治
ベネズエラの大統領選挙で、反米反ブッシュのリーダーのチャベスが再選された。ニカラグアでは、アメリカが資金と武器を援助して作られた反政府右派軍コントラによって失脚した左翼サンディニスタのオルテガ元大統領が大統領選挙で復活した。ボリビアのモラレス大統領はエネルギー企業の国有化を宣言し、民衆のための左翼路線を鮮明にしている。これで中南米(ラテンアメリカ)のほとんどの国が左翼もしくは中道左翼政権となった。ボリバーリズムがラテンアメリカを席巻している。

 キューバのカストロ大統領は、寄る年波のために明日をもしれぬ命のようだが、彼が盟友チェ・ゲバラとともに推し進めてきたラテンアメリカの社会主義革命が、いろいろ問題はあるが、その形をなしてきたと言えるだろう。

 アメリカの反革命武力介入や40年以上続く経済封鎖などに堪え忍んで、貧しくも民衆のための社会を作り上げてきたキューバ。教育にお金を惜しまず、国民の文盲率が90%からゼロ%まですることに成功したキューバ。カストロの夢をラテンアメリカに広げるためにボリビアで殺されたゲバラ。彼らの夢がいま叶えられつつある。

 アメリカの猛烈な選挙介入によってメキシコでは左翼政権ができなかったが、チアパス州では、先住民が解放戦線を形成、政府軍もこれを制圧できず、自治政府が事実上続いている。その動きはチアパス州以外の州にも伝搬しつつある。アメリカの介入も限界が近づいてきたのではないか。抑圧されてきたラテンアメリカの民衆のうねりは今新しいラテンアメリカの世紀を作り出そうとしている。

 ソビエト連邦崩壊以来、社会主義が誤りで資本主義こそ正しいという一方的な価値観が世界中に広まったが、資本主義が人間を搾取する制度であり社会主義が搾取される弱いものの味方であることは、何がどう変わろうとも変わることのない真実である。ラテンアメリカの社会主義がマルクスの唱えた社会主義と似て非なるものであろうとも、社会主義は人類の理想であり続ける。

 他国を侵略もしないしそこの民衆に爆弾を落としてもいない国を「悪の枢軸」と呼んだブッシュ大統領を、逆に「悪魔」と呼んだチャベス大統領だが、彼の国連演説を読めば彼の偉大さがわかる。どこぞの国の自国ばかりを美しいと褒めそやす首相と比較して、その人物の偉大さがわかる。(http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200510100039581)

 新しい年は、ラテンアメリカの希望の波が世界を洗う年になって欲しい。しかし、日本には期待できないかもしれない。他国から言われなければ決して変われないこれまでの歴史から見ると。黒船が来なければ何も変わらない日本。決して美しくない日本。

 みなさん。それでは良いお年を。

対北朝鮮外交の失敗

2006-12-22 | 政治
朝鮮(民主主義人民)共和国の核開発を巡る六カ国協議が進展無く終わったようだ。その中でも、米朝の二国間協議がかなり行われたことと、日本が朝鮮共和国から無視され続けたことが注目される。

 小泉-安倍と続く北朝鮮外交の破綻がいまや誰の目にも明らかだ。アメリカはブッシュ路線が間違いだったといまや70%の人が信じている。民主党の地滑り的な勝利は、ブッシュ大統領でさえも路線を変更せざるを得ないと考えさせている。イラクで手詰まりのアメリカは、北朝鮮やイランに戦線を広げる余裕はまったくない。民主党の勝利で米朝二国間協議にも応じざるを得なくなった。

 ブッシュのアメリカに追随していれば大丈夫と思いこんだ小泉-安倍路線は、らちもない拉致問題を言いがかりにして、日朝の戦争状態を終えて平和条約を結ぶ方向を目指さず、日本の重武装路線を突き進んできた。そして、気が付いたらアメリカは米朝対話路線に向かい、拉致問題を振りかざしていた日本の主張はどこの国も相手にしなくなっている。安倍政権はまだ気が付いていないのかもしれない。

 彼らが気が付いた時は、米朝は国交を回復し、日本は朝鮮共和国に相手にされず、世界で孤立して重武装路線をひた走り、国連を脱退して朝鮮侵略に走る、という1930年代の歴史が繰り返されるかもしれない。アメリカはまだ歴史をきちんと見ている。日本は世界の歴史認識に逆行するような「教育基本法」の改悪、憲法九条の見直しなどを行い、アジアや連合国からまたまた孤立する。

 歴史は繰り返す。高校生よ。歴史は大学受験に関係ないかもしれないが、君たちの人生には大きく関係する。よく勉強した方がいいよ。

手首が折れた!?

2006-12-22 | 日記風
今朝、マイナス10℃くらいまで冷え込んだ。昨日と同じくらいの寒さだ。冬型の気圧配置で、寒気はすごいが天気はあくまでも澄みきった青空だ。

 そんな日の夜、勤め先から帰ってくる時の山道で星空を見上げるとまるで空一面銀の砂子を撒いたようだ。乏しい星座の知識でオリオン座と牡牛座を探し出し、そこから双子座を探す。先週の双子座の流星群は見損なったが、流星でなくても星の群れを見ているだけでも、悠久を感じる。いい季節だ。星の数が多すぎてしばしば星座を見損なう。3等星や4等星でもかなりよく見えてしまうから、星座がかえってよくわからない。

 昨日の朝、冷え込んだ寒さで腕が凍り付いて、ちょっと力を入れたら右の手首がポキッと折れてしまった(汗)。う~~ん。どうしよう。手首が痛くて右手でコーヒーカップも持てない。骨が折れたわけではなさそうだが、動かすと痛みが続く。

 左手は肘を痛めているので、電話の受話器が持てない。肘を曲げ続けると痛くてしびれる。どうやら両手が満足に使えなくなった。食器洗いが不便でしかたない。しかも、右手の親指の先があかぎれで痛い。

 毎年この時期にあかぎれが出来るようになった。昔子供の頃は良くあかぎれやしもやけを作ったものだが、もう長い間あかぎれやしもやけになったことがなかった。ここ厳寒の地に一人来て自炊などしているとあかぎれになってしまう。しもやけも冬になるとできる。今年はまだしもやけにはなっていないが、あと一ヶ月もするとしもやけになりそう。おばあさんの知恵であかぎれやしもやけの治療方法を昔聞いたような気がするが、おばあさんはもうずいぶん昔にこの世を去った。今は教えてくれる人もいない。

カキとノロと温暖化

2006-12-21 | 環境
今年はノロウィルスが流行していて、おかげで生牡蠣を食べる人がほとんどいなくなったらしい。牡蠣の値段も例年の半分くらいまで落ち込んでいるらしい。牡蠣の養殖業者は青息吐息だという。

 牡蠣がノロウィルスに感染して中毒が出たというのはまだどこにも例がないから、これは風評被害だと漁業者は言っているらしい。たしかにノロウィルスに関してはその通りだろう。しかし消費者にしてみれば、牡蠣がノロウィルスに感染するのはもう時間の問題だろうと感じているのに違いない。

 生牡蠣は本当に美味しいが、ノロウィルスに感染しなくても、いろんな食中毒の原因になってきた。消費者はもう十分生牡蠣の怖さを知ってしまっているのだろう。いまさら、まだノロウィルスに感染したという話はない、なんて言ってみてもおそらく消費者は決して安心はしないだろう。むしろこのようなニュースが駆けめぐると、牡蠣業者は大変だね、というだけでだれもだから生牡蠣を食べようとは思わないだろう。むしろ何も知らなかった人に牡蠣って怖いらしいねというそれこそ風評被害を増大させるだけのような気がする。

 いまはただノロウィルスなんていう悪魔が通り過ぎるのを黙って待っていた方がいい。もっとも漁業者が騒ぐのは風評被害を理由に政府や自治体に補償してもらいたいと思っているだけかもしれないが・・・。

 それはともかく、最近この近くの海岸の温度と水温を40年近く測り続けているところのデータを見た。それによると、年間の平均温度と平均水温が1970年代から1985年頃までは5~6年の周期で上下を繰り返しているが、その基本的な温度はほとんど変わらなかったのが、1980年代後半から現在までほとんど直線的に温度・水温共に上昇を続けていることがはっきりわかった。

 このグラフを見ていると、本当に怖ろしい。わずか20年くらいの間に平均温度は1度くらい上昇し、海水温は2℃くらいも上昇している。この傾向が続いたら、あと20年で北極の氷は融けてしまいそうだ。水面上昇で国が無くなりそうなところも出ている。そのような国にとっては、核兵器も軍事費も何の役にも立たない。

 あらためてわれわれの生活のあり方をもっと早急に考え直す必要があると考えた。ノロウィルスの流行や鳥インフルエンザの流行なども人間の文明の方向と無関係とは思えない。民主党が中間選挙で勝ったアメリカは早く方向転換して温暖化の京都議定書の枠に立ち戻って欲しいし、議定書で約束したはずの先進国のCO2削減を本気で取り組んで欲しい。経済に悪影響を与えるから、なんて言っている場合ではない。経済よりも人々が生き残れるかどうかなのだから。

「憎いし苦痛」

2006-12-19 | 政治
安倍首相の唱える「美しい国」。逆さまに読むと「憎いし苦痛」。教育の権利を国民から取り上げて、「美しい国」を教えるという。

 少し前のNHKスペシャルという番組で、「美しい国」を教えている小学校教師の話が紹介されたらしい。私はテレビを持っていないので見ていないが、その教師は「日本には四季があるから美しい国なのだ」と子供たちに教えたらしい。すると生徒の一人が「四季のない国にも美しい国はあるのではないか」と質問した。その教師は何も答えられなかった。というもの。

 まさに安倍首相の「美しい国」は、この無能な教師と同じだ。教育基本法を変えてむりやり「美しい国」を教え込もうというのだろう。新しい「教育基本法」は、こういう教師を作ろうとしている。言うことを聞かない教師は徹底的にいじめられる。

 子供たちは直接の被害者だ。彼らは理不尽な「美しい国」を強制され、愛国心を強制され、こころの中まで踏みにじられる。そして教師をいじめる教師から今度は生徒がいじめを受ける。いじめを恐れる子供は他の子供をいじめる側に回る。いじめのサイクルは世の中をくまなく回り始める。まさに「憎いし苦痛」だ。

 「身捨つるほどの祖国はありや?」  寺山修司
                      

時間の感覚がおかしい

2006-12-18 | 日記風
クリスマスのにぎやかな音が、きっと都会ではこころを浮き立たせてなんとなく買い物をしたくなったりして居るんだろう。田舎のこの町では、クリスマスソングが聞こえるのは、私の車のMDプレイヤーくらいだ。このMDも毎年この時期になると聞いている。もう○十年間聞いている。いつのまにか年の瀬が近い。

 そういえば、最近時間の間隔の感覚がおかしくなってきた。つい先週のことだとばかり思っていたことが、日記を見ると3ヶ月も前のことだったり、3年前も10年前も感覚の中ではほとんど同時のことのように思ったりする。これはちょっとヤバイかも。歳のせいか、はたまた、アルツハイマーとか言う人が見つけ出した病気なのか。しかし、時間の感覚以外はいまのところそれほどおかしな症状は出ていないようだ(知らぬは自分ばかりなり、ということもあるが)。

 自分のせいにしたくないので、これは異常な気象のせいだとか、ITなどという人間と合わせられない機械を操っているせいではないかなどと思ってみる。

 なにはともあれ、まだまだ先だと思っていた年の瀬が指を折ってみるともう目の前だった。これも時間の感覚がおかしくなってきたためかもしれない。来年はこの感覚のおかしさはもっと進むのだろうか?それとも自分を取り戻すことが出来るのだろうか?忙しく働いていると、きっと時間がゆがんでくるのだろう。アインシュタインのゆがむ空間のように。スローに生きて、自分を取り戻す時間を作りたい。

 雪を踏みしめて夜空を仰いでみた。まだ双子座の流星群が見られるかなとふと思い出したから。夜空にちりばめた星々をみていると、ゆっくりと生きたいとつくづく思う。そして頬の冷たさに我に返る。今夜の温度はマイナス7-8℃かな?

クロカンスキーと温泉

2006-12-17 | 日記風
今年二度目のクロカンスキーを歩いた。今日も雪模様の天気。先週のすぐ近くの林道を歩く。昨夜の雪が僅かだったせいか、今日は動物の足跡が多い。エゾシカの足跡はいたるところに見られた。しかし、エゾシカを追いかけているハンターの車の轍もいたるところにあった。ところどころには、血がしたたり落ちており、殺した鹿を解体した血のあとも残っていた。鹿たちも生き延びるのに大変だ。

 雪が少し固まって今日はスキー板はそれなりに滑った。30分ほど歩くと、昨年までのスキーの勘が戻ってきた。ノウサギの足跡、キタキツネの足跡も多い。テンらしい足跡もあった。

 スキーで汗をかいたあとはやはり温泉。熱いお湯で汗を流し、ゆっくりと体を休める。至福の時がまた来た。帰りの車が眠たくて・・・。ついつい瞼がふさがってきそうになるのを必死で食い止める。歌を大声で歌う。なんとか無事に帰り着いたら、こちらも雪が舞っていた。今夜は積もりそうだ。

捨てられる野菜と日本

2006-12-16 | 日記風

朝からしとしとと雨が降っている。この時期としては異常な暖かさだ。先週から積もっている雪が融けてきた。そういえば、今年はいつまでも暖かさが残り、冬の訪れが遅かった。

 日本中が遅い冬だったようだ。地球の温暖化はもう目に見えるところまで来ているようだ。ヨーロッパアルプスでは、過去1300年以来の暖かさだという。氷河がどんどん無くなっている。

 今年は気温が高かったために、野菜が豊作で価格が暴落し、せっかく生長した白菜や大根をブルドーザーで踏みつぶす光景がテレビで紹介された。北海道では大量の牛乳が捨てられた。

 食べ物を粗末にするなと言われて育ったわれわれは、このような光景を見て世の矛盾を感じないではいられない。生産者の生活を保障するために政府が補償金を出して野菜を捨てさせるらしいのだが、何かおかしくないか?

 野菜を作るには、森林を切り開いた開墾地で大量の人工肥料を使い、殺虫剤を使い、ビニールハウスや雑草対策のためのビニールシートを使う。これらの環境への悪い影響は計り知れない。それでもそうして作った野菜が無ければ人間が生きていけないと思うから、われわれは農業を認めてきている。大事にしてもいる。それだけの環境への悪影響を忍びながら作った野菜を捨てるというのは、単に食べ物を粗末にしないというモラルの問題だけではない。

 世界には食べ物が無くて日々死んでいく子供たちが何千万人といるという。すぐ隣の国(朝鮮民主主義人民共和国)でも、食べ物が無くて困っている人たちが無数にいると言われている。最近では日本の中にも飢えて死ぬ人まで出てきている。

 せっかくお金と環境への悪影響まで費やして作った野菜や食べ物を政府がお金を出してまで(われわれの税金だ!)捨てさせる。これは是非ともやめて欲しい。農家に補償金を出すのはしかたないかもしれないが、捨てさせることはない。政府が買い取って人道援助に回せばいい。どうしてそう言うことが出来ないのか。米軍のためにグアムまで行って家や基地を日本国民の税金で作ってやるという日本政府が。それこそ「もったいない」。

日本国憲法をよりどころにして

2006-12-16 | 政治
新「教育基本法」が成立したことをこころから怒りたい。大学教授や小中・高校教師たちの作った「教育基本法『改正』情報センター」は、この法律を採決したことに強く講義し、教師たちにこれまでの教育基本法に基づいた教育を行うよう呼びかけた。

「第一に、政府『改正』法案は、日本国憲法ではなく、自民党新憲法草案の精神にもとづき作成されたものであり、日本国憲法に違反する法律となった。

 第二に、国民に『国を愛する態度』や『公共の精神』を強制するもので、内心の自由を侵害するものであり、さらには、法律に基づきさえすれば教育にフリーハンドで干渉する権限を行政に与えるもので、教育の自由を侵害するものである。これらは立憲主義の精神を否定するものである。

 第三に、現行教育基本法は、憲法13条の『個人の尊重』を第1条に規定された教育の第1目的としての『人格の完成』に、憲法14条の『法の下の平等』を第3条『教育の機会均等』と第5条『男女共学』に、というように日本国憲法の条文の中から教育に関係する部分をとりだし、それを教育に即して具体化したという性格を持っている。しかし政府『改正』法案の条文の多くは憲法上の根拠をもたないばかりか、それと反するものであり、『準憲法的性格』を喪失した。」

 教育基本法は、教育は不当な支配に屈することなく、「国民に直接責任をおっておこなわれ」なければならないと規定していた。あきらかに政治が教育に口を出すことを許さなかった。先の東京地裁判決で東京都教育委員会の日の丸君が代通達が憲法違反であるとしたのは、憲法とこの教育基本法の条文にしたがったものである。自民党の作った「新教育基本法」は、「不当な支配に屈することなく」という言葉は残っているが、後半の国民に直接責任を負うという部分が無くなり、そのかわりに法律に従って国と自治体がやるとなっている。つまり、国や自治体が教育に口を出してもかまわないが、住民団体や労働組合が口を出すと「不当な支配」だと言うことになっている。条文は似ているが、考え方はまったく逆なのだ。現行の教育基本法は、国民の立場で書かれているが、自民党の「新教育基本法」は、支配する側の立場から書かれている。

 裁判所は、東京地裁のような判決を書くことが出来なくなった。しかし唯一、憲法がまだ残っている。日本国憲法が。裁判所が憲法をよりどころに判決を書いてくれれば、新教育基本法は憲法の精神に反しており違憲であると判決を出せるだろう。それを強く望む。裁判所が違憲判決を出さなければ、司法もまた死んだのだ。

 われわれは日本国憲法をよりどころにして生きていこう。そして自民党に憲法までも奪われないように、強く抱きしめておこう。日本国憲法よ。君をけっして離さない。

教基法と自衛隊法

2006-12-15 | 政治
今日、戦後の枠組みが変わってしまうほどの二つの法律ができた。ワッハッハッハと笑ってしまうほか無い。本格的に戦前に戻った。日本が軍国主義国家に戻った。これで私ははっきりと日本人であることを恥ずかしく思うようになった。国を愛せなくなった。こんな恥辱にまみれた日本は。

 明らかに予測できることがある。これでいじめが大手を振って歩き始める。だって新教育基本法がいじめを奨励しているのだから。学校から公平を無くし、競争と強制を導入する。学校の教師の自殺は大幅に増えるだろう。そして子供たちのいじめと自殺が大幅に増える。

 そして若者は教師になりたがらない。教師の質は大幅に低下する。そして、教育はめちゃめちゃになり、子供たちは学習する意欲を失う。30年後、日本は世界でももっとも劣等の国と認識されるだろう。アジアの人たちからさげすまれるだろう。日本を見捨てるしかないかもしれない。