先週、沖縄へ行ったのは、頼まれたことがあったのが主な理由だったが、同時に昨年の秋のブログにも書いたが、知人の女性が重篤な病に陥り(美空ひばりの死因と同じ病気だとか)、最近は食も細って生命維持装置につながりかねない状態に陥っていると聞いて、お見舞いと励ましに行ったのだった。彼女はその前の週に入院し、見ているだけでも哀しくなるような状態だった。今回、彼女のお父さんにも初めて会ったが、実直そうな沖縄のおじいが、娘のことを思うと辛くて・・と、大粒の涙をぽろぽろと流す様をみると、こちらもただただ目が潤んでくるばかりだった。
見舞いをしても、われわれには何もしてあげられることはなかったが、とにかく頑張って生きるんだよと言い残して、京都に帰ってきた。その後、彼女のお母さんから、見舞いをしてもらったあと、彼女が「生きたい・・」と言い、頑張って食事も自分から食べようとし始めたと、メールが来た。うれしいことだった。その後、検査の数値がよくなってきたという知らせも届いた。こんなうれしいことはない。私たちのお見舞いが、彼女に生きる勇気を少しでも与えられたとしたら、こんなうれしいことはない。
京都もしばらく寒かったが、ようやく春の気配がしてきた。彼女が回復して京都の桜を見に来ることができれば、この世にも神も仏もいるんだと思うことができる。
見舞いをしても、われわれには何もしてあげられることはなかったが、とにかく頑張って生きるんだよと言い残して、京都に帰ってきた。その後、彼女のお母さんから、見舞いをしてもらったあと、彼女が「生きたい・・」と言い、頑張って食事も自分から食べようとし始めたと、メールが来た。うれしいことだった。その後、検査の数値がよくなってきたという知らせも届いた。こんなうれしいことはない。私たちのお見舞いが、彼女に生きる勇気を少しでも与えられたとしたら、こんなうれしいことはない。
京都もしばらく寒かったが、ようやく春の気配がしてきた。彼女が回復して京都の桜を見に来ることができれば、この世にも神も仏もいるんだと思うことができる。