ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

「ごみ拾い」は環境教育ではない

2007-07-28 | 環境
新聞を見ていると、環境教育であいかわらず「ごみ拾い」を実施している学校が多い。いったい環境教育では何を教えているのだろうか?「ごみ拾い」でいったいどのような環境問題が解決できるのか、先生たちに聞いてみたい。

 環境教育では、人間が生き延びるための重要な環境問題をどのように考えて行動していくべきかを教えるはずだ。しかし、多くの「環境」教育では、ごみ拾いのように身の回りをきれいにしましょうという「環境美化」教育がほとんどのような気がする。これは環境の意味が違う。「環境教育」とはいえない。

 整理整頓やごみを捨てないというのは、たしかに大事な教育である。しかし、それは環境教育ではない。道徳の範疇の問題だろう。もっとも「ごみ拾い」から環境教育につなげることは十分出来る。それは、ごみが散らかっているから何とかしようという発想ではない。ごみは散らかっていても人間の生存には関係がない。しかし、なぜこんなにごみが散らかっているのか、という問題を考えさせるところから環境教育が始まる。

 その答えをみんなのモラルが悪いからとしてしまえば、それは環境教育にならない。モラルが良かろうが悪かろうが、ごみを大量に出す消費社会に問題があるといいう答えを生徒から引き出すことが出来るかどうかが、環境教育を行う先生の力量だ。さらには、消費社会に引きずられて生きている自分たちの生活様式を何とかしよう、変えていこうという方向が出てくれば、環境教育は成功したといえる。

 安易にごみ拾いをさせ「環境教育」と称していると、生徒たちは勤労奉仕が環境問題の解決方法だという間違った考え方をしてしまう。それでは、だから環境教育は嫌いだという生徒が出ても不思議ではない。来れからの子供たちには「環境」問題は死活問題になりうる。地球温暖化についても、生徒たちに何が出来るかを考えさせる必要がある。教師も実践が求められている。

 いよいよ明日は参議院選挙。今回は自民党の暴走政治にストップをかけられる可能性のある選挙のような気がする。最後まで眉につばを塗りながら期待している。
 

国立大学法人化は天下りのため

2007-07-27 | ちょっと一言
山形大学の学長選考で、7月まで文部科学省事務次官の結城某氏が選考された。たんにそれだけなら、山形大学の先生たちは結城氏を学長にふさわしい人と思ったのだろう、ですむ話のように思われる。しかし、結城氏よりも学長にふさわしいと選挙で選ばれたのは、元工学部長である別の人だった。つまり選挙で選ばれなかった結城氏がなぜか学長に決まってしまったのだ。

 国立大学の学長はすべてこれまで(法人化以前)は大学教員の選挙で選ばれていた。国立大学法人化法によって国立大学が法人化されただけでなく、学長の選び方も選挙によらない選考委員会による決定が出来るようにした。けれども多くの大学ではそれまでの教員による選挙を実施し(意向投票という名で)、学長選考に大学構成員の意見を十分反映するような仕組みを残している。それなのになぜ結城氏が学長に選ばれたのか?

 学長選考委員会というのは、現学長や理事、それに大学によって任命された企業経営者を含む学外者などによって構成されていることが多い。山形大学の選考委員の名簿は詳しく知らないが、おおかたそういう人だろう。そして現学長が文部事務次官の結城氏を強く推薦した。法人化したといっても国立大学の予算(運営交付金)は文部科学省が支給する。さらに運営交付金は毎年徐々に減らされており、さらに大学ごとに評価をして交付金に差をつけるべきだという議論がなされている。また、地方大学は生き残りが難しい大学も出てくるだろうという予想も新聞紙上で書かれている。そういう情勢で、文部事務次官を学長にするという山形大学のやり方は、意味深い。

 企業への天下りが、不公平なやり方で企業を救ってきた実例は枚挙に暇がない。政府系法人への天下りも予算獲得のために利用されてきた。いよいよ国立大学さえも天下りの好餌となってきたのか。

 結城氏は学長選挙での公開討論会において、フロアーからの 天下り批判に
対し、つぎのように答えていた。「人事当局の斡旋ではない。予算を背景に押し付けているものではな い。仮に押し付けがあるなら拒否すればよい。選挙で選ばれて学長に なった場合は、みなさんの選択になる。したがって天下りには該当しな い」

 大学構成員は今回、意向投票という「選挙」によって、明確に「天下り NO!」の審判を下した。にもかかわらず、結城氏が学長になったということは、彼自身が言った言葉にも矛盾する。天下りを自ら認めたことにほかならない。いま、高級公務員の天下りがこれだけ問題になっているときに、このような選挙という民主主義を踏みにじってまで、大学に天下りをする事務次官を許すことは出来ない。

 国立大学は、もう一度学長選考方法を民主主義的な選挙に今すぐ戻すべきだろう。大学構成員が声を出すときが来たようだ。参議院選挙も民主主義(戦後レジーム)をなくするか、あらためて求めるかの機会を与えてくれるだろう。二大政党制という言葉にごまかされてはならない。少なくとも参議院は小選挙区制ではないのだから。
  

地震よりも怖い原発

2007-07-23 | 環境
中越沖地震で柏崎原発に60箇所を超えるトラブルが発生した。変圧器の火災も4時間も消火できない状態が続いた。まさに危機一髪だったようだ。活断層の上に作られた原発の恐ろしさに身震いがする。

 あの地震が起こったときに、ニュースで柏崎市と刈羽村が震度が最も大きいと聞いたとき、まず原発はどうだろうかと心配した。しかし、多くのテレビやラジオのニュースは原発のことに触れないで、もっぱら市内の被害の報道に終始した。原発について触れたニュースは、ただ一言「原発はすべて自動停止した。安全に問題はない」とだけ述べただけだった。

 あれだけ原発の事故の事実隠蔽が明らかになった直後だというのに、どの報道機関も東電の安全だという発表をただ垂れ流すだけだった。いったいマスコミはまともな報道機関としての機能を失ってしまったのだろうか。

 心配したとおり、原発では火災が発生しており、多数のトラブルが発生していた。それでも東電は報告を遅らせるだけ遅らせた。事故に対応できるような体制さえもできていないことが判明した。本当に身の毛がよだつほど怖ろしい。原子力の恐ろしさを日本人は知らないはずはないのだが。

 地震列島日本に原発は安全に存在できるとは思えない。ドイツでは、一度原発をすべて廃止することを決めた後、数年前に選挙で保守党が勝ったため、廃止政策の見直しが始まった。しかし、日本と同じようにやはり原発会社のデータの隠蔽やうそが多数見つかり、ふたたび原発廃止へと世論は大きく動いている。地震列島日本もドイツに見習う必要があるだろう。

 サンナシ小屋は、日本の中ではどの原発からももっとも遠い地点にある。それでも安心はできない。チェルノブイリ級もしくはそれ以上のチャイナ・シンドロームが起こったときには、安全なところは日本にはないのだから。
ようやく晴れ間が見えた道東から。 

ストーブの火が恋しい

2007-07-21 | 日記風
道東太平洋岸のこの時期は、霧が深い。太陽が上空にあるのがわかっていても、霧が立ち込めて太陽の顔が見えない日が多い。さらに昨日から雨が降り続いている。梅雨のないこの地方でも、この季節は太陽が恋しい。霧が出ると、気温もどんどん下がる。ここのところ最低気温が一桁という日が続いている。太陽の顔もしばらく見ていない。

 暑い気候を避けて北海道(道東)に夏をすごしているが、さすがに太陽の顔を見ないで、寒いと気持ちも晴れない。ここ二日ほど毎晩ストーブの火を入れた。

 サンナシ小屋では薪ストーブだ。夜になると冷え込んでくるので、ストーブに薪をくべる。炎が暖かさといっしょに癒しをもたらしてくれる。乾いた薪は気持ちよく燃える。長雨と暑さの西日本の人たちには申し訳ないような暖かい心持になる。

 火の偉大さ、日の偉大さに脱帽だ。
  

争点は憲法だ

2007-07-19 | 政治
参議院選挙が近づいてきた。選挙の争点は年金問題だといわれている。しかし、いったい年金問題の何が争点になっているだろうか?責任は当然これまでの政権を担ってきた自民党にある。年金がもらえないかもしれない人たちの不安は大きい。しかし、それは争点というものではない。どの政党もこれまでの社会保険庁の対応に問題があったこと、それを是正しなければならないことは、一致している。せいぜい社会保険庁を法人化すること(社会保険機構へ)がいいかどうかと言うレベルの争点でしかない。

 今回の参議院選挙の本当の争点は、憲法改定が是か非かが最大の争点である。安部政権は憲法改定を選挙公約とした。アベシンゾー首相の最大の関心もそこにある。自民党が選挙に勝ったら、憲法改定が国民の信任を得たと言って3年後に予定されている国民投票法の施行後、一気に国会に憲法改定案を提出するだろう。そのときに、国会の3分の2の多数を改定賛成派が占めることができるかどうかが、この選挙の最大の争点なのだ。

 衆議院では現在の議員の80%近くが何らかの意味で憲法改定に賛成しているといわれる。自民党、公明党、民主党の多数を含めると3分の2以上になりうる。参議院ではどうだろうか?それを決めるのが今回の参議院選挙なのだ。年金問題などに目を奪われてはいけない。本当の争点は、憲法改定して戦争をする国になることを許すかどうかが、この選挙の最大の争点である。

 官僚支配と大企業優遇を続ける癒着政権を交代させることも重要であるが、だから民主党の候補者なら誰でも言いというわけには行かない。民主党には自民党よりも好戦的な議員は多い。よく見て選びたい。憲法を守る候補には、社○党、共○党、○条ネットなど立場をはっきりさせた政党もある。きちんと選挙公報を読んで自分で考えて選びたい。

 大事なのは、争点を間違わないことだ。
 

教育とは何を教えるべきか

2007-07-17 | ちょっと一言
十勝地方に低温注意報がでている。道東は寒い夏が続いている。今日も最高気温が15℃の予想。しかし、暑苦しいのよりはいいか。

15日の毎日新聞に、日本証券や日興證券などの証券会社が夏休みを利用して小学生に投資や金融の仕組みを教える教室を開いているという記事が出ていた。資本主義経済の仕組みを教えること自体が悪いことではないが、子供に10万円を支給し株投資を実体験させる会社があるときくと、やはりおかしいといわざるを得ない。資本主義経済で投資をするということは、ギャンブル性があるだけでなく、基本的に資本家として振舞うこと、つまり、額に汗せず労働者の上前をピンはねすることである(搾取とも言うが)。そういう人たちがいることを教えることは必要であるが,いかにもそういう人になれといわんがごとき教育とは、どういうものだろうか。

 われわれは「働かざるもの食うべからず」と教わって育った。今でもそれは誠実に生きることだと思っている。今では「ずるがしこく生きて他人の上前をはねよ」「働かずに儲けて何が悪い」といわんばかりの教育が大手を振っている。日本の将来、そして現実は露骨な新自由主義の下での格差とワーキングプアの拡大である。

 同じ紙面に毎日新聞の論説委員「潮田道夫」が「経済成長したのは、テレビの例でいえば、カラーテレビが発明され、薄型テレビが登場したからである。まだ映るテレビを捨てて買い換えたからだ」と書いている。地上デジタル放送化によって日本国民のすべてがテレビを買い換えなければいけなくなった。これも経済成長のためにいいことだというのである。まだこんなことを大新聞の論説委員が言っているとは本当に驚いた。
 
 消費型社会が経済成長を押し上げ、そしてついには地球を破滅させようとしているときに、いまだに大量消費経済を手放しで良しとするのであろうか?
  

蜂蜜が食べられなくなる?

2007-07-13 | 環境
ヨーロッパやアメリカのミツバチが脱走・逃亡を続けているらしい。アメリカの養蜂業者が飼育しているミツバチの半分以上の巣箱で、ミツバチの働き蜂たちが巣箱に帰ってこない事態が起こっており、養蜂業者が次々と倒産しているらしい。ミツバチの脱走・逃亡とは、ニホンミツバチでは時々起こることのようで、巣の環境が悪化したときなど、巣の働き蜂が一団となって巣から離れて別のところへ移る。女王蜂も一緒に行動することもある。ヨーロッパやアメリカのミツバチはセイヨウミツバチとよばれる種類でニホンミツバチとは異なった種類だ。養蜂業者が蜜集めに使っているミツバチは日本でもほとんどがセイヨウミツバチである。

 日本でも今年になってミツバチの集団が信号機の青いランプに群がっているのが見られるなど、幾度か話題になった。おそらくこれも巣からの逃亡・脱走であったと思われる。しかし、ニホンミツバチに比べてセイヨウミツバチはこのような脱走や逃亡という行動がほとんど見られないことで知られており、そのために養蜂業に主として使われている。そのセイヨウミツバチが巣箱からいなくなる事態が続いているという。中国や日本ではまだそんなに多くの事例は知られていないけれど、いずれアジアでも起こるかもしれない。すでに蜂蜜の価格の高騰が始まっている。蜂蜜はお菓子などだけでなく、医薬品や化粧品など多くの分野で使われており、物価に与える影響も大きそうだ。また、ミツバチは蜜を集めるだけでなく、同時に花粉の媒介・受精を行い、多くの植物の繁殖に無くてはならない存在であり、農家にとってもきわめて大きい問題である。ヨーロッパではミツバチの奪い合いが起こっているという報道もある。私がよくするように、朝食のトーストに蜂蜜を塗って食べるというのは贅沢きわまりないといわれるときがくるかもしれない。

 ミツバチの逃亡・脱走の原因はまだよくわかっていない。いくつかの原因が取りざたされている。曰く、「農薬説」「ウィルス説」「カビ説」「電磁波説」などなど。中には「働き蜂のストライキ説」などというものもある。もっともそれらしいのは「電磁波説」であろう。携帯電話が普及して至る所に電磁波を発するアンテナが立ち並ぶようになった。また、携帯電話のアンテナの下では、ミツバチが正常な行動ができなくなると言う研究結果も出ているので、ますます電磁波説が可能性高いということになりそうだ。しかし、これほど多くの携帯電話のアンテナが立ち並ぶようになった日本で、ほとんどミツバチの逃亡・脱走が見られていないのはなぜなのだろうか?その点が電磁波説のもっとも弱点のようだ。

 原因はまだわからないが、ミツバチのこの異常な行動は、続く異常気象と同様に、地球になにかとてつもないことが起こっているような不気味さを持っている。地震の前には動物たちが逃げ出すと言われている。沈む船からはネズミたちが前もって逃げ出すとも言われる。ミツバチたちの逃亡・脱走はいったい何の予兆なのだろうか?

 今年も異常に早い台風の上陸がありそうだ。7月に入ってもサンナシ小屋では寒くてストーブが欠かせない。気候も生き物も何か不吉なことが起こりそうな気配を漂わせている。そういえば今日は13日の金曜日。

参議院選挙に臨んで思う

2007-07-10 | 政治
赤城厚生労働相の事務所経費問題は驚かされた。前任者と同じような疑惑で追い詰められている。アベ首相はいったい何を考えて赤城さんを選んだのだろうか?まえの大臣が事務所経費問題と緑資源機構の談合に関わった疑惑で自殺をした直後なのに、そんな吟味もしないで選んだのだろうか?しきりに問題ないとアベ首相自身が庇っているのは見ているのも見苦しい。赤城宗徳議員が生きていれば、孫の醜態に苦虫を噛み潰している様が目に浮かぶようだ。

 アベ首相率いる自民党と公明党の連合軍が、参議院選挙で劣勢を強いられてきているようだ。小泉路線が日本にワーキングプアと称する下級階級を作り上げ、アベシンゾーがその路線を引き継いだ。その結果とすれば当然のことだろう。なぜ、小泉内閣のときにそれを気づかなかったのだろうか?痛みを感じて初めてわかるというのでは遅いのだが。

 このままでは参議院で与党が過半数割れを起こすかもしれないというので、自民党の危機感は相当なものだ。なりふりかまわない利益誘導による票の確保が各地で行われている。意外と自民党の底力は侮れない。野党はどれだけ頑張れるだろうか?選挙前になると「テロ」や「北朝鮮」関連のニュースがNHKなどに多く流れるようになる。これは自民党を利するためなのだろうか?疑心暗鬼なのか、李下に冠を正さずといってもらいたいものだ。

 参議院で負けても衆議院があるからとアベシンゾー首相は責任をとりたがらないようだが、国会が動かなくなるなら衆議院を解散するしかなくなるだろう。民主党はそのときにどうするか? 小沢さんも負けたら辞めるなんてことを今言う必要があるのか?いまは勝ったらどうするかを言うときじゃないのか?そんなことでは民主党も心もとない。

 とにかく長年の官僚と政治家の癒着構造を改革するには、政権政党を代えてみることがまず第一だろう。しかし、参議院は小選挙区制度ではないのだから、自民党がいやなら民主党というわけでもない。少数政党が林立しても、参議院は良識の府である。議員の数だけで多数決をしない参議院が求められる。
 

ゴルフの罪悪

2007-07-09 | 環境
ゴルフ亡国論が言われてもはや二昔以上の月日が過ぎた。日本の自然は確実に滅びつつあるけれど,ゴルフは亡びる気配もない。

 いまや「ハニカミ王子」などという子供がプロのゴルフをやる時代にさえなってきた。「ハンカチ王子」や「ハニカミ王子」などと、イケメンを追いかけるおばさんやおばさん予備軍の反応には、イケメンとは縁遠い私としては、ただ複雑な表情を作るしかない。いや、ここでいいたいのはそんなことではなかった。

 ゴルフをする人の言うことを聞くと,ゴルフは広々とした自然の中で健康な汗を流すのでスポーツとして素晴らしい、と思っているらしい。それは大きな間違いだ。ゴルフ場は自然では決してない。山林を徹底的に破壊して、土壌を掘り返して殺し、そこに外来の芝を植え込んで殺虫剤、殺鼠剤、除草剤などの農薬を大量に入れて作られた緑の芝生であり,自然の緑とはまったく異なったものである。ゴルフ場はそれゆえに,まさに自然破壊の元凶といわれる。そのようなゴルフ場で一日過ごして楽しいだろうか?それとも知らないだけなのだろうか?

 ゴルフをする人は、昔は一握りの大資本家(大金持ち)が軽井沢などの限られた場所で人目に触れず楽しんでいた。ところが現在では、プロレタリアート(労働者階級)であるはずのしがないサラリーマンがなけ無しの金をはたいてゴルフをやる。会社の接待でゴルフをやる人もあるようだが,それも相手がゴルフを好むからなのだろう。相手はけっして大資本家とは限らない。町工場の社長だったり、銀行の支店長クラスの三流管理職であることも多い。

 彼らはひょっとすると自分がプロレタリアートであることを忘れているのではあるまいか。いわゆるプチブル(自分が労働者階級であることを忘れて、資本家階級に所属していると勘違いしている労働者市民)なのだろう。ゴルフは一部大資本家の特権でいいのだ。一般大衆のプチブルが間違ってゴルフなどやるから、日本中にゴルフ場が乱立し、あらゆる山林が破壊され、里山がなくなっていく。北海道から東京羽田へ飛ぶ飛行機から見ると、千葉県の山がいたるところでゴルフ場に蚕食されているのがよく見える。あの光景を見るたびに、ゴルフ場の罪、ゴルフをする人たちの罪を、見せ付けられる思いがする。

 市民のみんな。ゴルフをするのを止めよう。健康な汗を流したいなら、残された山林の中を歩いてみよう。美しい花も咲いている。農薬とは無縁な自然を感じることが出来る。ゴルフよりももっと素晴らしい健康さを手に入れることができる。心も健康になる。

 バブルの時代に全国でたくさんの広大な里山がゴルフ場に化けてしまった。バブルがはじけて一部は山を裸にしただけの荒野にされてしまっている。バブルがはじけてまともな経済に帰った今、全国のゴルフ場の経営を破産させ、再び緑豊かな自然の里山を復活させる必要がある。
  

サンナシ小屋から

2007-07-07 | 日記風
暑い夏は耐えられないと、北海道サンナシ小屋にやってきました。涼しい!

昨日のラジオでは、昨日までの「厳しい暑さ」が一服とか言っていた。「厳しい暑さ」の正体は最高温度20℃。昨日は涼しくて16℃。今日はまた回復して22℃「厳しい暑さ」が復活。

関東の暑さを思い出しただけでゲンナリ。今月はサンナシ小屋で夏を乗り切ろう。
短い北海道の夏の始まりだ。春の花はほとんど終わって、草がいっきに伸び始めている。北海道の草の生長は早い。見ている間に伸びていくようだ。夏の花セリ科の白い冠状花が草むらからひときわ高く伸びて空に向かって開いている。エゾノシシウドやハナウドだろうか。

澄み切った青空をみていると、こころが洗われる。今夜は七夕。きっと美しい天の川が、そして星座たちが見られるだろう。