ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

ちょっと体調不良

2008-06-26 | 日記風
急に涼しくなったためか、それとも旅先で慣れないクーラーに浸かりすぎたか、どうも体調が悪い。今日はPCに向かうのも怠い。で、テンプレートを換えただけで、眠ることにしよう。オヤスミ 

京都とサミットとテロ対策

2008-06-25 | ちょっと一言
今週は梅雨空が続いたが、そのちょっとした休みの間に滋賀県の琵琶湖のほとりに出かけた。海になじんでいるせいか琵琶湖の波のない静けさと穏やかさに心が弛緩するのを覚えた。晴れた空ではなかったが、かすんだ湖面が風情をかもして、ああ、こんな景色も日本にはあったなあ、と懐かしく思い出した。

 帰りに手ぶらで京都の町を歩いてみようと京都駅のコインロッカーを探したが、見つからない。案内嬢に聞いてみると今、すべてのロッカーは封鎖されて使えないという。洞爺湖サミットをにらんだテロ対策だという。道理で駅の周辺におかしな警官がいっぱいウロウロしている。代わりの措置はなんか無いかと聞いたが、何ともならないらしい。この重たい荷物を提げて蒸し暑い京都の町を歩くのかと思うと怒りがこみ上げてきた。

 そもそもサミットとコインロッカーにいったいどんな関係があるというんだろう。サミットの警備にコインロッカーをすべて閉鎖したらテロが防げるというのだろうか?だったらなぜ常日頃からロッカーを禁止しないのだろう。市民の生活の必要からコインロッカーというものがあるのだ。コインロッカーやゴミ箱を閉鎖してテロが防げるなら、たいしたものだ。そう言うやり方でテロが防げるなら、なぜ土浦や秋葉原で無差別テロを防がなかったのか。

 「誰でも良い、殺したかった」という犯人の動機は、まさに無差別テロである。この世の差別・貧困・失望などで無差別テロに走る人がいるというのは、本当は政治の中枢にいる人を狙うべきテロが、物理的に困難なので一般人に向かった場合と(イラクではこれが多い)、自分が誰に意趣返しをしたいのか、自分をここまで追い込んだのが誰なのかハッキリしない場合に、無差別テロに走る。土浦や秋葉原の犯人はこの後者である。言い換えれば、本当は政治の中枢にいる人が狙われるべきだったということだ。そしてその無差別テロの実行を許したのは警察の責任のはずだ。しかし、無差別テロを許してしまったといって警察の幹部が辞表を出したというのを聞いたことがない。もし、テロの刃先が首相や自民党の幹部だったら、警察幹部は辞表を出すに違いない。ここでも誰が被害者かで明らかな差別がある。

 ようするに、サミットをにらんだテロ対策とは、市民の自由を少々奪っても、政治の中枢にいる人を守るのが最大の目的なのだ。庶民がコインロッカーを使えず、蒸し暑い中を重たい荷物を担いで汗を流そうが、そんなことは知ったことではないのだ。唯でさえ渋滞の激しい京都の町中では、テロ対策の検問とかで道路の半分は封鎖されている。洞爺湖サミットのテロ対策でなぜ京都の町で検問などをしているのだろう。庶民の犠牲などかれらには何の関心事でもないということか。

 洞爺湖サミットで地球温暖化対策を話し合い、成功させなければいけないというのは先進国の思い上がりでしかない。国連などでアメリカや中国に逃げ場を許さない対策を話し合うべきであり、大国だけで偉そうに決めることではない。またアメリカは何のかんのと逃げ口上を探すだけだろう。アメリカの役に立たないとなったらG8なんか簡単に捨て去るのがアメリカのやり口だ。実際国連がアメリカの言うことを聞かなくなったのが、サミットをやって世界のリーダーシップを取ろうというアメリカの思惑でしかないのだから。そろそろ日本はG8から抜け出して、アジアやアフリカ、ラテンアメリカの国々といっしょに世界をアメリカの支配から抜け出させる努力をして欲しい。民主党にそれだけの覚悟のある政治家はいるのだろうか。

フクダ首相を褒めてやりたいが

2008-06-23 | 政治
「他人事と思えば総理も楽しめり」
 朝日新聞に掲載された川柳。秀逸だと思う。フクダ首相の心境は楽しめるようなわけではないだろうが、いかにも他人事のような首相の言い方は、この人は本当に国民のことを心配しているのだろうか?と思わせる。もっとも心配しているのは自分の首相の座をどうやって確保するかと言うことばかりだろうけど。

 そのフクダさん。自分の支持率を上げるためだろうけれど、クラスター爆弾全面禁止に梶を切るリーダーシップを取ったのは、褒めてあげたい。日本はコイズミ・アベの時代から最後までクラスター爆弾全面禁止に反対を続けてきた。ノルウエイの積極的なリーダーシップとは対極にあった日本の態度だったが、最後にフクダさんの決断で全面禁止賛成に踏み切った。これで日本がなんとか世界の国々から非難される事態をぎりぎり避けることができた。

 日本の自衛隊はクラスター爆弾をたくさん持っている。なぜ専守防衛の自衛隊がこんな効率よく殺人するための爆弾を持っていたのか不思議でならないが、とにかくこれで自衛隊が持っているすべてのクラスター爆弾を廃棄することになった。こんな良いことはない。

 けれども手放しで喜べないことが一つある。それは最新鋭の自爆装置のついたクラスター爆弾なら禁止条約から見逃されていると言うことだ。親爆弾から飛び散った子爆弾が不発弾にならなければ使用が禁止されないという抜け道がある。自衛隊がこの抜け道を利用して最新鋭のクラスター爆弾を持とうと思わないことを祈る。銃を楽器に、爆弾を風船に持ち替えて世界の平和に寄与できる日本になりたいものだ。

 その自衛隊が宮城・岩手内陸大地震の被災行方不明者の捜索を今日でやめてしまった。消防や警察はまだまだ捜索を続けるというのに、自衛隊はなぜやめるのか。消防や警察には他にやることがいっぱいあるけど、行方不明者がいる以上、捜索をやめるわけにはいかない。自衛隊には今すぐやらねばならないことはそうそうないのに、なぜ捜索を中止したのか。自衛隊は国民のためになると思うことをやって欲しい。殺人の練習で税金を使うのはやめても良いのに。
 

海の生きものを見る

2008-06-22 | 花と自然
土曜日は千葉県の銚子の海に遊びに行った。犬吠埼のすぐ近くの海岸だ。梅雨に入ってなかなか雨が続かないなと思っていたら、金曜日あたりから本当の梅雨空になった。土曜日は朝から雨。わずかの雨の合間を狙って海に出かけたが、磯に入ったときはかなり雨が降っていた。それでも干潮時間が決まっているので、雨が気になるがかまわず海にはいる。

 本当は泳いだり潜ったりしたかったのだけれど、さすがに前夜の雨で海は濁っていて、潜っても何も見えそうにない。しかたなく、長靴を履いて磯を歩いてみた。北海道では見られない動物や海藻がある。大きいアメフラシやヒトデがたくさんいるのも楽しい。地元の割烹の若い女将さんが小学生の子供を二人連れて磯遊びに来ていた。アメフラシを見つけて子供たちはおおはしゃぎしている。ときどき海に遊ばせに来るという。まだ日本にもこういうお母さんがいることに嬉しくなった。

 太郎、太郎、犬吠の太郎、馬鹿の太郎
 高村光太郎の詩で有名な犬吠岬はすぐ近くだ。暖流と寒流がぶつかり合う太平洋の荒波が直接ぶつかり、風が強いことでも有名で、銚子の町のはずれには大型の風力発電機が立ち並ぶ。銚子のもう一つの名産が醤油。町にはいるとどこからとなくお醤油の香りが漂ってくる。泊まったペンションではお土産にお醤油の小瓶をくれた。不思議に思っていたが銚子市内の宿はどこもお醤油のお土産をくれるらしい。

 埼玉の家までは高速道路で一度東京へ出てから帰ることになるが、それでも一般道路を通ってまっすぐ西へ帰るよりは時間的に早い。時間を掛けて一般道路を通るのと、時間を短縮させて高速料金を払うのとはどちらが得で、どちらが二酸化炭素の排出量が少ないのだろうか?石油高騰の折からそんなことを考えながら、久しぶりの海の匂いを身体にくっつけて帰ってきた。海はやはりいいね。
  

反サミットで平和と平等を

2008-06-21 | 政治
グリーンピースジャパンが調査捕鯨を請け負っている共同船舶という会社の社員で日新丸の乗組員が鯨肉を何十キロも個人用に持ち帰っていたことを暴露し、横領の疑いで告発したが、検察庁は共同船舶が社員に与えて土産にしたもので、犯罪には当たらないとした。それだけではなく、告発したグリーンピースジャパンのメンバーを逮捕した。こんな馬鹿な話はない。

 当初、共同船舶は一人2-3キロの肉をお土産に持たせているが少量だから問題ないと言っていた。そのうち、2-3キロ程度ではなく一人数十キロの肉を十数個の段ボール箱に入れて送っていたことがグリーンピースジャパンに指摘されると、会社が購入して社員に贈ったものだと言い訳し始めた。最終的には検察庁の述べる内容に変更になった。とにかく共同船舶の言うことは、相手の証拠によってころころ変わっていった。そのことだけでも政府が毎年10億円も出して援助してまで続けている調査捕鯨の鯨肉がいいかげんな扱いをされていたことを物語っている。実際、滞貨がいっぱいの鯨肉だから、唯でくれてやっても政府は困らないのかもしれない。

 社員の行為は犯罪として処罰できるかどうかは微妙な問題かもしれない。しかし、鯨肉の管理がいかにずさんだったかが明らかにされた。その代価がこの時期のメンバーの逮捕というのは、できすぎた検察と警察の二人三脚だろう。逮捕するほどのことなのかどうか。窃盗という罪名のようだが、自らのものにしたわけではなく、社会的な悪を告発するための行為を窃盗容疑で逮捕というのは、まさに国策捜査か、政府の意に反するNGOへの見せしめとしか思えない。いわゆるいじめだ。

 来月初旬に北海道で開かれる洞爺湖サミットでは、新自由主義を唱えるアメリカとその取り巻きが、G8と称してさらなる新自由主義(ネオリベ・グローバリズム)を進めるために集まってくる。同時に、ネオリベに反対するもしくは別の途のグローバリズムを模索する人々のNGOが世界各地から日本に集まってくる。反グローバリズムへの良い見せしめがグリーンピースジャパンのメンバーへの逮捕という脅しなのだろう。

 でも、ブッシュとその取り巻き(コイズミもその一人)が進めてきた新自由主義が先進諸国のみならず世界の各地で侵略と戦争を起こし、格差を拡大し、貧困を生み出し、医療や福祉を大幅に崩壊させてきたことに、世界の人々がようやく気づき始めた。もうG8などに世界を任せるわけにはいかない。日本で今年行われるG8の不成功を心から願う。そして世界から集まったNGOの人々による新しい人々のつながりと平和への願い、人類の平等と福祉が、新しい時代を切り開くことを心から願う。

地震に原発は太刀打ちできない

2008-06-19 | ちょっと一言
大きい地震が各国で続く。地球は激動期に入ったのだろうか。それとも人間の地球破壊に憤って、身震いをしているのかもしれない。中国の四川省大地震は被災者が数百万人にもなるという。しかし、日本で起こった岩手・宮城内陸地震は、大きさでは四川地震にも匹敵するほどだ。どちらも山間部での地震だったが、日本の人口が少ない場所だったから、人的な被害は比較的少なかったのだろう。四川省の地震の被害の大きさにはただただ驚くほかない。オリンピックを直前に控えて、中国国民の被災をお悔やみ申したい。

 栗駒山への登山口にあった駒ノ湯温泉は土砂に押し流されてしまい、2名の宿泊客と宿の従業員が犠牲になった。心からご冥福を祈る。栗駒山には二度ほど登ったが、紅葉のきれいな、登山道も緩やかで、楽しみながら登れる名山だった。ススキの原が山腹を覆って、懐かしい秋の風景を見せてくれる山だった。あの登山道もこの地震で壊れてしまったのだろうか。麓の温泉も、駒ノ湯や温湯などいくつもあって楽しめた。これらすべての温泉が地震の影響で営業をやめるとか。誠に残念です。

 阪神大震災の直前に釧路大地震と東方大地震、日本海大地震の三つの地震を経験した私は、その後も震度5以上の地震をなんども経験してきた。もう日本では安心できるところはほとんど無いのではないか。いたるところに活断層がある日本列島だと言うことがよくわかる。その上に、原発が50基もある。福島第2原発で放射能で汚染された水がこぼれ出たらしいが、原発に支障はなかったと言って運転も止めなかった。

 しかし、新潟刈羽原発が地震であぶなくメルトダウン寸前だったことがわかり、運転再開の目処も立たないときに、あれだけの地震があっても運転を止めもしないで安全安全と言っている電力会社や政府の態度は、驚くべきことといわざるを得ない。屋上の天窓から子供が落ちたというような事故ではないのだ。ひとたびメルトダウンが起こったら、人類の生存さえ危うくなるほどの危険な原発なのだから、とにかく一度停止して、点検整備してから再開しても決して遅くはないだろう。安全安心といいながら、自分たちの都合を最優先する政府や政治家たちには、ホトホト嫌になる。

 地震国の日本に原発はいらない。すぐに原発から脱却するエネルギー戦略を立てるべきだ。子供たちの笑顔を失わせないために。

鼻曲山のカモシカ

2008-06-17 | 花と自然
さすがにこう暑くなると1000m以下の低山ではつらいだろうと、1533mの鼻曲山に登ることに決めた。浅間山の展望が素晴らしいと言うことと、トガクシショウマの花が見られるというのを知って、是非とも見たいと思ったためだ。まだ見たことのない花だし、写真で見るその風情は素晴らしい。梅雨の晴れ間を見つけて今日決行だ。

 軽井沢の近くなので朝早く家を出て高速道路で信州をめざす。高速出口の松井田妙義は思ったより近かった。自宅から2時間。
   ・・・母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?  
   え、夏碓氷から霧積へ行くみちで、
   渓谷へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
西条八十の作った詩と森村誠一の小説「人間の証明」で有名になった霧積温泉に向かう曲がりくねった狭い行き止まりの途を進む。

 霧積温泉きりづみ館の前に車を置いて、登り始める。トガクシショウマの花だけではなくいろんな花の写真を撮ろうと身構えて登り始めたが、どうやら当てが外れてしまった。ほとんどの花は終わってしまったか、夏の花はまだ蕾もついていない。シロバナノエンレイソウも楽しみにしていたのだが、たくさんある株のほとんどすべてがすでに種を付けている。緩やかな登りが続く登山道の脇で、それでもクワガタソウ、ツマトリソウ、マイヅルソウ、タニギキョウなどが寂しく咲いている。でも素晴らしいギンリョウソウの花を見ることができたのが収穫だった。

 頂上近くでかなり厳しい登りがあったが、それも20分くらい。あっというまに頂上に着いてしまった。頂上の大天狗は見晴らしが悪い。5万分の1の地形図では頂上は1533mとなっているが、頂上の標識では1654mになっている。100mも違うのはどうしたことだろうか。でも私の腕に付けている高度計では1550m付近を指している。頂上付近ではすでに終わってしまったヤマツツジ、トウゴクミツバツツジ、ヤシオツツジなどに代わって、オレンジ色のレンゲツツジが今まさに咲き始めていた。サラサドウダンツツジも花盛りだ。



 頂上の大天狗から少し下がった小天狗は360度の眺望が楽しめた。すこし霞が掛かっていたが、浅間山の雄大な裾野のすべてが見渡せた。妙義山のノコギリのような岩の峰々がはるか下の方に見える。この頂上付近の北側斜面にトガクシショウマの花が見られるというのでしばらくウロウロと探し回ったが、結局見つけることはできなかった。もう花は終わったのだろうか。残念だ。でもこの山にはマダニが多いとも聞いている。あまり藪の中をウロウロするのも心配で、早々にあきらめてしまった。



 帰路について下り始めた頃、林の中を歩くカモシカを見つけた。あわててカメラを取り出したが、とくに急いで逃げ出す様子も見せず、こちらを興味深そうに見つめている。カメラを構えると少し視線をそらせて歩き始めたが、すぐまた立ち止まってこちらを見ている。カモシカはシカと名前がついているがシカとは縁遠いグループに属し、寧ろ牛に近い。カモシカのような脚というのはアフリカあたりにいるオリックスのようなカモシカのことで、ニホンカモシカは牛か山羊のような感じ。シカが群れを作って明るい草原で餌を食べているイメージがあるのに対して、カモシカは岩山やくらい林の中で一人でじっとたたずんでいるというイメージがある。暗い。孤独。一人で山を歩きたがる私はカモシカのような人間なのかもしれない。



 霧積温泉に帰り着いて、評判の六角の湯船につかり、疲れを取った。ここは初めて入る温泉だ。360湯くらいまでは数えていたが今は何湯目かは定かではない。おそらく375ヶ所くらいだろうか。いいお湯だった。六角の湯船とその建物の明治時代の木造でありながら洋館風の作りが好もしい。窓から見えるのはどちらを向いても緑みどりの葉っぱばかり。花は少なく少し歩き足りない山だったが、いい山行になった。
 

巡視船は慎重に行動して

2008-06-16 | 政治
尖閣列島で日本の海上保安庁巡視船が台湾の漁船に体当たりして漁船を沈めてしまった。幸いなことに漁民にけが人や死人はでなかったが、巡視船の行為はあまりに軽率ではないか。保安庁では巡視船の行為にやや無理なことがあったことを認めて謝罪したが、台湾に対して謝罪したのではなかった。政府はあくまでも台湾の漁船が領海侵犯をしたことを非難するばかりのコメントを出している。

 そしてまた、日本のマスコミは政府の報道機関になってしまった。大本営発表をやった。NHKは巡視船と漁船が接触したと政府の言うように報道した。でも本当は巡視船が漁船に体当たりしたんだ。そうでなければ漁船が沈没したりしないはず。そんなことはちょっと考えれば分かるだろうに、政府の発表をそのまま鵜呑みにする日本の報道は、戦争中のマスコミを思わせるほどだ。

 台湾では日本に置いている弁務処を一時的に閉鎖するなど、日本への非難が強い。尖閣列島の所有権については、台湾だけでなく、日本も中国も領有権を主張している。いわば係争の地なのだから、保安庁の対応はあまりに慎重さを欠いたと思う。日本の領土であることを主張するのはいいけれど、それを武力を使って主張してはならないのだ。日本国憲法には、きちんとそう書いてある。日本が実力で台湾漁船を沈めてしまったことに、台湾でも巡視船を出している。台湾漁船の安全を図るためという言い方だが、武力を使って領海を主張するという負のリングに嵌ってしまわないことが大事だ。

 日本では中国人ごときに負けるかというような安っぽいナショナリズムが最近力を持ってきており、そのような傾向が巡視船の行動に影響を与えたのではないだろうか。このような係争の地では、慎重の上にも慎重に行動し、武力を持って領土を主張するようなことの無いようにしてもらいたいものだ。武力同士が衝突したら、それこそ日本の平和は吹っ飛んでしまう。日本国憲法の精神を保安庁の人たちもしっかり学んでもらいたい。それこそがわれわれ日本人の心の平和と安全を保証する途であるのだから。

地震で、人間の欲望を思う

2008-06-14 | ちょっと一言
しばらくぶりに死者がでるほどの大きい地震が起こった。岩手・宮城の被災者にはお見舞いを言いたい。M7.2という内陸部では珍しいほどの大地震だった。阪神の震災とマグニチュードは同じくらいだと言うことになる。被害の大きさの違いはひとえに人工の凋密さの違いなのだろう。被害にあった一人一人にとっては同じ大きさなのだけど、離れたところで見ている人にとっては、被害者の多さとか壊れた家の数などが問題になるのだ。

 今日の地震では、緊急地震速報というのが発信された。昨年あたりに導入されたシステムで、これまでも数回発令されている。しかし、これってなんか意味あるのだろうか?もちろん全くないとは思わないけど・・。今回も緊急地震警報が発令されたのは地震の中心だった付近の人には地震が起こったあとに届いている。起こったあとに発令されても、あとの祭り。東京などの遠くであまり被害がないところには、地震が起こる前に発令されていることになる。地震の波が遠くへ広がる前に発令されたことになる。東京などでは意味があったと言うことなのだろうか。

 しかし、私は前からこの緊急地震警報というのは本当に必要なものなのだろうかと疑問を持ってきた。わずか2-3秒前に警報を聞いて、なにか対策が立てられるだろうか?しかも、これまで発令された何回かはほとんど地震が起こってから発令されている。最初の波を見つけてから次の波が来るまでに警報を出すというシステムだけど、ほんのわずかの時間に過ぎない。もちろんわずかの時間でまったく何もできないというわけでもないだろうが、コストを考えるとこんなシステムを作る必要はないように思うが、皆さんはどう思いますか?少しでも助かる可能性があったら、それが何百分の一秒でもコストがどれだけかかってもやった方が良いのでしょうか?

 科学の進歩が人類のリスクを減らすことは、たしかに良いことだったかもしれない。しかし、それが際限なくなる。リスクを減らすことが本当に人間によいこととは限らないことが多いように思う。必ず死ぬ運命にある人間なのだから、リスクをなくすと言うこと自体が、人間の限りない欲望のように思えてならないのだ。

九州は暑かった。梅雨の晴れ間だった。今日は横浜に滞在。こちらも暑い。
 

ホコテンに罪はない

2008-06-13 | 日記風
秋葉原の歩行者天国が中止になったらしい。千代田区長は、歩行者天国制度を見直す必要があると言う。この人、おかしいんじゃないか。歩行者天国があるから事件が起こったと本気で思っているんだろうか。

 ナイフの規制もするらしい。なんとかナイフを販売させないようにするらしい。ナイフがあるから事件が起こったと本気で思っているのだろうか。

 彼らもそれほど馬鹿じゃない。分かっているけど、歩行者天国をやめたいし、ナイフも規制したいのだ。今がチャンスと思っているに違いない。そうでないなら、本当の馬鹿だ。

 そしてもっとも問題なのは、ホコテンに何の問題もないのに、事件を誇大に吹きまくってホコテンの中止に何の疑問も持たないマスコミだ。またそれをおかしいとも感じない市民たち。やっぱり馬鹿ばかりかも。

 でも、派遣制度に問題があるという世論が出てきたことは、瓢箪から駒だったかもしれない。たまたま犯人が派遣労働者だったから、派遣という働き方に問題があることが認識されたのはよかったことかも。しかし、マスゾエ厚労相は一日派遣だけを規制すればいいという姿勢だ。派遣労働はコイズミ改革で経団連から強く求められて規制緩和だから、派遣制度そのものをやめるとは、自民党は絶対言えないだろう。言わせてもらえない。

 経団連の会長の会社「キャノン」で、月240時間も残業をさせられて自殺した人が今日、ようやく労災に認定された。経団連はこのように労働者をこき使うことを望んでいるのだ。規制緩和が誰のために行われたのか、大部分の日本人が味わうことの無かった超イザナミ景気で潤った企業と、多くの中小企業がアメリカ資本に買収されてしまったことをみれば、一目瞭然だろう。

 コイズミ改革をいまこそ底辺の労働者の立場から再改革するべきだ。コイズミ・アベの幽霊を跋扈させてはならない。