ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

今はその時ではない

2011-05-29 | 政治
最近の政治には、何かおかしいと思えるものがある。参議院議長が公然と記者会見で菅首相の退陣を迫るというのは、良識の府の参議院議長としてとても許し難いものがある。小沢一郎氏の言動にも不審なものがある。菅首相のやり方に批判的であるのはわからないでもない。私も管首相に対して大いに不満もある。しかし、いま自民党が内閣不信任案を出そうとしているときに、それに賛同しようという動きには、不審の念を抱かざるを得ない。もし、衆議院で小沢派の議員の賛成で不信任案が可決したら、いったいどうなるか。解散総選挙をして、自民党政権が再びできることになる可能性が最も高い。小沢さんは自民党と連立しようとしているのだろうか。菅憎しだけで自民党と野合するのは、それこそ民主党のマニフェストを信じて投票した多くの民衆の意志を踏みにじるものになるだろう。マニフェストを見直すという菅首相よりももっと悪いことになる。

 菅首相が選挙公約を見直して、自民党と変わらない政策を打ち出そうとするのは、私も許せない思いだ。しかし、東日本大震災とフクシマ原発事故の収束に全力を注ぐべきときに、菅内閣を引きずり下ろすのは、あきらかに国民の意思に反している。ましてや、浜岡原発を停止させ、今後のエネルギー政策の見直しを明らかにした菅内閣に反対して自民党の不信任案を通すことは、これまでの安全神話に基づいた原発推進策を続けることでしかない。自民党に復活させては、第二、第三のフクシマ原発事故を招き、日本は崩壊してしまうだろう。不満は大きいだろうが、いまは菅内閣を支え、原発事故の収束と脱原発による新しいエネルギー政策の構築に全力を向けることが民主党員、および日本人のやるべきことである。菅首相を引きずり下ろすのは今ではない。

東電の手先 与謝野を罷免せよ

2011-05-20 | 政治
菅内閣の支持率がわずかながら上向いたという。おそらくこれは浜岡原発の全炉を停止するよう東電に要請したことが主な原因だろうと思う。他の原発を停止させないために機先を制して浜岡原発を止めたのだろうという思い込みを言うマスコミもあるが、私はやはり高く評価したい。さらに菅首相が踏み込んだのは、エネルギー計画の見直しだ。原発をこれから14基も新しく作り、プルサーマルを大半の原発で行い、高速増殖炉を動かし、六ヶ所村の核燃料再処理施設を軌道に乗せるという、これまで自民党・公明党が進めてきたエネルギー計画は大幅に見直さざるを得ないだろう。自民党の谷垣総裁さえも、これまで自民党が進めてきた核利用政策を反省する必要があると言っている。しっかり見直して、脱原発の施策を大きく前進させてもらいたい。菅首相にはいっぱいおかしなこともあったけど、フクシマ後の方向性はかなりいい線行っていると思う。

 とくに枝野官房長官は、頑張っていると思う。「もう寝ろ、枝野。目を覚ませ、管」などと言われて枝野官房長官の奮闘ぶりは有名だ。でも、それよりも、東電の責任転嫁を許さず、賠償責任を国に頼ろうとする姿勢を厳しく追及する姿勢を、私は評価したい。それに比べていまいましいのは、与謝野経済財政相の態度だ。自民党の総裁でさえ、反省の弁を垂れているのに、この男は「東電は頑張っている」「原発は必要だ」と反省の色もない。自分は自民党にいてずっと原発推進を言い続け、安全神話を広める役目もしてきた。その上のこの惨事なのに、何の反省もなく、いまだに原発推進姿勢を隠そうともしない。

 極めつけは「フクシマ事故は神の仕業」と言い、「東京電力には何の落ち度もない」と東電をあくまで庇う。いったい彼は東電の回し者なのか。東電の賠償金をできるだけ減らすことに一生懸命だ。これだけ一企業のために国民のことを顧みもしない大臣がいるということに、私は心底驚いている。今は、民主党政権なのだ。こんな自民党崩れで民主党とまったく相容れない人間が大臣をいつまでやっているのだろうか。菅首相はただちに与謝野経済財政相のクビを切るべきだ。許しておけない。与謝野大臣はトロイの木馬だ。そのまま大臣に置いておけば、かならず民主党政権に牙をむくだろう。東電のためなら、なんでもするだろう。東電に責任はないと言っているのだから、賠償責任も認めないのだろう。そうすれば、原発被災者への賠償は、結局電気を使う国民にすべてかかってくる。いや、電気を使おうと使うまいとすべての国民から消費税という形で搾り取ることになるだろう。

 何度でも言う。与謝野経済財政相はただちに罷免すべきである。民主党政権とは相容れない。菅内閣の支持率をもっと上げようと思うなら、与謝野をそのままにしていてはいけない。

上関原発、中止へ うれしいニュース

2011-05-19 | 政治
うれしいニュースが舞い込んだ。山口県上関町に建設予定の原子力発電所の建設に先立って、中国電力は長島田ノ浦の海を埋め立てる工事を進めようとしていた。それを、田ノ浦の対岸にある祝島のおじいやおばあが体を張って阻止してきたことはこのブログでもたびたび書いてきた。中国電力は今年2月21日に、800人にものぼる社員と警備員で2-30人の反対派の人たちを囲い込んで、工事を強行しようとした。警備員に押さえ込まれ失神して救急病院に運ばれたおばあさんも出た。そんな中で、福島第一原発の事故が起こった。

 さすがに山口県は、これ以上工事を進めさせるわけにはいかないと、工事の一時中断を申し入れ、中国電力も様子見をするために、一時中断を受け入れた。しかし、それでも中国電力は、上関原発の建設は止めないと工事を続ける姿勢を明らかにしてきた。そして、埋め立て工事は中断したものの、陸上での地質調査のボーリングは、福島の事態が続いている間も止める気配はなかった。

 しかし、今日の毎日新聞のニュースでは、山口県二井関成知事が原発容認から反対へと大きく姿勢を転換したと報じている。来年10月に切れる埋め立て工事免許を延長しないと表明した。埋め立て免許は着工後3年以内に工事を終えなければならないことになっている。免許は2年前に知事が原発建設のためにむりやり認めた。しかし、それから1年間、中国電力は反対派の阻止行動に遭って工事を進めることができなかった。祝島の漁協が賠償金11億円の受け取りをあくまで拒んだということもあり、強行すれば反対派の思うつぼだと思ったのかもしれない。工事の着工は1年後の一昨年10月だった。着工から3年は、来年の10月になる。それまでに埋め立て工事を続行することは、この情勢では難しいだろう。知事の延長を認めないという言葉は、実質的な埋め立て免許の取り下げを意味する。中断だった上関原発建設計画が、どうやら本当に中止に向かう可能性が大きくなった。こんなうれしいニュースはない。

 チェルノブイリ事故のあと、当時のヨーロッパ、ロシアなどでは、明らかに原発計画への人々の視線が変わった。チェルノブイリ前とチェルノブイリ後という言葉ができたほどだ。オーストリアでは、原発建設の禁止を憲法に明記した。原発先進国のアメリカでさえ、それ以後の原発建設は大幅に減少した。日本だけが、アメリカに押しつけられた原発を作り続け、さらにはベトナムや中国などへ原発を売ろうとまでしていた。そして、ヒロシマとナガサキに続いて、フクシマが日本を襲った。

 事故直後の世論調査では、それでも原発は必要だと考える人が半分以上いた。いったい何を考えているんだろう、日本人は、と哀しくなったものだ。しかし、原発問題を隠し続けていたマスコミも、フクシマの事故を報道しないわけにはいかなくなった。人々も少しずつ理解し始めたようだ。4月10日の東京高円寺の反原発デモには、主催者が驚いたほどの15000人が集まった。大阪でも4500人が集まりデモをした。4月26日のヒロシマでのデモでは、1000人が「原発無くして暮らしたい」と歩いた。各地でデモが続き、少しずつ多くの人が集まるようになってきている。

 そして、6月11日。日本全体で脱原発を要求する大集会とデモが各地で開かれる。100万人の反原発集会が、現実になるかもしれない。現実になれば、為政者も原発をこれ以上作り続けることはもちろん、今の原発を減らし、脱原発の日本を造る道を選ぶかもしれない。それにはとにかく一人でも多くの人が脱原発の意志を見せることだ。世論というのは、多数の意見を見ているものが多い。しっかりした意志を持った意見が30%を超えたら、一気に多勢がそちらに動く。デモに言っても署名をしても何も変わらないと嘆くなかれ。千里の道も一歩からなのだ。さあ、みんなで6月11日は近くの脱原発集会へ行こう。

二つの聖地を訪なう

2011-05-17 | 日記風
連休は混雑するのであまり遠出はしない。今年は連休を利用して、比較的近い比叡山と高野山に登った。今回は山歩きではなく、比叡山では延暦寺にお詣りし、延暦寺境内にある法然堂を訪ねた。高野山は金剛峯寺にお詣りした。延暦寺は最澄が開いた天台宗の総本山で、高野山は空海すなわち弘法大師が創建した真言密教のお寺だ。

 京都では、今年、法然大遠忌800年と親鸞750年の記念の催しが開かれており、いろんな仏教の宗派が入り乱れていて、昔覚えたはずの日本史における仏教の関係が今ひとつよく分からなくなったので、自分ながら整理してみようという意味もあり、大震災の被災者の鎮魂を兼ねて、比叡山と高野山にでかけた。
 
 比叡山は普段なんども登っているが、今回はバスで延暦寺の根本中堂を目指した。かなり急な登り道をバスはあえぎながら上っていく。連休なので、普段はがらがらのバスも、ほぼ満員だ。延暦寺の境内に入るのも、今回が初めて。いつも延暦寺の前を通って比叡山頂上を目指すのだが、今回は頂上に行かず、寺の境内に入る。織田信長に焼き討ちされ、一宇も残さずに焼き尽くされた延暦寺だが、今はおそらく焼き討ちに遭う前よりもずっと立派なお堂が建ち並んでいる。1200年前に都が京都に造られたときとほぼ同じ頃に、この延暦寺が開かれたことを思うと、昔の人はすごいなあと思う。都の鬼門に当たる比叡山の山頂近くにどうしてお寺を建てようとおもったのだろうか。都の人口も今よりずっとずっと少ない時代だから、街を少し離れれば、東山や北山にいくらでも人里離れたところはあっただろうに。やはり都から眺めるもっとも高い山である比叡山の上に造るのが、意味があったのだろう。都からいつでも比叡山の頂上を見ることができるのだから。見られることに意味があったのだろう。延暦寺の存在価値を認識させることもできたのだろう。
 
 高野山はどうだろう。弘法大師(空海)が各地を回り、命の危険を冒して唐の国に渡って仏教の修行を積み、帰国して高野山を開いた。最澄の延暦寺とほぼ同じ時代だ。最澄も空海と同じ時に唐に渡っている。高野山はしかし、比叡山のように都からすぐに行けるところではない。歩くか蓮台に乗って担いでもらうかしかなかった時代、人々は何日もかかって高野山へ詣った。参詣も修行もおそらく命がけだっただろう。高野山は生まれて初めて訪れた。こんなに奥深い山の中に何百という寺が建ち並んでいる。もっとも多いときで、1500ほどの寺が軒を連ねたという。今では寺の数は500くらいらしい。それでも山の上の小さな盆地にこれだけのお寺が建ち並んでいるのは、壮観でもある。いったいここのお寺のお坊さんは、どうやって生活をしているのだろうか。参拝客のお賽銭だけではとても生活できないだろう。でも、その謎は簡単に解けた。高野山にはホテルも旅館もない。多くの参拝客はお寺の宿坊に泊まるしかない。私も宿坊に泊めてもらった。宿坊と言っても、立派な旅館の部屋のようで、個室になっていてテレビもあればお茶の道具もある。お坊さんが食事を運んでくるのが違っているくらいで、宿坊は民宿みたいなものだ。料金も旅館並みだ。けっして安いとは言えない。
 夕食は精進料理が出た。肉けも魚けもない、本当の精進料理だった。おいしかった。当然だが、食事の前にお飲み物は何にしますかなどと聞かれない。酒も飲まず肉を食べない私にとって、まったく安心して食べることができた。味も抜群だった。こんな精進料理なら、毎日でも食べたい。お腹もいっぱいになり、デザートもおいしかった。食べ過ぎたほどだ。
 高野山には、いっぱいのお墓が立ち並んでいる。十万くらいのお墓があるらしい。見ていくと、なかなか面白い。いや、お墓を見て面白いと言っては怒られる。でも、面白い。有名な人のお墓もいっぱい見つかる。歌舞伎俳優の市川団十郎の墓も何代にもわたってある。安芸国の浅野家代々の殿様の墓もある。豊臣秀吉の墓もある。歴史を勉強しながら歩いた。奥の院で尼僧の法話を聞いた。御詠歌を澄んだ声で詠ってくれた。子供の頃、讃岐の家の前を通るお遍路さんたちが、鈴を鳴らしながら御詠歌を詠っていたのを聞いて以来のことだ。この尼さんは涙もろい人で、法話を話しながら、ご自分の父親の死について話すときに、涙で目を真っ赤にしながら法話を説いていた。法話を聞いた後、この尼さんとしばらく話をした。苦労をして成人し、出家した後もいろいろあったのだろう。涙なしでは語れないのだろう。高野山で心が洗われたような気持ちになった。
 後に、浄土宗を開いた法然も、浄土真宗を開いた親鸞も、若いときに比叡山にも高野山にも上って修行をした。仏教の修行の仕方など細かいところは宗派で異なるが、どれも仏教という意味ではみんな同じだ。他の宗派を悪く言うのは創○学○の宗派くらいで、あとはみな仏のありがたさを説く。外国へ行ったときに、肉を食べない理由を聞かれたときには、私は仏教徒だから、といってすませていた。そういうのがもっとも納得してくれるからだ。実際、私はキリスト教やイスラム教のような一神教よりは、仏教の方が心に落ちる。自分は無神論と長い間言ってきたが、ひょっとしたら無神論と仏教は両立するのかもしれないとも思っている。
 それでも日頃はあまり仏のことなど考えもしないが、最近、京都へ来てからだが、寺院に行くと心が落ち着くようになった。周りにいっぱいお寺があるので、寺に行く機会が増えたのもその理由かもしれない。仏様の話をしても京都なら、それほど周りの人たちから浮いては見えないということもあるのだろう。なにより、仏様が多様である。大日如来から阿弥陀如来、観世音菩薩、地蔵菩薩、などなど、中には不動明王のような恐ろしい顔をした仏様までいる。お寺を回って仏様を眺めていてもけっして飽きない。イタリアのフィレンツエに何日か滞在したことがあるが、どこの教会へ行っても、どこの美術館へ行っても、キリストの絵ばかりなのには本当に飽き飽きしたことを思い出す。
 なにはともあれ、比叡山と高野山、並び立つ二つの聖地を訪れて、震災で亡くなった人に鎮魂の祈りを捧げることができた。この連休は、心に触れる何かがあったような気がする。何かはよくわからないけれど、きっと私のこれからの短い人生において、良かったと思うことに貢献するだろうと思う。

動物たちに 最後に自由を

2011-05-13 | 日記風
先日、新聞を読んでいたら、福島第一原子力発電所事故で避難していた人が、自宅に一時帰宅したとき、飼っていた犬が死亡していたという投書があった。それを読んで、驚いた。二・三度、途中で家に帰って餌をやっていたという。でも、鎖で繋ぎっぱなしだったらしい。いくらペットとはいえ、鎖に繋ぎっぱなしで餌をやらなければ犬は苦しみながら死んでしまうのは当たり前だ。なぜ、この人は鎖を解いてやらなかったのだろうか。死ねと言わんばかりの扱いではないか。私にはこのようなペットを飼う人の気持ちが分からない。まさに虐待死ではないだろうか。

 そして昨日の新聞では、政府が福島第一原子力発電所の半径20km内の家畜を安楽死させることに決めたという。テレビではがれきの中を駆け回っている肉牛の姿が映っていた。彼らを捕まえて毒を注射して殺すらしい。これを虐殺と言わずしてなんという。飼育している家畜を避難させることができないなら、縛めを解いて自由に動けるようにして置けば良いだけのことではないか。彼らは自分で草を食み、原発の放射能の影響が出るまでは、それまで味わえなかった自由を謳歌できるはずだ。20km圏内から出てくれば、それはそれでかまわない。日本の国土はこの程度の家畜が野生化して暮らせる自然は残っている。何のために多くのお金を使って彼らを殺す必要があるのだろう。ひょっとしたら、彼ら牛たちが原発の放射能をあびて死んでいくのを見られるのは、政府にとって困ったことなのだろうか。その前に殺してしまえということかも。

 ペットを震災のがれきから救い出すボランティアの人たちが活躍している。それはそれで有益な活動であるだろう。しかし、ペットを助けて元の飼い主に戻すのは、ペットのためではない。飼い主の人間のためである。もし、ペットの動物を救い出すのが目的なら、むしろ繋がれてしまっているペットたちを、くびきから解き放ち、自由にすることをこそ、するべきことではないだろうか。ペットたちは、生まれて初めての自由を謳歌して、自由の喜びを知るだろう。

とにかく声を出そう 脱原発へ

2011-05-10 | 環境
5月6日、連休の合間の夜、京都市内で「週刊金曜日」の読者会があった。久しぶりに出席してみんなの原発事故に対する怒りを肌で感じた。その日参加した人たちで、とにかく意見を表明しようと、以下の文章を急遽まとめた。いろんな集まりで、とにかく声を出していきたい。浜岡原発は、どうやら停止になった。しかし、廃炉ではない。まだまだ声を上げ続ける必要がある。


   声明
「週刊金曜日」京都読者の会

 私たちは京都内外に住む「週刊金曜日」の読者の集まりで、一昨年12月から現在まで毎月第一金曜夜に例会しています。3月11日東日本に発した大天災・大人災は京都では幸いに大過を免れていますが、拱手許されず、ここに声明します。

1) 原子力発電は、先の世界大戦後、アメリカで広島原子爆弾の燃料に使ったウランが余り、これを”原子力の平和利用 Atoms for Peace(アイゼンハワー大統領)"と称して開発された。
2)ウランを主事に核分裂させるのが原子爆弾で、ゆっくり核分裂させてエネルギーを発電に回すのが電子力発電であること。すなわち、原発は核兵器製造の副産物以外のなにものでもなかったこと。
3)軍隊は、いくら戦争防止、平和のためと言っても本質が武力、人殺しであるように、原子力発電も、いくら平和利用と言っても本質は兵器製造の延長上で、科学技術者や経済人たちの知識欲や財力の追求、充足の対象でしかないこと。
4)長崎原子爆弾に3kg使われた燃料のプルトニウム(日本はもう36トン蓄積)は半減期が2万4千年。この一事でも見れば、原発推進の愚、王様が裸なのを子供だけが笑える愚は、もはや許されていないこと。
5)原子力発電はすべて止めなければイケナイ。とくに、静岡県御前崎市の中部電力浜岡原発は、今すぐ操業を止めよ。日本原子力研究開発機構は、今すぐ福井県敦賀市の高速増殖炉”もんじゅ”の廃炉を表明せよ。
6)自衛隊は全隊員の約半数10万人が東北日本で人命の救助、捜索、物資の確保、搬送に従っている。有り難い。これから、自衛隊は緊急災害救助隊などに衣替えし、活動を続けていかれるよう要望、提案する。
7)私たちは、今後とも1~6により適った暮らしを求め、生きていく。

A/A67(2011)年5月6日
(*A/A=After Atomic ヒロシマ・デーを元年とする核歴)

電気料金値上げは許さない

2011-05-06 | 政治
福島第一原子力発電所の事故の補償額を判定する審議会に、東京電力が補償額に上限を設けるように申し入れたという。許しがたい行為と言わざるを得ない。また、東電が補償金を払うために、電気料金を大幅に値上げする計画をしているとか。政府もそれを認可するタイミングを計っているという。なんということだろう。原発は安全と言い続け、安全対策を値切り続けた結果起こった事故なのに、そのツケを消費者に回そうというのだ。冗談じゃない。政府も、東電が株式会社として存立できるようにと、この値上げを認めようとしている。消費者は東電がつぶれてもかまわない。いや、こんな事故を起こした以上、東電はつぶれて当たり前だ。債務超過でつぶれたら、役員たちの財産を差し押さえ、最後まで補償金を支払わせ、それでも支払えない場合は、いったん国営化して、いくつかの会社に東電のシェアを譲り、自由化すれば良い。そうすれば、原発で電気を造ろうとする会社と自然エネルギーで電気を作る会社が分かれ、消費者が電気を選ぶことができるようになる。スエーデンなどすでに行っていることだ。かの国の人に聞いたら、なぜ電気を選ぶことができないのか、不思議だといっている。映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の中で紹介されている。

 民主党政府に、原発事故の責任の一端があるという菅総理のいうのは、たしかにその通りである。民主党政権は、それまでの自民党や自公政権がとってきた原発推進政策を継続したのだから。しかし、あくまで原発を造ったのは電力会社であり、政府は監督者の立場である。賠償責任は第一義的に東京電力が支払うべきである。会社がつぶれても、東電は支払わねばならない。それを値上げでまかなうなんて、考えるべきではない。どのような値上げの正当な理由もありえない。それを政府が、会社を存続させるためと言って認めるようなら、政府をわれわれは認めない。与謝野大臣などは、東電を潰さないために、政府がしっかり肩代わりすべきだと言い、原発推進は変えるべきではないと言った。これだけ世界に迷惑をかけた上でも、まだ原発推進などと言う人間が政府の中枢に座っているというのは、もはや言語道断ではないか。経済界の国民の命よりも金儲けという姿勢をみごとに代表して発言している。彼はまだ完全に自民党の意識のままなのだ。菅首相はただちに与謝野の首を切るべきではないか。

 数年前、東電がデータの改ざんがばれて、すべての原発を停止したときがあった。それでも停電することもなく夏を超えた。節電して、東電もそのつもりになれば原発はなくても電力は十分ある。計画停電は、東電の脅しでしかなかった。原発推進派の政治家や財界は、頭を冷やして欲しい。国民の命よりも金儲けが大事か。自民党の推進派が、脱原発に反対するために、活動を始めたという。こんなときに良くそんなことが言えるなあと思ったが、財界が応援しているから、彼らはそんなことを言えるのだろう。また、原発がなくなると生活ができなくなるとマインドコントロールされている人々が半分くらいいるというマスコミの世論調査をみると、マスコミの世論操作も罪深い。マスコミは電力会社のCMを一切断ることなしに、原発問題を云々する資格は無い。

体が重い もっと歩かねば

2011-05-04 | 花と自然
不順な天候が続いていたが、それでも気温は徐々に高くなり、八重桜も散り始めた。大震災から精神的なストレスが続いて上昇していた血圧も、ようやく普段の値に戻ってきた。しかし、なぜかここ2ヶ月ばかりの体重は、どんどん上昇して、ついに生まれて初めての体重に突入してしまった。ご飯が美味しくてしかたがない。お腹が減ってしかたがない。これもストレス太りだろうとあきらめていたが、山登りをするのには、こんなに体重があっては足にも負担がかかりそうだ。心臓も最近不整脈が起こり始めた。これではいけないと、数日前から歩くようにしているが、昨日は自転車で京都市内を遠くまで出かけた。今日は、久しぶりに山歩きに出かけた。といっても、交通の便利な京都市内の山だ。

 2年ほど前に冬に登った童髭山、またの名を大尾山、近江の人は梶山とよぶ。京都大原三千院の横から登り始め、音無の滝を見て、そこから沢登りが始まる。距離はそう長くないが、沢歩きを30分ほどする。天気が良いので、沢の水がきらきらと輝いて、歩くのが楽しい。やがて沢の上流で二股に別れたところで、尾根の末端にとりつく。そこからは、急登の連続だ。体が重い。あえぎあえぎ登ったら、比叡山から続く主尾根にとりつく。そこからは頂上までほんのわずか。30cmほどの雪を踏んで登った前回に比べれば、楽だったが、それでも体の重さはこたえた。

 前回は、頂上から琵琶湖が広がっているのが見えた。今回は、頂上周辺の木々が葉をいっぱいに伸ばしているために、視野が狭い。それだけではなく、たしかに琵琶湖は見えているのだが、まるで靄がかかったように、視界がはっきりしない。昨日から近畿地方は濃い黄砂に包まれて、まるで黄色い春霞が覆い隠すように、景色がはっきりしない。



 そこから主尾根を比叡山方面に歩き始める。途中、広々とした林道に登山道が取り込まれてしまい、しかたなく林道を歩く。もっともこのあたりの林道は、舗装もしていないし、車もほとんど通らないので、もう夏の日射しを思わせる日の光を浴びながら、のんびり歩くことができた。途中から再び檜の植林地に入り、小野田山の頂上を通過する。急な坂道を下ったところが仰木峠だ。ここで昼食。ようやくここで登山客に出会った。連休というのに、ここに至るまで登山者は一人も出会わなかった。

 仰木峠から京都一周トレイルを通って、麓の大原上野町に下りる。そこから再び大原三千院まで歩き、料亭の前の緋毛氈の縁台に座って、コーヒーを飲む。さすがに今日は観光客が多い。あとからあとから押しかける観光客に逆らうように、麓のバス停まで下り、バスで帰った。今日歩いたのは、3時間半くらい。もう少し歩かねばこの体重は下がらないだろうと思うが、しばらく歩いていないのと、体重が増えたせいで、3時間歩いただけですねが痛くなり始めた。これでは夏の遠出登山は難しい。もう少し歩くことを頻繁にしないといけないと感じた。しかし、5月と6月のほとんどの土日は、もう大半予定が埋まってしまった。歩くことができるだろうか。