ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

基地を無くすためには独立しかない

2011-01-27 | 政治
「最低でも県外、できれば国外」普天間基地の返還問題で、そう言って衆議院選挙で地滑り的な勝利を得た民主党は、この公約を守ろうとした鳩山政権が米国追随の外務・防衛両省の官僚を説得できずに説得されてしまい、公約との齟齬から政権を投げ出した。そのときに副総理だった菅直人さんは、民主党の代表選挙で選ばれて総理大臣になったが、副総理としての責任をいささかも感じることはなかったようだ。私は関知していませんとすべて鳩山前首相の責任にして逃げてしまった。

鳩山前首相は、最後っぺのように辺野古に基地を作ることを日米合意してしまって辞めた。菅首相は、辺野古に作ることは既定路線で、それを進めていくことを鳩山さんが辞めたことで決着してしまったように装い、自分の責任を覆い被せてしまった。

 そしていま、菅政権は次々と閣僚を沖縄に送り込んで、あの手この手で懐柔、脅迫、説得を行い、名護市には自民党政権と同じように防衛省が交付金の配布を差し止めた。そしてアメリカとの協議では、辺野古の基地の形態をV字案からさらに昔の自民党時代のI字案にもどし、さらに沖合に移動させるという、自民党政権でさえも地元説得のためにあきらめた案に戻してしまっている。自民党よりもひどい民主党のアメリカ追随だ。減らすと約束したはずの「おもいやり予算」は、自民党時代とまったくおなじようにアメリカに献上されている。しかも、前原外相は「おもいやりではない、戦略的予算だ」とのたもうた。立派なアメリカへの思いやりだ。まさに自民党政権の復活そのものだ。


 名護市辺野古に新しい米軍基地を作るという管内閣の方針に、沖縄の人々は不同意を示し続けている。それでもアメリカ大事と沖縄に基地を押しつけ続ける民主党政権は、自民党の売国政権と何ら変わりない。沖縄の人たちが、もう基地はいらないと言っているが、日本の政府はどうしてもアメリカの都合を優先しようとする。こうなれば、沖縄から基地をなくすには一つしか方法はない。沖縄が日本から独立することだ。独立すれば、日米安保条約は日本の中でしか通用しないから、沖縄にある米軍基地は、沖縄があらためてアメリカと安保条約を結んで基地を置くことを承認しない限り、沖縄から日本へ移さなければならない。

 いまこそ、沖縄が独立する時だ。薩摩藩が侵略し琉球王国を藩の中に含めた琉球侵略の前の独立国だった昔を取り戻すときだ。安保条約を無効にして、基地をすべて取り除く。米軍だけでなく、戦争につながる自衛隊の基地もすべて取り除くことができる。日本政府は外務省に沖縄大使という職を設けた。これは沖縄は日本ではないと日本政府も考えている証拠ではないか。それでも日本政府はきっと自衛隊を使って武力鎮圧をしようとするだろう。そのとき、沖縄の人は、武力を用いることなく独立を要求しよう。世界の人が、そして日本の私たちもアメリカ基地を押しつけられ続け、耐えに耐えてきた沖縄の思いを支持する。沖縄人よ。独立の時がきた。


アフリカの音を聴く

2011-01-25 | 日記風


この楽器はなんでしょう。知っている人は少ないと思う。これは、南アフリカのジンバブエという国で使われている「ムビラ」と言う楽器なんです。先日、このムビラの演奏を聴きに行ってきた。演奏している人は、サネチカ君というまだ20代の若者。ムビラの演奏を習い始めて3年が過ぎたという。毎年、ジンバブエの師匠のところに通ってムビラの演奏を習っている。年間3ヶ月以上、行っているそうだ。

 ジンバブエは南アフリカ共和国のすぐ北側に接している国で、ムガベ大統領の独裁政治で有名だ。イギリスなどの旧宗主国から「世界最悪の独裁政治」とも非難されているのは、ムガベ大統領がかつて白人が所有する大農場を強制的に接収し、貧しい黒人農民に配分したこと。米国やイギリスなどの国が国連安保理で非難決議を上げたが、ロシア、中国、リビア、南ア共和国などの反対でできなかった。現在は、連立政権が成立し、形式的には独裁政治ではなくなっている。

 ジンバブエでは、ムビラという楽器は、宗教的な儀式に使う。シャーマンがムビラの演奏をバックにトランス状態に入る。楽器は厚手の板に鋼鉄の板をならべて、指ではじいて音を出すだけの単純なしかけだ。音を共鳴させる仕掛けは、ビール瓶の蓋を4-5個、板の上に半ば固定しているだけ。使う指は両手の親指と右手の人差し指の3本だけ。それでも単純な澄み切った音を響かせる。サネチカ君は、ムビラの演奏をしていると、ジンバブエの青い空や茶色の大地などの色彩を思い浮かべるという。

 普段のコンサートでは2時間くらい演奏を予定しているらしいが、彼は演奏していると時間を忘れ、いつも3時間を超えて、時によっては夜中までついつい演奏してしまうと言う。それほどまでにムビラの音に魅せられている。今回はコンサートがメインではなかったので、彼は遠慮して1時間で止めたけれど、もっと弾きたかったようだった。メロディはアフリカ音楽に多いような比較的単調なメロディなので、寒い部屋で聞いていたので、もっともっとという感じではなかった。でもジンバブエの青い空の下、暖かな日差しの中で聴いていると、きっと癒されるだろう。心から。眠りたくなったら眠り、目が覚めたらムビラの音が近くで響き続けている、そんな音のある風景がきっとムビラの故郷なのだろう。

上関・諫早・辺野古の海を守る講演会・写真展

2011-01-25 | 環境
今月30日に京都市で「海の生き物を守る会」という団体が、上関・諫早・辺野古の海を守ろうと講演会と写真展を開く。是非見に、聞きに行って欲しい。
以下、海の生き物を守る会のホームページから

いま、日本の海でもっとも守ってほしいホットスポットと言うべき海が、開発の危機に直面しています。その矛盾が突出している代表的な三つの海域について、そこにどのような海の生き物たちが棲んでいるのか、そこでどのようなことが起こっているのか、どうすれば海の生き物を守っていけるのか、などについて、現地で活動しているキーパーソンたちに現状をお話ししていただきます。講演内容は、
13:40~14:20 瀬戸内海の最後の楽園「長島」 高島美登里
14:20~15:00 諫早湾の干潟復活の意義 佐藤正典
15:00~15:20 休憩
15:20~16:00 辺野古・大浦湾の自然 安部真理子
です。
日にち:2011年1月30日(日)
時間 写真展:10:30~16:20 講演会:13:30~16:10
場所:京都府立総合社会福祉会館(ハートピア京都)
京都駅から地下鉄烏丸線丸太町駅から地下直通
参加費:無料
お問い合わせ:hiromuk@mtf.biglobe.ne.jp  向井まで

切符精算のおかしさ

2011-01-19 | ちょっと一言
昨年末にめまいがして倒れてから、パソコンの画面を見るのがつらくて、毎日パソコンを覗く時間を減らすように努力してきた。その代わりテレビを見る時間が増えたので、目に与える負荷はあまり変わらないかもしれないが、睡眠時間が増えたのはたしかに体には良かったように思う。めまいもなく、回復したつもりだった。ところが、仕事ではどうしてもパソコンの画面を眺めることが多い。むしろパソコンの前に座って一日過ごす。ときどき休憩を取って散歩に出たりもするが、仕事に熱中するとどうしても長時間をパソコンに向かっていることが多い。

 年が明けてしばらくしてから、ちょっと仕事を長く続けた明くる日、ふたたびめまいに襲われた。ちょうど休みの日だったので、ゆっくり睡眠をとって回復したが、やはりもう無理は利かない体になったようだ。
 
 先日の日曜日、東京へ行く新幹線に乗ったら、京都と名古屋の間、ちょうど米原から岐阜羽島の周辺で、激しい吹雪に逢った。景色がほとんど見えないほどの雪で、いわゆるホワイトアウトの状態だ。新幹線もいつ止まるかと気をもむほどの徐行運転を続け、約90分遅れで名古屋駅に着いた。このまま雪の中に閉じ込められるのではないかと心配したくらいの雪だった。この日の新幹線は軒並み遅れたようだ。東京まで新幹線で5時間近くかかったことになる。でも特急代は払い戻しはない。せめて普通の特急代程度に割り引いて欲しいものだ。もっとも自然災害なので、JRに責任があるわけではないので、しょうがないか。
 
 JRの切符代といえば、前々からおかしいと思うことがある。JRに限らないのだけど、鉄道は切符が運賃に足りない場合は精算器で不足分を払わなければ、出られない。ところが、切符を余分に買っていた場合は、精算してもお金は返ってこない。これって、おかしくない?精算という以上、足りない分を払うけれども、払いすぎている分は返してもらうのが精算じゃないの。払いすぎの場合は旅行を途中で打ち切ったとみなすのだろうが、それは精算が面倒くさかった昔のこと。いまなら、精算器で簡単に精算ができる。ICカードを使えば精算もさらに簡単になる。払いすぎの切符代を精算して返金することをJRも私鉄各社も考えて欲しいと思う。

自民党とアメリカに追随するカン政権

2011-01-13 | 政治
昨年末に菅首相が「たちあがれ日本」に連立をもちかけたらしい。平沼共同代表を閣僚にすることまでを提案したという。いったい菅首相は何を考えているのだろう。民主党政権打倒を掲げて参議院選挙を戦ったばかりの「たちあがれ・・」に連立を呼びかけるとは。菅首相が理念を持たない政治家であることが、まさに露呈したと言うことなのだろう。「たちあがれ・・」と連立を組んでも参議院の与野党の比率を逆転することもできないのに、「たち・・・・」に連立を呼びかけたその裏には何があったのだろう。極端な右翼政党である「たち・・」と連立を考える菅首相には、右翼だろうがなんだろうが自分の政権延命のためなら、悪魔とでも組むつもりなのだろうか。それとも菅首相は右翼的な考えにも理解を示す人間だったのだろうか。

 さらに、14日に予定されている内閣改造で、与謝野馨氏を閣僚に起用するとも言われている。たとえ与謝野氏が「たち・・・・」を離党したとしても、彼らといっしょに新党を作った与謝野氏を経済閣僚に入れると言うことは、管内閣が自民党の新自由主義路線を引き継ぐことを宣言したようなものではないか。菅首相は昨日の両院議員総会で答弁し、コイズミ新自由主義路線とはちがうと言ったけれども、やっていることはその路線でしかない。違うというなら実行で示すべきだろう。

京都の女性作家たち

2011-01-09 | 読書
京都の我が家からそう遠くないところに住んでいた女性作家3人のエッセイ集を読んだ。そのうちのおふたりには、私もお目にかかったことがある。もっとも二言三言声を交わしただけなので、どのような人柄なのかは分からなかったが。もう一人の方には会ったことがないが、三人とも似たような感じがしたのは、エッセイに出てくる風景がどれも似通っているように思われたせいかもしれない。雑誌の編集者をやりながら、詩人でもある。浅山泰美さんのエッセイ集「木霊の書翰」と「銀月アパートの桜」、山口賀代子さんのエッセイ集「離湖」、そして早川茉莉さんの「森茉莉かぶれ」。三人のうち二人は京都の左京区に住み、もう一人は昔住んでいた。そして琵琶湖疏水ぞいの散歩道をしばしば歩いている。私がいつも歩いている道だ。

 3人に共通しているところは、自分たちが住んでいる街に深い愛着を持ち、その美しいところを愛してやまないこと、そして3人が3人とも今は疏水沿いの道の桜の花を心から楽しみ愛しているらしいことだ。さらに、3人ともカフェで一人コーヒーを飲みながら、読書をすることを好んでいる。毎日のようにカフェに通い、多いときは日に何度も行くこともあるという。たしかにこのあたりには素敵なカフェが多い。私も喫茶店にでかけ、コーヒーや紅茶を喫するのが好きなのだが、街の喫茶店ではたばこの煙が充満している店が多く、とくに小さなカフェでは、分煙していないので入れない。ところが、自宅の周りにある素敵なカフェの比較的多くが、こだわりのある店のようで、禁煙のカフェが多い。しかもそれぞれのカフェが店の構えや店内のしつらえ、テーブルの作りなど、京都の風情に合わせてシックでありながらどこかモダンな店が多い。一人でゆっくりとお茶を楽しむことができる店も多いのだ。そんな店を探して彼女らは一人もしくはおしゃべり友達とお茶を喫み、物思いにふけったり、原稿を書いていたりするのだろう。

 我が家から歩いて15分くらいの一乗寺というところに、恵文社という書店がある。この書店が並の本屋さんとは違っていて、実に魅力的な本の取りそろえをしている。すべてのジャンルの本が揃っているわけではないが、芸術や音楽、哲学や社会派文学などいくつかのジャンルの本なら、並の本屋では決してみられないような、しかもその分野なら読んでおくべき本がほぼ揃っている。さらに本の陳列方法も工夫して、平板的な書店の本棚ではなく、実に芸術的な棚の造りと本の配列がなされている。しかも広い部屋に本が並んでいるのではなく、いくつかの大きさの異なる部屋が続いていて、部屋ごとにジャンルも違えば、陳列している棚の様子も違うというように、見ていて飽きることがない。しかも、普通の書店で平積みしているような売れ筋の本などはけっして置いていない。売れるかどうかではなく、置く本を選んでいるから、他の店ではけっして置いていない本ばかりが目に付く。書店に行くとなかなか動かなくなる私なのだが、ここにくると帰る気がしなくなる。できればここにお茶を飲みながら本を読めるようなところがあればと思うのだが、残念ながらそれはない。そんなところを作ったら、みんなそこで本を読んで、買って行かなくなるのかもしれない。

 この書店の奥まった部屋ではちょっとした展示空間があり、陶芸や革製品、手芸品などいろんな手作りの工芸品などが展示されている。ここで早川茉莉さんが主催した本の帯の展示会があった。彼女が編集に関わった本の帯封を中心に壁一面に貼り付けてあり、その一つ一つの帯の色や形や文章にも興味がひかれたが、壁一面の帯封の展示が作り出す色彩と模様の風情にもなかなかの感慨を持った。彼女のエッセイを読んで分かったのだが、彼女はかなり色とか形などの外見にこだわりを持っているようだった。彼女のエッセイ集は他の二人と異なり森鴎外の娘である作家の森茉莉の作品から人柄から何から何までファンであることを、森茉莉宛の手紙という形式で書いたものであるが、そうでありながら彼女自身の好みや人生観をじんわりと見せている。

 私は、森茉莉の作品はずいぶん昔に一つだけ読んだことがあった。「恋人たちの森」という作品で、読んだのはおそらく刊行されてまもなくだったように思う。あまり女性作家の本を読まない私が森茉莉の本を読んだのは、女性作家が増えてきているので、少し読んでみようと思い立ったことと、森鴎外の娘という色眼鏡で考えたことの両方が理由だったように思う。読んだ印象はけっして良いものではなかった。その頃の私は、赤貧とはいえないまでも貧しい生活をしていたから、森茉莉の生活臭のないお姫様の書いた小説に反感を抱いたこともあったし、およそ彼女の関心事と私の関心事は重なるところがまったくないと思った。それ以来、彼女の小説はもちろん、女性作家の作品を読もうと積極的に思ったことはなかった。早川茉莉さんの「森茉莉かぶれ」でも、私がもはや貧しいという生活ではなくなったけれども、そして早川さんが森茉莉のようなお姫様生活をしていないこともよく分かったが、やはり関心の重なりを見つけることはなかった。唯一、カフェで本を読むことについて、同じ生活上の嗜好を見つけた。

 そういうことで、私が女性作家の本をつづけて4冊も読むようになるとは自分でも思ってみなかった。読んだのは、体調が良くなく、パソコン仕事を根を詰めて長時間やるのが辛くなったこともあり、読書に充てる時間が増えたことと、これらの本が作家たちからわが連れ合いに贈られてきたこと、ご本人達にも彼女を通じて会う機会があったことなどが理由である。だからすぐに女性作家の作品を好きになったと言うわけではないが、読みたくないというこれまでの気持ちから少しは読んでみた方がいいのかもしれないという気持ちにさせてもらった。3人の作風は少しずつ違うが、共通して自分の周りの風景を愛しんでいるのが感じられ、私の風景を見る目が少し変わってきたようにも思う。

小沢切りのカン違い

2011-01-06 | 政治
菅首相は、「政治とカネ」の問題で、小沢一郎議員が起訴されたら議員辞職を勧
告することを暗示した。反小沢路線こそ内閣支持率の回復の特効薬だと思ってい
るらしい。カン違いも甚だしい。大新聞やマスコミたちも「政治とカネ」の問題
だと騒いで小沢バッシングに余念がない。これはカン違いだけではない。これに
は人権問題も絡んでくるのだ。

 いったい「政治とカネ」の問題とはいったい何だろうか。小沢さんの件は、検
察も起訴はできないと判断した事案である。素人の検察審査会が強制起訴に踏み
切ったけれども、そこになんの根拠もない。疑いがあると言うだけである。ほと
んどの議員には見逃されている政治資金規正法の不実記載で、小沢さんの元秘書
であり衆議院議員である石川智宏さんが逮捕された。この逮捕も検察が小沢逮捕
を狙って無理矢理行ったものだった。小沢さんの起訴の根拠はこの政治資金規正
法の不実記載なのだ。石川元秘書が5億円の収入を記載しなかったが、あとから
訂正した。他の大部分の議員がしばしば行っている「後から訂正」なのだが、な
ぜか小沢さんの時だけ議員逮捕まで行った。
 
 あきらかに検察の見込み捜査であり、元秘書逮捕も必要ないものだった。厚生
労働省の村木元局長の場合とまったく同じ構図なのだ。結局、検察は起訴をあき
らめた。これは政権交代があり、世論が検察への批判に傾いたことを察知して、
検察が無理をしないと判断したのだろう。しかし、マスコミは「政治とカネ」と
いう根拠不明の言葉を弄して小沢バッシングに走った。経済界や保守陣営に取り
込まれた読売の○○ナベや朝日の船○○一などが、小沢つぶしにはしったのだろ
う。マスコミの記者たちも自分の頭で考えないものが増えた。厚労省の村木さん
も、マスコミは犯人視報道を続けた。素人の検察審査会は、マスコミのあおりに
乗ってしまった。
 
 村木さんが無罪になり、検察が証拠を隠すだけではなく証拠を変造してまで村
木さんを犯人に仕立て上げようとしていたことがはっきりした。政府の高級官僚
(局長)を逮捕することが、検察の目標になっていたこともわかった。罪がなけ
れば罪を作り出す、これが検察のやり方だった。小沢さんと鳩山さんの場合もま
ったく同じだ。自民党などには同じようなことをしている議員はいっぱいいる。
しかし、それらは黙認しておいて、鳩山、小沢の二人に焦点を絞って無理矢理犯
人に仕立てようとした。
 
 厚労省の村木さんは、起訴されても公務員の職は剥奪されなかった。それは当
然のこと。有罪が決まるまでは推定無罪だからだ。小沢さんは強制起訴されても
おそらく無罪になるはずだ。当然それまででも彼は推定無罪である。その人に菅
首相は議員辞職を迫っている。それも最初からそう思っていたわけでは無さそう
だ。自分の内閣支持率を上げるために、小沢切りをやろうとしている。小沢さん
には人権はないのだろうか。政治家は疑惑を招いただけで責任をとらねばならな
いという人も多いようだが、それはおかしいのではないか。政治的な失政ならい
ざしらず、刑事罰にはあくまで推定無罪が当然である。政治家といえども。
 
 小沢さんが言ったように、首相は小沢さんの出処進退などよりも、もっと大事
なことがあるはずだ。国民の幸福のためになにができるか、もっと真剣に取り組
んでもらいたい。最少不幸社会を作るために、マニフェストを作り選挙に臨んだ
のではなかったか。そのマニフェストの理念をなんの反省もなく次々と反故にす
る管政権に小沢さんを切る資格なんて無い。

あけまして初詣

2011-01-03 | 日記風
新年あけましておめでとうございます。今年もごまめの歯ぎしりやまぐろのおならに耳を傾けていただければ大変有り難いと思います。

 新年が明けて、一日は雪が深くて外へ出る気持ちにならなかったが、二日目にはさすがに家の中ばかりにいるのも飽きてきたし、雪も随分溶けて、ひなたぼっこしたいような陽気に誘われて、半日初詣に出かけた。遠くの有名な神社やお寺に出かけるつもりはないので、もっとも近いお寺に出かけた。浄土宗の知恩寺。一般には百万遍のお寺として有名だ。でも境内にはほとんど人の姿もなく、静まりかえっていた。本殿に参拝して、溶けかかった雪の中を歩いて吉田神社に向かう。吉田神社は、人の群れがあちこちに見られ、ようやく正月気分になる。参拝した後、神社の振る舞いの熱い昆布茶で体を温め、吉田山に登る。吉田山は本当の名前は神楽が丘と言うが、三高寮歌「逍遙の歌」(くれない萌ゆる・・・)で吉田山として有名になってからは、吉田山で通っている。まずは麓の菓祖神社にお参りする。ここはお菓子の神社として和菓子や餡、ケーキなどの発展に貢献した職人などが祭神として奉られている。

 吉田山の頂上から、送り火の大文字が雪で白く彩られている大文字山を眺めた。雪の大文字を見るのは久しぶりだ。2年前にこの風景を見た後、大原の山で雪山行を行ったことを思い出した。今年は雪山を歩く元気が出るだろうか。神楽が丘を越えて、神楽が岡通りに下りる。麓の宗忠神社は階段を下から眺めて参拝した気分になった。神楽が岡通りを歩いて、今度は真如堂に入る。ここは天台宗の寺院。立派な大殿と三重塔が京都の風情を引き立てている。拝観料を払って近年観光客にも有名になった真如堂の庭を見学する。大文字山を借景に、釈迦の入寂を模して配置した石の庭がここの庭を有名にしている(写真)。ここの庭のモミジの紅葉が京都中でもっともきれいだと、ここの僧侶の話。今年の秋に来てみよう。



 真如堂を辞し、通りを隔てて隣の金戒光明寺に向かう。ここは百万遍のお寺と同じ浄土宗だが、浄土宗大本山というだけあって、見事な伽藍が立ち並ぶ。名前をあまり聞いたことがなかったが、観光としてはとくに名前を売っているわけではないようだ。でも写真を見る限りでは、秋の紅葉もきれいらしい。今年の秋にはここもいっしょに来てみよう。

 日射しが陰って急に寒くなってきた。今年の初詣はこのくらいにして家に帰る。近年の初詣としては、もっとも多くの寺社に参拝できた。京都はやはりすぐ近くに神社仏閣が多いので、初詣には便利だ。宗派などは関係ないのが今の日本人だから。私だけか?とにかく初詣三昧の一日だった。今年は良いことがありそうかな。いや、実はひいたおみくじは凶と出た。失せものはでず、待ち人は来たらす、十中八九は死す、ときた。う~~~ん。今年はどんな年になることやら。