サンナシ小屋の周囲で、今日も鹿が悲しそうな鳴き声をたてている。先日も書いたように、恋の季節の雄鹿の鳴き声だが、やはり悲しそうに聞こえる。
そういえば、11月初めから、今年も狩猟が解禁になる。11月になると、日本中から鉄砲を担いだにわか猟師がこのあたりに詰めかけてくる。鹿が増えすぎてそれを人為的に減らさなければ生態系によくない影響が出てしまう、ということで、環境省がエゾシカを3分の1に減らす大作戦を数年前から行っている。3分の1に減らすのをどうやって達成するかというと、要するに狩猟に頼っているのだ。以前はメス鹿を撃ってはいけなかったのだが、いまでは雄も雌もお構いなしに殺している。ハンターたちは、殺しまくるのに遠慮がいらなくなった。お墨付きを得て、かれらは傍若無人に撃ちまくるので、森を散歩している私などは危なくて仕方がない。
それにしても最近のハンターはモラルがない。生き物を殺すことをゲームとしか考えていないようだ。いまは一人一日2頭までという制限がある。しかし、本当に守られているかどうか、監視の目が届いていないところではどうなっているか分からないのが実情だ。人目のつかない森の中では、鹿の死体がごろごろしているところもある。11月になると血なまぐさい死体を車の屋根に積んで、国道を走っている四駆の自動車を毎日見るようになる。
そもそも、鹿がこんなに増えたのはなぜか知っていますか? 鹿の餌環境が格段によくなったせいなのだ。なぜよくなったか?それは、冬近くなっても青々とし、春も一番早く芽を出す牧草が生えているところが、森を切り開き至る所にできたせいである。牧場には鹿が入らないようにしているところもあるが、ほとんどは鹿がやってきて草を食べている。それはそれで、なかなかいい風景で、私は目に角を立てる必要はないと思うのだけれど、しかし、それによって鹿が増えていることは明らかなのだ。それだけではない。道路を至る所に造ってその法面に西洋から来た牧草の種を植え付けるものだから、鹿は道路の脇で餌を食べ続ける。鹿に餌をやるために道路を造っているようなものだ。しかも、車と衝突するようになる。国交省は道路を造り、鹿除けの柵まで作らなければならない。自分たちが餌を与えているために。道路の法面にはそのあたりの雑草や樹木を生やしておけばいいのだ。牧草を植える必要はない。
人間のせいで鹿が増えすぎ、それを減らすためにゲーム感覚で殺す。これは本当に人間のエゴイズムでしかない。小屋の周りの鳴き声は、その運命を悲しむがごとく悲しく今日も響く。
そういえば、11月初めから、今年も狩猟が解禁になる。11月になると、日本中から鉄砲を担いだにわか猟師がこのあたりに詰めかけてくる。鹿が増えすぎてそれを人為的に減らさなければ生態系によくない影響が出てしまう、ということで、環境省がエゾシカを3分の1に減らす大作戦を数年前から行っている。3分の1に減らすのをどうやって達成するかというと、要するに狩猟に頼っているのだ。以前はメス鹿を撃ってはいけなかったのだが、いまでは雄も雌もお構いなしに殺している。ハンターたちは、殺しまくるのに遠慮がいらなくなった。お墨付きを得て、かれらは傍若無人に撃ちまくるので、森を散歩している私などは危なくて仕方がない。
それにしても最近のハンターはモラルがない。生き物を殺すことをゲームとしか考えていないようだ。いまは一人一日2頭までという制限がある。しかし、本当に守られているかどうか、監視の目が届いていないところではどうなっているか分からないのが実情だ。人目のつかない森の中では、鹿の死体がごろごろしているところもある。11月になると血なまぐさい死体を車の屋根に積んで、国道を走っている四駆の自動車を毎日見るようになる。
そもそも、鹿がこんなに増えたのはなぜか知っていますか? 鹿の餌環境が格段によくなったせいなのだ。なぜよくなったか?それは、冬近くなっても青々とし、春も一番早く芽を出す牧草が生えているところが、森を切り開き至る所にできたせいである。牧場には鹿が入らないようにしているところもあるが、ほとんどは鹿がやってきて草を食べている。それはそれで、なかなかいい風景で、私は目に角を立てる必要はないと思うのだけれど、しかし、それによって鹿が増えていることは明らかなのだ。それだけではない。道路を至る所に造ってその法面に西洋から来た牧草の種を植え付けるものだから、鹿は道路の脇で餌を食べ続ける。鹿に餌をやるために道路を造っているようなものだ。しかも、車と衝突するようになる。国交省は道路を造り、鹿除けの柵まで作らなければならない。自分たちが餌を与えているために。道路の法面にはそのあたりの雑草や樹木を生やしておけばいいのだ。牧草を植える必要はない。
人間のせいで鹿が増えすぎ、それを減らすためにゲーム感覚で殺す。これは本当に人間のエゴイズムでしかない。小屋の周りの鳴き声は、その運命を悲しむがごとく悲しく今日も響く。