京の今年は 紅葉がもう一つよくない、と言われている。先週の日曜日は午後から晴れてくるという予報を聞いて、大原の三千院に紅葉を見に行った。叡山電車に乗って八瀬でバスに乗り換え、大原に入った。八瀬の駅周辺ではもうモミジがきれいだったから、大原のモミジの美しさに期待がかかった。八瀬から臨時バスがちょうど通りかかったので、がらがらのバスに乗り込んだ。その時点では、今日の混雑はまったく予想もしていなかった。
大原に着いたときに、人波に驚いた。バス停から三千院までの門前の道は、人でごった返している。もうお祭りのような賑わいだ。三千院に入ると混雑は輪をかけたようになった。玄関から仏間、座敷、廊下と人がどこまでも続く。茶の湯を楽しめるはずの座敷の縁側は、入れ替わり立ち替わり人が押し寄せて、ゆっくりと庭を眺める余裕もない。
しかも、大原の道すがらのモミジも薄汚れ、茶色に変色して、紅葉とは言い難い色をしている。三千院の庭も、見るべきモミジのかけらもない。こんなにたくさんの人が、この紅葉の時期に三千院を訪れたのは、やはり紅葉を楽しむために他ならないはずだ。しかし、不思議なことに人々は見る影もないモミジについて何の論評もせず、ただ人の尻を見つめながら、入り口から入り出口から出て行く。
やはり日本人は人が集まるところに集まりたがる人種なのだなあ、と再び感心した。
人ありて 鳥居に優る 朱の紅葉
そして、今日。目の覚めるような美しいモミジを見た。見ている人はほとんどいない。木の数はそう多くないのだが、その色の美しいこと。近くの稲荷神社の真っ赤な鳥居のそばで、鳥居にまさるとも劣らない朱色のモミジの葉を拡げていた。葉っぱの赤、わずかにオレンジ色が勝った葉の縁辺。葉脈までが美の競演に加わっている。
紅葉の美しいところに人が集まるのではなく、人が集まるところに人が集まるんだな。
曇天に 雪虫飛ぶや 古都の秋
雪虫は北国の風物詩だったと思っていたが、京都でも雪虫が飛んでいた。種類は違うのかもしれないが、同じ白い綿状の突起を持った有翅のアブラムシが、冬が来るぞとまるで風花が舞うように、初冬の街に飛んでいた。ああ、冬がそこまで来ている。
大原に着いたときに、人波に驚いた。バス停から三千院までの門前の道は、人でごった返している。もうお祭りのような賑わいだ。三千院に入ると混雑は輪をかけたようになった。玄関から仏間、座敷、廊下と人がどこまでも続く。茶の湯を楽しめるはずの座敷の縁側は、入れ替わり立ち替わり人が押し寄せて、ゆっくりと庭を眺める余裕もない。
しかも、大原の道すがらのモミジも薄汚れ、茶色に変色して、紅葉とは言い難い色をしている。三千院の庭も、見るべきモミジのかけらもない。こんなにたくさんの人が、この紅葉の時期に三千院を訪れたのは、やはり紅葉を楽しむために他ならないはずだ。しかし、不思議なことに人々は見る影もないモミジについて何の論評もせず、ただ人の尻を見つめながら、入り口から入り出口から出て行く。
やはり日本人は人が集まるところに集まりたがる人種なのだなあ、と再び感心した。
人ありて 鳥居に優る 朱の紅葉
そして、今日。目の覚めるような美しいモミジを見た。見ている人はほとんどいない。木の数はそう多くないのだが、その色の美しいこと。近くの稲荷神社の真っ赤な鳥居のそばで、鳥居にまさるとも劣らない朱色のモミジの葉を拡げていた。葉っぱの赤、わずかにオレンジ色が勝った葉の縁辺。葉脈までが美の競演に加わっている。
紅葉の美しいところに人が集まるのではなく、人が集まるところに人が集まるんだな。
曇天に 雪虫飛ぶや 古都の秋
雪虫は北国の風物詩だったと思っていたが、京都でも雪虫が飛んでいた。種類は違うのかもしれないが、同じ白い綿状の突起を持った有翅のアブラムシが、冬が来るぞとまるで風花が舞うように、初冬の街に飛んでいた。ああ、冬がそこまで来ている。