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サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

菅首相のカン違い

2010-06-30 | 政治
菅直人のカン違い
新しい首相に菅直人さんが選ばれて、内閣支持率はV字回復をしているとメディアは伝えているが、そもそも鳩山政権の低支持率も菅政権の高支持率も、メディアが作り上げた世論に過ぎない。そんなものに民主党の政治家が右往左往する必要はない。しかし、支持率が回復したからと言って菅政権が押し出してきた路線は、明らかにおかしい。これまで民主党が言ってきたことと根本のところで違っているのではないか。菅さんは、支持率が高いことが自分が言っていることが支持されているとカン違いしているのではないか。

 鳩山前首相がリーダーシップのなさと前言を翻してきたことは、辞任に値すると思うのだが、それでも鳩山さんはそれまで民主党が言ってきたことを実現させたいと言い続けてきた。普天間基地をできれば国外に、少なくとも県外に、というのは、鳩山さんが実現できなかったけれども、それを目指していたことを疑いはしない。結局官僚に取り込まれてしまって、海兵隊は抑止力だ、などと言ってしまって、辺野古に基地を作ることまで決めてしまったことは許せないが、彼にリーダーシップが無かったことが、官僚に跳梁させてしまったのだろう。鳩山さんがリーダーシップを取ったのは、唯一社民党の福島みづほさんを罷免したことだけだったというのは、哀しい。もっともこれだって、平野官房長官の官僚言うままのリーダーシップだったのかもしれない。そうすると、鳩山さんがリーダーシップを取ったのは、自分が辞めることだけだったのかもしれない。

 それに対して、菅首相は、初っぱなから間違いを繰り返している。支持率が高いうちに選挙にしようと、国会を議論もさせないで閉じてしまったことは、民主主義をないがしろにするものだ。さらに、いきなり消費税を10%に上げるなどと言い出すとは、まさに財務官僚のいいなりでしかない。官僚を使いこなすといえば聞こえはいいが、結局のところ官僚の力を借りないと政権運営ができないと言い出したのと同じことだ。高福祉を実現するためには高負担が必要というのはわかるけれど、高負担を言うのは、高福祉を実現してからではないか。毎年3万人以上の人が自殺している日本で、高福祉を実現するために消費税を上げるなどと言うのは、まさに財務官僚の言うままでしかない。

 そもそも、消費税とは大衆課税にほかならない。もっとも貧しい人からも同じように税金を巻き上げる消費税を、さらに2倍に増やすというのは、高福祉とは相容れない政策だ。しかも、菅首相は法人税の減税を同時にやるという。まさに企業を大事にして国民から搾り取る政策ではないか。日本の6大銀行グループは、過去5年間以上にわたって一銭も税金を払っていないという。しかも焦げ付いた不良債権の処理に莫大な国費を使っているのだ。そのような企業の幹部がいったいどのくらいの収入を得ているのか。さらに軒並み大企業は赤字決算にして法人税の納入を免れてきた。日産のゴーン社長は8億9千万円の収入を得ているという。法人税を払うよりも幹部に大金を払う方が得だということなのだろう。何億稼ごうとも、所得税の最高税率はわずか25%しかかからない。いつの間にそうなってしまったのだろう。長い間の自民党政権が企業を甘やかし、その付けをすべて消費税に回してきた。

 民主党は政権交代でその仕組みを見直し、無駄な事業を廃止し、コンクリートから人へお金の流れを変えるという根本的な予算の組み替えを主張してきたはずだ。それをいつのまにか道路も新幹線も作り続けるし、ダムも止めないと路線を変更してきた。結局、自民党政権下で考え方を固定してきた官僚に頼れば、その仕組みを変えることはできないのだ。一度、官僚と審議会の委員を大幅に入れ替え、これまで政府に顧みられなかった知識人や行政マンを抜擢して、根本を見直すことをしなければ、民主党への政権交代は、自民党の派閥の交代と変わりないことになるだろう。

 菅首相は、選挙の結果にかかわらず、任期を全うし、その間に、民主党が掲げた最初の公約を断固として進める決意で政治を行って欲しい。そうでなければ、自民党も民主党もいらない。菅さん、カン違いに早めに気がつかないようでは、菅さん、さようなら。新しい政治を本当に推し進めることができるのは、自民党の臭いが消せない民主党でも乱立政党でもない。

イスラエル建国は新植民地主義

2010-06-24 | 政治
しばらく前になるが、イスラエルのテルアビブ大学教授シュロモー・サンドさんの講演会が京都であったので、聞きに行った。DAYS JAPANという雑誌を作ったカメラマンの広河隆一さんの古くからの友達で、最近「ユダヤ人の起源」という衝撃的な本を書いたユダヤ人だ。以前にも読書の感想を書いたのだが、要するに、いまイスラエルに欧米から移住してきたユダヤ人たちは、旧約聖書に書かれた2000年前のバビロンの捕囚の人々とは違うということ、そして今イスラエル人から追い出され、迫害されているパレスチナの人たちこそ、2000年前からの本来のユダヤの人たちなのだというのだ。

 イスラエルが神が約束した土地へ帰ってきたと言ってパレスチナの人たちを追い出して建国した「ナクバ」の事件が、実はそのような歴史的な背景などはなく、イスラエル建国はホロコーストとユダヤ人迫害というヨーロッパ人が負った負の遺産を、パレスチナと言うところにユダヤ人の国を作って追い出すという欧米の最後の植民地主義に基づくものだということが、そのことから導き出される。要するに歴史のウソを本当のように言いふらし、利用してもはや許されなくなった植民地経営をイスラエル建国という名前で正当化しようとしたのだ。その時に、パレスチナの人たちは二重に迫害され、差別されることになった。

 この本が最初に出版されたのはもちろんイスラエルで、ヘブライ語で書かれた。イスラエルでは歓迎されないのではないかと思われたが、意外や意外、爆発的に売れたという。その後、英語、スペイン語、日本語などに翻訳され、日本でも出版されてこの手の本としては驚くほどよく売れているという。講演会の時にも50冊の本が用意されていたが、あっというまに売り切れた。

 シュロモー・サンドさんというイスラエル人が、日本まで来てパレスチナの人たちへの迫害をやめるように話をしているというのは、なんとなく心に落ちない。イスラエル支持のアメリカの顔色をうかがうことに熱心な日本のメディアは、ガザの人たちが生活物資を得ることさえも困難な中に生きており、さらに無差別爆撃で2週間で1400人以上が殺されても、イスラエルの軍隊がガザへの人道支援船を公海上で襲撃して拿捕しても、事実をそっと伝えるだけで、けっして批判しようとはしない。日本政府は、民主党政権になろうがアメリカと対等外交などというのはウソ八百であったことを証明してしまった。管内閣でもそれはまったく同じだ。

 イスラエルはパレスチナの人たちへの非人道的な民族差別、殺人を直ちにやめるべきだ。ハマスがロケット弾を撃つから無差別に住宅を爆撃するというのは、どうみても赤子の手をねじって虐待する親とそっくりである。イスラエル人はパレスチナの人たちから奪った土地と建物を彼らに返し、パレスチナの人たちに許しを請うてパレスチナの土地に住みたい人は住めばいい。ユダヤ人だけの国を作るなどと言うのは、歴史を歪曲し、新植民地主義を糊塗することにしかならない。そして、日本はいずれ歴史が解決することになるイスラエル建国という植民地主義と早く手を切って、パレスチナの人々を支援しなければ、いずれアメリカと一緒に歴史の闇に葬られるだろう。

雨の京都東山

2010-06-20 | 花と自然
今日は朝から降ったり止んだりの天候だった。今年初めの予定では、この週末付近で2泊3日の予定で、加賀白山に登りに行こうと思っていたのだが、ネットで調べると白山の登山口までの道路が工事で通行禁止になっており、登山口までの定期バスも運休している。これではレンタカーで行っても林道手前で下りて歩かねばならない。別の登山口からなら登れるかもしれないが、まだ歩くのも体が慣れていないので、白山はあきらめた。その代わりにもう少し楽な、しかしそれなりの高さのある山へ行こうと計画していた。ところが仕事が忙しくなり、天候も雨続きの予報で、梅雨だから雨が降るのは当然なのだけど、やはりなんとなく行く気がしなくなり、結局今日になってしまった。

 なんとか少しは歩かねばと思って、やはり先週に続いて京都東山を歩くことにした。ガイドブックをみると、東山三十六峰の最高峰は「如意ヶ嶽」(472m)らしい。良く散歩がてらに登る大文字山(466m)とほぼ同じ高さだが、最高峰となると登らないわけにはいかない。今日は如意ヶ嶽を目指して登ることにした。

 如意ヶ嶽は大文字山頂上から40分のコースとか。たいしたことはないだろうと、歩き始めた。大文字山は何度も歩いているので、少し違うコースをとることにした。表登山道はいつも多くの人で賑わっており、できれば日曜日の今日は避けたい。そこで、表登山道を登り始めてすぐに横道にそれて、中尾城趾を通る尾根道に出る。京都の東山に限らず近くの山は裏道が縦横無尽に通っていながら、道標が無いところが多い。分岐に来てもどちらの道へ行けばいいのか皆目分からない。地形図を見てもそのような小さな道は書かれていないことが多い。都会に近い低山だから、道を間違っても下りていけばどこか民家のあるところにたどり着くだろうから、遭難というような事態にはならない。だからほとんど道標がないのだろうけど、迷うときは迷うのだ。

 今日も、まず中尾城趾への道が分からずにうろうろした。やがて沢沿いの踏み跡を見つけたが、それからもいくつかの分かれ道でどちらへ行けばいいのか分からず、行ったり来たりを繰り返した。今日のように裏道を歩こうとすると、とくに道標のないことで困ることが多い。書かれている場合でも、ビニールテープに誰かがかなり昔にマジックインクで書いたもの程度だ。

 この大文字山の北側を通る裏道は、途中もほとんどが広葉樹林で、緑のトンネル状態。素晴らしい道だった。いま木々は花の季節を迎え、足元にも樹木の花が敷くように落ちている。ソヨゴやエゴノキのように見れば名前が分かる花もあるが、大部分は花びらのない地味な花が多いから、名前は分からない。やがて頂上近くで表登山道と合流。多くの登山客といっしょになる。幼稚園の団体も登ってきている。遠足なのだろうか。

 頂上でにぎりめしを頬張っていたら、雨が降ってきた。しかも激しい雨だ。急いで合羽を羽織り、フードをかぶる。暑い低山なので今日はショートパンツだったから、合羽は上着だけにしたが、そのためにショートパンツはすぐに水浸しになってしまった。樹林帯の中で雨を避けようとしたが、とてもそれで避けきれる雨の量ではなさそうだ。あきらめて、如意ヶ嶽まで歩くことにする。強くなったり弱くなったりする雨の中を進むが、二つ目の分岐で、またもや道が分からない。5つに別れているが、如意ヶ嶽という名前がない。おかしいと思って2度も道を探して行ったり来たり。地図とガイドブックを見ながらおそらくこの道だという見当を付けて歩き出す。雨はますます激しくなってきた。

 しばらく歩いてから、この道に間違いないと確信を持った。分岐からしばらくは踏み跡程度だった道が、狭いけれどしっかりと固められた道に変わってきたからだ。30分ほど歩いたところで、頂上に近づいたと感じた。ところがいきなり登山道を遮って金網が張られている。どうやらそこが頂上のようだが、頂上には国交省の無線施設が建っており、金網で周囲を囲って立入禁止になっている。東山の最高峰にせっかく来たのに頂上に足も踏み入れられない。国もこんな施設を頂上に作るなら、登山道を迂回させるなど、登山者に配慮して欲しいと思う。無線施設がもっとも高い部分に作りたい気持ちは分かるが、それならそれなりに他の利用者にも配慮しても良いのではないだろうか。

 雨も激しく降っているし、頂上は立入禁止だし、ここにいるのも腹が立つばかりなので、さっさと帰ることにした。雨はますます激しくなり、合羽を着ていても体はほとんど濡れ鼠。上半身は合羽で守られているが、シャツは汗で濡れていて、上下共に全身ずぶ濡れと言う感じだ。ここまで濡れれば何も怖くない。気温も30度近くあり、濡れても凍える心配はなさそうだし、頭と顔は濡れた方が涼しいくらいだ。道路はほんの少し前と様相を異にし、まるで川底を歩いているようだ。滝が所々できている。滑らないようにだけ注意しながら、帰りは表登山道を歩いた。人も少なくなっているだろう。幼稚園の子供たちはどうしただろうか。昨日は風雨の中で野外教室に出かけた中学生がボートが転覆して死者も出ている。低山とはいえ、幼稚園の子どもにとってはかなり危険だ。雨の中を飛ばしながらそう思っていると、麓にたどり着く手前で子供たちを追い抜いた。彼らもがんばっている。疲れたようすの児もいるが、まあ無事そうだ。銀閣寺の横道に下りたときには、雨も小降りになっていた。梅雨の山歩きは雨はしょうがない。来週は白浜の海に出かけるが、雨はどうなるだろうか。

公害と薬害と原発の共通点

2010-06-19 | 読書
かなり昔、1990年代に出版された広瀬隆著「腐蝕の連鎖」という本を読んだ。エイズやスモン病などの薬害をまき散らしたミドリ十字や武田薬品などの製薬会社の幹部たちが、戦時中に捕虜を使った人体実験で著名な731部隊といろんなところで関わりがあることを明らかにした書だ。ミドリ十字という会社が731部隊の姿を変えたものだということは聞いていたが、その他の薬害を引き起こした製薬会社も閨閥などで731部隊の人脈につながっていたとは知らなかった。さらに水俣病を引き起こしたチッソの創業者が大陸で731部隊とも関わっていたという。日本の公害と薬害は、けっして偶然に起こったものではなかったことがよく分かる。人をモルモット代わりにして医学の実験を行っていた軍事医官たちが、アメリカに免責されて、戦後も同じ感覚を持ち続けていたのだろう。

 さらにこの書は、中曽根康弘という日本の原子力開発に国家予算を初めて投入した首相とその閨閥が、日本の原発建設に関わりを持つ多くの企業人と親類関係を持ち、その人脈がさらに薬害とつながっていることを明らかにした。日本人の健康を台無しにして、さらに将来の日本人を放射能の危険にさらしているのが、一握りの血縁、友人関係にある人たちであるというのは、本当に恐ろしいことだ。

 そして、原発がきわめて危ない日本列島の活断層のうえにあること、それを知らぬ振りを決め込む政府の役人たちやデータを都合良く解釈して原発は安全だと言う御用学者たちが、よく調べるとみんな閨閥や友人関係でつながっているという。そう言う目で見ると、彼らの行いがよく見えてくる。彼らのグループに属しているが、中にはきっと良心の呵責に苦しんでいる人もいるに違いないと思うのだが、そう言う人はいつのまにか暗闇に押し込まれてしまうのだろう。日本を牛耳る一握りの人々。彼ら血でつながるものたちは、彼らの利益と栄華のために、日本人の健康も生活も未来も踏みにじって顧みない人たちなのだろう。日本とはそう言うところだと言うことが分かった。目から鱗の本だった。

日本もガザへ人道支援船を送ろう

2010-06-16 | 政治
イスラエル軍兵士が、ヨーロッパの人たちがトルコからガザへの人道支援物資を運ぶ6隻の船を公海上で襲撃し、拿捕したことは、世界中の人々の憤激を買っている。しかもトルコ人ら9人を射殺し、数十人に怪我を負わせた。明らかに海賊行為であり、あらゆる国際法に違反している。国連が調査団を送ることを決めたが、イスラエルはそれを直ちに拒否し、イスラエル政府が調査団を組織して調査することにしたという。泥棒が自分で調査をするというのだから、驚く。そんな調査団の報告など、見る前に中身が見えてくる。

 トルコ政府が求めた国連安保理では、アメリカがイスラエルの肩を持ち、結局イスラエルに対する制裁決議はできなかった。オバマ大統領ははっきりとアメリカにいるユダヤの資本家たちに従うことを明らかにしたわけだ。

 しかし、世界の多くの人たちは納得しない。イスラエルはガザの人々を監獄同様に狭い土地に押し込めて、あらゆる人の人権を蹂躙し、辱め、生きる望みを奪ってきた。半年前には、ミサイルと爆弾と白リン弾を雨あられと降り注ぎ、1400人以上の人を殺し、何万人という人を負傷させた。そして爆撃の恐怖の底に人々を突き落とし、精神的に多くの人々を狂わせてしまった。イスラエルにそのような人権侵害を許す理由は何もない。今すぐにガザを開放すべきだ。

 昨日、イラン政府がガザへの支援船を2隻出港させたと発表した。イランはパレスチナへ武器も支援したこともある。アラブの強硬派のイラン船をイスラエル軍が襲撃したら、何が起こるだろうか。新たな中東戦争が起こりかねない。イスラエルはむしろイランと戦争をしたがっている。これこそ良いチャンスと、かならず襲撃するだろう。イランの反応が心配だ。

 そんなときに、海上自衛隊がソマリア沖の海賊対策に増派する計画があるという。ソマリア沖で海賊対策をするなら、ぜひとも人道支援物資を運ぶ船をイスラエルの海賊から守ってはどうか。これこそ人道支援につながる。イスラエルの不正に鉄槌を下すべきだ。いや、やはり自衛隊は日本の海から出て行かない方がいい。自衛隊ではなく、日本からも、あらゆる国からも次々とガザへ支援船を送りだそう。イスラエルが対応できなくなるほどに。

比叡アルプスを歩く

2010-06-12 | 花と自然
家族の長期入院を機に、山へ行かなくなってちょうど一年が過ぎた。そろそろ山行きを復活させたくて、山歩きを始めた。京都周辺では高い山はないので、時間が限られていれば近くの低山を歩くしかない。昨日に続いて30度を超えた京都では、低山歩きは暑さとの闘いになるのを承知で、京都東山で歩くところを探していたら、比叡アルプスという名前に行き着いた。アルプスと名前が付いているが標高は500m未満の尾根歩きだ。しかし、ガイドブックにある落葉広葉樹の林が素晴らしいという言葉に惹かれた。なぜならこれまでいくつか歩いてきた京都東山はほとんどが杉と檜の人工林で、林床は昼なお暗いというあまりにも楽しくない山ばかりであったからだ。

 比叡アルプスという名前は聞いたことはあったのだが、どこにあるのか知らなかった。比叡山には何度も登っているが、比叡アルプスという名前を比叡山で見たことはなかった。きわめてローカルなガイドブックを見ると、自宅から近い瓜生山経由でいけることが判明。さっそく行くことにした。

 自宅から10分ほどで小川が流れている山道を歩き始める。登りもきつくない坂だが、早くも息が上がり始める。長い間歩いていないことや、体重が最大値に近いこともあって、体が重い。あえぎながら登ると40分足らずで瓜生山の頂上に到着。朝早かったためか、人影はない。休まず頂上を越えて地蔵谷に降りる道を進む。急な坂を20分くらいで不動寺川の地蔵谷に到着。そこから川を遡るが、道らしい道はない。川を横切り踏み跡を探しながら歩くと、そのうち登山道がはっきりしてきた。ぐんぐん急な坂を登ると尾根の末端にとりつく。そこが比叡アルプスの末端だ。そこから一本杉までの尾根が比叡アルプスと言われている。末端では標高はわずかに350m程度。

 比叡アルプスの行程は、2時間と書いてあった。少しずつ歩くテンポを取り戻してきた。尾根歩きなのでいくつかのコブを上り下りするのは少々うっとうしいが、アルプスといえども低山なので、緑の木陰が涼しくて良い。登りも多くないので、快調に飛ばす。このコース沿いは人工林はまったく見えないので、気持ちが良い。緑の森林浴をしながら歩く。このあたりの地質は周りの東山連山と違ってもろい花崗岩だ。昔、縄文時代に人間が住み着くよりもずっと昔に、このあたりにマグマが吹き上がったらしい。噴火を伴わないマグマの突き上げがあり、地表に出てきたマグマは急速に冷えて固まったため、きわめてもろい花崗岩ができあがった。そして比叡山よりも高い山ができたという。しかし、風化が早く、今では小さな山と尾根が残されているだけだ。ここからの川の流れが風化した花崗岩の砂を運び、川底は今も白い。白川の流れはこの花崗岩砂に由来する。近くの比叡山への登路には、雲母(きらら)坂と言う名前もあり、これも花崗岩砂から来ている。昔、京に都が作られて以来、公家や僧侶の家、寺院などの建築にこのあたりの花崗岩が切り出され運ばれた。今でも上賀茂神社や竜安寺など庭に敷き詰められる白い砂はこのあたりから取られている。比叡アルプスを歩いていると、尾根道は白い砂で明るい。子どもの頃歩いた故郷の山の風景がよみがえってきた。故郷の山では花崗岩で土壌は白く、そこに松の落ち葉が積もっていた。

 比叡アルプスを3分の2ほど来たところで、向こうからやってきた人に出会った。今日初めて会う人だ。しかし、その人は山歩きをしている風ではない。彼は私に比叡アルプスの行程を尋ねた。ここまで1時間ほどかかったと言うと、げっそりしたような顔をして、私が歩いてきた道を下りていった。話を聞くと、彼の友達が比叡アルプスの途中で滑落したという。その現場に行くところだという。そういえば、途中の木の枝に奇妙な形でタオルが結びつけられていたのを思い出した。まるで印を結ぶようなふうに。あれがそうだったのか。比叡アルプスは低い尾根道だが、痩せた尾根がところどころにあり、まったくの初心者が歩く山ではない。低い山でも滑落すればそれなりに危険だ。しかもこの地質は滑りやすい花崗岩の砂が尾根道に乗っている。ちょっと足を滑らせても、命を失う危険さえないことはない。

 比叡アルプスの終点は標高550mの登仙台である。そこではNHKのテレビ塔が立ち、その周りの立派なカシやナラの木がテレビ塔関係の工事関係者によってばんばん切られている。たとえ所有者であってもこの木の切り方は許されるものなのだろうか。NHKのテレビ塔の高さよりはずっと低く、しかも下に下った斜面の木が切られているのだ。

 登山道をテレビ塔が断ち切るように立てられているので、テレビ塔の金網の横の落ちかかったような登山道でテレビ塔を回り込みながら登仙台に到着する。そこには一本杉の名前の由来である立派な杉の木が立っていた。樹齢1000年くらいはあるのだろう。ひょっとすると平安の時代から京の都を見てきたのではないだろうか。しかし、周りはコンクリートで固められ、駐車場の片隅に押し込められたように立っていた。比叡アルプスの美しい広葉樹の林からいきなりコンクリートの塊に囲まれてしまったので、一本杉の下で昼食にしようと計画していたが、ただちに中止。もときた道に戻った。

 昼食のおにぎりを食べて、比叡アルプスとほぼ並行して尾根の中腹を走る別の登山道を歩いてもとの瓜生山まで帰った。この道は平坦で、まるで林道のようにのんびりと歩ける。その分、尾根道とは違った楽しみがある。もとの小川のほとりから街のなかに出てきたのは、12時半。今日は4時間歩いたことになる。家に帰ってみると体はくたくた。足は痛くてメタメタ。この程度の山歩きでこんなに疲れたのは初めてのような気がする。これでは高い山を長時間歩くのはとても無理だ。少しずつ歩いて、また遠く高い山を目指したい。

ホタルの季節が過ぎていく

2010-06-11 | 花と自然
今年も京都銀閣寺付近を流れる琵琶湖疎水に飛ぶホタルが夏の訪れを教えてくれた。夕ご飯を食べた後、毎日のようにホタルを見に出かけている。なにしろ家から歩いて1分で行けるのだから、ついつい毎日出かけてしまう。闇夜にふわふわと舞うゲンジボタルの幽玄の火を見ていると、心が洗われるように思える。ついつい口数も減り、小さな橋の欄干にもたれて、黙って夢中になって眺めている。ふと気がつくと隣に知らない人が並んで黙ってホタルを眺めているのに気がついてびっくりすることもある。みんなホタルの光に感動しているのだろう。

 今年は昨年よりホタルの数が多いようだ。ところが、見に来る人が今年はぐんと増えた。学生のような若者が群れをなしてやってくる。若い人もホタルの火をみて感動するのも良いだろうとうれしく思うのだが、彼らは一人や二人で来ない。なぜか大勢で群れをなしてくるので、黙ってホタルをみて感動するというのとはちょっと違う。ぺちゃくちゃしゃべって、とにかくうるさい。黙ってみて欲しいと隣で静かにみている私は思うのだが、彼らはホタルを見に来るという機会を作って、おしゃべりに来ているとしか思えない。

 疎水には桜などの木が植えられているが、その周りは住宅街だ。街灯もある。ホタルがか細い灯りをともしているのだが、周りの街灯や家の照明、自動販売機の照明など、明るくて、肝心のホタルが見えにくい。せめてホタルの季節くらいあたりを暗闇にして欲しいと思うのだが、ホタル?そんなもの何になるの?と思う人が多いのか、疎水のホタルを守る会の人が照明を暗くして欲しいと頼みに行くと、けんもほろろにされることもあるという。もちろん、協力してくれる家も多いが。

 ホタルは一年の長い間幼虫で水の中で生活する。成虫になって地上に出てくるのはほんのわずかの期間。餌も食べず、水だけすすって短い命を光り続け、生殖を果たすと雄は死に、雌も卵を近くの土やコケの中に産んで死んでいく。ホタルの短命を思えば、その間だけでも灯りを最小限にするくらい何でもないと思うのだが、人の価値観もさまざまだ。

 価値観と言えば、昨年は多くのホタルが明滅していた京都の街中を流れる鴨川の上流の高野川だが、今年はどうやらほとんどホタルがみられない。昨年、かなり大規模は河川改修が行われたり、河床を重機を使って整地したりしたようなのだ。ホタルがいなくなるのも当たり前かもしれない。一部の人がホタルのために河床の整地に反対したそうなのだが、結局、実施されたという。ここでも価値観の違いが鮮明になる。川は自然に水の流れによって流れ、生き物もそこに住み着くのだが、川はただ人間に牙をむかないように水を流すところだということに価値を見いだす人もいる。行政に携わる人はどうやらそういう教育を受けているのかもしれない。悲しい日本のお役所だ。

 疎水でもホタルがたくさん飛んでいるところと、ほとんどいないところがある。歩きながらみていると、やはり木や草が生えて、茂みが適度にあるところでは、ホタルも多い。河床にさまざまな変化があるようなところにも多い。これはホタルの幼虫の餌となるカワニナがそういう複雑な地形に集まることによる。疎水はもともと人間が作った用水路なので、あまり自然がないのだが、それでも多少とも自然に近いところにホタルは集まっている。地元の人が一生懸命草を抜き、ゴミ一つ無いように掃除をしているようなところはやはりホタルも棲みにくいのだろう。

 今夜もホタルを見に行こう。疎水のホタルを毎日数えている地元の自治会の人の話によると今年のピークは6月2-3日頃だったそうだ。ちょうど私は京都を離れていた時期だった。そのときは、わずか200mくらいのあいだに、700匹くらいのホタルが飛んでいたと言うから、驚きだ。今はもう200匹くらいに減っているらしい。あと一週間もすればホタルの影もなくなるだろう。短い命を燃やしているホタルの生き様を、今夜も静かに見つめておこう。

相変わらずアメリカ追随の日本

2010-06-06 | 政治
国連安全保障理事会が緊急に討議すべき議題が二つある。その一つは、すでに議題として取り上げられることになっている韓国の哨戒艦沈没の事件を巡って、韓国が北朝鮮への制裁を求めた問題である。そしてもう一つは、イスラエル軍がガザへ人道支援物資を運んでいた船合計7隻を公海上で襲撃し、9人の人々を殺し、多くの人たちを負傷させ、船を拉致した事件である。

 韓国の哨戒艦「天安」の沈没が北朝鮮の魚雷によるという理由で、韓国は北朝鮮へのsらなる制裁を国連安保理に求めた。しかし、この魚雷説にはきわめて不審な点が多い。選挙を控えた李明博政権のフレームアップであるという感が強い。アメリカの原子力潜水艦コロンビア号との相打ちだという説は、コロンビア号が沈んでいないという噂が本当であれば、間違っていたかもしれない。しかし、新たな疑惑が生じている。

 韓国の調査団に加わっていた民間の技術者が、アメリカのクリントン国務長官に手紙を書いて、沈没の原因が魚雷ではないと訴えた。彼は、詳細に「天安」の船体を調べたが、爆発によるような船体の破損はまったく見あたらず、おそらく座礁したのち離礁したような傷が見られたと述べている。このような船体の傷は、アメリカ原潜との衝突でも生じうる。よく知られたように、日本の愛媛県水産高校の練習船「愛媛丸」がハワイ沖で急浮上した米軍原潜によって沈没させられた。「天安」の傷を見る限り、魚雷の爆発の証拠となるものはまったく見つからず、座礁かもしくは衝突によると見られる傷があったという。彼は、調査団内部で意見を述べた結果、軍当局から調査団のメンバーを外され、軍から訴追されている。クリントン長官もアメリカ政府も、この手紙に関していっさい無視することに決めたという。それでも、アメリカの公式見解では、この天安号の沈没が北朝鮮の魚雷によるとははっきり断定していない。しかし、韓国の報告書を引用する形で北朝鮮を非難している。

 日本の鳩山政権は、韓国の報告をアメリカが支持したことを受けて、ただちに新たな経済制裁に踏み切った。鳩山政権の米国追随はここでも明らかである。アメリカのポチはコイズミだけではない。

 イスラエル軍の海賊行為には、世界中の国から批難の声が挙がっている。8人のトルコ人が殺されたトルコは、これまでの親イスラエルの方針を転換するだろう。イスラエルから大使の召還を決めた国も多い。パレスチナ占領地に対する国連特別報告者のリチャード・フォーク氏は、国際社会に対して、イスラエルの武装兵がガザに援助を運ぶ船団を襲撃し非武装の平和活動家たちを殺害した者たちを裁くよう力説した。「イスラエルは、海洋法により航行の自由を有する公海上にあった船団の非武装文民に対して致死的兵器を使うという恐ろしい行為により有罪である」。「無法の殺人行為に責任を負うイスラエル人は、命令を発した政治指導者も含め、その不法行為に対する刑事責任を取らせることが不可欠である」。

国連人権理事会は6月2日、真相究明のために独立調査団を派遣するという決議を賛成多数で採択したが、米国、イタリア、オランダが反対、日本政府は英国、フランス、韓国などとともに棄権した。なぜ日本政府は正義の声を上げられないのか。民主党は、いったい外交方針をどこにおいているのか。アメリカの顔色を伺うことしかできないのだろうか。友愛政治とは、アメリカだけに向けられた言葉なのだろうか。新しい菅政権でも、外務大臣、防衛大臣は続投のようだ。自公政権時代の大使も一人も更迭されていない。外務省・防衛省の官僚のいうまま、日本はいまだイスラエルの戦争政策を批判できない。民主党の政権交代とは一体何だったのか。

 信念を貫いた社民党と福島党首には、大きな支持が国民から寄せられているという。沖縄県では社民党への支持率が20%を超えた。福島さんのがんばりにこそ、国民の本当の安全と幸せが掛かっているように思う。沖縄の痛みを理解できないでアメリカとの合意のみを優先する民主党政権には、ふたたびおさらばする必要がある。現在では、社民党・共産党以外は、アメリカに対等に話ができる政党はないだろう。

鳩山さんはもう辞めた方が良い

2010-06-01 | 政治
沖縄の人たちの気持ちを大事にすると言いながら、沖縄の人の気持ちよりもアメリカの気持ちを大事にした鳩山首相が、国民から反撃を食らっている。社民党の福島さんを罷免してまでアメリカの言うなりになった鳩山首相には、民主党の中からも批判が渦巻いている。それにくらべて福島みずほさんは、信念を通した。当然といえば当然なのだが、信念のない鳩山首相と比べるから、福島さんは立派だった。党首をクビにされたのだから、社民党の連立離脱は当然だろう。

 鳩山首相に不信任案が出される。社民党はそれにも賛成するとの態度を示している。不信任案がでたら、採決の前に鳩山さんは民主党議員から下ろされることになるだろう。せっかくの政権交代を鳩山さんの不誠実な態度だけで終わりにするわけにはいかない。もっと政権交代によってこれまでの自公政権作り上げてきた金持ち優遇、戦争政策から転換し、日本をもっと公平で正義のある社会にする必要がある。そのためには、鳩山さんのように不誠実な人を首相のままにしておくことはできない。そして官僚の筋書きの上を走るだけの平野官房長官、岡田外相や北沢防衛相を解任して、新人でもいい、もっと信念をもって改革ができる人を中心に政治をはじめて欲しい。そうすれば社民党も再び連立を組むこともできるだろう。

 このまま参議院選挙をすれば、民主党は過半数はとても確保できないのは当然だ。社民党がきっと票を伸ばすだろう。現在の5人(改選数3)の参議院議員数は7~8人くらいまで伸びるかもしれない。民主党がダメになっても自民党が伸びることもないだろう。もう自民党は終わった政党だから。小泉進次郎など戦犯コイズミの息子などに頼っているようでは、どこまでも懲りない自民党というシンボルみたいなものだ。みんなの党や有象無象の元自民党政党は、一時的には多少の票をとるかもしれないが、結局のところ泡のごとく歴史から消えていくだけだ。

 アメリカから独立し、欧米中心主義からアジア中心主義へ日本を導く首相と政党が必要だ。世界一危険だとアメリカ高官に言わしめた普天間基地は撤去し、アメリカ軍は日本から全面的に引き上げること。そして代わりに自衛隊が大きくなるのではなく、憲法九条の精神を元に、中国などアジアの国と日本は共同行動を取ることこそ、日本の進むべき道だ。