ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

砂糖のないコーヒー

2012-03-27 | 日記風
京都のとある街中で、買い物の途中に疲れをいっとき癒すため、街角にあるちょっと凝った造りの喫茶店に立ち寄った。買い物をした近くの店で、コーヒーを飲むところを聞いたら、ここを教えてもらった。店の中は落ち着いた雰囲気で、壁に禁煙と書いてあったので、安心してコーヒーを飲めるなあと思った。喫茶店に入るときはいつも禁煙かどうかを確認してはいる。雰囲気の良さそうな喫茶店でも、中にはいるとタバコの煙と臭いが充満していると、席が空いていようが、すぐに出てしまう。京都はその点、禁煙の喫茶店が比較的多いので、うれしい。大阪では、まず喫茶店へ入ることも難しい。

 客は誰もいなかった。ゆったりとした木製の長いすに座り、メニューを開いた。どうやらこの店はコーヒーの専門店という感じらしい。コーヒーは店でブレンドしているもっとも安いのを頼んだ。それでも一杯600円する。ちょっと高いなあと思ったが、調度品が気持ちいいし、休みたいという気持ちが強かったから、まあいいかと思った。いかにも珈琲屋のおやじ風の男が、しばらく時間をかけてあわてずにコーヒーを入れ、持ってきた。そこまではよかったのだ。

 見るとコーヒーだけが机の上に置かれている。私はコーヒーはあまり得意じゃない。だから砂糖がないとコーヒーが飲めない。ところが砂糖がない。ミルクもない。そこでおやじに、砂糖をくださいとお願いした。するとおやじはこう言った。「飲んでみましたか?」ううう・・・。どういうことだろう。砂糖をくれという客に、飲んでみたかとは。もう一度、「砂糖が欲しいんですが」と言ってみた。すると、また、「飲んでみて下さい。飲んでから言ってください」という。そこではたと思い当たった。この喫茶店は、コーヒーマニアのための喫茶店だったのだ。コーヒー好きのマニアには、砂糖を足してコーヒーを飲むなどということは、許し難い侮辱なのだろう。

 そこで、私はしぶしぶコーヒーを口に運んだ。おいしいならしかたないと思ったのだが、一口含んで、びっくりした。苦いのだ。とても飲めたものじゃない。コーヒー通は、こんな苦い飲み物を通ぶって飲んでいるのだろうか。苦虫をかみつぶしたような顔で私はやはり砂糖がないと飲めないと言うと、店主はしょうもないやつだと言わんばかりに砂糖壺を店の奥から取り出して持ってきた。なんという喫茶店だろう。コーヒーマニア以外は店に来るなと言わんばかりの態度に、さすがの私も切れた。でも、紳士の私(?)はそんなことをおくびにも出さない。コーヒーカップをひっくり返して店を出たいと思ったが、600円とせっかくの休息に選んだ時間がもったいない。でも、結局休息にはならず、気持ちはストレスを抱えたまま、そそくさと店を出た。

 コーヒーマニアの店があってもいい。でもマニア以外は歓迎しないのなら、店の表にそういう言葉を書いておいて欲しい。コーヒーマニア以外はお断りと。あの店にはもう二度と行かないと固い決心をして帰った。でも、次回あのあたりをうろうろしているときにあの店を見つけたとき、このときのことを思い出すだろうか。意外と忘れていて、店に入ってしまう懲りない私なのだ。

近江富士に登る

2012-03-25 | 花と自然
琵琶湖の東南を新幹線で通るとき、窓外に見事な三角形を見せる山が見える。高さはたいしたことがないけれどもその形の良さは人々の目を奪うに十分だ。その思いは大昔の人も同じだったようで、この山、三上山は、近江富士とも言われ、麓にある三上神社のご神体そのものでもある。俵の藤太の大ムカデ退治の伝説でも有名な山である。きっとムカデも多かったのだろう。



 前回の雪野山に続いて、琵琶湖の周辺に孤立する山に登ることにして、三上山を選んだ。標高は432mと雪野山よりは高いが、それでもたいしたことはない。歩行時間もガイドブックによると2時間半くらい。のんびりと歩けそうだ。東海道線の野洲駅からバスに乗らず歩く。車の通行が多いので、あまり楽しくのんびり歩くという風情ではない。30分くらいで、三上神社に着く。本殿は国宝だというので、参拝した。たしかに小ぶりだが、その造りは風格がある。あまり大きな神社ではないが、山門、参拝殿、本殿の三つがすばらしい。



 その脇から登山道が頂上に向かって伸びている。途中の妙見堂跡まで、ずっと石の階段が続く。しかも傾斜はかなり強い。432mの頂上まで、ほぼまっすぐに上るため、階段が急に感じられる。道の両側にはいたるところでイノシシが餌を漁った跡が見られる。今日は寒くて動物の気配はいっさいしないが、イノシシはここでも増えているのだろう。先日の雪野山でもイノシシの食べ跡は至る処で見つかった。

 階段が尽きたところからは、大きな岩が続く山道になる。女坂(裏登山道)への道もあちこちで分岐しているが、せっかくだから昔の人が上った表参道を外さないように、直登する。途中からは手すりもあり、鎖もあるとガイドブックに書かれていたが、鎖は無くなり、最近作られて立派な鉄のてすりが続いている。一枚岩があちこちにあり、岩の上には登りやすいようにステップが刻まれている。これがなければちょっと登るのは難しい。両手を使い三点登行をときどき思い出しながら登る。頂上直下で、広い岩の上に立ち、琵琶湖や周辺の町の展望が広がる。春霞で比叡の山並みは霞んでいる。駅から頂上まで、登りは傾斜がきつかったが、所要時間はわずか1時間。あっという間に頂上に来た。もう彼岸を過ぎたが、この山も花がないのが、残念だ。

 頂上からは、急な階段を転がりそうになりながら下り、緑花公園に着く。ここから野洲駅までバスに乗るが、バス停が分からない。近くのピザカフェでピザを薪で焼いている店員さんにバス停を教えてもらい、まもなく来た午後最初のバスに飛び乗った。バスに乗ったとたん、雨が降り出し、京都の自宅に帰ったときは、雪になった。彼岸過ぎてこの寒さは異常だ。三上山は、登りガイがあったが、ちょっと楽しみが少ない。もう少し歩けるところを次回は歩いてみよう。

山歩きとコンサート

2012-03-13 | 日記風
雪とはおよそ関係のないと思われる「雪野山」に登ってきた。といっても、わずか309mの丘のようなところ。滋賀県の琵琶湖の南にある小さな山だ。往復の乗り物に乗っている時間の方が圧倒的に多い。それでも引っ越しを二つもして、永らく山歩きをしていなかったから、楽しく歩けた。寒い日だったからか、休みというのに誰にも会わなかった。あちこちにベンチが置いてあって、季候の良い日には、お弁当を持ってハイキングをするには絶好の場所のようだ。麓にあるのは古刹の雪野山龍王寺。喘息封じの寺として有名で、全国から喘息に悩む人たちがぜんそく封じのご祈祷のある旧暦の8月15日には大勢集まってくると言う。

 3月11日の夕方は、東日本大震災から1年目のチャリティコンサートに出かけた。最近お知り合いになった歌手の人が仲間たちとちょっとしたコンサートを無料で開き、カンパを被災地を支援している人たちに贈るというコンサートだった。1時間半、ジャズから童謡、ニューミュージックまで、幅広いジャンルを唄い、演奏した。小さな会場は立ち見が出るほどの盛況ぶり。みんな3.11になにかしたい、せめてチャリティにでも行って、自分なりに貢献したいという気持ちがあるのだと思う。私も同じだ。なかなか行動に移せない自分を悔しく思うから、せめてチャリティには参加したい。

 お知り合いの歌手の人は、ちょっと風邪気味と言っていたが、それでも張りのある美しい声で、私がリクエストした海の歌や「ふるさと」を歌ってくれた。彼女は調子のよくない様子だったが、せいいっぱい歌っているのがよくわかる。参加者も予想以上に来てくれたので、よけいに張り切ったのだろう。ありがとう。私はカンパを張り込んだ(といっても、ほんのわずかだが)。

 一年目の3.11はそうして過ぎていった。来年の3.11は、どこでどうしているだろう。一年前には思いも寄らない人たちと絆を結び、思いも寄らないところで、生活している。年を取ってきたが、まだまだ人生には楽しいことがありそうだ。でも、哀しいこともいっぱいありそうだ。人生は結局、プラスとマイナスが最後にはバランスを取るんだろう。いつ人生を終わるか、それが選べないから、難しいのかもしれない。

若者よ。ハシモトに騙されるな。

2012-03-07 | 政治
大阪府知事を途中で辞めて、大阪市長になったハシモト某の作る維新の会が、選挙では破竹の勢いのようで、ハシモトの鼻息は荒い。でも、彼の言っていることは、これまで営々と築いてきた民主主義を無視するようなことばかりである。なぜだろうか。それは、彼が歴史を勉強しないで、自分の思ったことだけで判断するからである。言うことも、その場しのぎというか、受けを狙ったようなことばかりである。

 不思議なのは、彼のような不勉強で一方的な主張を良しとして受け入れる多くの大衆がいるということである。彼のやり方は、ほぼ10年前に見たことがある。コイズミ首相のやり方とそっくりだ。敵を作り、民衆の憎しみを煽り、自分の主張は単純にしゃべり、詳しく説明しない。簡単なフレーズで、敵をののしる。おそらくハシモトは、意識していないのかもしれないが、コイズミがとった戦略とそっくりだ。改革という言葉だけが、声高に叫ばれる。どう改革するか、どういう変化が起こるかは、詳しく言わないし、言えない。

 そして結果はどうなったか。コイズミ改革によって、日本は極端な格差社会になった。1%が99%を支配する社会になった。コイズミは痛みは甘受せよ、そうすればもっと言い社会になると、騙した。それに簡単に騙された大勢が居た。そして同じ現象がおこっている。ハシモトの改革で、いったい何がよくなるのか。誰もよくなる内容など知らない。それにもかかわらず、ハシモトの言動を喜ぶ大衆がいる。本当に不思議だ。

 あちこちの自治体で、暴走する首長が続出している。選挙で勝てば、1票でも多く取れば、それは民意が自分の側にあるとみなして、何をやっても良いと思う首長がぞろぞろ出てきた。カワムラという名古屋市長は、こともあろうに友好都市の南京市の友好使節団に自分の歴史認識の馬鹿さを披露した。市長になったら何をしても良いと思う輩はほかにもある。阿久根市長も有名だが、今日のニュースでは、東大阪市長がすでに入札の済んでいた下水道事業の事業者に異を唱え、市長の独断で事業を中止してしまった。独裁が許されると思うレベルの低い人間が首長に選ばれることが多くなったのだろう。もちろん、それは首長になる人のレベルの低下もあるが、それを選ぶ大衆のレベルの低下は、もはや目を覆わんばかりだ。

 東京都のイシハラ都知事など、とても知識人とは思えないレベルの低い人間が、3回も都知事に選ばれている。本当に都民のレベルが疑われる。大阪も同じだ。いよいよこうして日本が沈没していく。独裁者がいかに民衆の生活を奪い、苦しめるかは、歴史が教えている。日本人はもっと歴史を学ぶ必要がある。民衆の立場から見た歴史を。ハシモトは独裁者から見た歴史の復活を望んでいる。独裁を行うためには、反対する者はすべてクビにできる体制を作らねばならない。その手始めが大阪市や大阪府の職員基本条例や教育基本条例である。

 若者たちがハシモトの改革に踊っているとか。ハシモトの改革によって、もっとも被害を受けそうな若者たちが、それをはやし立てる。コイズミ改革でもっとも被害を受けた家庭の主婦がコイズミをはやし立てたのと、まったく同じ構図がある。若者よ。おまえたちこそ、ハシモト改革の生け贄になる運命だ。一時も早く気がついて欲しい。

懐かしいお雛さまを飾る

2012-03-02 | 日記風
3月に入って、暖かくなってきた。奈良東大寺二月堂のお水取りの行事も始まった。修二会の行事が終わると、ようやく春が体に感じられるようになるというのが、子供の頃からニュースを聞いて感じていたことだった。それと比べても、春が早くなったとは思えない。気温を比べれば、きっと今の方が早く暖かくなっているはずなのだが、冬のしっかりした暖房に体が慣れているせいか、いつまでも寒く感じる。

 明日は、雛祭り。我が家のお雛様は7段飾りのそれなりに豪華なものだ。二人の娘のために、若い頃かなり無理して買った覚えがある。もっともデパートで、規格外れの安い出物があったので、なんとか買えたのだが。それも娘が二人とも自立して家を出てから、もう長いこと箱の中で眠ってしまっている。先日、引っ越しをしたときに、箱のほこりを払ったことから、お雛様のことを思い出した。引っ越した先で、なんとか段ボールの山をかたづけて、そうだ今年はお雛様を飾ろうと思い立った。しかし、7段飾りを広げる空間は、まだ十分確保できそうもない。飾ると生活空間がなくなりそうだった。思案したあげく、今年はお内裏様とおひな様二人だけにお出ましいただくこととした。二人だけなら、なんとか出窓に飾ることができ、生活空間に犠牲をしいることなく飾れる。

 というわけで、いま我が家にはお内裏様とお雛様のお二人が、居間の出窓から私たちの食事を眺めている。長い間見なかったお二人の顔は、いまさらながら美しい。もっと早くこうしてあげたらよかったと後悔している。もっとも三人官女や五人囃子、右大臣に左大臣、靴持ちたちは、今年も箱の中で眠り込んでいるばかりだ。ちょっと可哀想だが、来年は、三人官女に出窓に出ていただこう。



 かつて7段飾りを飾っていた頃、いつも雛人形に身分の差が露骨であることに、違和感を持っていた。雛人形のできた時代は、江戸のいわゆる封建時代であるから、この身分差は当然だったのだろうが、民主主義を信奉する今の時代には、やはり違和感が大きい。ときどき内裏様と靴持ちを入れ替えてみたりして、家族に怒られていたが、なんとなくこの身分による差別を飾るのは、居心地の悪さを背中に感じていたものだった。

 それでも雛人形を飾り、ぼんぼりを置き、桃の花を生けると、春の足音がすぐそこに来ていることを感じることができるような気がする。今年の春は少し遅いようだ。桜も4月にならないと見られないようだ。早く満開の桜を見たいと思うのは、毎年のことながら、とくに今年は強く思う。昨年の桜の時期に、桜を見る余裕がなかったからなのだろうか。京都の桜は、さまざまな縁を結ばせる。春はもうすぐだ。