ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

ミンダナオの海から(2)

2005-12-30 | 南の海
ミンダナオの小さな町マリタには、市場が一ヶ所、食堂が数カ所、小さな大学が一つ、他には見るべきものもあまりない。それでも人の数は多い。通りには人が群がっている。ところどころ日本風なもしくは中国風の装飾を持った古い木造の家がある。先の戦争が終わってもう60年が過ぎるというのに、これらの建物は敗戦前のころの日本人が作った家だという。それら古ぼけた家も周りの粗末な家の中にあればそれほどの遜色はない。

 ダバオ湾に面した砂浜が南北に続いており、砂浜に面した海岸には、ニッパ椰子の葉で屋根を葺いた粗末な家が並んでいる。海岸にあるのはほとんどが漁師の家だ。船は板を貼り合わせて作った細長いもので、小さいものでは人が座ると左右に余裕はない。前後に二人のってそれぞれが櫂を使って船をこぐ。特徴的なのはカタマラン方式で船の左右に安定させるための長い棒を伸ばしていることである。大きい船はエンジンを持っているが、普通の漁師は手こぎの船で沖に出て釣り糸を垂らして一日魚を釣っている。子供も女も漁を手伝う。

 海岸にはダバオ湾の向こう、太平洋から直接押し寄せる波が打ち寄せており、12月は波が高い。寄せては返す大波がザザーッ ドドーン と大きな音をひっきりなしに立てている。そのために、海の水は砂を巻き上げて濁り、透明度が低い。熱帯の海という言葉から受ける印象とは異なっている。また、海岸の砂は砂岩や花崗岩からなり、椰子の葉陰と白い砂という熱帯の海の印象ではない。それというのも、この海岸ではサンゴ礁の発達が悪い。海岸に沿ってわずかにサンゴのリーフがあるが、それも塊状のサンゴがほとんど、美しいミドリイシ類の鹿角状のサンゴはまったく見られない。それでも海岸には背の高い椰子の木が連なっており、南国の風景ではある。(続)

負のスパイラル

2005-12-27 | 政治
次々と子供たちが犠牲になる事件が続いている。そして大人たちは子供の安全を守るために、監視社会を作り警察力を頼みにする。子供たちにはICを持たせ、いつでも居場所を監視していなければ安心できない。そのうち、子供にICチップを埋め込む親も出てくるかもしれない。そのような反応が、世の中をますます生きにくくし、あのような犯罪を生んでいるのに気がつかないのだろうか。

 私とほぼ同じ世代で、あの東大闘争を戦った島泰三氏の「安田講堂 1968-1969(中公新書)」という本が最近出版された。その中に次のような一文がある。「子供たちは大人が思うよりもずっと早くに、自分の心を鎧いはじめる。そうして、未来にも光が保証されないことを知るのである。東大に牢獄を感じた青年たちは、その公的な教育課程の始まりのときから心に傷を受けた者たちだったと言える」。教育課程で心に傷を負った者は、あのときに、日本の官僚社会を背負うはずだった東大生の肩書きを捨てて、命をかけて権力に蟷螂の斧を振りかざした。

 今、幼い子供たちを襲っているのは、おそらく今の時代の教育の被害者たちなのだろう。受験勉強に勝ち抜いて勝利者だと考えられていた東大生たちの中に、子供の頃教師に傷つけられた心を癒されぬまま闘争に身を任せた者たちがいた。いまの時代、権力への拒否反応を示すことさえも忘れた若者たちが、自分よりも弱い子供たちに襲いかかる。「教師たちは誰も、若者が自分の心を発展させるやり方を示し、教えることができず、自分の心のいちばん大切な部分の守り方を教えるどころか、傷つけるだけだからである」。

 この負のスパイラル現象は、まさに日本の教育がここまで腐ってきていることに由来する。そして腐らせたのは、歴代自民党政府のとってきた教育政策であることは明白である。そしてそれがわからない政治家たちは、教育基本法を変えて教育を改革しようとしている。それは、日本の腐りきった教育に最後のとどめを刺すことになるだろう。

ミンダナオの海から(1)

2005-12-26 | 南の海
しばらく出かけてきた南の海を紹介しよう。

 ミンダナオ島は、フィリピン諸島のもっとも南に位置する大きい島である。ミンダナオの首府は、ダバオ市。敗戦前にフィリピンで日本人が最も多く住んでいた町である。ダバオ市周辺は、鶴見良行さんの「バナナと日本人」という本で、有名である。この本が書かれたのは、1982年であるから、もう25年近く前の事が書かれている。あれから、フィリピンは「民衆革命(黄色い花の革命)」があり、独裁者マルコスはアメリカに逃亡した。しかし、今でも「バナナと日本人」に書かれている事情はあまり変わらない。つまり、ダバオ周辺の土地は、ほんのわずかのアメリカもしくはマニラの大資本家に占有されており、そこに住む人々は、きわめて低い賃金でこの大農園でバナナなどの果実栽培に携わって生きるか、それとも土地も仕事もなく貧困下で暮らすしかない。

 ダバオはダバオ湾という大きい湾に面している。私達が行ったところは、このダバオ市から南にダバオ湾に沿って車で3時間ほどのところ、マリタという名前の小さな町だ。ダバオ市は大都市だが、マリタは本当に小さな町で、外国から人が訪ねてくることも滅多にない。ホテルに類する宿泊施設もない。私達はその町の南に隣接する村に最近できたばかりの、リゾートホテルに宿泊した。

 リゾートホテルといっても、沖縄のなんとかビーチを囲い込んだようなリゾートホテルを想像してはいけない。このホテルも外観は立派だ。椰子の立ち並ぶビーチに二つの長い桟橋を持ち、その先端には食事のできるテーブルがいくつか並び、桟橋の先端には海水浴用の飛び込み台が設置されている。桟橋の手前に宿泊室がいくつか並び、部屋の下にはビーチに打ち寄せる波が砕ける。

 これだけ書いたら、豪華なリゾートホテルを思い浮かべてしまうのはしかたない。しかし、部屋のシャワーは水しかでないし、シンクの蛇口は壊れて水がでない。トイレには便座がないので、用は中腰でするしかない。小用は男は問題ないが、女性は困る。しかし、大は男も大変だ。私は長く座っている方なので、これは困った。蛇口は不良品だったので文句を言ったが、トイレはこちらの生活様式なので、文句の言いようがない。一体こちらの人たちは、どうやってトイレをしているのか、未だに謎である。滅多に聞くこともはばかる。トイレットペーパーもない。こちらではどうやら水を使って洗うらしい。バケツに水を入れておいてある。タイも同じようなやり方だから、それは驚かなかった。(続)


小さな政府の行先

2005-12-07 | 政治
一級建築士が設計に嘘を書いたという話題が、メディアをにぎわしている。嘘の設計をする人はもちろん悪いに違いないが、それよりもそれを見逃して建築許可を与えたシステムにも大きな問題がありそうだ。

 聞くところによると、規制緩和とかでそれまでの検査機構を「官」から「民」へ移したとか。小泉さんの喜びそうな話だ(いや小泉改革の一環なのか?)。しかし、検査をするのが民間の会社で、しかもたくさんある会社だとすると、検査はなるべく厳しくない方が、顧客は喜ぶ。資本主義競争社会だから、安全や安心よりも金儲けを優先する。これは当然だろう。小泉改革の失敗の一例がこれだ。

 小泉さんはそれでも「官」から「民」へというスローガンを叫ぶのだろうか。民営化がもたらしたひずみは、JR西日本の大事故、JRの事故や運行中止の多発など、本格化しつつある。これから郵政にひずみが出てくるだろう。その次は、医療や福祉施設での事故の多発。「小さい政府」の必然的な方向だ。

 できれば「大きな政府。小さな軍隊」が理想だ。自衛隊を縮小し、民営化できるところは民営化してはどうか。イラク支援などは、自衛隊が行くと国家財政を圧迫するほどのお金がかかる。民間に任せれば、お金はわずかですむ。

 明日から、南の方へ出かける。2週間ほどブログを書くことができない。その間は、皆さんからのコメントを期待して、出かけよう。

不幸続きは何故?

2005-12-05 | 日記風
大学時代の恩師が癌にかかって危ないという知らせを受けた。今年は、就職先の上司だった先生も、夏に二人亡くなっている。今年は一体どういう年回りなんだろうか。同窓生も15人のうち、3人までが癌と闘っているという。

 私がそれだけ年取っただけだとも言えるかもしれない。しかし、今年はそのようなことがあまりに多すぎる。たまたまそうだったのかもしれない。そうであればいいと思う。なぜなら、来年は良いことが起こるかもしれないと思えるから。しかし、どうもそうではないような気がする。やはり世の中になにか異変が起こりつつあるのじゃないか。そういう気がする。

 今年いちばんの異変は、選挙での小泉の大勝ちではないか。これももっと大きい異変の序奏のようだが。底が抜け始めた日本の国。メルトダウンが起こり始めた日本。中流から下層階級へと落とされた大多数の日本人。その人たちが、戦争をしたがる政治家を支持する。抑圧された気持ちを解放させるために、戦争を期待し、支持し、そして戦争で不幸を背負い込む。第一次大戦で敗戦したドイツが、もう一度第二次大戦を起こしたように、先の大戦で広島長崎をはじめ全土を灰燼に帰せしめた日本は、もう一度徹底的に灰燼に帰するまで、目が覚めないのかもしれない。

 恩師の不幸を聞いて、あらぬ方にまで気持ちが動揺している。来週は、南国へ旅するというのに、後ろ髪を引かれる思いだ。折から、今日は雪。