ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

年の終わりに温泉

2008-12-31 | 日記風
年末も押し詰まって、温泉に行こうと南紀白浜へ出かけた。寒さに凍える京都を出発して、2時間半。白浜は暖かい。吹く風もなんとなく南の国という感じがして心地よい。雨の予報もはずれてくれて、日射しも出ていた。千畳敷の景勝を見て、千畳の湯の温泉に入る。薄い硫黄泉で内湯と露天風呂がある。露天風呂からも内湯からも、沈む夕陽が正面に見えて美しい。

 風呂上がりの身体を風にさらしながら宿まで帰る。もう12月も終わりに近いというのに、いろんな花が咲いている。驚いたのは、熱帯の花のブーゲンビリアが路地でいっぱいの花を付けていること。さらにペルシャアサガオがまだ咲いている。藪ではセンニンソウがまだ白い花を付けている。そして、一輪、ササユリが咲いていた。三段壁の近くのアロエ公園では、アロエの花がいま盛りと咲き誇っている。



 翌日、白浜町でもっとも高いところの展望台から田辺湾を望む。いかにも暖かい南国の海の様子が窺える。紀州博物館で南方熊楠の伝記アニメを見せてもらい、熊楠の生涯に思いを寄せた。菌類の研究に生涯を傾けた熱情がこの地で育まれた。



 京都に帰り着いたとたん、寒さに震え上がった。同じ近畿地方でも京都と南紀ではこんなに違いがあることが実感できた。海のある暖かさも、ありがたい。一足早く正月気分を味わった二日間だった。みなさん、良いお正月をお迎え下さい。

爆撃下からの知らせが届いている

2008-12-28 | 正義と平等
イスラエルからの空爆におびえるパレスチナのガザ地区から、アズ=アズワル大学のワーヘド教授からメールが送られてきています。重慶・ゲルニカ・ドレスデン・東京、そして、ヒロシマ・ナガサキ。同じことがいまガザで起こっている。

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今宵、ガザの誰もが恐怖におびえている。完全な暗闇。子どもたちは恐怖から泣いている。死者は206人。遺体はシファー病院の床の上に横たえられている。負傷者は575名をうわまわるが、同病院の設備は貧弱だ。病院事務局は市民に輸血を要請している。教員組合は虐殺に抗議し3日間のストライキを決定。イスラエルの機体がガザ市東部を爆撃、大勢の人々が死傷した。犠牲者の数は増え続けている。瓦礫の下敷きになっている人々もいる。一人の女性は二人の幼い娘と一人の息子を亡くした。彼らは通学途中だった!

11:00pm。イスラエルのF16型戦闘機による、複数回にわたる新たな爆撃。ガザでは3つのテレビ局を視聴できるが、これは電力をなんとか確保できた場合の話だ。空爆はガザ市東部に集中。ある女性は10人の家族を失った。生き残ったのは彼女と娘一人だけだ。娘はメディアに向かって、何も語ることができなかった。何が起こったのか見当がつかない、と彼女は言う。町のいたるところでパニックが起きている。最悪の事態が起こるのではないかとみな、恐れている。エジプト、ヨルダン、レバノンで、この残虐な空爆に対するデモが行われた。死者数は、219以上にのぼる。225という説もある。(アブデルワーヘド、ガザ)


今晩、爆破のせいで窓ガラスが砕け散った家庭にとっては冷たい夜だ。ガザの封鎖のため、窓ガラスが割れても、新たなガラスは手に入らない。私が居住するビルでは、7つのアパートが、凍てつく夜をいく晩もそうした状態で過ごしている。彼らは割れた窓をなんとか毛布で覆っている。何百軒もの家々が同じ境遇に置かれているのだ!私に言えることはそれくらいだ。他方、ハニーエ氏は地元テレビでハマースについて話をした。彼の話は、士気を高め、ハマースは屈服しないということを再確認するものだった。死者の数は210に、重傷を負った者もも200人に達した。今また、ガザの北部で新たな爆撃が!(アブデルワーヘド、ガザ)


今、10分のあいだに5回の空爆。標的は人口密集地域の協会や社会活動グループ。モスクもひとつやられた。もう30時間、電気が来ない。なんとか小さな発電機でこらえている。インターネットで世界に発信するためだ。


不正義と不平等に泣く

2008-12-28 | 正義と平等
寒さが身に沁む頃になって、企業の都合の良いときだけいい顔をされ、都合が悪くなるといとも簡単に職場を放り出され、家を追い出された派遣労働者たち。この年末を暗澹とした気持ちで過ごさざるを得ないその家族たち。日本の格差社会も不況になってその牙をむき始めた。昨年2兆円を超える黒字を出したトヨタは、今年は2000億円の赤字だとかで、派遣切りをおおっぴらに始めた。経団連の会長をだすキャノンもなりふり構わず派遣切りをやっている。日本の企業の社会的無責任が、いまその全貌を現し始めた。

 トヨタはこれまでの黒字をいったい誰のために使ったのか?どこへ貯め込んでいるのか?おそらく平均所得が数億円というアメリカのビッグスリーのCOEと同じように、トヨタはそれ以上に重役たちで億単位の所得を分け合ったのだろう。不況を理由に派遣切りだけでなく正社員までも解雇しかねない。しかし、重役たちの所得は一銭も減りはしない。

 辛くて暗い年末年始は、パレスチナの人々にとっては、もっと地獄の様相を呈している。とくにイスラエルへの徹底抗戦を唱えるハマスの政権を選挙で支持したというそれだけのことで、ガザ地区の人々は地獄の苦しみのただ中にいる。ガザ地区からは一歩も出られない、外からも一人も入れない。電気は止まり、燃料はなく、蝋燭をともす事さえもできない。病院は破壊され、食糧はなくなり、国連や外国からの食糧援助や医療援助さえもイスラエル兵によって阻止されている。子どもたちはイスラエルの空から陸からの攻撃で直接殺され、負傷し、治療もできない。学校は破壊され、食べるものもない。寒さをしのぐ暖房用の燃料もない。

 ガザ地区などパレスチナの窮状を、哀愁をたたえたウードの音色とともにYouTubeの画像で見ることができる。見て、何とかしないといけないと思ったら、このメッセージを転送して広めて下さい。
http://uk.youtube.com/watch?v=DSzn7XLLM7c&eurl=&feature=player_embedded

 そして、このイスラエルの非人道的な行いをやめさせるために、私たちにできることをしたいと思う。それは、イスラエルの行いを支持している、スターバックス、マクドナルド、インテル、コカコーラ、ネッスル、マイクロソフトなどの商品をボイコットすることである。これなら今日からでも私たちにできることだ。私はそのほとんどの商品をすでに買わないようにしている。インテルとマイクロソフトの商品は残念ながら買ってしまったし、これからも買わないようにすることは難しい。しかし、なるべくワードを使わずに一太郎を使うとかならできる。これも多くの人がそうしないとなかなか貫徹することは難しい。皆さんのご協力をお願いしたい。このイスラエル支援商品のボイコット運動については、http://www.inminds.co.uk/boycott-mcdonalds.html をご覧下さい。

 最後に、このイスラエルの蛮行を支持し続けるブッシュ大統領にみんなで靴を投げつけましょう。楽しい「ブッシュに靴を」ゲームでよいお年をお迎えください。http://www.sockandawe.com/ 
  

泥棒が盗人を見張る

2008-12-26 | ちょっと一言
京の都に初雪が降った。湿った雪が午前中ときどき激しく降って地面をうっすらと白く覆ったが、午後には溶けて流れてしまった。それでも東山は白妙の衣を被り、大文字が浮きだって見える。北の国とは異なったそれぞれの冬の景色があって、好ましい。

鹿児島県警が言語道断のフレームアップ捜査をして、無実の人たちを罪に陥れようとした志布志事件の後、捜査が適正に行われているかを監視する「取り調べ監督官」制度が始まっている。しかし、警察が警察を監督するというこの制度では、警察の不正は無くなるはずがない。もっとも身内に甘いと言われる警察であることは、高知県の白バイ事故事件のやり方を見れば一目瞭然だ。仲間の罪を他人になすりつけるためなら、証拠のねつ造まで警察官はやってのける。

 「取り調べ監察官制度」が始まって半年、いったいどの程度取り調べをきちんと監督しているのかを調べようとした南日本新聞社の公開請求にたいして、鹿児島県警は「全面不開示」を通告した。その理由は、監察の回数を公開しただけでも捜査に障害になる、という不思議な論理だ。警察というところは、捜査に障害になると考えるだけで、あらゆる人権や正義を無視しても良いと思っているらしい。そうではないだろう。捜査に障害があっても、刑事たちはがんばって捜査に励むべきなのだ。なぜなら、人権や正義を実現するための捜査なのだから、その捜査のために人権や正義を無視したら、警察の存在意義など無くなってしまう。その自己矛盾に彼らは気づいていない。いや、そもそも彼らは人権や正義を実現するために捜査をやっているという自覚がないのだろう。自分たちの給料を確保すること、組織を守ること、住民に威張ること、そんなことが目的なのだろう。

 鹿児島県警によると監察官制度の試行以来、問題行為は1件も認知していないとしている。しかし、監察官は本当に取り調べをきちんと監察しているのだろうか。県警によると監察官が取り調べを直接目視しなくても捜査関係書類を確認するだけでも監督行為と認められているという。それで警察官の不正が果たして見破られるのだろうか。この不開示の本当の理由は、捜査に支障を来すということではなく、監察なんてやっていないことがばれることが怖くて開示できないのだろう。志布志事件の本当の原因を解明しなかったし、ましてやその再発を防止することなどできるはずもない。「懲りない警察」を根本から一度壊さなければ、民主警察は帰ってこない。北海道警察に始まる裏金問題にもついに一人も責任を取らない警察の体質。ばれたら全員で隠す。証拠をねつ造してまで隠そうとする。このような警察では、たとえ開示されてもその文書がねつ造でないと信じることさえできない。そのような警察が捜査を行い、逮捕し、検察も裁判所もそれを追認する。99.9%という世界でも信じられない高率の有罪率がそれを如実に物語っている。そんな警察、検察、司法の闇の結びつきに改革の刃を入れさせないためにこそ、裁判員制度という目くらましを始めるのだ。

第三者による警察の監視制度を作らない限り、警察はけっして市民を守らない。市民を敵視する。

 

比叡山を独り占め

2008-12-20 | 花と自然
しばらく歩いていないので、体重は最高値安定を示し続けている。これではならじとようやく休みを取れたので、今日は近くの山を歩くことにした。東山三十六峰のうちの最高峰である比叡山を目指して登ろう。京都東山はほとんどがなだらかな山頂を持っているが、唯一三角形のピラミダルな山頂を示し、東山の北に偉容を示しているのが比叡山。天台宗の総本山延暦寺があることでも知られている。頂上には京都からも琵琶湖側からもケーブルカーとロープウエイがあり、観光客が詰めかけるところという印象を持っていたから、あまり登りたい山ではなかった。しかし、5万の地形図を眺めているうち、比叡山にも多くの登り口があり、下から登ればなかなかいいハイキングになりそうだと気がついたので、今日は下からゆっくりと登ってみようと思う。

 登りは修学院のそばを流れる音羽川沿いの道から始まった。音羽川は琵琶湖疎水より少し大きい程度の川だが、完全なコンクリート三面張りの川で、まったく川という感じはしない。排水溝の印象だ。そのわけは上り詰めてみてよく分かった。大きな看板には「河川改修のモデル地域」とある。河川事務所が総力を挙げていろんな工法を使ってまるでオリンピックのように川をコンクリートで固めたところらしい。こんな工事をやってまったく恥じたところがないのが信じられない。彼らの頭の構造はどうなっているんだろう。川を殺して、そのやり方を得意げに展示している。どうすれば自然を壊さずに治水ができるかと考えたことなどないのだろう。

 突き当たりで橋をわたり、登山道に入る。いきなりの急登が続く。北山と違ってここの岩質は花崗砂岩らしい。雨水がその岩を削って深さ1mほどの道ができている。その道に落ち葉がふかふかのベッドを作っている。あまり歩いた跡がない。この道は歩く人も少ないのだろうか。急な坂道を1時間ほども歩き、汗がシャツを濡らし始めた頃、ようやくやや平坦な道に出る。道の左側にはずっとコンクリートの柱とバラ線が張られていた。おかしいなと思っていたら、最上部の角に立ち入り禁止の立て札。どうやらこの内側は宮内庁の管轄らしい。ちょっと不満だが、ゴルフ場などに占領されているよりはまだましという感じ。内部はよく保護されている。



 歩き始めて1時間を過ぎる頃までは、広葉樹の林が続いている。杉の人工林が多い北山とちがって、ここはなかなか気持ちの良い登山道だ。と思っていたら、中腹を過ぎた頃、杉と檜の人工林がうっそうとして始まった。そういえば、比叡山という言葉から受ける印象は、やはり杉の大木が林立する薄暗い山のイメージがある。なにかの時代劇で見た印象がそのまま残っているのかもしれないが、やはりその印象が強い。でも中腹から上は、その印象が当たっている。下の方は急坂、上は薄暗い杉林。昔から比叡山の修行僧の千日回峰行は有名である。しかし、こんな急な坂や暗い杉の林の中を1000日もの間、毎日早足で歩き続けることを考えると、つくづくすごいなあと思ってしまう。



 家から遠くない近郊の低山と思って軽い気持ちで登り始めた比叡山だったが、登っているうちこれはバカにできないと思い始めた。麓の京都の町の標高が100mくらいなので、比叡山の頂上848mまで標高差は750mもある。これはちょっとした登山になりそうだ。

 標高500m前後の見晴台に到着。京都の町がよく見えるが、遠くは霞がかかっていて、まるで春のようだ。ここの近くにケーブルカーの比叡山駅があるはずだが、今日は人っ子一人いない。おかしいなと思っていたら、どうやらケーブルカーは冬の休業期間のようだ。道理で人がいない。そこからハイキングコースを通って比叡山の頂上駐車場まで歩く。そこから進入禁止の札を見ながら、頂上の大比叡(848m)を目指す。巨大なテレビの中継アンテナが2基建っているあたりが頂上のようだが、三角点が見つからない。さんざん探してやっと塚のようなところに一等三角点を見つけ出した。ここまでついに一人の人にも出会わなかった。比叡山独り占めだ。

 比叡山というのはいくつかの峰の集合を言う。もっとも高い峰が大比叡。そのすぐそばに四明岳がある。しかし、今はその周りは囲われて庭園になってしまい、入園するのには500円の入園料が必要で、しかも今は冬の休業期間になっている。というわけで、四明岳には足を踏み入れることができなかった。そこから比叡山の尾根伝いに北へ向かう。この尾根沿いには北比叡ハイウエイが走っており、尾根伝いの登山道のすぐそばを通っている。まったく景色が悪い。尾根から東には琵琶湖が見える。



 やがてハイウエイも離れていき、尾根沿いの道はなかなか良い道となってくる。尾根の東側は杉や檜の人工林が続くが、西側つまり京都側は、落葉広葉樹林が広がり、なかなか雰囲気の良い林が続く。急な登りが始まるとまもなく横高山(745m)に着く。そのまま休まずにいったんオオダワに下り、さらに一気に直登すると、水名山(796m)に到着。時間も昼を過ぎ、縦走路にはいると少しは登山者の姿をみるようになった。

 水名山を越えると、今度は再び杉林の中に入り、景色は見るべきものはなくなってしまう。あとはただひたすら足元を見ながら大原の里まで下るばかり。せめてもう少し登山道の周辺だけでも杉を切り払って欲しいものだ。そうすればどれだけ楽しい道になるかしれない。もっとも杉は金にするために植えているのだから、遊びに歩いている奴のことなんか知るかと言われそうだ。でも京都府の持ち林もあるのだから、もう少しハイカーのための環境にも気を遣って欲しいと思うのだが。



 今日は6時間歩いたが、あまり身体が重く感じなかった。しばらく歩いていなかったので疲れるかもしれないと思って心配していたが、どうやらまだまだ歩けそうだ。ただ、二日前の職場の忘年会でボーリングに行ったのが後を引いていて、太ももの上部が痛い。普段使わないところを使った性だ。なにしろボーリングなんて20年ぶりくらいなのだから。

サンナシ小屋に冬のぬくもり

2008-12-18 | 花と自然
久しぶりにサンナシ小屋で豊かな時間を過ごした。天気が良くて、ベランダにはお日さまの匂いが染みこんで、動きたくなくなるほどの幸せが満ちていた。いつもの通りにお昼のラーメンをストーブの上で煮込み、お餅を入れて食べた。遠くでオオワシが優雅に空を舞っていた。

 今年は暖かい日が続いたせいか、12月も中旬になってもまだ小屋の横を流れる小川が完全に凍り付いていない。そのおかげで、水道のないサンナシ小屋でも、水を調達できた。川が凍り付いて、しかも雪がないと水を調達できないサンナシ小屋では、その時期が一番困る。まもなく川は氷で閉ざされて、長い冬を過ごすことになる。雪はおそらくクリスマスの頃に降ってくるだろう。ホワイトクリスマスがこの地方の毎年の風景だ。

 しばらく北海道に来る機会はないだろうと、大勢で薪拾いに出かけた。いつも一人で薪を拾い、持って帰るのが重たくて、ほんのわずかしか用意できないが、今日は人数が多いので、あっという間に一週間分くらいの薪が揃った。米びつに米を入れた後のように、薪を運び込んだ後は、しばらく大丈夫だという気持ちになって、何故か嬉しい。

 サンナシ小屋のベランダで、お日さまをいっぱい浴びた後、京都に帰ってくると、この部屋の寒さが身にしみる。そして、北海道の広々として、野性味ある自然とくらべて、小さく狭苦しく、そして落ち着き払って片付いた京都の「自然」が淋しい。京は紅葉も終わり、周りの山も茶色の枯れ葉色になってきた。吐く息も白く、京都の冬もそろそろ本番らしい。

ブッシュに靴を

2008-12-15 | 政治
ブッシュ大統領が急遽イラクを訪れて、マリキ首相といっしょに記者会見に臨んだところ、イラク人の記者から靴を二回も投げつけられるという事態が起こったそうだ。靴を投げつけられたブッシュ大統領は、頭を下げて靴を避けることができたが、その直後に「靴のサイズは10インチだった」と冗談を言ったそうだ。だれも笑わなかったらしい。イラクの記者が靴を投げつけた行為には、イラクをこんな混乱に陥れたアメリカ軍の侵略行為に対する恨みがこもっていただろう。靴で頭をどついたぐらいでは、ブッシュへの憎しみは収まりそうもない。この記者は拘束されているらしいが、イラク国民からは英雄と賞賛されているという。

 ブッシュ大統領の冗談には、だれも笑わなかった。おそらく多くのイラク人ジャーナリストたちは、この冗談にイラク人への侮辱を感じたのではなかったか。心の中ではほとんどのイラク人記者が、靴を投げつけた記者と気持ちを同じくしていたはずだ。

 ブッシュはもうじき大統領を辞める。しかし、彼がウソ八百の理由でイラクを侵略したことは、いつまでも消えていかない。アメリカはこれまでも同じ事を何度も続けてきた。ベトナム戦争を始めるときは、トンキン湾事件を口実にした。これも実際はアメリカが作ったウソだったことがハッキリした。アフガニスタンに攻め込んだときは、9.11事件(同時テロ)を口実にした。これもおそらくまもなく壮大なウソであったことが明らかになるだろう。

 オバマ次期大統領はイラクからの撤退を言っている。彼の立場からしてこれはしかたないのだろう。しかし、アフガンでの対テロ戦争は徹底して続けると言っている。けっしてアメリカはその本質を変える(CHANGE)ことはできないようだ。オバマ大統領になれば、イスラエルは本格的にイラン攻撃を始める構えのようだ。オバマはユダヤ組織から資金と票を得ている以上、イスラエルを支持し続けるだろう。オバマが大統領になったといっても、アメリカはやはりアメリカ。その侵略性はそう簡単に終わりはしない。

地獄へ送りたい人々

2008-12-11 | 政治
久しぶりに道東へやってきた。驚いたことに昨日はぽかぽか陽気で、京都よりも暖かい。寒さを覚悟してきたので、暑く感じる。実際、汗まみれになった。もっとも昨日は日本中が季節外れの暖かさだったようだ。しかし、一転して今日は気温が急降下。午後からは雪が降り出した。路面はみるみる白くなり、風も出てきて吹雪き模様。ようやく道東らしくなってきた。

 雪のちらつく中で枯れ果てた野付の原生花園とトドワラをみていると、この世の果ての風景を見ているような、うら寂しくも哀しい心地がしてくる。それともこの世のものとも思えないといった方がいいのかもしれないが。

 そこから遠く、千年も遠く離れたような都会では、貧困と格差をここまで敷衍したコイズミ改革の推進者が集まって、社会福祉への国の支出を毎年2200億円減額するという施策を止めさせないために、集まった。わかりやすくいえば、貧困と格差はもっともっと国民に押しつけるべきだということだろう。集まった国会議員の面々は60名、中川秀直、塩崎某、アべシンゾー、小池百合子などなど。コイズミを担ぎ、コイズミに踊らされた人々だ。こいつらが今のどうしようもない日本とその社会を作ったのに、まだ足りないと見える。元凶のコイズミは顔を見せなかったようだが、だれもがコイズミの面をかぶりたがっているように見える。

 地獄の底から再び機会をうかがっているこやつら。こやつらに息を吹き返させてはならない。麻生スネオ首相は、一時も早く解散して、こやつらを封じ込める必要がある。そうしないと、麻生スネオ首相もこやつらに臑をかじられるゾーーー。

予想通りの展開

2008-12-10 | 政治
やっぱり思った通りになってきた。麻生ツネオ首相は、首相になったとたんに思ったような支持率をもらえなかったことから、怖じ気づいて解散するはずが解散できなかった。それでも就任直後ならまだ支持率もかなりあった。ご祝儀相場があったからだ。ところが少しでも長く首相の椅子にしがみつきたかった彼は、政局よりも政策などと言い訳しながら政権の延命を図った。

 政権は長くなればなるほど支持率は下がる。あんなに高い支持率を誇ったコイズミ政権でさえ、最後の頃はかなり支持率が下がった。漢字が読めない麻生ツネオ首相は、小沢ジャイアン党首にさえも人気で負けてしまった。人気だけの麻生ツネオだったから、人気がなくなれば用はなくなる。政策なんて口から出任せを言うだけで、結局官僚の作ったシナリオで動くことしかできない。だから自分のカラーを出そうとすると、統一的な論理なんか何にもない支離滅裂な政策を述べて、批判されるとあわてて言いつくろうばかり。こんな軽い漫画みたいな首相は初めてじゃないか。アベシンゾーのお坊ちゃま内閣と双璧だろう。あほさ加減は。

 どうやら年明けにも解散はさせてもらえなくなりそうだ。そして国会が行き詰まり、内閣不信任や問責決議案が出て、自民党から造反が出て、やぶれかぶれ解散総選挙になるのだろう。結局もっと早く解散しとけばよかったと悔しがるだろう。覆水盆に返らず。自民党はもう瓦解しかかっている。民主党からも自民党の片割れと一緒になろうとする馬鹿が出ないとも限らない。政界再編は現実になるだろう。そのときは、二大政党制は実質的に瓦解したことになる。麻生ツネオの後の小沢ジャイアン選挙管理内閣は衆議院の選挙制度を再び中選挙区に戻して、たくさんの新党で選挙をやって、もう一度ガラガラポンをやり直すべきだろう。

 憲法を守り、生活と平和を守る政党は、大同団結して政権を目指すときだ。

京都東山で最後の紅葉を楽しむ

2008-12-06 | 花と自然
急激に冷え込んで京都も最低気温が零度を下回ったようだ。いっせいに落ち葉が散り、職場の銀杏の木もほとんど葉を落としてしまった。昨日の大雨もおさまり、今朝は朝からさわやかな快晴の空だった。しばらく体調を崩していたせいで、今日も休息をとろうと自宅で朝からやり残した仕事にかかっていたが、あまりにきれいな青空なので、とうとう午後から出歩いてみようと思ったわけだ。

京都の北山は杉林ばかりであまり登る気がしないし、近くの山は低いし、と否定的に見ていたが、部屋から見える京都の東山は、麓の永観堂、清水寺、などなどモミジの名所があるだけではなく、山全体が燃えるような赤や黄色に彩られているのに驚いた。どうやら東山は杉山ではなく広葉樹林のようだ。そこで、午後からの散歩にはちょうど良いだろうと、東山の大文字山に登ってみることにした。

 登り口は銀閣寺の裏手から。このあたりも紅葉があちこちに見られる。銀閣寺の周辺は最後の紅葉を見ようという観光客でごった返している。みんな寒そうに厚手のコートやマフラーで防寒している。しかし、裏手の山道はかなり急だ。すぐに汗が出始める。30分も歩くと、急坂を上り詰めて大文字焼きの火床のある見晴台に到着する。

手前に大文字の火床。ここでいっせいにたき火をすると大文字が夜空に浮かび上がる仕掛け。

 ここからの眺めはすばらしい。京都の町は一望だ。麓の紅葉もみごとだ。しばらく写真を撮って、大文字の大の字の頭のところからさらに大文字山の頂上へ向けて登り始める。火床の展望台には観光客がいっぱいだったが、ここから先はほとんど人がいない。大文字山の頂上までに2-3組の登山客に出会っただけ。麓から見ていると全山が紅葉していて、落葉広葉樹林だろうと思ったが、登ってみると意外と多くの常緑樹が生えている。シイ、カシ、アセビなどの比較的低い木が多いので、下からは落葉樹ばかりに見えたのかもしれない。落葉広葉樹も頂上近くになるとほとんど落葉して、枝ばかりが空に伸びている。林の中が急に明るくなったようだ。常緑樹が弱くなった日射しを思いっきり浴びている。ようやく自分たちが日の目を見る季節が来たと喜んでいるみたいだ。これから春の木の芽が萌え始める時期までは、常緑樹の天下なのだろう。春から秋まで長い間落葉広葉樹の下で日陰生活をしてきた彼らの季節が来た。

 大文字山の頂上には3等三角点がある。ここでゆっくり景色を眺めようと思ったのだが、先に来ている一人の登山客がたばこを吸い始めた。山の上まで来て美味しい空気を吸っているときに、近くでたばこを吸われるくらい嫌なものはない。静かな山の中でラジオを大きな音でかけて周りに迷惑をかける人がいるのも、本当に嫌だ。私はほとんどの山で頂上にいるのは5分か10分くらいまでで、早々に立ち去ることが多いのは、実はこのたばこを吸う人が多いせいなのだ。

 頂上からまた来た道を帰ろうかなと思ったが、しばらく歩いていないので、少し東山を縦走してみようと思って南へ歩き、それから鹿ヶ谷への道をたどった。鹿ヶ谷に降りてきたあたりに俊の碑がひっそりと建っている。そういえば、鹿ヶ谷は後白河法皇と俊が反平家のクーデターを企てた場所として有名で、俊僧都の島流しの悲哀は歌舞伎でももっともファンの多い芝居の一つだ。碑には「俊僧都忠誠之碑」と一条家の公爵の筆で書かれているが、訪れる人もない山の中でひっそりと建っている。現代になっても俊の孤独は続いているのかもしれない。

モミジの絨毯

 しかし、その碑の近くの山道は驚くように美しい。モミジの落ち葉で埋め尽くされている。そのあたりのモミジはすべて散ってしまっているが、見上げると周りがほとんどすべてモミジの木ばかり。山道に厚くつもっている枯れ葉はすべて赤いタカオモミジの葉ばかり。もう一週間前ならきっと素晴らしい紅葉が見られただろう。しかもほとんど人が来ないところだ。永観堂や清水寺の紅葉もきれいかもしれないが、あの雑踏の中で見てなんて、私にはとてもできそうにない。その点、ここはほとんど人が来ないようだ。来年の紅葉は絶対にここで見たい。

麓の安楽寺の紅葉。着物姿の観光客が多い。

 鹿ヶ谷から降りて、麓の法然院を訪れ、バザーですばらしい香炉を見つけて買った。久しぶりの山歩きで体調も回復したようで、自宅に帰ってタイで買ってきた香を焚き込みながら、気持ちよくブログを書いている。それにしても、今年は紅葉をいやというほど見たなあ。