ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

御用学者は恥を知らない

2012-01-19 | 政治
停止している大飯原発のストレステストの結果を、経産省原子力安全・保安院は、安全性が確保されていると評価し、再稼働の道を開こうとしている。この審査書が妥当かどうかを専門家の意見を聞く聴取会が、住民の傍聴を拒否して行われた。もともと公開の席で行われるもので、これまでも公開されてきた。ところが、今回は、二人の委員が住民の傍聴を認めるよう主張したのを無視して、別の部屋に移動し、反対する二人の委員が欠席のまま、聴取会を開き、保安院の言うままに妥当だと認めてしまった。許せない。

 この世話役をしたのが、東大教授の岡本孝司。ご存じ、御用学者の有名人。電力会社関係から数百万円のお金を受け取っている人間だ。福島第一原発の事故の収束もおぼつかないし、その原因究明もまったく進んでいない今、なぜ大飯原発のストレステストを容認して、安全といえるのだろうか。そこには原子力ムラといわれる構造がまったく変わっていないことを垣間見せる。他にも二人の委員が巨額の金をもらっている。このような人間が例え専門家といえども公平な判断ができるのだろうか。枝野経産相は、急遽記者会見を開き、傍聴に来た市民をけしからんと非難した。そして別室で反対する二人の委員が欠席する中で、経産相は「不快な思いをさせて申し訳なかった」と謝罪した。謝罪する相手が違うのではないか。国策で原発を推進し、10万人もの原発難民を出し、日本国土を放射能汚染させたことに経産相はいったいきちんと国民に謝ったことがあるのだろうか。御用学者に謝ることなどない。ただちに、カネをもらっている電力会社御用学者をこの審査会から外すべきだ。

 岡本教授。お金をもらっていながらよくまあ恥ずかしくもなく、ストレステストの評価などできるなあ。ちっとは恥ずかしいという感情はないのだろうか。すぐにすべての政府関係の委員を辞任すべきだ。日本の美学は、「恥」を知ることだ。

 保安院の審査書では、大飯原発のストレステストで、すべての電源が失われても40日間は安定して原子炉を冷却できると書かれているそうだ。福島原発では、すべての交流電源が喪失した半日後には、メルトダウンがおこり、一日後にはメルトスルーが起こっていたと言われている。40日間、電源なしでどうやって冷却できるのか、説明して欲しい。福島の教訓をいったいどう考えているのだろうか。そんなに原発を稼働させて、金が欲しいのか。御用学者や、経団連や、御用政治家たち。

多田瑤子 若き美人弁護士

2012-01-12 | 読書
多田瑤子反権力人権賞という賞が有ることを知っている人は少ないかもしれない。私も賞の名前は知っていたが、多田瑤子という人がどういう人なのかは、よく知らなかった。知る機会が無かったと言うほうが正確だ。

 1986年の年賀状で、「私は、私の敵と闘い続けるわ-- と言い続けて、16年がたったような気がします。その間、私の敵は、何度も、見え隠れしましたが、敵は敵。 また、のんびりと、闘い続けたいと思います。」と書いて、その年の暮れ、肺炎のため29歳の若い命を終えた弁護士が、多田瑤子さんだった。権力の暴力と横暴に力一杯戦い続けた若くて明るい女性だったということを、多田瑤子著「私の敵が見えてきた」という本を読んで知ることが出来た。

 自宅の近くの恵文社という書店で、この本を見つけて買って帰った。発行は1988年だから、ずいぶん昔に出版された本だ。恵文社には、他の書店にはないものが置いてあることが多く、ファンは多い。他府県からもこの書店に来る客が多い。

 父親が京都大学の西洋文学の有名な教授だったことや、京都市左京区に住んでいたことなど、初めて知ることが多く、この恵文社でこの本が販売されていたことが、了解された。彼女はこのすぐ近くに住んでいたのだ。彼女は中学1年生の時にベトナム反戦を訴えるビラを学校に貼りだし、同志を募って反戦運動を始める。京都大学に進学し、新左翼運動の教祖的な存在だった竹本信弘(滝田修)京大助手の処分反対運動で学生自治会の会長を務める。そんな活動の中で、学生結婚をし、卒業後は司法試験に挑戦。2度の失敗ののち、弁護士となる。成田闘争で不当逮捕された学生や、東アジア反日武装戦線「さそり」の被告の弁護を担当し、寒い刑務所をしばしば訪問し、彼らを励まし続ける。

 そのような女性が私の住んでいるそばに住んでいたというのは、びっくりだった。もちろん彼女が住んでいた頃は、私は京都にはいなかったのだが。昨年、多田瑤子反権力人権賞を根津公子さんが受賞した。東京都の教員で、日の丸・君が代を拒否し続け、毎年処分を受けてきた。まさに彼女は、多田瑤子反権力人権賞を受賞するのにふさわしい人だと思う。東京都知事だけではなく、大阪府知事もファッショを推し進めようとしている今、この権力と戦い続ける人々への温かい心がなによりもうれしい。強きをくじき、弱きを助ける心が日本人から無くなりつつある。強い権力にすり寄るだけの東京都民や大阪府民市民には、ただただ情けない。久しぶりに本から勇気をもらったような気がした。

今年初めてのハイキング

2012-01-09 | 花と自然
今年の京都のお正月は、毎日のように雨が降る。午後になるとぽろぽろと雨が落ちてくる。京しぐれと言う人もある。京都の街中でも北へ行くほど、時雨れることが多いらしい。京都は盆地だが、距離的には日本海にかなり近い。山陰・北陸の冬の気候の影響をかなり受けるのだろう。晴れの日も一日くらいで、あとは曇った日が続く。京の時雨れ、とは言葉としては粋に思うが、実態はそうでもない。

 今年最初の山歩きは、近くで駅から歩けるところにしようとガイドブックを開いたら、京都府と大阪府の中間にある生駒山系の交野山が目についた。駅から歩いて駅まで歩く。バスに乗らなくて良いので、時間をあまり気にする必要がない。バスなら、一時間に一本あるかないかという不便なバスが多いからだ。北山方面だと一日午前に1-2本しかないという路線も多い。まずは駅から歩けるところにした。交野山は、生駒山地のもっとも北の国定公園内の府民の森にあり、交野山周辺のハイキングコースとしては、地元ではよく知られたところらしい。最高地点の交野山頂上でも、標高はたったの341mと、とても登山とは言えない。完全なハイキングコースである。ただ、予定コースを歩くと4時間半。年の初めに歩くにはちょうど良い距離かもしれない。

 私市駅から歩き始め、すぐに渓流沿いの道になる。月輪の滝から山道にはいるが、上り下りはそれほど多くない。ゆっくりと歩いてもコースタイムよりは早く歩けてしまうので、今日はゆっくりゆっくり歩こうと思った。ところが、府民の森管理事務所から四通八達しているハイキングコースに迷って、違う道に行ってしまった。広いゴルフ場に突き当たり、ウロウロしていて、ようやく道が違うことに気がついた。あらためて元の道に戻る。たくさんのハイキングコースのうち、さわわたりの道というコースを選び、歩き始めたが、すぐに失敗だったことに気がつく。途中の沢の小さな広場で工事をしており、底へ重機を入れるために、ハイキング道を重機でならして拡げており、まるで風景が無惨になっている。我慢をしながら歩いていくと、やがて広い管理道に合流し、八つ橋という湿地に着く。ここには湿地帯に落羽松(らくうしょう)という落葉性の松が生えており、その気根がにょきにょきと湿原から盛り上がっているのが珍しい。まるでマングローブのオヒルギの林のようである。



 そこから交野山の神社の赤い鳥居を目指して山道を登る。すぐに頂上の巨大な岩が目にはいる。頂上は巨岩が重なり合って、その上に立つと大阪から京都の町が一望に見える。遠く比叡山がかすんでいる。南には高野山や台高山地が連なって見える。低い山だが360度の展望だ。頂上の岩には梵字が刻まれているとガイドブックには書かれていたが、それらしい字は見つからない。そのかわり、漢字を彫り込んでいるのは、観光客のいたずらのようだ。岩は登山道と反対側が切り立っていて、どうやらロッククライミングの練習場になっているのか、残置ハーケンがたくさん打ってあるのがみえる。

 頂上から北に向けて下りる。急な階段が続く。こちらから登らないでよかった。いっきに下って、そこからゴルフ場まで林道を歩き、集落にでる。バスがないので、駅までぶどう園を周囲に見ながら駅まで延々と舗装道を歩く。道を間違ったこともあって、歩行時間は4時間45分だった。今月の週末はいろいろ忙しく、山歩きが出来ないかもしれない。でも今年は去年よりもっと山歩きをしてみたい。

年の終わりに京都西山を歩く

2012-01-02 | 花と自然
毎年年末には、忙しそうな家人をおいて、ちょっとした山に登る。今年は、ここのところあまり歩いていないこともあって、近くで4時間程度歩く山を選んだ。出かけたのは、京都と大阪の境目にある釈迦岳(631m)とポンポン山(679m)。京都から南にある東向日市にあるが、どうやらこのちょっとした山の連なりは、京都西山と言うらしい。京都は松の東山、杉の北山、竹の西山と言われているように、このあたりは山の麓はほとんど竹林に覆われている。それも最近広がりを見せている手入れの悪い竹林と違って、京都西山の竹林はタケノコの産地として有名なだけあって、手入れの行き届いた美しい竹林が続いている。

 竹林の間の狭い道を定期バスは、対向車を避けながらゆっくりゆっくり終点の吉峰寺に登っていく。終点で降りて登山道を歩き始めたのは私一人だった。吉峰寺の参道入り口からまずは吉峰寺に参拝しようと登り始めるが、この参道の急なこと。まるで崖を登っているような急斜面にコンクリート敷きの道が続く。途中で気を変えて、Uターン。吉峰寺を回って、西山ハイキングコースに入る。釈迦岳までの道は、やはり人工林が多く、あまり面白くもない。誰も歩いていない道を一人、黙々と歩く。体重が増えてきたことを実感する足の運びに、もっと歩かなくちゃいけないなと反省させられる。

 標高500mを越える頃、山道がうっすらと雪に覆われるようになった。周りの樹木にも雪が積もっている。釈迦岳の頂上近くなって、周りの林が人工林から明るい落葉広葉樹林に変わった。もちろんすでに落葉は終わっている。日が射し始めた林の中は、東山の常緑林とも北山の人工林ともちがって、落葉して明るい。京都市内よりも南にあるはずなのに、なぜここは落葉広葉樹が多いのだろうか。山道も落ち葉が積もって、足に心地よい。釈迦岳の頂上には、ベンチもあったが、雪が積もっていて、すわってお茶でも飲もうと思っていたが、立ったままでお茶にした。



 ここからポンポン山の頂上までは、落葉広葉樹林帯で、晴れた冬の山歩きには最高だろうと思うが、今日はちょっと晴れ間が少ない。ときどき日が射すが、やがて雪雲が空を覆い、ポンポン山の頂上近くなった頃から、本格的に粉雪になってきた。風も強くなり、尾根を歩くときは横殴りの雪となる。ポンポン山頂上では、とても休んでいることもできないので、早々に頂上を出発した。このあたりからは、東海自然歩道と合流するので、道標もしっかりしており、道も歩きやすい。人も増えてきた。

 ポンポン山という名前の由来は、山頂に近づくと足元がポンポンと音がするということから来ているとガイドブックには書いていた。しかし、気をつけて歩いたが、そんなところはなかったようだ。北海道の屈斜路湖の横に、おなじポンポン山という名前の山があるが、ここではたしかに岩の上を歩いたり跳ねたりすると、岩の中が空洞になっているのかポンポンと音がした。そこと同じようなところがあるかと期待したのだが、ここのポンポン山ではそんな音は聞こえてこなかった。もっといろんな場所を歩けばそう言うところもあるのかもしれないが、登山道を歩いている限り、そんなところはない。

 高槻市の方へどんどん下っていくと、やはり500m付近から下は杉や檜の人工林となり、歩いていてもあまり面白くない。そのうち、広い舗装に出て、東海自然歩道は、車の走る道になってしまう。最後の1時間ほどは、舗装道路歩きで、ただ黙って先を急ぐだけだ。下りきったところでバスを待ち、高槻駅に向かった。今年最後の山歩きはかくしてあっけなく終わってしまった。ちょうど4時間の歩きだったが、疲れもなく、またたいして面白くもない山歩きだったが、もっと歩けそうだと思ったのが、ちょっとうれしい。まだまだ歩けそうだ。来年はもっと歩く機会を作りたいと思って、年の暮れを迎えた。

 正月2日目。今日は京都は雨。年の暮れから正月は、毎年体重が跳ね上がる。今年もやはり同じ事になりそうだ。それでも雑煮は私の大好物。いっぱいお餅を食べて、今年一年、がんばろう。