久しぶりに雪をみたいと思って山に登った。登る山を決めるのがいつも大変だ。今回は日帰りで行けて比較的簡単そうでまだ登っていない山ということで、しかも多少の雪が期待できそうな西上州の山を選んだ。山の名前は父不見山(ててみえずやま)。1067mと低いけれども秩父の最奥で雪がありそうだと思った。以前、このすぐ北の御荷鉾山・西御荷鉾山を縦走したときに、雪がたくさんあったっけ。
しばらく歩いていないので、まず歩けるかどうかが心配だった。また膝が痛まないだろうか?この山は麓の集落から林道を1時間以上歩いて登山口まで行くのが本来だけど、今日は林道を車で上り登山口から歩き始めた。歩き始めて15分。杉ノ峠に着く。わずかの時間だったが、びっしょりと汗をかく。どうも身体が重たい。やはりしばらく歩いていないツケが来たようだ。ここから稜線沿いに父不見山の頂上を目指して登る。登山道にはほとんど人が歩いた気配がない。木の芽生えや灌木がうるさい。ほとんど葉が落ちてしまった今でさえうるさいと思うほどだから、葉が茂った夏のこの道は藪こぎと変わらないだろう。夏に来なくて良かった。
雪はまったくない。頂上にはあっけなく着いた。予想していたので頂上からさらに西の尾根をたどることにした。坂丸峠までにいくつかのピークを過ぎる。林の下にはところどころ雪がまだらに残っている。なんとか雪に会えた。しかし、このコースはほとんどが杉や檜の人工林で、面白くないことこの上ない。鳥の姿も見えない。もちろん花はまったくない。
そのうち天候がおかしくなってきた。黒雲に変わり、雪が降ってきた。風も出てきて、急激に吹雪模様になってきた。うれしくてつい「雪やこんこ あられやこんこ」と歌っていた。湿った雪だがどんどん積もって、一面雪景色に早変わり。いやあ、うれしい。4月に北海道の雪と別れて以来初めてだから。
坂丸峠を越えて、矢久峠にたどり着いたときには、雪は止んで薄日が差してきていた。膝もそろそろ痛くなり始めた。矢久峠から再び同じ道をたどってピークをいくつか登り直し、父不見山ももう一度登ってもとの登山口に帰る頃には登山道の雪ははかなく消えていた。このあたりのこの時期には雪が降りすぐに消え、また雪が降りまたはかなく消えを繰り返しながら、冬に向かっていくのだろう。冬は雪に覆われて藪も消えて歩きやすくなる。でももう一度ここへ来たいとは思わなかった。
しばらく歩いていないので、まず歩けるかどうかが心配だった。また膝が痛まないだろうか?この山は麓の集落から林道を1時間以上歩いて登山口まで行くのが本来だけど、今日は林道を車で上り登山口から歩き始めた。歩き始めて15分。杉ノ峠に着く。わずかの時間だったが、びっしょりと汗をかく。どうも身体が重たい。やはりしばらく歩いていないツケが来たようだ。ここから稜線沿いに父不見山の頂上を目指して登る。登山道にはほとんど人が歩いた気配がない。木の芽生えや灌木がうるさい。ほとんど葉が落ちてしまった今でさえうるさいと思うほどだから、葉が茂った夏のこの道は藪こぎと変わらないだろう。夏に来なくて良かった。
雪はまったくない。頂上にはあっけなく着いた。予想していたので頂上からさらに西の尾根をたどることにした。坂丸峠までにいくつかのピークを過ぎる。林の下にはところどころ雪がまだらに残っている。なんとか雪に会えた。しかし、このコースはほとんどが杉や檜の人工林で、面白くないことこの上ない。鳥の姿も見えない。もちろん花はまったくない。
そのうち天候がおかしくなってきた。黒雲に変わり、雪が降ってきた。風も出てきて、急激に吹雪模様になってきた。うれしくてつい「雪やこんこ あられやこんこ」と歌っていた。湿った雪だがどんどん積もって、一面雪景色に早変わり。いやあ、うれしい。4月に北海道の雪と別れて以来初めてだから。
坂丸峠を越えて、矢久峠にたどり着いたときには、雪は止んで薄日が差してきていた。膝もそろそろ痛くなり始めた。矢久峠から再び同じ道をたどってピークをいくつか登り直し、父不見山ももう一度登ってもとの登山口に帰る頃には登山道の雪ははかなく消えていた。このあたりのこの時期には雪が降りすぐに消え、また雪が降りまたはかなく消えを繰り返しながら、冬に向かっていくのだろう。冬は雪に覆われて藪も消えて歩きやすくなる。でももう一度ここへ来たいとは思わなかった。