ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

雪の中を歩いたが・・・

2007-12-30 | 花と自然
 久しぶりに雪をみたいと思って山に登った。登る山を決めるのがいつも大変だ。今回は日帰りで行けて比較的簡単そうでまだ登っていない山ということで、しかも多少の雪が期待できそうな西上州の山を選んだ。山の名前は父不見山(ててみえずやま)。1067mと低いけれども秩父の最奥で雪がありそうだと思った。以前、このすぐ北の御荷鉾山・西御荷鉾山を縦走したときに、雪がたくさんあったっけ。

 しばらく歩いていないので、まず歩けるかどうかが心配だった。また膝が痛まないだろうか?この山は麓の集落から林道を1時間以上歩いて登山口まで行くのが本来だけど、今日は林道を車で上り登山口から歩き始めた。歩き始めて15分。杉ノ峠に着く。わずかの時間だったが、びっしょりと汗をかく。どうも身体が重たい。やはりしばらく歩いていないツケが来たようだ。ここから稜線沿いに父不見山の頂上を目指して登る。登山道にはほとんど人が歩いた気配がない。木の芽生えや灌木がうるさい。ほとんど葉が落ちてしまった今でさえうるさいと思うほどだから、葉が茂った夏のこの道は藪こぎと変わらないだろう。夏に来なくて良かった。

 雪はまったくない。頂上にはあっけなく着いた。予想していたので頂上からさらに西の尾根をたどることにした。坂丸峠までにいくつかのピークを過ぎる。林の下にはところどころ雪がまだらに残っている。なんとか雪に会えた。しかし、このコースはほとんどが杉や檜の人工林で、面白くないことこの上ない。鳥の姿も見えない。もちろん花はまったくない。

 そのうち天候がおかしくなってきた。黒雲に変わり、雪が降ってきた。風も出てきて、急激に吹雪模様になってきた。うれしくてつい「雪やこんこ あられやこんこ」と歌っていた。湿った雪だがどんどん積もって、一面雪景色に早変わり。いやあ、うれしい。4月に北海道の雪と別れて以来初めてだから。

 坂丸峠を越えて、矢久峠にたどり着いたときには、雪は止んで薄日が差してきていた。膝もそろそろ痛くなり始めた。矢久峠から再び同じ道をたどってピークをいくつか登り直し、父不見山ももう一度登ってもとの登山口に帰る頃には登山道の雪ははかなく消えていた。このあたりのこの時期には雪が降りすぐに消え、また雪が降りまたはかなく消えを繰り返しながら、冬に向かっていくのだろう。冬は雪に覆われて藪も消えて歩きやすくなる。でももう一度ここへ来たいとは思わなかった。

福田外交はまずまずか?

2007-12-29 | 政治
 福田首相が中国を訪れて日中首脳会談に臨んだ。日中の懸案は簡単には片付かなかったようだ。アベから福田への転換に時間が必要だったから、簡単にはいかないだろう。

 しかし、福田首相が北京大学で行った講演は、原稿棒読みでパーフォーマンスとしてはけっしてできが良かったとは言えないが、内容はこれまでのアベ外交からの転換をはっきりと述べた点で評価できる。福田さんは親父の福田赳夫首相が日本のアジア外交の原則として提出した福田ドクトリンをかなり意識し、それを引き継ごうとしたと思われる。

 福田ドクトリンとは、1977年8月に当時の首相である福田赳夫が東南アジア歴訪の際に表明した東南アジア外交3原則で、その内容は、(1)軍事大国とならず世界の平和と繁栄に貢献する。(2)心と心の触れあう信頼関係を構築する。(3)対等な立場で東南アジア諸国の平和と繁栄に寄与する、の三つ。簡単に言えば、対等・信頼・平和と繁栄である。これらは、コイズミ・アベ内閣の外交に決定的に欠けていたものである。

 支持率の下降が続く福田政権だが、福田さんが年末の休暇を使ってまで中国に行ったのは、この外交で福田政権の支持をつなぎ止めたいという思いがありそうだ。たしかに、これまでのコイズミ・アベ外交の失敗を見てきたわれわれは、同じ自民党政権とは思えない外交の転換に驚く。これなら民主党の前原某などに外交をやらせるよりはよっぽどましな外交ではないだろうか。民主党に政権交代をさせたいが、民主党の外交路線がいったいどうなるのか、それがわれわれには見えてこないので、心配な面が多い。自民党より右の民主党議員もいるのだから。

 民主党は政権を取ってからではなく、いまこそ外交路線をはっきりと示して欲しい。福田ドクトリンはアジア外交の基礎ラインだろう。その上にどのようなアジア外交を展開するのか、平和と繁栄にどのように寄与するのか、示す必要がある。選挙は近いが、福田さんが外交で持ち直すと選挙も危うい。

雪が恋しい

2007-12-28 | 日記風
 今年もあと3日となった。月日の過ぎゆくのは速いものだ。そしていよいよ本格的な冬将軍の訪れのようだ。今夜から荒れ模様と聞く。今夜から帰省ラッシュも始まった。私は帰省を12月中旬にすませ、ついでに8年ぶりのお墓参りもしてきた。初詣も一足早く終えた。お正月には家族が集まる予定もない。最近のお正月と様子がすっかり違うのでどう過ごすか、これから考えなければ。

 明日は登山に行くつもりだったが、大荒れの天気とかでとりあえず中止とした。年末年始は山にでも登りに行こうか。そういえば、今年は低い山でも高い山でも滑落・転落事故が多かった。奥多摩のような身近な山でも滑落死が報告されている。

 それも60代、70代の老人がほとんどだ。年をとると足元が不安定になる。自分ではちゃんと歩いていると思っても意外にふらついていたりすることがあるから、山登りでは若いとき以上に慎重さが求められる。

 長い間北海道で暮らしたので、雪や氷に対しては昔のような恐怖感はなくなった。雪山に行くのに怖いところと言う気持ちが無くなったのは嬉しい。冬でもおおいに登山を楽しめそうだ。もっとも北海道の山はなだらかな山がほとんどなので、アイゼンを使うようなところは少ない。一方、関東の山は低い山でも雪があるとアイゼンなしでは歩けない。急斜面が多いからだ。その分、滑落の危険は多い。

 北海道では今ごろ雪が降り積もっているのだろうか。雪の中を歩く楽しみをしばらく味わっていない。そろそろ雪が恋しい。年末年始は雪を踏みに山へ行ってみよう。

暖かな海で初詣と博物館

2007-12-27 | 日記風
 お正月はどこも混んでいて、しかもなんでも料金が馬鹿高くなるので、一足早めに初詣を済ませてきた。場所は日蓮宗大本山の誕生寺。日蓮上人の生まれた土地に建てられたお寺で、千葉県天津小湊(現在は鴨川市)にある。いわゆる外房の暖かな黒潮の影響を受けた海に面した小さな街だ。

 初詣の準備に忙しいお寺に早めに参詣して、お正月には寝正月を決め込もうという魂胆でやってきた。さすがに外房だけあって暖かく、ソテツの木があちこちに見られ、家々の庭にはアロエの花が今を盛りと咲いている。小江戸と比べても2-3℃は高いのではないだろうか。海岸にはユッカ(キミガヨラン)があちこちに咲いている。もっともユッカは外来植物なので最近は海岸の植生からユッカ退治をやっている市民団体があるそうだ。なかなか優美な花なのだが、やはり日本の海岸にはユッカではなくハマユウの花がよく似合う。

 お正月のお参りを済ませて、ついでに勝浦の海中展望塔を見に行った。海中に円筒形の部屋を沈めて、中から海の中を直接見ることができる施設だ。季節が季節だけにあまり観光客は居なかったので、静かにゆっくりと見ることができた。夏と違って海水の透明度は良いのだが、光が弱いのでよく見えない。それでもいろんな種類の魚が泳いでいるのを見ることができた。ブダイ、カワハギ、イシガキダイ、チョウチョウウオ、ハタタテダイ、スズメダイ、ネンブツダイ、ハコフグなどが窓の近くに置いたえさ箱の周りに集まってきている。

 展望塔の近くに千葉県立「海の博物館」があるので見せていただいた。展示室はそれほど広くはないけど、展示に手間とお金をかけているのがよく分かり感心した。博物館に知人が居るので裏の研究室も案内してもらったが、その施設の立派なことに驚いた。サンナシ小屋のある町の国立大学の博物館のお粗末さと比較すると月とすっぽんだ。千葉県は博物館事業に熱心で、全部で10ヶ所も博物館を持っている。そのどれも素晴らしい施設だと聞いている。それに比べて国や東京都は博物館に理解がない。国の施設のお粗末さは言うに及ばず、東京都なんか自然史博物館を持っていない。先進国の首都で自然史博物館を持っていないのは東京くらいじゃないだろうか。ちなみに北海道も札幌市も自然史博物館はない。

 もっともこの「海の博物館」も、施設は立派だが、人は少なく研究者がすべての作業をしないといけないので、人と時間がぜんぜん足りないと嘆いていた。忙しいときは研究者が切符売りもさせられるらしい。普段は展示物の製作も研究者の仕事。技術者が居ないのだそうだ。せっかくの立派な施設もそれでは泣いている。

 今回は勝浦と鴨川で温泉に入った。二ヶ所稼いだつもりだったが、あとでよく見ると鴨川のお風呂は温泉ではなかったようだ。勝浦は曾遊の地だが、勝浦温泉は初めて入浴した。

仏教徒のクリスマスコンサート

2007-12-25 | 日記風
 今日はクリスマス。クリスチャンの私としてはじっとしていられない(冗談です!仏教徒です)。クリスマスコンサートに出かけた。出演はソプラノ歌手の森麻季さん。いま伝統あるドリスデンのオペラ劇場で主役を張っている人です。会場はオペラハウス! ウソウソ。そんなハイソなところに行くはずがない。

 実は、ちょっと用事があって市内のあまり大きくはない病院にいったところ、今晩クリスマスコンサートをやるとのこと。よく大きい病院ではクリスマスの夜に患者たちと看護婦の交流を図って看護婦さんたちの合唱や演芸を見せるところが多い。この病院もそういう企画をやっている。無料だというしとくに用事もないのでじゃあ見てみようかとプログラムを見たら、ソプラノ歌手の森 麻季さんが出演するという。はずかしながら森麻季という歌手なんて聞いたこともなかった。

 院長の挨拶に続いてすぐに森麻季さんの歌が始まった。なかなかの美人だ。知らない名前だったので(クラシック歌手の名前など一人も知らないのだが)あまり期待もしないで聞いていたが、その素晴らしい歌声、どこまでも透き通った声、細い身体から出る声量のある歌に聴き惚れてしまった。シーンと静まった病院の待合室の会場。その中に彼女のアヴェマリアが響き渡る(写真)。

 こんな田舎の小さな病院に12月25日にコンサートをやりにくる歌手なんてたいしたことないと思っていたのは、私の先入観の浅はかさだった。今をときめく国際的なオペラ歌手だっただなんて、聞いてびっくり。歌を聴いて二度びっくり、いや、納得。

 無料でこんな良い歌を聴けたなんて、今年のクリスマスは良いプレゼントをもらった。そしてこんな企画をしている小さな病院に感謝。聞けばこの病院の評判は非常に良いらしい。看護婦さんたちの手作りのコンサート会場にも温かさがにじみ出ていた。コンサートを楽しむ患者さんたちも、この病院で世話になっている満足感が読み取れた。あまり世話になりたくないけど、世話になるならこんな病院がいい。

 少し身体をこわしていたが、なんとか立ち直れそうだ。気持ちも落ち着いてきたような気がする。クリスチャンではない私がクリスマスコンサートで立ち直るというのも変?いや、宗教はいろいろあるけれど、宗教によって癒される人々の気持ちはみんな同じなのだろう。
 

福田はサンタになれるか?

2007-12-24 | 政治
今日はクリスマスイブだとか。仏教徒の私には関係ないけど、世界中でなにやらお祭りがあるらしい。いよいよ暮れが押し詰まったという感じが強くなる。あと一週間で年が明ける。

クリスマスプレゼントなのだろうか。福田首相が薬害肝炎患者の全員一括救済の法案を議員提案するといった。遅すぎた政治決断だったけど、まあ一歩前進かなあ。3日前になぜ政治決断できなかったのだろうか。内閣の支持率が大幅に低下したのをみて、あわててやったという気がしないでもない。

 しかし、今回のことはどうもおかしいと感じる。そもそも3日前に裁判所への提出の締め切りに間に合わせた和解案では、三権分立だから司法の枠内でないとだめだというのが全員一括救済をしない和解案の前提になっていたはずだ。首相は行政の長だから、行政として官僚を統率し、首相の意見に従わない官僚を辞めさせる権限も持っている。司法の和解案とは別に、行政として全員一括救済の施策を講じることもできたはずだ。それを患者たちも「首相の政治決断」として望んでいた。

 ところが、首相として官僚の論理を超えることができず、議員立法でやるというのは、三権分立はどこへ行ったのだろうか?行政の長である首相が立法府の議員立法を提案するというのはどうしてもおかしい。三権分立は憲法によって保証された民主主義の要ではあるけれど、今まで司法の判断をどれだけ尊重してきたのか。どれだけ司法の独立を行政がゆがめてきたのか、まずそれを問いたいものだ。裁判所が違憲判断を出しても無視し続けてきた首相の靖国参拝問題はその典型だ。

 これまでの薬害エイズやヤコブ病などでは、患者の全員一括救済の施策がなされてきた。それも患者たちの粘り強い戦いがあったからで、行政からの「愛によって」(原告のFさんの言)では決してなかった。それでも今回は全員一括救済を渋りに渋ったのは、その患者の多さからだった。患者の多少で原則が変わるのは、政府の責任をまだ十分自覚していない証拠であった。今回の議員立法ではどこまで政府の責任を全員に認めるかが問われる。今日の町村官房長官の記者会見では、早くも政府の責任追求はしないで全員一括救済と再発防止に重点を置くという方向が出されていた。

 政府の責任をどうとらえるかは重大だ。薬害がこれほど頻繁に起こる(サリドマイド禍以来後を絶たない)のには厚生省の体質を変える必要があるのではないか。

 しかしそれ以上に問題なのは薬害を起こした張本人「ミドリ十字」だ。命を粗末にすることをどうとも思わない旧日本帝国陸軍731部隊の生き残りたちで作られたこの会社は、薬害エイズでも今回の薬害肝炎でもいまだに人体実験を続けているようなものだ。合併を繰り返し、名前も変わってしまった(いまは田辺・三菱ウエルファーマという)けれど、その体質は変わっていないようだ。

 政府の責任も問題だが、この会社の存続を許すことがやはり問題なのではないだろうか。中国大陸で行った人体実験や生物兵器の実験のデータはいまだに隠されたままだ。多くはアメリカ政府に持ち去られたと言われている。その成果は朝鮮戦争でアメリカ軍が使った生物兵器に生かされたという。しかし、頭脳は残っている。直接の残党は引退したけれど、知識とノウハウは引き継がれている。政府はこの会社のすべての資料を公開させる必要があるのではないか。このような会社の企業秘密は認めない。

 たとえ議員立法で全員一括救済の法案が成立したとしても、患者たちの健康は戻ってこない。
 

救急車は有料でもいい

2007-12-22 | ちょっと一言
今日は冬至。寒さが身にしみる。カボチャを夕食にいただいた。本格的な冬が来たようだ。

 救急車の利用が増えて十分に対応が追いつかないらしい。各自治体などで救急車の出動を慎重にし、断るケースも出てきているらしい。たしかに簡単なことで救急車を呼ぶ人が増えているらしい。自治体も財政逼迫のために消防署の人員を減らさざるを得ないという面もあるらしい。

 救急車をタクシー代わりに使う人がいると聞くと、自治体の出動に慎重になったり断ったりするのもうなずけないこともない。ひどい人もいるからだ。しかし一方では、デパートの店員が119番で火が出ていると言って消防に訴えても消防署の対応がずいぶん間延びしていて細かいことをのんびり聞いていたため、店員は途中で電話を打ち切ったが、その時すでに遅しで焼死したという事件があった。救急車でもそのようなことがこれから起こらないとは限らない。住民サービスが減退していることも事実だ。

 私もせっぱ詰まったことがあって何度か救急車を呼んだことがある。救急隊の対応は非常に親切で本当にありがたいと感じたものだ。それでも自分で動けるときは救急車を呼ぼうと思ったことはない。ぎっくり腰でまったく動けなくなったこともあったが、救急車を呼びはしなかった。

 その経験から言うと、救急車については有料にしても良いのではないだろうか。本当に困ったときはお金を払っても救急車が来てくれればありがたいと思う。迷ったときなら、払う金額を考えて救急車を呼ぶかタクシーで行くか自分で歩いていくかを考慮すればいい。そうすれば不要とはいわないが不急の救急車呼びが少しは減るのではないか。必要ならお金を払っても利用したいと思うはずだ。
 or  

ザトウクジラが救われた

2007-12-21 | ちょっと一言
政府がザトウクジラの捕鯨をやめることを表明した。オーストラリアやニュージーランドの強い抗議に折れた結果であろう。ザトウクジラの捕殺が調査に必要という無理な理由付けが国際的に通らなくなったことをようやく政府も理解したのだろう。鯨肉の消費需要がないこともこの決断に結びついたのだろう。無駄なお金も費やしていたのだから。

 なにはともあれ、よかった。よかった。鯨の国際保護区となっている南極海での捕鯨も全面的にやめて欲しいものだ。
 

マンボウとテレビに出る

2007-12-21 | 南の海
マリタ市での最後の日は、みんなで山のリゾートへ出かける予定だった。ところがこの前日の夕方から土砂降りの大雨。雨は止みそうもない。それでも出かけるという現地の人の話で、準備を始めていた。Tシャツに短パンでは肌寒いくらいの気温だ。迎えの車を待っていると、大きい魚が捕れたので魚を見に行くという。雨はまだ激しく降っており、宿の周りや庭には大きな水たまりができている。オートバイの横に荷台を付けてお客を運ぶトライスクルという小型タクシーのような乗り物がここでは主流の公共交通だが、そのトライスクルの車輪が半分埋まるほどの深さにまで道路が冠水している。どうやらかなりの範囲で水害が発生しているようだ。どうも今日は山のリゾートへ行くには不適のようだ。

 そう思いながら、人々といっしょに近くの大学の構内に巨大さかなを見に行った。知り合いの大学の先生が私を見つけて駆け寄ってきた。大きい魚だ!1m以上は優にあるが何という魚か判らない。見たこともない魚だ。と叫んでいる。人混みをかき分けて魚を見ると、見覚えのある円くて扁平な身体。マンボウとすぐわかった。

 マンボウとしては普通の大きさで体長1m30cmくらい。体重は250kgくらいだ。われわれもあまり見る機会がない魚だけれど、マリタの人はまったく見たことがないという。初めて見る巨大魚に人々は興奮気味だ。次々に人々が詰めかけてくる。最初は大学の学生が集まり、そのうち付属の高校生が続々とやってくる。先生もいっしょに来ているところを見ると、授業を中止してみんなで巨大魚を鑑賞に来たようだ。そのうち、役場の人たちが集まり始めた。農業水産局の役人が視察に来、その話を聞いて他の部局の人も見に来ている。市長の秘書たちも顔を出す。みんな楽しそうだ。町の人たちも話を聞いて駆けつける。まあ、大変な騒ぎだ。

 漁師もマンボウを見たことがないという。マンボウは北の魚だったかなと一瞬思った。日本では三陸沖や千葉沖あたりでマンボウの突きん棒漁が行われているので、やはり北の魚なのかな。しかし、帰ってからWikipediaでみると、どうやらマンボウは深海魚らしい。海面にぽかっと浮いていてふわふわ浮いているクラゲを食べているという知識しかなかったので、深海魚とは知らなかった。

 そのうち、車で2時間半もかかってダバオ市からテレビのクルーもやってきた。マンボウをあっちやこっちから写していたが、そのうち私のところへやってきてインタビューしたいという。あわてて私はジュゴンを見に来ている旅行者なのでインタビューをしても何も話すことはないと断ったが、しつこく迫られ、じゃあ~少しならとインタビューに応じた。しかしマンボウのことなんか何も知らないし、私はジュゴンを見に来たという話をした。テレビキャスターはこのマリタの海岸の海の豊かさについて話をしてもらいたかったようでしきりにここの海はどうですかと聞いてくるので、「ジュゴンが棲み海草があり、いい海ですね」と言っておいた。マンボウとは何の関係もない。

 午前中はマンボウ騒ぎでつぶれた。雨はまだ降り続き水かさは増してくる。結局、山へ行く話はなくなり、午後はのんびり帰りの用意をした。夜になってようやく雨が小降りになったが、あちこちで水害が起こっているという。昨日まで面倒を見てくれていたおばさんのうちも床下浸水だとかで今日は忙しそうにしていた。

 夕食後、市長に帰る挨拶にいったら会議中だ。どうやら水害対策委員会のようなものができていて、市長は陣頭指揮を執っているらしい。市長は無線機を抱えて各地からの調査点検結果の報告を待って待機中のようだ。会議の部屋へ通されて数人の人たちと雑談を交わし、別れを惜しんだ。市長は今度は日本へ行きたいという。冗談に「招待してくれ」と言って笑う。そんなお金はないけど、是非来てくださいと言っておいた。

 次の日に、ダバオ市へ向かった。途中何カ所も道路の山側が崩れていたが、なんとか車は通れた。ラッキーだ。ダバオ市であった何人かの人に、あんた知っているよ、夕べテレビに出ていたね、と言われてびっくりした。どうやらテレビであのいいかげんなインタビューが放映されたらしい。いったいどのような内容で私の話のどこをどう編集して放映したのかわからないので困ったことになったと思ったが、人々は話の内容には関心がないらしい。ようするにテレビに出ていた人という反応だった。テレビは怖い。

 ダバオから一日かけて成田空港へ帰ってきた。また、来年もジュゴンに会いに行きたい。みなさん、いっしょに行きましょう。 
 

ジュゴンを見て南の海に遊ぶ

2007-12-20 | 南の海
 ジュゴンの観察には海岸に作った観察塔の上から見る。観察塔は5年前に始めていったときにわれわれが建てた。しかし、応急に建てた観察塔はその後の嵐などで傾き、腐食も始まったので、今年の夏に壊してしまったという。いまは、その代わりの観察塔が建っている。今度の観察塔は海岸に建っているのだが、そこへ上がっていく階段はモモタマナの大木の幹に作ってあり、まるでツリーハウスに登っていくように見える。観察塔の上はテーブルを囲んで6人くらいが座れるように作られている。

 二日間ほどジュゴンを探してこの塔の上から海を見つめ続けた。ジュゴンは午前中に現れることが多く、もしくは夕方に見られる。お昼を食べてくちくなったお腹で午後の観察をしていると、自然と瞼が垂れてくる。午後はジュゴンも休息の時間なのだろう。輝くミンダナオの海を見ながら観察塔の上で、椰子の葉陰を流れてくる涼しい風に吹かれて眠るのは、本当に至福のひとときだ。

 結局、今回は二日間で7個体のジュゴンを観察できた。そのうちの4頭は二組の親子ジュゴンであった。われわれはこの二日間で十分満足して観察を終了した。

 次の日は市長を表敬訪問。最近選挙で決まったばかりの新人市長だった。やる気満々という感じ。われわれを大いに歓迎してくれ、秘書の女性を二人われわれの接待に派遣してくれた。

 彼女らと山裾のへ向かう。このでは今日はお祭りがあるという。部落長の家ではお祭りに必ず用意される豚の丸焼きがデンと机の上に乗っている。お客さんであるわれわれがまずナイフを入れて食べ始めるといっせいに村人が豚に取りかかる。もっとも私は肉が食べられない菜食主義者なので(魚も食べるけど・・笑)、ほとんど食べるものがなかった。同行した日本人と秘書たちがうまいうまいと肉を頬張っている。

 部落長クリスチャンだし、肉を食べに集まっている村人もクリスチャン。しかし、このあたりにもムスレムはいっぱいいるはずなのだが、かれらはお祭りにも参加していないのだろうか?豚肉は食べないムスリムはどこでどうしているのだろうか。

 次の日も市長の秘書たちといっしょに、市の資源局のボートに乗って近くの景勝地である小さな湾を見に行った。ボートに乗るときに大きな波が岸に置いた踏み台を跳ね上げて、私の向こうずねをいやと言うほど打っていった。声が出ないほど痛くて、見ると足が大きく凹んでいる。これは骨を折ってしまったかな、と一瞬青くなったが、それほど痛くもないようだし、骨には異常がないと判断した。凹んだところはその後ぱんぱんに腫れて膨れてきて触ると激痛がする。あれから一週間以上たったいまでもまだ腫れと痛みは続いている。

 ボートに乗ってしばらく待っていると自動小銃を肩からかけた迷彩服を着た二人がボートに乗り込んできた。兵士かと思ったけど、警官だった。どうやらわれわれの護衛に乗ってきたらしい。いったいどんなところへ連れて行かれるのか、ちょっと心配になった。ボートで走ること約30分。静かな入り江に到着した。ここは市長が観光開発をもくろんでいる場所だとか。たしかに海は静かで海岸の椰子の林は南国情緒溢れている。入り江の中にはサンゴや海草が生育しており、水も綺麗だ。ダイビングスポットもあるという。日本海軍の船が沈んでいるあたりがダイビングスポットだった。

 入り江には小さなが3カ所ほどあり、どこも純粋なムスリムのだという。護衛の警官が付いてきた理由がよく分かった。ムスリムのにはイスラム武装集団が隠れている可能性もあるからだろう。警官たちは険しい顔つきの村人の間を威嚇するように自動小銃を構えて歩いている。ちょうど漁から帰ってきた船があり、警官は不法操業がないかどうかを調べている。嫌みな奴らが来たと村人たちは思っている様子がよく分かる。われわれはどうも居ごごちがわるいので、水の戯れている子どもたちのところで写真を撮っていた。

 夜は近所の青年の誕生パーティがあるというので、家に招かれた。ここでも料理はほとんど肉ばかり。私はひたすらご飯に汁をかけて食べる。ここではバッティという独特の料理を食べさせられた。受精したガチョウの卵の雛が発育して孵化寸前のものをゆでて食べる。卵の殻をむくと中から雛が折りたたまれて出てくる。それを食べるのだ。私は卵なら食べられるが、さすがにこれは食べられない。同行した男たちもこわごわ食べている。味は悪くないらしいがやはり気持ちが悪いといって、彼らも一個だけしか食べなかった。どこにもちょっと変わった食べ物がある。ゲテモノ食いにはこたえられないのかもしれないが・・・。