ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

武川岳から二子山へ

2008-02-28 | 花と自然
 今週も奥武蔵のハイキングに出かけた。今日は武川岳から二子山への縦走コース。杉や檜の人工林が多い中で奥武蔵随一という落葉樹林帯の縦走コースだというガイドブックの文句で決めた。武甲山のとなりの峰々だ。飯能から名郷行きのバスに乗り終点で降りる。降りたのは私の他は若い二人連れのハイカーだけ。でも武川岳へのコースには彼らはやってこなかった。一人だけで登り始める。

 登り口で武川岳への道標を確かめる。道標には武川岳まで90分と書いてある。しかし、私が見たガイドブックには2時間35分と書いてあった。90分なら予定より早く着くなあと喜びながら半信半疑で登り始める。

 けれどもやはりガイドブックが正しかったようだ。1時間15分で途中の天狗岩に到着。なかなか険しい岩が続く。三点確保をかなり長い間続けさせられたが、このような登りはぐんぐん高度を稼げるので楽しい。全身で岩にとりついているという喜びがある。天狗岩の頂上に立った後尾根に上がったところで、クマの糞らしきものを見つけた(写真)。大きさから言って犬よりは大きい獣のようだ。キツネやタヌキではなさそうだ。糞の中に白く大きく見えるのはどうやら銀杏の種子らしい。山里に降りてギンナンを食べたらしい。そういえば麓の掲示板に最近尾根上で熊が発見されたと書かれていたのを思い出した。このあたりのツキノワグマは比較的温和しい動物なので、そう怖れはないが、それでもやはり気になる。

 ガイドブック通りに2時間半で武川岳(1052m)の頂上に到着。途中の登山道は先週と様変わりで雪がほとんど氷に変わっていた。一昨日の夜に関東では雨が降ったが、山は雪だろうと思っていたのだが、どうやら山でも雨だったらしい。雪が溶けて今朝の冷え込みでみんな凍り付いてしまったようだ。しかも北よりの風が今日はきわめて強く、尾根上では風で身体が凍り付く。顔にかかる風は身を切るようだ。今回は用心のために持ってきたアイゼンが役に立った。急峻な登りではアイゼンなしでは危険でとても登れない。

 武川岳から二子山まで途中、蔦岩山(1010m)、焼山(850m)、二子山雄岳(883m)、二子山雌岳(881m)と5つの山を越える。アイゼンが不要の落ち葉の降り積む暖かな道もあるので、頻繁にアイゼンを付けたり外したりと忙しい。今日は6回ほどもアイゼンの脱着を繰り返した。面倒だけどしかたがない。おかげで一回の装着に要する時間がわずか2-3分で出来るようになった。

 二子山雄岳への登りは今日の中では特筆できるほど急峻な登りで、3歩あるいて一休みを繰り返しながらヒーヒー言って登った。ところが雄岳の頂上から下りにかかるときにアイゼンを付けようとして片方のアイゼンがないことに気がついた。どうやら途中で落としたらしい。泣く思いで登ってきた急坂を落としたアイゼンを探しながらまた来た道を戻った。30分ほども探しながら歩いたあと、ようやく雪の上に落ちていたアイゼンを見つけ、安堵した。反対側の谷に落ちていたらもう見つかるあてはなかったのだから。けれども先ほどヒーヒー言って登った坂道をまた登らなければならない。もう今日は夜になっても仕方ないと腹をくくって、ゆっくりゆっくり登り返した。

 二子山雄岳と雌岳に登って麓の駅までついてもまだ夕陽が残っていた。帰り道に今度はアシナガバチの巣と思われる大きな球形の蜂の巣が誰かに壊されて居るのを見つけた。犯人は人間でなければクマしか居ない。武川岳も二子山もずいぶん昔に一度登ったことはある。その時二子山の登山道でがけの上にいた猿に石をぶつけられたことを思い出した。警戒していたが今回は猿に出会うことはなかったが、クマらしい兆候をあちこちに見て、クマが増えているのか、それともクマが安住の地を追い出されてしまったのか、クマと人間が異常接近していることを感じた。

 奥武蔵の山はほとんど登ってしまったので、二度目三度目のところが多くなってきた。暑いときはとても登れる山ではないので、今の時期にしっかり登っておこう。しかし、花がまったくないのも寂しい。今回、一本の馬酔木につぼみがいっぱいついているのを見つけた。でも、馬酔木は他にもいっぱい生えていたが、ほとんどがまだつぼみも付けていない。春はまだまだなのだろうか。

三浦逮捕で反省しないメディア

2008-02-26 | 日記風
 三浦知良さんがサイパンでロサンジェルス警察に逮捕されたことをテレビは微に入り細に入って伝え始めた。25年以上前の報道過熱がまた始まろうとしている。メディアは三浦さんを犯人視して執拗に流した嘘八百の報道をいまだに反省していないようだ。三浦氏が無罪になっても自分たちがかつて犯人視報道を続けたことに何の謝罪もないままに、いままた同じような報道姿勢が目立ってきた。大事なことを見失うテレビの姿勢は、裏を返せば愚民思想だ。

 そもそも27年前の犯罪について何故この時期に逮捕があったのか。テレビのワイドショーがこれまでの道路特定財源の疑問点や自衛隊イージス艦の漁船衝突事件の報道から一転してロス事件に切り替わったことで、もっともホッとしている人は誰だろう。福田首相や石破防衛相の喜ぶ顔が目に浮かぶ。彼らがロス警察に三浦逮捕をお願いしたとまでは言わないにしても、情報操作は政治の世界の常である。テレビはいつの世も馬鹿なおばさん連中の意識を簡単に変えることの出来る権力にとって便利な道具である。

砂浜のコンクリート化に罪がないか?

2008-02-26 | 環境
 先日の大風の影響で富山県入善町の海岸では高波が防波堤を越えて民家に流れ込み、多くの家で床下浸水となり、自動車もたくさん壊される様子がテレビのニュースで放映された。自然の猛威にただ唖然となるばかりだった。こんなことは昔はなかったという住民のコメントが流されていたが、やはり異常気象が大規模になってきているのかなあというように思った。

 けれども飛行機からの現場の映像を見ると、海岸の砂浜がいちめんコンクリートで固められているのがわかった。いわゆる親水護岸としょうして砂浜を階段状にコンクリートブロックで敷き詰めている。押し寄せた高波が海岸の砂浜で砂を巻き上げながらエネルギーの減衰を起こすはずが、この砂浜のコンクリート化でエネルギーをむしろ高めながら陸に向かっていったのではないだろうか。

 私は以前からこの海岸砂浜のコンクリート化を不思議に思っていた。いったい何のために砂浜をコンクリートで固めなければならないのだろうか。水に親しむためならむしろ砂浜のままの方が良い。ここにも公共事業と称する無駄遣いが自然を壊し災害も招いている例があるような気がする。専門家が砂浜のコンクリート化が高波の異常な大きさになることを助長しなかったかどうか是非調べて欲しいものだ。

花粉症になった??

2008-02-25 | 日記風
どうも花粉症になったようだ。16年前に北海道へ引っ越すまで、この埼玉県の小江戸に住んでいたのだが、世間の人がマスクを付けて電車に乗り込んでくるのを不思議に感じていた。北海道に居る間はもちろん花粉症とは無縁の生活だった。ところが、久しぶりに小江戸に引っ越してきて最初の花粉症シーズンになってみると、なんだかおかしい。

 いつも鼻をすすっているようになった。何でもないのに鼻水が出るようになった。寒いときには鼻水が出ることは今までもあったが、今回のはどうやらそれとは違うようだ。やはり花粉症なのだろうか。

 花粉症に悩んでいる人を見て、これまでは自分は違うと感じていた。杉の林の中はしょっちゅう歩いている。杉の花粉などはしょっちゅう浴びているが、花粉症などにはこれまでならなかった。日頃自然の中の生活をしていない都会人が花粉症などになるんだろうとたかをくくっていた。事実、花粉症は杉の花粉などが直接の引き金になるのだけれども、単に杉の花粉があるだけで起こるわけではない、大気汚染などがないところでは花粉症は起こらないとされている。北海道の東部、サンナシ小屋周辺では大気汚染は車の後ろにいて排気ガスでも吸わないと感じない程度だ。だから花粉症など無関係の生活だった。

 まだまだ軽症のようだから、このままで経過してくれればいいのだが。大きなマスクを付けて歩きたくはない。今週も奥武蔵の杉林の中を歩く予定だ。そういえば、先週のハイキングでも杉林を歩いた。奥武蔵の山はほとんどが杉山になっているが、この時期には山全体が秋の紅葉の時期のように杉山が赤っぽくなっている。遠くから見ると紅葉のはじめのように見えるが、実は杉の雄花が大きく色づいているせいだ。春の初めの杉山の「紅葉」は、花粉症の人にしてみれば恐怖かもしれない。さあ、今週も杉の林を歩いて花粉を胸一杯に吸ってこよう。免疫を付けるために(笑)。ズルズル~(鼻水をすする音)。

映画「日本の青空」を見て

2008-02-24 | 政治
映画「日本の青空」を鑑賞した。戦争中、反政府の集会に参加して治安維持法違反第1号で特高警察に捕まり、拷問されたあげく懲役3年の刑に服した憲法学者鈴木安蔵が、戦後大内兵衛や森戸辰男などと憲法研究会を組織して、独自の憲法草案を作り政府やGHQに提出し、最終的に日本国憲法のGHQ案に大部分取り入れられた顛末を映画にしたものだ。現在の日本国憲法がアメリカから押しつけられたという非難を意識して、いやそうではない、日本人たちの憲法草案をGHQが取り入れたものであったと明らかにした映画である。かなり前から映画評は聞いていたので一度みたいと思っていた。

 この映画で新しく教えられたことが二つあった。一つは鈴木安蔵らの「日本国憲法草案」の自由と人権、民主主義の基本は、明治初期の植木枝盛や板垣退助らの自由民権運動があったことである。日本国憲法の国民主権と自由主義は植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」をその始原としていることがよく分かった。植木枝盛の憲法私案には「国民主権」「抵抗権」「革命権」「不服従権」などが盛り込まれている自由民権運動の中でもっとも現代の民主主義に近い内容だったと言われている。

 昔、高校の日本史の卒業試験に自由なテーマで作文をせよという問題が出されて、明治維新は単なる支配階級間のクーデターに過ぎず、本来の民主主義革命は自由民権運動の中にあったが実現しなかったと書いたことを思い出した。日本では結局近代の革命を経験しないで、お隣の中国で孫文らが辛亥革命を起こして秦帝国を滅ぼしたことと日本の近代は対極にあった。しかし戦後アメリカの占領下という事情があったけれども、この日本国憲法の作成過程こそが日本の近代革命となったのだった。

 もう一つ教えられたことは、「女性たちが参政すれば戦争がない国が出来る」という信念で22条の男女同権と9条の戦争の放棄が書かれたことだ。自分の子供や夫を戦場に送りたいとは思わないのが女性だという。もう二度と戦争はいやだというのが当時の女性たちの偽りのない気持ちだっただろう。それはしかし、男性も多くはそうであったはずだ。日の丸の小旗を打ち振って出征兵士を万歳で送っていた国防婦人会の女性たち。映画はそれは女性が自分たちの声を出せなかった政治体制だったからだと言う。

 いま、形の上では男女同権が進んだ。女性の参政権をだれも否定する人はいなくなった。それでもコイズミ内閣の有事法制などの戦争政策に日本の女性たちはダメだというサインを送らなかった。またまた日の丸を振る国防婦人会がいつのまにか作られてきている。歴史は繰り返すのだろうか。それとも憲法を守って平和な日本を続けられるのだろうか。国民投票法が成立して5年たったら改憲案を提出しようと自民党は虎視眈々と狙っている。気を抜いてはいけない。憲法をむしろ世界に発信していくことこそ必要ではないか。5月4-5日、憲法九条を守る国際会議が開かれる。それに向けて広島から「平和の行進」が今月から始まった。

関東では春一番が吹いて寒くなった。日本の青空がいつまでも希望であり続けられるように。

道路と車はこのままでいいのか

2008-02-22 | 政治
 近くの生協店舗へ買い物に行ったついでに、うららかな気温につられて散歩をした。10分ほどぶらぶらと民家の庭の花を覗きながら歩いていると、わずかばかりの土地に緑地が残っているのを発見した。このあたりでも自然の緑地はほとんど残っていないので、ぐるっと回れば5分で歩けてしまう小さな緑地だけど、本当に貴重だと感じた。しかし、今日の本題は緑地のことではない。わずか10分程度の散歩で住宅地の中を歩いて5軒も廃屋を見つけてしまった。

 最近は駅前商店街を中心に店を閉じてしまった商店が多く見られるようになった。それは全国的な傾向であるようだ。ところがこのあたりの都会周辺の住宅街には人が住まなくなった廃屋が結構あることに気がついた。私の住む団地のすぐそばにも2軒ほど廃屋がある。荒れ果てた廃屋は一体何が起こったのだろうかと思わせる。少子化、若い人たちの都市への移転、人口減などが原因なのだろう。10年前には考えられなかったことだ。いわゆる中山間地域では人が住まなくなった廃屋が結構あることはあちこちの山に登るときに山里の変化に気がついていた。先日も秩父の山に登るとき、行き止まりの県道沿いに並ぶ民家を見ながら歩いた。じつに半数が無人になっている。県道が通っているから車があればけっしてそう不便なところとも思えない。そんなところでも廃屋がいっぱい見られる。

 北海道に住んでいるときは道路沿いに廃屋を時々見かけることがあった。それまで本州に住んでいるときは廃屋などほとんど見た覚えがなかった。ほんの10年前ころまでは人口30万を超える町で住宅街に廃屋を見るなんて考えられなかったような気がする。日本の人口減がこのような町にももう現実の様相を見せ始めたのだろうか。

 国会で始まったガソリン税の暫定税率と道路特定財源のあり方についての議論を見聞きしていて思うのは、枝葉末節で議論するのではなく日本の車社会をこのまま推し進めていくのかどうかを問い直して欲しいと思う。駅前のシャッター街の問題も地方の過疎化の問題も、結局は便利な道路を造り続けて車社会にしてしまったことから起こる必然でもある。その結果、多くの人は車に乗って郊外の大型店舗に行き、買い物をしてまた車で家に戻ってくる。街を歩くこともなくなる。そして人々の間に無機的な関係ができあがる。バスや電車の便利はいっそう悪くなり、駅を利用する人も少なくなり、当然駅前商店街は閑古鳥が鳴く。車に乗れない交通弱者は、家から出かけることも出来なくなり引きこもらざるを得ない。人と人のつながりはなくなるばかり。

 交通に便利なように都会から高速道路を造った周辺市町村は、あっという間に人々が車で町に出かけるようになる。便利になると地方は見捨てられる。都会に住んで必要なときに車で地方へでかければいいのだから。地方で勤務する人もかくて都会に住むことが出来るようになり、過疎化は一気に進む。道路を造って本当に地方のためになるだろうか。地方それぞれの文化はあっという間に都会といっしょに均一化してしまう。どんな地方へ行ってもアメリカ資本のファーストフード店が軒を並べて、地方の食文化はどこかへ行ってしまった結果が、今の食の非安全の問題ではないか。

 そうして考えれば、道路特定財源の問題は日本の生活と文化をどう考えるかという大問題に繋がっている。車社会を見直すという姿勢がなくてはこの問題は議論できない。単にガソリンの値段を下げるかどうかという問題ではないのだ。
  

奥武蔵に春はまだか

2008-02-21 | 花と自然
杉の花粉も飛び始めた。今週の低山ハイキングは、またまた奥武蔵を歩いてみた。このあたりのハイキングは夏は暑くてとても歩けない。この時期が花はないけれども歩くにはもっとも良い。いっそ5万分の1の地形図「秩父」のすべての山と登山道を歩き尽くしてみようかと思い立ったのが、今週も杉と檜の人工林がいっぱいの奥武蔵を歩いた理由だった。歩いたのは丸山(960m)。西武秩父線の芦ヶ久保駅から歩き、1時間半。丸山の頂上まではやはり人工林でつまらない。しかし、丸山から秩父の街に向けて尾根筋を行くと、写真のように明るい落葉樹林の尾根が続く。


雪はかなり深いがさすがに低山ハイキングコースだけあってよく踏まれている。おかげでラッセルは必要ないが表面が凍っていて滑りやすい。天気がよいのでのんびりと落葉樹林帯を歩く。ジョウビタキの雄がひなたぼっこをしている。ウソの群れにも会った。どうやら春の渡りの途中のようだ。鳥たちはしっかりと春を感じている。しかし、花はさすがにまだまったく見られない。杉林の中で青々とした葉を広げているのは、すべてシダの仲間。
イノモトソウ





クマワラビ?

オニヤブソテツ



降りついた麓は金晶寺。秩父5番札所の寺で、多くの石仏が並んでいる。

ほとんどの石仏の頭が無くなっている。古美術として売り払うために頭だけを盗まれたらしい。情けない姿の石仏たちが並んでいる。なむあみだぶつ。
 

暖かい春に政治の冷たさを見る

2008-02-20 | 政治
ようやく暖かな春らしい気候になった。近所の家の庭の梅の木も少しずつ花を開き始めている。日射しも春らしい勢いを持ち始めた。来週はまた寒くなると予報は言っているが。

 この寒い時期に海上自衛隊の戦争艦によって海に投げ出された二人はいまだに行方が分からないままだ。衝突した直後のイージス艦「あたご」が適切に救助活動をしていたらこんなことにはならなかったと思うのだが。衝突の危険性も認識しないでそこのけそこのけと突き進んでいった自衛艦の冷たさを思う。

 福田政権の法律を守るはずの鳩山法務大臣が、警察のでっち上げで一年以上も拘留されもう少しで罪に落とされるところだった人々のことを冤罪と呼ぶべきではないと言った。警察は当然のことをして、検察も当然のことをして、裁判に無罪になっただけだと言いたいようだ。しかし、こんな冷たい人間が法務大臣をやっている日本は冤罪をなくすことは出来ないだろうと確信した。警察のでっち上げと思われる事件は各地に起こっており、しかも警察と検察の組織的犯罪である裏金問題はうやむやのままに幕引きがされている。裁判員制度が始まりますます冤罪のおそれが強くなってくるときに、罪に陥れた人のことを考えることの出来ない人だから自民党政権の法務大臣になれたのかもしれない。そういえば鳩山法務大臣になってからこれまでにない速さで死刑が執行されている。

 共産党も社民党も国民新党も鳩山法務大臣の罷免を要求している。亀井静香氏は「人間失格」とまで述べた。それにもかかわらず民主党は罷免要求をしようとしない。鳩山法務大臣の兄が民主党の幹事長なのだからか。こんなところだけ兄弟の暖かさを感じるようでは情けない。
  

防衛庁に戻ってやり直しだ

2008-02-19 | 政治
 昨年2000億円近くを掛けて作ったばかりのイージス艦がハワイでミサイル発射訓練をした後、日本近海で漁船に衝突した。漁船は真っ二つに折れて沈没。乗り組んでいた親子二人は行方不明のままだ。先進的な装備をほどこしたイージス艦は、漁船を発見することも出来ずに衝突させてしまった。帰国間近ということもあって、見張りなどに怠慢があったのではないだろうか。

 先日は、海上自衛隊の旗艦「しらね」のブリッジで火災が発生。200億円近い修理費がかかるので、「しらね」を廃艦にすることになりそうだ。これも国民の税金を数千億円も掛けて作ったものだ。自衛官の個人の冷温庫が加熱したのが原因だとか言われているが、もしそうなら税金で補償するようなものではないだろう。過失失火で刑事責任を問い、責任者には弁償をさせるべきではないか。

 海上自衛隊では隊員によるいじめで自殺者を出したり、セクハラ事件で訴えられたりとここのところ綱紀の緩みが際だっている。守屋前事務次官による利権あさりは、防衛省全体の綱紀の緩みの反映であると思える。上がそうなら下もそうなる。

 昨年、戦争好きなアベシンゾー内閣で念願の防衛省昇格をした防衛庁は、ようやく憲法違反組織という日陰の生活から大手を振って日向を歩き始めた。至る所で自衛隊が大きな顔をし始めた。制服のまま民間航空機に乗り込んでくるようになったし、隊員も旅行で軍服を着たままだ。戦前の帝国陸海空軍が復活したような自衛隊の露出ぶりだったが、その甘やかしが早くもこのような不祥事を連発させている。防衛省はもう一度防衛庁に戻ってやり直した方がいい。

厳寒のサンナシ小屋から

2008-02-18 | 花と自然

北海道東部にあるサンナシ小屋から帰ってきました。もっとも寒い時期のサンナシ小屋ですが、思ったよりも暖かく(気温は最低でマイナス10度くらい)、ベランダでは雪景色を見ながらひなたぼっこができました。雪も少なくてスキーを履かないで長靴で十分歩けました。写真に見るように、斜面の上部は雪もついてなくて、笹の青い葉が地面を覆っています。今年はエゾシカも餌に困ることはないのでしょう。小屋の周りにはいっぱい鹿の糞が落ちていました。

 小屋の横に流れる小川はアイススケート場のように凍り付いていましたので、水が手に入りません。ペットボトル入りの水を持って行き、薪ストーブの火でお湯を沸かしてコーヒーを飲み、お昼のラーメンを食べました。小屋の周りでよく見かける丹頂鶴の夫婦も、極寒の今は餌を人工的に撒いている鶴居の方に集まっているらしく、小屋の周囲では見かけません。人工的な餌で1000羽にまで増えたタンチョウをいつまでも人工餌料を与え続けるのはどうしたものでしょう。絶滅をまぬがれたタンチョウにはそろそろ人工的に餌をやるのを減らしていかねば、今度は逆のことが起こるでしょう。エゾシカがその良い例です。

 オジロワシもこの時期はあまり餌が見つからないので、餌の多い海岸に集まっているようです。小屋の周囲は生きものの気配もあまりない静けさに包まれています。夜は煌々と照る月。星もオリオン座が頭の真上に出ています。闇夜には降るような星空ですが、月の明るい夜は星もよく見えません。月に照らされた小屋の周りの草原は、まるで昼間のような明るさです。人工的な光がないと、自然の光が本当に明るく感じられます。昔のアイヌは灯りを持たずに夜も行動したと言いますが、月夜ならまったく問題はないですね。

いかに人工の光にならされた目が「使えない」目になっているかを実感します。
光に限らず、真実を見る目をもつには、人工的な雑音を信じないで自分の基準の目をもつことが必要と思うことしきりです。