ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

大道芸を楽しむ

2009-02-28 | 日記風
ここのところ雨や曇天が多い。日本海に近い京都ならではの天候である。その中で、冬の一日に平安神宮で開かれた朝市に出かけた。朝市と言っても朝だけではなく夕方まで開かれている市なのだが、京の有名な店が露天を出してお店で売るよりはお得な値段で商売しているので、多くの人で賑わっている。

 その朝市の人寄せのために、大道芸が行われていた。2年前に川越のお寺で見たギリヤーク尼ヶ崎の大道芸以来、久しぶりに大道芸を楽しんだ。演目は「南京玉すだれ」「バナナのたたき売り」「がまの油売り」と昔ながらのおなじみのものばかり。朝市の人寄せのためなので、本来のように「がまの油」や「バナナ」を売らんがための口上ではなかったが、芸としての口上を純粋に楽しんだ。



 「がまの油」は薬事法違反になるので、売るのは御法度。効能はおもしろおかしく聞くにはいいが、実際はほとんど効能がなかったのだろう。「バナナ」も売って儲けようという気がないので、ほとんどただ同然だった。面白かったのは、「100円で売った」といって買ったお婆さんに投げたときに、お婆さんがうまく受け取り損ねたのを見て、「年は取りたくないもんだ」と売り手がはやしたのに腹を立てて、そのお婆さんはとうとうお金を払うのを拒否したこと。売り手も商売でやっているわけではないので、無理矢理お金を取ろうとはしなかったが、そのやりとりはなかなkおかしかった。どうしても払わなかったお婆さんには、後ろの方から非難の言葉も聞こえてきたが、頑として聞かなかったお婆さんだった。

子供の頃、お祭りや正月にはいろいろな夜店が出て、サーカスや見せ物などの小屋がけもあり、辻では大道芸人がいろいろな芸や露天を出していた。そんなものを一つずつ覗いていくのが楽しみだったことを思い出す。彼らの口上がなかなかの楽しみで、聴衆の興味を引きつけながら焦らしに焦らして最後まで肝心のところを見せないという話術のおもしろさに惹かれて、夜遅くまで聴衆の輪の中にじっと座り込んでいた。久しぶりの子供の頃を思い出した一日だった。

京の手作り市

2009-02-22 | 日記風
近くのお寺で毎月一回「手作り市」が開かれる。今月の手作り市の日はお天気も良くて、暇もあったので、ぶらぶらと出かけてみた。行ってみて驚いた。ものすごい人出だ。それぞれ自分で作った人形や鞄や靴やブローチやパンやケーキなど、ありとあらゆるものが小さな露店に並んでいる。寺の境内に2-300ほども並んでいるだろうか。その間の細い道を人びとが押し合いへし合いして行き交っている。



 来ている人は若い女性が多いようだ。売っている人も若い女性が多い。売っているものも、手作りの装飾品や鞄、バッグやクッキーなど若向きのものが多い。私にはあまり欲しいものもなかったのだが、売り手の手作りを楽しんでいる様子がしみじみと伝わってくるような売り方や、客とのやりとりを楽しんでいる様が、なんとも好ましい。

 さすが手作りにこだわりのある京都ならではだなあと感心した。中には自然の石やどんぐりに手で絵を描いたものや、自分の飼っている猫や犬の写真をひたすら撮って、カードにして売っている人もいる。毎回評判を取っているというクッキーの店では、買い手が長ーい列を作っている。出店するのに毎月抽選だとか。もっとたくさんの人が店を出したがっているらしい。この日はいったいどれくらいの人が来たのだろうか。この手作り市はかなり有名らしい。車で来る人も多く、駐車場へはいる車の列を見ると、神戸、大阪、境、舞鶴、滋賀、福井などかなり遠くから来ている車が多い。

 混雑した手作り市の中で、知った顔を見つけた。京都のフリースクールの子どもたちが小さな露店を出して、ベトナムコーヒーとバナナの揚げ物をセットで売っていた。ここの先生が知り合いの人だった。聞くと毎月この店を出しているとか。コーヒーを飲ませていただきながら、子どもたちの手品やキュービックの芸を見せてもらった。ひきこもりなどの子どもたちも、あまり手伝いを積極的にしてはいないように見えるが、それでもこのような露店をやるのをいやがっているようには見えなかった。子どもたちの成長を促すには良い試みかもしれないと思えた。

 暖かい春を思わせる一日、のんびり京都の心を楽しんだ。

哲学する辺見庸

2009-02-15 | 日記風
真っ白いトラックが 
どこまでも走っていく 
真っ赤に染まるまで

殺すくらい 何でもない
と思ひつゝ人ごみの中を
濶歩して行く

などの夢野久作の歌をこの時代にどう読むか? 秋葉原事件が大戦前の時代をまるでなぞっていくような薄気味悪さを感じる。時はあたかも大恐慌の時代。この道はいつか来た道・・・。

先日、1時間半にもわたってNHKが辺見庸の主張を番組で放映した。時代に反旗を翻し、時代を深く考える彼を、この壊れゆく時代を映す人物として描いている。

アルベルト・カミュの「ペスト」を読み説き、われわれに再び哲学することを説いた辺見庸の姿に、同世代の人間としてこころからの共感をもった。音を立てて崩壊する軽薄な新自由主義の姿に、秋葉原で「誰でもよかった」として殺した若者の姿を重ねる。「自覚する個」を要求する辺見。崩壊した新自由主義という野蛮な資本主義に絡みとられた無数の人々。「絶望に慣れることは、絶望するよりも悪である」というカミュの言葉。秋葉原でトラックを突っ込ませた若者は絶望に慣れることを拒否したのだろうか。

 半身の不自由を日々受け止めながら、時代を哲学し続ける辺見庸。彼の生き方に大きい感銘を受ける。そして、それをこれだけの時間かけて放映したNHKに、素直に賞賛の言葉を捧げたい。


雪のサンナシ小屋から

2009-02-13 | 日記風

今年初めて、サンナシ小屋を訪れた。雪が20-30cm積もっていたので、クロカンスキーを履いていった。クロカンスキーも久しぶり。なにしろゲレンデスキーが嫌いなので、まったくスキーをしたこと無かったから、クロカンスキーを始めたときは、転んでばかりいた。立っているときよりも転んで起き上がろうと四苦八苦しているときの方が長かったような気がする。そのうち、なんとか一日のバックカントリー散歩を転ばずにできるようにまで慣れた。

 水泳や自転車乗りは、一度覚えると身体が忘れない、と言われている。しかし、どうやらスキーはそうではないらしい。久しぶりに履いたクロカンスキーで歩き始めたとたんに転んだ。一番最初とちがって、転ぶ回数はそう多くはなかったが、やはり身体はちゃんと覚えておいてくれなかったようだ。登りになると快調なのだが、下りになると転んでしまう。とうとう転んだときに向こうずねをいやというほどもう一方の板にぶつけてしまった。向こうずねが切れて血が流れ出した。やれやれ。


 久しぶりのサンナシ小屋は、外壁が煤けて、もうすっかり風景にとけ込んでいる。それでも部屋の中にはいると木の香りがする。トドマツの間伐材で作った小屋だから、針葉樹のフィトンチッドが香るのだろう。この香りをかぐといつも心が落ち着く。ずきずきと痛むすねを庇いながら、ストーブに薪をくべる。パチパチと燃え始める火を見ていると、いつもなんとなく目が潤んでくるのは、煙のせいなのか。

 雪を溶かして作った水でコーヒーを入れる。この時期、小屋のすぐ下を流れている小川は凍り付いて水を汲むことができない。雪が積もっていなければ水を供給することができない。そのためにいくつか大きいペットボトルに水を入れて貯蔵してあるが、それも凍り付いている。それでも今年は異常に暖かい。部屋の温度も氷点下になっていない。薪ストーブを燃やしながら、安楽椅子に身体をもたせて本を読んでいると、すぐに暖かくなってくる。

 アト゜イ(弟子屈町に住むアイヌの音楽家)の著書をのんびりとした心持ちで読む。一度あった彼の話しぶりを思い出しながら、軽妙な中にもアイヌの誇りを綴った文章を読んでいく。

 今夜は荒れ模様という予報。空の雲もまだ午後3時前だというのに、どんよりと垂れ下がってもう夜が近いように暗くなってきた。明日は京都へ帰る予定なので、そうそうに小屋を引き上げる。ふたたびスキーを履いて、国道に置いてきた車を目指す。帰りは少し慣れて来てスキー歩きを楽しめた。

 途中で、雪の下から顔を出したヤチネズミが雪の上を転げるように走っているのが見えた。急いで近寄ってみると、雪の下に作った草を綴った巣から顔だけを出して、こちらを見ている。かわいい仕草が飽きさせない。じっと見ているとすぐ上に大形の鳥が飛んできた。立派なオジロワシの成鳥が真っ白な尾羽をいっぱいに拡げて見せびらかしながら悠然と飛んでいる。どうやらヤチネズミを見つけたらしい。しかし、私の姿を見てヤチネズミを襲うのをとまどっているようだ。ヤチネズミはあわてて雪の下の巣の中に隠れてしまった。今日のところは私がネズミの命を救ったことになった。しかし、毎日のように彼らは命の危険と直面しているだろうし、オジロワシの方ではネズミを食べられないと生きていけない。一人の人間がどう思おうと、彼らは危険いっぱいの自然相手に毎日生きて、そして死んでいるのだ。

 人間ももっと自然に生き、自然に死ぬのがいいなあ、と思いながら、スキーを進めていった。夜のように暗くなった空は、今夜の大雪を予感させる。


がんばれ!アソウさん。

2009-02-12 | 政治
がんばれアソウさん

アソウ内閣の支持率が15%まで落ちてきた。首相の郵政見直しに関する発言が批判を呼んでいる。「小泉内閣の郵政民営化法案に反対だった」「総務大臣だったが郵政民営化担当から外された」というもの。それに対して自民党からは、批判が渦巻いている。首相としての資質さえも疑われているありさまだ。民主党などの野党もぶれまくりのアソウ首相に厳しい批判を浴びせている。

 しかし、踊るマスコミの手に乗らずに、じっくりと考えてみて欲しい。大事なことは郵政民営化法の見直しの問題だ。コイズミ内閣は反対閣僚を罷免してまで民営化法案を通すための衆議院解散を強行し、反対議員には刺客まで送って民営化法案を通した。むちゃくちゃなやり方だった。選挙に勝ったからといってなんでも許されるわけではない。四分社化は民営化法案のもっとも重要な点だった。アソウ首相が言うように「国民は四分社化なんて知らなかった」というのは、国民を愚弄したものだ。

 しかし、四分社化による郵政民営化というのは、「かんぽの宿」の売却問題で一気にその正体を見せた。民営化を精力的に推進していたコイズミとヘイゾウに民間でもっとも協力的だったのが、オリックスの社長だ。民営化した「かんぽの宿」を二束三文で買いたたいて、巨額の儲けを得ようとしたのが、同じ人物だ。なんとわかりやすいことか。それでもマスコミは鳩山総務相が批判をするまで、そのことに一切目をつぶってきた。

 民営化で国民の資産をタダ同然で懐に入れ、大もうけしているやつがいる。国鉄民営化もまったく同じ構図だった。全国の国鉄を分社化し、あちこちの巨大な操車場などの国鉄の財産=国民の財産を手に入れて巨大開発をしてもうけたやつがいっぱいいる。民営化をごり押ししたナカソネ首相や取り巻きの手元にそのリベートが行かなかったはずがない。電電公社の民営化もしかり。どれもハイエナのようなやつらが望んだことだった。

 アソウさんは、コイズミとヘイゾウが進めた郵政民営化の四分社化を見直すと言った。それはコイズミ路線の見直しを意味する。それは正しいのだ。「かんぽの宿」の売却だけではない。ゆうちょ銀行の設立で、国民から集めた200兆円の貯金を使ってアメリカの国債を買ってブッシュのイラク戦争を支えてきたことも、コイズミの狙いだったからだ。あわてたコイズミたちはアソウ首相がブレていては選挙に勝てないなどと言ってアソウを非難し始めた。選挙に勝つためにアソウにそれ以上の発言を慎むように言っている。その本心は郵政民営化見直しをさせないことだ。

 問題はぶれているアソウの発言ではない。郵政民営化見直しをするかどうかなのだ。民主党などは、コイズミやナカガワなどの手に乗って、アソウ首相の発言のブレを問題にして、首相の資質が問題だ、などと言っている。その手に乗ってはならない。アソウ首相の思惑はどうであれ、郵政民営化を見直すことがいまこそ必要なのだ。

 アソウさん、がんばれ! コイズミの脅しなんかに負けるな! そうだ、あなたはあのとき反対だったのだ。初志を貫徹しよう。郵政民営化にぶれないで反対し続けよう。がんばれ!アソウさん。支持率の低下なんて気にしない。気にしない。


暖かな北の釧路で

2009-02-11 | 日記風
今年になって初めて釧路にやってきた。2月中旬というもっとも寒い時期なので、覚悟をしてきたが、思いもかけず暖かいのに驚いた。雪は30-40cm積もっているが、気温はかなり高い。京都や東京と比べると普段なら10度くらい低いのだが、今日の気温は最高4℃と京都の北の方とあまり変わらない。最低もマイナス1.5℃くらいだから、京都と変わらない。部屋の暖房がしっかりしているので、京都よりもよっぽどこちらの方が暖かく、燃えるストーブの前に安楽椅子を置いて、紅茶を飲みながら本を読んでいると、まるで天国だ。

 ちらちらと雪がちらつくあいにくの天気だが、明日は晴天になるという予報が出ている。しかも3月下旬ころの暖かさが予想されている。釧路も1月に真冬日が4-5日しかなかったとか。例年25日以上あることを考えると、異常としかいいようがない。地球温暖化が体感できるというものだ。

 しばらく冬の釧路を楽しんでいこう。氷の祭典も開かれるが、この暖かさでは無事開催できるのか心配だ。北海道も春の兆しがいっぱいのようだ。

春が来た大文字山に登る

2009-02-08 | 花と自然
だんだん晴れ間が広がってきたので、10時頃になって山に行こうと考えた。この時間から行けそうなところは、散歩コースくらいしかない。荷物も持たず、散歩のつもりで大文字山を目指した。今日は登る人が多い。登っていると職場の若い同僚が山から走って下りてくるのに出くわした。彼は私と同姓なのでよく間違われる。

 火床まではすぐ。そこからはいつもなら人の少ない山歩きができるはず。今日も期待していったが、人の姿が絶えることなく続く。頂上でベンチに座りひなたぼっこをしていると暖かい。春がやってきたんだなと言う実感が湧いてくる。人びとも春の訪れを感じて、山歩きを始めたのだろう。頂上もやがて銀座並みの人混みになってきた。団体の登山客が到着したらしい。早々に逃げ出した。


 京都は、東山の松、北山の杉、西山の竹として山の植生が色分けされていたらしいが、ここ東山の松はマツノザイセンチュウによりどんどん枯れてしまった。あちこちで枯れた松の伐採が行われている。マツノザイセンチュウはアメリカから輸入した材木に入って日本へ侵入したもの。西日本の松山はほとんどやられてしまい、低山の風景がここ30年で変わってしまった。後に増えたのが竹林とか。至る処に竹林が旺盛な繁殖力を見せている。

 琵琶湖疎水のほとりを歩くと、早くも紅梅が咲き始めている。立春が過ぎたと思ったら、確実に春はやってきているようだ。このあたりの低山はこれから落葉樹の葉が展開するまでの短い間がもっとも楽しい季節だろう。どんな花が咲いてくれるか、初めての京都の春を楽しみにしている。

ビザ無し交流を続けるためには

2009-02-07 | 政治
今日は「北方領土の日」とかで、東京でも北方領土返還のための集会が開かれ、アソウさんも出席して台詞を読んでいた。領土問題を確定して、日露平和条約を結ぶ、というのが日本政府の公式な決まり文句だが、その心は「領土問題の確定=四島の日本への帰属」だけのようだ。平和条約には興味がないらしい。

 ところで、先日、四島への人道支援物資を運ぼうとした「ビザ無し交流」の船が、人道支援物資を積んだまま何もしないで帰ってきてしまうという事が起こった。政府の発表もマスコミの報道も一致して、これまでの「ビザ無し交流」の原則に反して、ロシア側が新しく出入国カードの提出を要求したため、約束違反だとして交流団が支援物資も渡さずに帰ってきたとしている。この報道を聞いた多くの人が、ロシアはけしからん、何で勝手に約束を破るのか、プーチンからメドべージェフに変わったので、対日強硬路線に変わったのではないか、などと感じたのではないか。実際そう言っているテレビ文化人たちがいる。

 しかし、本当はそうではないらしい。これは実は外務省の大失態だったらしい。政府も公式にロシアに抗議をしてはいない。むしろ外務省は沈静化にやっきになっている印象が強い。なぜだろうか。

 これまで「ビザ無し交流」で四島を訪れた人はかなり多い。そしてそれらの人はよく知っているが、実はこれまでもビザ無し交流で入った際にはロシアに出入国カードに類するものを提出していたのだ。ビザ無し交流の船には外務省の役人もいっしょに乗ることが多い。それは、ロシア側が四島がロシア領のような管理要求をしないように見張るのが目的だった。しかし、四島はロシアが実効支配しているのは誰の目にも明らかだ。ビザ無し交流といえども、ロシア側にしてみれば誰が四島に上陸したかをロシアが知らないで良いはずがない。当然出入国カードのような名前を記入したものを要求する。しかし、けっしてビザを要求しているわけではない。パスポートを見せろと言っているわけでもない。こsれまでの場合は、いっしょに乗っていた外務省の役人は、名簿の提出などは見て見ぬふりをしていた。見たら外務省の立場として、良しとは言えない。外務省はロシアの実効支配さえも認めないのが公の立場だから。

 しかし、多くの外務省の役人は、その時にはこれまで「大人の対応」をしてきた。今回はそうではなかったということなのだろう。青い「正義感」に燃えた外務省の役人が、ロシアの要求を見て見ぬふりをしなかったと思われる。もともとこの「ビザ無し交流」は、対立する両国の主張を無理矢理折り合わせ、住民の交流を進めるうちに領土問題への国民の理解も進むだろうとお互いが政治的に、日本人の好きな玉虫色の取り決めで始めたものだ。●木宗雄なども介在していたはずだ。そんな危なっかしい「ビザ無し交流」も、青二才の外交官が形式を主張すれば、あっという間に壊れてしまう。

 きっと外務省の幹部はあわてているだろう。外務省としては表向きはこの役人の言うことは否定できないのだ。しかし、そこを目をつむって実質的にこれまで進めてきた積み上げ外交があっという間に崩れてしまった。今年、アソウとメドべージェフの間の会談が予定されている。両国の関係改善の足元が、崩れかかっている。そもそも、そんなヤワな他人任せの基盤で交流をいつまでも続けようとしてきた政府の方針が間違っているのではないか。まずは、四島にロシアが実効支配している現実を認めることだ。そうすれば無理な現実は無くなるだろう。

 現在では、ロシアの本国経由だとビザを取って堂々と四島へ行くことができる。しかし、最も近い根室港から船で国後へ行ったり、北海道の空港から国後の空港へ行くことは「ビザ無し交流」の枠組み以外ではできない。日本政府がビザを申請することを許さないからだ。四島は日本領土だからビザ申請を認めるとロシア領土であることを認めることになるからだというのがその理由だが、実効支配していることを認めれば、帰属がどこであろうと、ビザ申請したからといって領土の正当性を認めることとはちがう。そんなメンツなどまず捨てるべきだろう。それが本当の国益に繋がる。メンツにこだわり国益を失っているもう一つの例が調査捕鯨問題だ。これはまたの機会に書こう。


京の手作りとうどん

2009-02-01 | 日記風
京都にきて4ヶ月が過ぎた。時のたつのは早いものだ。京都へやってきたのがつい昨日のことのように思われる。しかし、京都の冬の寒さはしっかりと体験したし、秋の紅葉も楽しんだ。京都には良くも悪くも日本の歴史が閉じこめられている。

 昨日、この町で若い時代を過ごした先輩が生涯を閉じたという知らせが届いた。そして私よりも若い友人が癌と戦っているという知らせも受けた。まだ若い人の癌の発病があちこちから聞こえてくる。われわれとわれわれのちょっと下の世代は、人間が新しく作り出した自然にない化学物質を食べさせられたモルモット世代だといえる。そのモルモットがそろそろ発病を始めたのだろうか。そうすると、いまの食生活を続けている人たちはやがてモルモット世代に続いて発病を始めるだろう。モルモット世代よりももっと激しく。

 そんなことを考えていると、毎日の食事が恐ろしくなる。京都の生活で北海道や関東ともっとも違うと思ったのは、手作りを大事にするこころがまだいっぱい残っていることだった。食べ物だけではなく、日用品のいろいろなものがこだわりのある手作りの文化の中にある。大量生産と大量消費の文化の中でもしっかりと残っている。今でいうスローフードの文化がしっかりと根付いているように見える。もちろん若者はコンビニに群がり、ファーストフードの店もないわけではない。しかし、東京のあちこち至る所にある立ち食いのうどん屋は京都ではいくら探しても見つからない。この文化はこれからも持ち続けてほしいと思う。

 話は変わるが、京都にはおいしいうどん屋がない。いや、うどん屋そのものがあまりない。これは予想外だった。関西はうどん屋が多いというのが私の予測だったのだが。たしかに大阪にはうどん屋があるが、京都はそば屋はあってもうどん屋がない。讃岐生まれで讃岐育ちの私にとっては、そば屋は用がない。うどん屋が欲しい。いくつかうどんを食べさせる店は見つかったが、どこもうどんがあまりおいしくない。讃岐に近いのだが、おいしいうどんを食べさせる店がない。これはおそらく京都の人が昔からそばを食べる文化をもっていたが、うどんを食べる文化を持っていなかったからなのだと思う。しかし、東京はうどんの文化はなかったにもかかわらず、今では讃岐うどん、手打ちうどんを看板にした店がいっぱいできている。京都はそれでもうどんの文化を拒否し続けているようだ。

 手作りの文化にこだわり続ける京都の人々のこだわりと、うどんの文化を取り入れようとしない京都の食生活は、おそらく同じ根から生えた双子の枝なのだろう。

 それにしても、おいしいうどんを食べたい!だれか京都でおいしいうどんを食べられる店を教えて欲しい。もちろん大衆値段で。