教育基本法という教育の憲法ともいうべき法律を変えようと言う自民党と公明党の改正案が国会で審議されている。いまの教育基本法は、変えなければならないところは全くないことを先に述べたが、各地の新聞も相次いで慎重な対応を求めている。
『西日本新聞』社説 2006年5月25日付
急ぐ理由が理解できない 教育基本法改正
戦後教育の指針となってきた「教育の憲法」を全面的に見直すかどうか。重要な国会審議の幕開けである。多くの国民が政府の考え方に関心を寄せ、与野党の論戦に注目していたはずだ。
だが、残念ながら、小泉純一郎首相や小坂憲次文部科学相の答弁を聞いた限りでは「なぜ今、教育基本法を改正する必要があるのか」という素朴で根本的な疑問は解消されなかった。
首相は改正の理由について「個人の権利も大事だが、同時に礼節や自立心、公共道徳などは今のままでいいのか。戦後60年で、(教育基本法を改正する)いい機会ではないか」などと答弁した。
だが、会期の残りが1カ月を切った終盤国会でようやく実質審議に入った法案を「ぜひ今国会で成立させたい」理由としては明らかに説得力を欠く。
与党が改正案を論議する段階から、野党にも協議を呼び掛けるべきではなかったか。国民的な論議が盛り上がらないまま、政府案が唐突に閣議決定され、国会へ提出された印象を国民に与えているのも無理はない。
その意味では「憲法と同様に衆参両院に調査会を設け、1、2年かけて与野党でじっくり論議してはどうか」という民主党の提案は傾聴に値する。
焦点の「愛国心」について、首相は「国家というもの(に対して)は誰もが自然に愛国心が芽生える。日ごろの生活の中ではぐくむものだ」とも語った。
だとすれば、あえて法律に書き込む必要はあるのか。「ひとつの価値観を強制するものではない」(首相)としても、疑問に感じた国民は少なくないはずだ。
「我が国と郷土を愛する態度」を養うとした政府案と、「日本を愛する心を涵養(かんよう)」するとした民主党案について、首相は「大きな違いがあるとは思えない」とあっさり答弁した。
残り時間が限られた中で、与野党の歩み寄りを促し、法案の成立を最優先させようとする首相のしたたかな戦略かもしれない。だが、国民の間でも賛否が分かれる重要な法案で対立軸があいまいになるような国会審議は御免だ。
「国家100年の大計」といわれる教育の根幹を論議する重大な局面である。いたずらに急ぐ必要はない。徹底的な国会論戦をあらためて与野党に求めたい。拙速は将来に禍根を残すだけである。
『日本海新聞』2006年5月18日付
教育基本法を考える -改正案審議スタート
(上)教育の機会均等を論点に
教育基本法改正案の国会審議が始まった。一九四七年の制定以来、約六十年ぶりに全面改正した内容だ。新日本海新聞社が本社モニター百人を対象に先月行ったアンケート調査によると、「慎重に論議すべき」「改正すべきでない」が合わせて65%を占め、県民の多くが早期改正を望んでいない現状が浮き彫りになった。なぜ今改正か、日本の教育は本当に良くなるのか-。鳥取県内の学識経験者や保護者、教育行政の関係者に教育基本法改正について聞いた。
鳥取大学地域学部・渡部昭男教授
鳥取大学地域学部の渡部昭男教授(51)=教育行政学=は、国民や教育関係者の声を踏まえた議論がなく、政治主導で拙速に改正案が作られたことに問題を感じている。「愛国心」をめぐる表現に注目が集まりがちだが、重要なポイントは「教育の機会均等」(第三条)と強調。「広がる経済的格差への対応が『大きな論点』となるべきで、国が真っ先に果たすべき責務だ」と訴える。
人権先進県
与党自らが改正案を「ガラス細工の法案」としていることに危機感を覚える。「改正論議は高松塚やキトラ古墳の修復工事に似ている。リメークしたつもりが、英知を集めた慎重な対応を怠ったため、カビを広げて壁画を台無しにする恐れが強い」と指摘する。
平和主義や民主主義、自由主義という普遍的な理念を基盤としている現行法を「文化的価値が高く、その先進性ゆえに、ようやく真価を発揮する環境になりつつある」と評価。その上で「鳥取県弁護士会がいち早く反対声明を出したように、拙速な改正で逆に人権が侵害される事態が一番怖い。人権先進県の鳥取から全国に発信した意義は大きい」と強調する。
経済格差への対応
一方、格差社会が大きな問題となっている今だからこそ、「教育の機会均等」の議論を深め、実現させることが大切と主張。「改正論議以前に問題は山積み。国の無策により、経済的な進学格差や教育格差は広がるばかりだ」と、特に経済格差への対応が今後は不可欠と考える。
現行法では、経済的地位による差別の禁止を定めており、「憲法にもない画期的な内容」。しかし、国内では現在、高校入学から大学卒業までに一人当たり一千万円かかるといわれ、そんな中、奨学の対象は困窮者全員ではなく、法律で「能力がある者」に限定されている。
「敗戦直後ならいざしらず、六十年経った今も『能力がある者』を残しているのには失望させられる。今日にふさわしく『必要に応じて』と変えるべきだ」と指摘する。
国連から勧告
さらに、一九七九年の国際人権規約の批准に際し、日本はルワンダ、マダガスカルとともに、高校・大学の『無償教育の漸進的導入』の項目を留保した数少ない国だ。このため、国連から「留保の撤回」を求める勧告を受け、今年六月末までに返答が求められている。
「回答期限が間近に迫っているのに、議論が全くない。今の国会でまずなすべきことではないか。与党や野党、マスコミさえも無関心と言わざるを得ない」
改正する前に取り組むべき課題は多いとみる。「教育現場や自治体の試み、努力を、国の施策に反映させる必要がある。慎重な議論はもちろん、国民的な論議と合意形成を求めたい」と願う。
教育基本法第3条(教育の機会均等)
条文では「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって就学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない」とうたっている。この条文について中央教育審議会は、改正を見合わせ、奨学の規定を変更しないことが適当と答申した。