ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

メディアと総白痴化

2005-11-30 | 日記風
大荒れの天候が続いている。暴風雪注意報という言葉を良くラジオで聞くようになった。例年のことなので、もう驚かないけれども。

 最近、広島県で幼い少女が殺された事件が噂に上っているが、新聞やテレビなどのメディアの扱いはちょっと異常ではないか。事件以来、毎日毎日この事件の犯人捜しの報道がすさまじい。朝日や毎日と言った大新聞も、段ボール箱の出所がわかったとか、中に100円ショップで買ったテープが入っていたとか、微に入り細に渡った報道が毎日のように大見出しで出る。一面に何段もの大きさの見出し付きで報道される。いったいこの国は、報道することがないほど平和な国なのか。メディアのこの価値基準の倒錯は、何に由来するのだろう。

 私は、大新聞やテレビなどのメディアが権力批判の報道をできなくなったことと関係していると思う。小泉首相の靖国参拝へのこだわりをどの新聞も批判しない。明らかな憲法違反でありながら(判断を逃げている裁判所は多いが、判断した裁判所はほとんどが憲法に違反するとしている)、メディアはきちんと批判しない。中国、韓国だけでなく、アジアを軽視するこの国の首相に、どのメディアも批判できない。番組を自民党に検閲させるようなことをしているNHK。それを批判したはずなのに、なぜか謝ってしまった朝日新聞。いまこの国のマスコミは、大政翼賛体制に組み込まれ、再び大本営発表報道になってしまった。

 地方の新聞が少しだけど、気を吐いている。報道の良心を守ろうとしている。東京新聞、北海道新聞、沖縄タイムズ、琉球新報など、地方に良い新聞が残っている。北海道新聞は警察の組織犯罪を明るみに出した。大新聞はどこも全国規模で行われているこの警察の犯罪を追求しようとしない。本当のジャーナリズムを目指して小さくても気を吐いているのは、週刊「金曜日」くらいかもしれない。

 私は、新聞を定期購読しない。買う時は、駅などで地方紙を買う。テレビは持たない。テレビが日本人をここまでダメにしたのだと思うからである。テレビで「一億総白痴化」が起こる、と言われて久しい。本当にそれが起こってもだれもそう思わない。みんな白痴になっているから。

初冬の嵐

2005-11-29 | 日記風
広島の近郊の山は、紅葉が美しい。錦秋の山を見ながら空に飛び上がって、東京を経由して北海道の空港に着陸したら、一面が銀世界になっていた。ちょっといないうちに一気に冬の気配だ。

 しかし、今日は気温が上がって大雨。雷も鳴り、冬とは思えない暖かさだ。台風並みの低気圧が通り、南風が吹き込んだからだろう。しかし、去年の中旬に通った低気圧は、大雪をもたらした。11月で40cmくらいの大雪だったような気がする。確認しようと去年の日記を見ると、去年の今日は震度5の地震があった日だった。今年はまだ雪も降らず、地震もない。

 やはり温暖化だろう。ポスト京都議定書を議論するための国際会議がモントリオールで始まった。アメリカを何とか引き込まないと、地球は壊れてしまうだけだ。アメリカ人は地球の崩壊にどんな責任を取ってくれるのでしょうか。

星空がきれいだ

2005-11-25 | 日記風
例年よりも暖かな日が続いているが、さすがに今朝はマイナス1度を下回ったようだ。もう11月も下旬だ。夜が来るのも早くなった。寒さがつのると星がきれいだ。今夜は降るような星空。北極星を探したが、周りに星が多すぎて北極星がなかなかわからない。普段は北極星の周りにはほとんど星が見られないので、北極星はすぐに見つかるのだが。もう北極星の周りも星だらけだ。カシオペアからようやく北極星を探し出した。近くにまぶしいほど光る恒星がある。金星だろうか。星空を見ていると、悠久の時代の流れや宇宙の広さを感じるような気がする。人間が小さく思える。星が都会の空から見えなくなったことと、人々が金儲けにこせこせするようになることは、関係があるのだろうか。

一枚の写真から

2005-11-25 | 日記風
今日DAYS JAPANという写真雑誌の12月号が届いた。その表紙を見て、私はあっと驚いた。いたいけな少女が指をくわえているその写真は、今から45年前に見て心撃たれたその写真であった。父も母もいない腐った畳の部屋に幼い姉妹が飢えに耐えているその写真は、土門拳の「筑豊の子供たち」の中の一枚だ。三井三池炭坑の炭住(炭坑住宅)に住む子供たちのいたいけなそして惨たらしい写真集だった。

 私の意識は急激に45年前に還っていった。当時高校一年生だった私は、この写真に激しく心を動かされ、炭住の子供たちのための募金運動を始めたのだった。当時、黒い羽根運動として全国で取り組まれた募金活動だった。

 総資本対総労働の闘いと言われた三井三池炭坑一企業の労働争議に、政府は5000人を超える警官隊を送り込み、三井は殴り込み隊にやくざを雇った。労働者は血の涙を流し敗れた。この年の5月に日米安保条約が国会の中に機動隊を導入して強行採決され、6月4日200万人のゼネストや15日の全学連の国会突入・東大生樺美智子さんの虐殺などの中で、参議院は採決できず、19日自然承認に至る。高校生であった私の最初のデモ参加だった。

 この年は、さらに激動を続けた。忘れもしない10月13日、社会党の人間機関車といわれた浅沼稲次郎委員長が選挙の立会演説中に右翼日本愛国党の少年に刺されて死亡。ようやく一般家庭に広がってきたテレビの画面で全国に刺殺現場が流れた。私の敬愛していた高校三年の先輩が、この場面を見て日本に絶望。翌日、農薬を飲んで命を絶った。

 一枚の写真から、激動の年の出来事が走馬燈のように私の頭を駆けめぐった。あの時代から今の時代まで日本人はどのように変わってきたのだろうか。炭住に飢える子供たちは本当にいなくなったのだろうか。たしかにあの当時、人々は貧しかった。しかし、人々はたしかに希望を持っていた。いま、希望というものを人々は持っているだろうか。



京都に紅葉を見る

2005-11-23 | 日記風
先週、京都を歩いた。八坂神社や円山公園の紅葉はちょうど盛り。つるべ落としの夕日が落ち、夕闇が迫る中、フィリピンから来た留学生と日本で初めて会った。日本の素敵な娘さんと三人で円山公園をそぞろ歩いた。この公園には、若い頃しだれ桜が咲き乱れる時期にやってきたことがあるが、それ以来である。そのころ見たと思われるしだれ桜が、公園の中央に柵に囲まれていた。昔の印象では、広い広場の真ん中で堂々と立っていたように思ったが、今日のそれは狭い柵の中に押し込まれたおとなしい老虎のような風情で立っていた。

 祇園をあてもなく歩いたのは初めての経験だったが、路地の奥に舞妓さんの姿を見たり、粋な小店が裏通りにひっそりとあるのを見ると、京都はやはり京都だと感心する。古い都に住む若者は、この京都でどのような人間に育つのだろうか。東京で育つ若者とはあきらかに異なることだけは想像がつく。どちらが好ましい若者を生むだろうか?ミンダナオからやってきた留学生の女性はどのような影響をうけるだろうか。これも東京や北海道とは明らかに異なった印象を持つはずである。

 古都京都に入った同じ日、猛々しい国の首魁ブッシュもやってきた。ヘリコプターでわれわれの頭越しに迎賓館に乗り込んできた。彼に京都の何が理解できるだろう。京都にブッシュはもっとも似合わない。京都大学からブッシュの来京を拒否するデモがひっそりと出発した。大勢の制服と私服がそのデモを取り囲む。

 秋真っ盛りの京都に、なにやら物騒なことだ。京都のしずかな町を私は楽しみたい。

「小さい政府」より「大きい政府」を

2005-11-21 | 政治
さらに公務員を20%くらい減らすという方針を政府が打ち出したらしい。公務員の定員削減はずいぶん続いている。もう30年以上になる。無駄な定員は減らして欲しいが、どうも必要な定員を減らしたりすることの方が多いような気がする。公務員を減らし、公務員の給与を減額するなど、小泉内閣の「小さい政府」にするという政策の一環らしい。マスコミなども「小さい政府」にするために、公務員の削減を歓迎している論調ばかりだ。

 しかし、本当に公務員は少ない方が良いのだろうか。「小さい政府」は「大きい政府」より好ましいのだろうか。小さい政府は、国民に自己責任で生きることを強制し、「国は面倒見ませんよ」と言うことなのだ。弱者が生きにくい世の中を作ってしまうことを意味する。なのになぜ「小さい政府」が好ましいとみんな思いこんでいるんだろう。マスコミは一体誰の立場で「小さい政府」が良いと言っているのだろう。

 自民党が「小さい政府」を作ろうとしているのは、税金で弱者を支えるのは嫌だと思っている多額納税者(金持ち)の気持ちを代弁しているのだ。彼らは税金をもっと安くして欲しいと思っている。もちろん私達のような弱者たち(明日にも弱者になるかもしれない人も)も税金を納めている人が多いが、大金持ちは人のために税金を納めたくないのだ。自民党はそう言う人のために政治をしている。

 貧乏人は「大きい政府」を要求する。もっと福祉を充実してもらいたい。老後の不安のない社会をつくって欲しい。北欧の国は「大きい政府」をつくり、国民はゆったりした気持ちで生活している。こせこせと金儲けに励み、失敗して自殺したりしない。「大きい政府」を作ろう。「小さい政府」はお断りしよう。公務員はもっと必要だ。それも福祉のために公務員をもっと増やそう。戦争のための公務員(自衛隊員)や殺伐とした社会を作るだけの警察官(公安)は、できるだけ減らそう。

飛行機の座席は苦痛

2005-11-14 | ちょっと一言
昨日、空港のことを書いたので、ついでに飛行機のことを書こう。

 飛行機の座席は、どうも私には快適とは言い難い。肩がこって仕方がない。なぜかというと、座席の頭が当たるところが枕のように前に突き出しているので、座席の背をまっすぐにしていると頭がどうしても前に押されて下を向かざるを得ないようになる。この姿勢で長い時間いると肩がこる。

 なぜこんな座席なのか、昔から私は不思議でしかたない。頭が当たるところが枕のように出っ張っているのは、たしかに座席が大きくリクライニングした場合は枕になって具合が良い。しかし、最近の飛行機の座席はほとんどリクライニングできない。後ろに倒せるのはせいぜい20度くらいではないか。その程度なら枕はかえって邪魔でしかない。しかも着陸の前後は座席の背は、まっすぐにしなければならない。

 飛行機は客室乗務員の洗練されたサービスが好きなのだが、この座席のことを考えるとどうしても苦痛になる。とくにMD70やMD90などの機種はまったく苦痛としか思えない。エアバス300系統の座席はまあまあ何とかなるのだが。Jシートならもう少し楽かもしれないと思って、MD90でJシートに座ってみた。すると、この苦痛度はもっとひどかった。このときは1000円よけいに払ってますます苦しい思いをさせられ、乗っている時間中、やめときゃよかったと後悔ばかりだった。エアバス300系統のJシートはまだましだが。

 頭の部分はむしろ引っ込んでいて欲しいくらいだ。少し頭が後ろに倒れるくらいになった方が、飛行中よく眠れる。なぜこんな座席になっているのだろうか。一度座席の下に毛布を敷き込んで、身体をもっと持ち上げてみたら、枕の上に頭が行くと、快適な座席になることに気がついた。ということは、この座席にはわたしの座高が低すぎると言うことなのか。どうやらこれらの飛行機の座席は座高の高いアメリカ人やヨーロッパ人向きに作られているらしい。日本人も最近は座高の高い若者が増えてきたらしいからこれでも良いのかもしれないが、昔風の日本人である私にはとてもつらい。JALもANAももっと考えて欲しいものだ。

 ちなみに新幹線の座席の枕もやはり少し前に突き出しているが、飛行機と比べるとずっと快適だ。しかも新幹線の座席はかなり後ろに倒すことができる。遠くでない時はなるべく飛行機をやめて鉄道を使おう。そのほうがエネルギーの節約にもなるし、環境にも優しい。

飛行機に乗りたくない

2005-11-12 | 日記風
 久しぶりに飛行機に乗った。空港の検査がうるさいのに驚いた。しかし、みんな良くあんな扱いをされて黙って従っているなあ。まるで人を犯罪人扱いなのに、私以外、誰一人文句を言う人もいない。唯々諾々と従っている。空港に雇われただけの人たちに犯罪人扱いされても、何の不満もないほど日本人はふぬけになってしまったのだろうか。

 荷物の中身を開けてみて、犯罪の証拠を探そうとしている。何も出てこなくても、犯罪人扱いしてしまって大変申し訳ない、との一言のお詫びもない。荷物の中身のチェックも、あくまでも任意の体裁を取っているが、断ったら飛行機に乗せないと言うのだから、事実上は強制である。このような荷物の中身の検査は本来なら捜査令状をもった警察権のある人間以外にはできないはずである。警官だって勝手にはできないのだ。

 よく考えてみたら、イラクでアメリカがやっていることとよく似ていることに気がついた。大量破壊兵器を持っているからといって強制的に査察し、侵略し、首長を犯罪人扱いする。大量破壊兵器が無くても誤りもしない。平気な顔で侵略を続ける。

 それもこれも、テロの警戒のためだというのだろう。しかし、テロにはそれなりの理由がある。今のイラクに自衛隊を派遣し、アメリカの忠実な僕を演じているから、テロにおびえなければならないのだ。政府のそのような施策のために、毎日何万という人がこの不愉快な犯罪人扱いに耐えなければならない。もっとも、小泉ステキと票を入れ、犯罪人扱いされても何の屈辱も感じない人が日本人の大部分なら、日本の未来など心配してもしょうがないのかもしれない。日本沈没は近い。

牛肉食をやめよう

2005-11-07 | 環境
アメリカの牛肉の輸入が再開されそうだという。またまたアメリカの圧力に日本人の安全や健康を売り渡す決定がなされた。BSE牛肉でないという検査なしに、20ヶ月より若い牛の肉なら、自由に輸入するという。しかし、アメリカの牛には齢査定もできていないようだ。どうやって20ヶ月より若い牛の肉だと判定できるのだろう。アメリカが大丈夫だと言っているのだから大丈夫なのだ、という論理でしかない。アメリカが事前協議しないのだから、日本には核兵器を持ち込んでいない。アメリカが大丈夫だと言っているのだから、原子力空母が横須賀を母港にしても大丈夫だ。そんな論理が多すぎる。

 牛肉を食べるのをやめよう。アメリカの牛肉は食べると危ない。日本の牛肉だって食べるのをやめよう。肉食は日本人の伝統的な食生活とはほど遠い。日本人は米を食べよう。肉食は環境を破壊する。アメリカの牛肉は、アマゾンの密林を切り払って牛を育てて作られていることはよく知られている。肉を食べることは野菜や米を食べることの10倍の自然破壊をする。肉をやめて野菜や米を食べよう。マグロを食べるのをやめて鰯や秋刀魚を食べよう。

温暖化は待ったなし

2005-11-07 | 環境
暖かい日が続く。まるで夏のような。今日は一日、部屋の窓をすべて開け放して、庭に椅子を出して、そこでコーヒーを飲みながら本を読むという、この地の11月には考えられないほど暖かい日だ。異常気象でしょう。しかし、さすがに明日からは寒くなるらしい。あさっての最低気温は0℃とか。そろそろ平年に戻るらしい。こんなに暖かいとむしろ気持ちが悪い。

 地球温暖化は確実にやってきていることが、日常でも体感するようになってしまったのかもしれない。温暖化は単に暖かくなるだけではない。気象学者や海洋と大気の相互作用を研究している学者によると、温暖化は局地的な異常気象を次々と引き起こし、洪水、砂漠化などが頻発するという。すでに頻発しているような気がするが、もっとそれが深刻になると言うことらしい。京都議定書を上回る規制が必要なのではないか。それにもかかわらず、日本は京都議定書の目標達成も危ないらしい。アメリカはまったく規制をしようと思っていないらしいから、困ったものだ。しかし、温暖化は待ったなし。そして、どの国にもその影響は及ぶ。もっとも、アメリカに影響が及んでも、まず困るのはアメリカの中でも虐げられている下層階級の人なのだ。資本主義の下では、それは当たり前のことなのだが、資本主義を早く克服しないことには、われわれ下層階級の人間には救いがない。

 そういえば、ブッシュの一族は石油業が本職らしい。アメリカが作ったイラクの新政権がアメリカの会社に支払ったお金のうち、20億ドル以上が行先不明だというアメリカ議会の報告書が公開された。おそらくそのほとんどがブッシュ一族の石油会社に貢がれたらしいことも報告されているらしい。やはり、イラクに侵略したもっとも大きい理由は、ブッシュ一族の石油利権だったのだ。