ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

昨年の読書

2014-01-04 | 読書
諸外国から孤立し、第二次世界大戦に入る前のような雰囲気が漂い始めている。今年になって、日本がどのような方向へ動いていくのか、ただ怖ろしい。

昨年一年間に読んだ本は、合計61冊だった。一度読んだ本をまた気がつかないままに二度読むということもあった。年間100冊の本を読みたいと思ったのは、もう10年前になるが、未だに100冊読めたことはない。もっとも、雑誌のたぐいは勘定に入れていない。これ以外に、硬派週刊誌を1冊、月刊誌を3冊、季刊誌を1冊購読しているので、かなりの読書時間をつかっているのは、間違いないのだが、乱読に近い。それでも最近は、ある程度系統だった読み方も少し取り入れ始めている。昨年の読書で目立ったのは、詩集をかなり読んだことだった。詩人の友達ができたことが、理由としては大きい。

昨年読んだ本は以下のようなものだ。
1. 笠原一男「親鸞」
2. 政野淳子「水資源開発促進法 立法と公共事業」
3. ヴィクトール・セガレン「記憶無き人々」
4. ジェームズ・クック「太平洋探検(上)」
5. ジェームズ・クック「太平洋航海記」(下)
6. 堀内光一「アイヌモシリ奪回」
7. 若松丈太郎「福島核災棄民ー町がメルトダウンしてしまった-」
8. 岩見ヒサ「我が住み処 ここより外になし」
9. くにさだきみ「詩集 死の雲、水の国籍」
10. 和崎信哉「阿闍梨誕生」
11. 福島菊次郎写真集「証言と遺言」
12. 二階堂晃子詩集「悲しみの向こうに -故郷・双葉町を奪われて-」
13. 永瀬十悟句集「橋朧 -ふくしま記」
14. 佐々木高明「南からの日本文化(上)」
15. 佐々木高明「南からの日本文化(下)」
16. 上野都「詩集 地を巡るもの」
17. 上野都「詩集 地を巡るもの」
18. 五木寛之「人生の目的」
19. 宮元健次「仏像は語る 何のために作られたのか」
20. J.ボズロー著、鈴木圭子訳「ホーキングの宇宙」
21. 松田解子「おりん口伝」
22. 宮本常一・川添登(編)「日本の海洋民」
23. 金関丈夫「日本民族の起源」
24. 寺尾五郎「悪人親鸞 人間解放の思想と一向一揆」
25. 五味川純平「ノモンハン」
26. 片山一道「ポリネシア 海と空のはざまにて」
27. 梅原猛「塔」
28. 池内紀「ニッポンの山里」
29. 片山一道「ポリネシア 海と空のはざまで」
30. 鳩山由紀夫・孫崎享・植草一秀「『対米従属』という宿痾」
31. 村井康彦「出雲と大和ー古代国家の原像をたずねて」
32. 米澤鐵志「ぼくは満員電車で原爆を浴びた」
33. 谷川健一「埋もれた日本地図」
34. うおずみ千尋「詩集 白詰草序奏―金沢から故郷・福島へ」
35. 田島廣子「詩集 くらしと命」
36. 白崎昭一郎「東アジアの中の邪馬臺国」
37. 司由衣「詩集 魂の奏でる音色」
38. 上村英明他「アジアの先住民族」
39. 新妻昭夫「種の起源を求めて ウオーレスの「マレー諸島」探検」
40. 手塚治虫「ファウスト」「百物語」
41. 藤沢周平「三屋清左衛門残日録」
42. 吉本隆明「今に生きる親鸞」
43. 五木寛之「蓮如―われ深き淵より-」
44. 巣山靖司「ラテンアメリカ変革の歴史」
45. スティーブン・J.グールド著、渡辺政隆訳「ダ・ヴィンチの二枚貝」(上)(下)
46. 中沢新一「森のバロック」
47. 鶴見和子「南方熊楠」
48. アラン・ドレングソン著、井上有一監訳「ディープ・エコロジー 生き方から考える環境の思想」
49. 松下竜一「小さな手の哀しみ」
50. 梅原猛「梅原猛著作集 仏像・羅漢」
51. 水口憲哉「これからどうなる海と大地 海の放射能に立ち向かう」
52. 日高敏隆「動物たちはぼくの先生」
53. 宮坂宥勝訳注「密教経典 大日経、理趣経、大日経疏、理趣釈」
54. 吉本隆明「今に生きる親鸞」
55. 田和正孝「変わりゆくパプアニューギニア」
56. J.D.ロブ著青木悦子訳「幼子は悲しみの波間に」
57. 谷川健一「神は細部に宿り給う」
58. 伊東桂子「花いちもんめ」
59. 梅原猛「隠された十字架ー法隆寺論ー」
60. 松下竜一「5000匹のホタル」
61. 桜田勝徳「漁撈の伝統」


猛暑に負けずに読書

2013-08-12 | 読書

体温よりも高い気温が毎日のように記録される。以前住んでいた埼玉県も熊谷市が高温で有名だったが、京都はそれ以上かもしれない。幸いにと言って良いのかどうか、まだ40度には達していない。それでも病気の時の体温に匹敵する38度、39度という気温が毎日続くと、もう正常な意識ではいられない。それでもエアコンを使わないで扇風機に頼っている。パソコンも、熱中症と思われる症状がときどき現れる。これ以上酷使すると、すべてがパーになってしまいはせぬかと心配だ。

毎年恒例の下鴨神社で行われる納涼古書市に出かけた。下鴨神社の糺の森は、普段でも巨木の下は涼しいところなのだが、さすがに今年はうだるような暑さだった。それでもたくさんの読書愛好家が遠くからも駆けつけ、熱心に展示された古書に見入っている。手作り市や古道具市、ベジタリアンフェスなどいろいろな店舗が建ち並ぶイベントへ行ってみるが、古書市はこんなに人が大勢いるにもかかわらず、実に静かだ。深閑とした糺の森の古書市は、静かに静かに人々の熱気を吸い込んでいる。

一年に2~3回行われる古書市には、かならず出かけるようにしている。その度に、両手いっぱいの本を抱えて帰る。毎回、1万円から1万5千円くらいの買い物をする。そして、それから次の古書市まで、毎日のように読書が楽しみとなる。ところが、古書市以外にもいろいろ本をいただいたり、本屋で本を求めたりしているし、毎週読む週刊誌、月刊誌をそれぞれほぼ隅から隅まで読んでいるので、古書市で買った本が、次回の古書市まで読み切れなくなってきた。今回も、まだ前回買った本のうち、数冊が読み切れていない。そのためか、今回も多くの本を買ったが、合計は1万円を割り込んだ。1冊500円~1000円の本が多かったようだ。

古書市には、約4-50軒の古書店が出品している。本ばかりでは無く、古文書や浮世絵、昔の絵はがきなどもあり、一つ一つ見ていくととても一日では見きれない。お寺が多い京都の古書市には、経文の類いも多く出品されている。今回も、暑さのためもあって、およそ半数の店しか見ることができなかった。また、秋の古書市を楽しみに、これから本を読む時間をもっと増やせそうだと喜んでいる。

食人と生け贄

2013-02-15 | 読書

ジェームズ・クック「太平洋航海記」(上・下)を読み終えた。18世紀に初めて南太平洋の島々の人々と出会った最初のヨーロッパ人であるクックがみた島々の様子が、日記に描かれていて、行ったことのあるところも多いので、たいへん興味深かった。とくに、食人の習慣が多くの島で行われていたことを知り、おどろいた。私が知っていたのは、ニューギニアくらいだったのだが、フィジーに行ってみて、ここでも食人が行われていたと知って驚いたことがある。

 しかし、クックの航海記を読むと、それ以外にも南太平洋では、食人が普遍的に行われていたようだ。とくに、ニュージーランドのマオリ族では、食人は食糧確保のためにもっとも普通に行われていたらしい。これまでニューギニアで聞いた話では、食人は戦闘で死んだ敵の勇者の肉を食べて、彼の勇敢な魂を自分の体に取り込むという半ば宗教的な儀式的な食人行為だと聞いていた。ところが、クックの航海記によると、ニュージーランドのマオリ族やニューヘブリデス諸島など多くの島の住民は、食糧を手に入れる目的で人を殺し食べることが日常的であったという。これには驚いた。クック船長の乗った船の僚船の乗組員がボートでニュージーランドの暗礁に乗り上げたところで原住民に襲われ、銃の弾丸を使い尽くしたところで、全員殺されて食べられたという記述もある。

 かつて、フィジーのビチレブ島にある国立博物館で、いにしえにフィジーを訪れた白人が書き残した食人のレシピに驚いたことがある。人をどうやって解剖して肉を取り食べるかを図解入りで詳しく書いたものだった。それをみて、フィジーの食人が100年前まで行われたいたことを知った。けれども、それはニューギニアやフィジーという特殊な島で行われていたのだろうと思っていた。ところが、そうでは無かったらしい。クック船長の日記には、ニューギニアやフィジーの記述は無い。それは、それらの島については他の国の冒険家がすでに出かけていて、報告を書いていたからのようである。クック船長は、あくまでまだヨーロッパ人が見つけていない島を見て、位置を測量し、イギリスの領土であることを宣言することを最大の目的としたからである。

 彼の日記を見る限りでは、それ以外の、ニュージーランドやタヒチ島など多くの島で食人が行われ、それが儀式的なものではなく、食うために行われたと言うことが分かる。広い世界のなかでも、食人の習慣があったのは、あまり多くは無いようだ。なぜ、南太平洋の島々に住む人たちに食人の習慣があったのか。不思議だ。考えられることの一つは、小さな島には多くの人は住めない。だから、間引きの効果があるのではないか。でも、それは結果としての効果だから、食人が起こる原因と言えるかどうかは、分からない。

 もう一つ驚いたのは、タヒチでは、神に捧げる生け贄の儀式が行われ、その生け贄にされるのは、豚や羊だけではなく、人間も捧げられる。そして、誰が生け贄になるかは、ちょっとした神官役の気持ちで決まってしまい、突然棍棒で頭を殴られて生け贄にされる人が、クック船長が知り合いになった人にもいたということだ。有名なインカ文明でも、太陽の神に捧げる生け贄に、人間も捧げられていた。若い処女が生け贄になったという。同じような習慣が、南太平洋でもあったということは、インカ帝国の祖先は南太平洋のポリネシア人と同じ祖先をもっていたのだろう。ヘイエルダールが証明したように、中南米とポリネシア、ミクロネシアは、航海可能な範囲であったのかも知れない。ひょっとして、一夜にして沈んだと言われるムー大陸の住民だったのかも、と妄想が広がる読書であった。

永山則夫の「無知の涙」を読んで

2012-09-10 | 読書
連続射殺魔事件として騒がれた永山則夫死刑囚が死刑執行されて15年が過ぎた今頃になって、なぜか永山則夫の著書「無知の涙」を読んだ。この本も、実は10年くらい前に買ったまま、2-3ページを開いただけで、本棚の隅でほこりをかぶっていたものだ。読もうと思って買ったのだが、最初のページの彼の詩とも何とも言えないものを読んで、一気に読む気を失ってしまったことを、かすかに覚えている。今回も、読み始めてしばらくは、同じような失望感を抱きながら読み進めた。

 その失望感は、おそらく作家としても名前が知られた永山則夫の文章に過大の期待を抱いたからに他ならない。それが分かったのは、彼の生い立ちを彼自身の文章から見いだしたからだ。永山則夫は、小学校も中学校もあまりろくに行っていない。高等学校も形だけは入学したのだけれど、ほとんど行くこともなく止めてしまった。その彼が、連続殺人を犯して捕まり、拘置所の中で書き始めた文章や詩が、稚拙で文法もおかしく、意味をなさない文章が多いのは、不思議でもない。

 しかし、彼の詩や散文を、日を追って読み進めるうちに、徐々に彼の文章にいのちが吹き込まれ、生き生きとした表現が見られるようになっていく。この本を読み終わる頃には、永山則夫の文章は、もはや小学校も満足に出ていない人の文章とはとても思えないようになっている。そればかりではない。その内容も、急速な進歩を示している。その大きな理由は、彼の読書力によるものだ。刑死を近い将来の自分の運命と見定めた生活で、彼の読書への努力、とくに哲学に関する読書は並々ならぬものがあった。3ヶ月以上も拘置所の運動時間に広場へ出ることも拒否して、マルクスの資本論全8巻を読み通し、カント、ヘーゲルを読み、そして詩作を続ける。

 永山則夫は、彼自身が無知であったことがこのような犯罪を犯した原因であるとは決して言わない。ただ、無知こそ自分をこのような境遇に陥れた世の中への対応を誤らせたと、強く反省している。貧乏こそすべての悪の温床であり、そして資本主義が続く限りこのような犯罪はけっして無くならないと喝破している。資本主義を倒す革命こそ、今必要であり、テロリズムも必要であると考えた。ただ、自分は無知だったために、テロの対象に罪もない人を殺してしまったことを悔いているのである。彼の本には、天皇制を倒さねばならないこと、それには武力も必要であることなども書き、東アジア反日武装戦線の天皇暗殺未遂事件とも、ほぼ同じ頃に同じ考えに至っているが、彼はその時すでに獄中で刑死する運命にあった。1997年、彼は多くの死刑囚の中から選ばれて絞首台に上ったが、それは彼の天皇制への言及が、法務官僚の死刑囚を選ぶメガネにかなったのかも知れない。

 わずか1年余の短い獄中生活で、これほどの勉強をして、知識と哲学を身につけて、自らの殺人の原因を社会的にも掘り下げていった永山則夫の進歩に驚嘆するばかりである。もっともっと前にこの本を読んでおけば良かったと、今更ながら後悔している。ところで、永山則夫が考えた社会の変革は、はたしてどのようになったのだろうか。永山死刑囚の資本主義は必ず社会主義に変革されるという信念は、残念ながら逆の方向に進んでいる。それは何故なのだろうか。社会主義がまちがっていたとは私には思えない。社会主義が官僚主義を克服できなかったことは、その通りであるが、資本主義が大手を振る世になるとは思いもしなかった。なぜだろうか。それは、永山則夫が指摘したような、貧乏大衆が無知から知識を付けた人民に変わることがなかったことによるのだろう。まさに無知の涙を、今も多くの貧困層に流させている。むしろ永山則夫のような読書によって勉強する人民は、いなくなってしまった。これは技術の進歩によるのか、それとも狡猾な新資本主義の策略なのか。無知こそ貧困人民が克服すべき課題であることは、永山則夫が指摘して以来、いまも厳然とした事実である。でも、無知な大衆が増え続けている現状。喜ぶのは搾取階級の人間だけだろうか。

 秋葉原事件など、理由の分からない若者の殺人事件が頻発するようになった。でも、この原因は、マスコミがあれこれと興味半分に言及しているが、原因ははっきりしている。永山則夫の犯罪が、今も続いているということなのだ。貧困こそ、理由の分からない犯罪の本当の理由なのだ。そして、貧困はますます増えてきている。それは、コイズミがアメリカの新資本主義路線に沿って日本を作り替えたことの必然的な結果として、起こっている。そして、無知な大衆は、まったく同じ路線を進んでいる橋下「維新の会」を大手を広げて歓迎している。彼らこそ、貧困大衆の真の敵であることを知らずに。無知はやはり地獄への道である。


多田瑤子 若き美人弁護士

2012-01-12 | 読書
多田瑤子反権力人権賞という賞が有ることを知っている人は少ないかもしれない。私も賞の名前は知っていたが、多田瑤子という人がどういう人なのかは、よく知らなかった。知る機会が無かったと言うほうが正確だ。

 1986年の年賀状で、「私は、私の敵と闘い続けるわ-- と言い続けて、16年がたったような気がします。その間、私の敵は、何度も、見え隠れしましたが、敵は敵。 また、のんびりと、闘い続けたいと思います。」と書いて、その年の暮れ、肺炎のため29歳の若い命を終えた弁護士が、多田瑤子さんだった。権力の暴力と横暴に力一杯戦い続けた若くて明るい女性だったということを、多田瑤子著「私の敵が見えてきた」という本を読んで知ることが出来た。

 自宅の近くの恵文社という書店で、この本を見つけて買って帰った。発行は1988年だから、ずいぶん昔に出版された本だ。恵文社には、他の書店にはないものが置いてあることが多く、ファンは多い。他府県からもこの書店に来る客が多い。

 父親が京都大学の西洋文学の有名な教授だったことや、京都市左京区に住んでいたことなど、初めて知ることが多く、この恵文社でこの本が販売されていたことが、了解された。彼女はこのすぐ近くに住んでいたのだ。彼女は中学1年生の時にベトナム反戦を訴えるビラを学校に貼りだし、同志を募って反戦運動を始める。京都大学に進学し、新左翼運動の教祖的な存在だった竹本信弘(滝田修)京大助手の処分反対運動で学生自治会の会長を務める。そんな活動の中で、学生結婚をし、卒業後は司法試験に挑戦。2度の失敗ののち、弁護士となる。成田闘争で不当逮捕された学生や、東アジア反日武装戦線「さそり」の被告の弁護を担当し、寒い刑務所をしばしば訪問し、彼らを励まし続ける。

 そのような女性が私の住んでいるそばに住んでいたというのは、びっくりだった。もちろん彼女が住んでいた頃は、私は京都にはいなかったのだが。昨年、多田瑤子反権力人権賞を根津公子さんが受賞した。東京都の教員で、日の丸・君が代を拒否し続け、毎年処分を受けてきた。まさに彼女は、多田瑤子反権力人権賞を受賞するのにふさわしい人だと思う。東京都知事だけではなく、大阪府知事もファッショを推し進めようとしている今、この権力と戦い続ける人々への温かい心がなによりもうれしい。強きをくじき、弱きを助ける心が日本人から無くなりつつある。強い権力にすり寄るだけの東京都民や大阪府民市民には、ただただ情けない。久しぶりに本から勇気をもらったような気がした。

京都の絵本カフェに行く

2011-02-07 | 読書
京都市の郊外に絵本を読ませるための喫茶店があると聞いて、訪れてみた。バス停のそばにある3階建ての洋風の家の1階にその喫茶店はあった。洒落た金属の看板がぶら下がっている。部屋はやや小ぶりで、座る椅子は13人分くらい。部屋の一方の壁に内外の絵本がきれいに並べてあって、自由に絵本を手にとって読むことが出来る。コーヒーや紅茶を飲みながら、絵本を眺めながらゆったりとした時間を過ごすことが出来た。

絵本はときどきテーマに沿って入れ替えるらしく、行ったときのテーマは、「時をめぐる絵本」というもので、時の流れを感じさせる絵本が選ばれて並んでいた。興味をひいた絵本を探してきて、紅茶を飲みながら読み進んだ。絵本は、文章が短いのが多いから、読むのにあまり時間はかからない。それでもお茶を飲み干した後も、絵本をじっくり読んでいた。店主は絵本が好きでこの喫茶店を始めたらしいので、絵本を読んでいればいくら長い時間椅子を占有していても怒ったりはしないから、こちらもゆっくり出来る。

難点と言えば、椅子があまりゆったりと作られておらず、姿勢を正して読むことを強いられる。これは店主の考えなのかもしれない。ひっくり返って読んだりしないで、絵本は姿勢を正して読めと言うことなのかも。飲み物の値段も普通の喫茶店に比べるとやや高い。でも、普通の喫茶店とは違った趣向が凝らされている。客の様子を見て、途中で店主がやってきて絵本の一つを口上と共に紹介し、やがてショパンの音楽と共にスクリーンが下り、部屋の灯りが消されて、プロの朗読者による絵本の朗読と絵の映写が始まる。今回の映写は「手を つなご」という絵本だった。身障者を父親に持った娘が悲しい思いを父に向ける。父親は泣き続ける娘に「手をつなご」と手を差し出す。そして時は流れていき、車いすの老人と初老の婦人が、昔の河原で過去の出来事を回想する。婦人は老人に手をさしのべて、手をつなぐ、という絵本だった。絵は独特の描き方で、この絵本の原画が部屋の壁に展示してあった。

ここで、私は10冊の絵本を読んだ。「木を植えた男」ジャン・ジオノ著、「虔十公園林」宮沢賢治著、「千の風になって」新井満著、「せいめいのれきし」バージニア・バートン著、「葉っぱのフレディ-いのちの旅-」レオ・バスカーリア著(みらいなな訳)、「岸辺のふたり」マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット著(うちだややこ訳)、「よあけ」ユリーシュルビッツ文・画(瀬田貞二訳)、「てん」ピーター・レイノルズ著(谷川俊太郎訳)、「いつか ずっと 昔」江國香織著(荒井良二絵)、「The Hidden House」Maritin Waddell著 (Angela Barrett絵)。最後の絵本は英語の原本で、欧米では有名な絵本だとか。あとは、すべて日本語の絵本だった。この中で、私がもっとも好きだった絵本は「岸辺の ふたり」。お祖父さんが死んで、一人残された娘がやがて子どもや孫を残して死んでいくまでの物語を、死ぬということを感じさせないで、たんたんと書いている。死ぬことは消えていくことであると。

 絵本は文章よりも絵が大きい役割を果たしている。そう言う意味で言えば、「よあけ」という絵本の絵が私はもっとも気に入った。物語よりも絵だけだったけど。文章と絵がすばらしくマッチしているというのが絵本のもっとも素敵なところなのだろうが、絵だけでも楽しむことは出来る。

 夕方まで2時間以上をのんびりと過ごし、なんとなく心洗われたような気分になって帰路についた。こんな絵本美術館のような喫茶店があったことが不思議な気分だ。でもこの喫茶店、あまり客は来ていないように見える。大丈夫だろうかと思ってしまう。でも客が増えすぎてもこの雰囲気はきっとダメになりそうだし、かといって無くなってしまうのも残念だ。そっと誰かに教えて、少しだけ人々が訪れるようになるといいのだが。

京都の女性作家たち

2011-01-09 | 読書
京都の我が家からそう遠くないところに住んでいた女性作家3人のエッセイ集を読んだ。そのうちのおふたりには、私もお目にかかったことがある。もっとも二言三言声を交わしただけなので、どのような人柄なのかは分からなかったが。もう一人の方には会ったことがないが、三人とも似たような感じがしたのは、エッセイに出てくる風景がどれも似通っているように思われたせいかもしれない。雑誌の編集者をやりながら、詩人でもある。浅山泰美さんのエッセイ集「木霊の書翰」と「銀月アパートの桜」、山口賀代子さんのエッセイ集「離湖」、そして早川茉莉さんの「森茉莉かぶれ」。三人のうち二人は京都の左京区に住み、もう一人は昔住んでいた。そして琵琶湖疏水ぞいの散歩道をしばしば歩いている。私がいつも歩いている道だ。

 3人に共通しているところは、自分たちが住んでいる街に深い愛着を持ち、その美しいところを愛してやまないこと、そして3人が3人とも今は疏水沿いの道の桜の花を心から楽しみ愛しているらしいことだ。さらに、3人ともカフェで一人コーヒーを飲みながら、読書をすることを好んでいる。毎日のようにカフェに通い、多いときは日に何度も行くこともあるという。たしかにこのあたりには素敵なカフェが多い。私も喫茶店にでかけ、コーヒーや紅茶を喫するのが好きなのだが、街の喫茶店ではたばこの煙が充満している店が多く、とくに小さなカフェでは、分煙していないので入れない。ところが、自宅の周りにある素敵なカフェの比較的多くが、こだわりのある店のようで、禁煙のカフェが多い。しかもそれぞれのカフェが店の構えや店内のしつらえ、テーブルの作りなど、京都の風情に合わせてシックでありながらどこかモダンな店が多い。一人でゆっくりとお茶を楽しむことができる店も多いのだ。そんな店を探して彼女らは一人もしくはおしゃべり友達とお茶を喫み、物思いにふけったり、原稿を書いていたりするのだろう。

 我が家から歩いて15分くらいの一乗寺というところに、恵文社という書店がある。この書店が並の本屋さんとは違っていて、実に魅力的な本の取りそろえをしている。すべてのジャンルの本が揃っているわけではないが、芸術や音楽、哲学や社会派文学などいくつかのジャンルの本なら、並の本屋では決してみられないような、しかもその分野なら読んでおくべき本がほぼ揃っている。さらに本の陳列方法も工夫して、平板的な書店の本棚ではなく、実に芸術的な棚の造りと本の配列がなされている。しかも広い部屋に本が並んでいるのではなく、いくつかの大きさの異なる部屋が続いていて、部屋ごとにジャンルも違えば、陳列している棚の様子も違うというように、見ていて飽きることがない。しかも、普通の書店で平積みしているような売れ筋の本などはけっして置いていない。売れるかどうかではなく、置く本を選んでいるから、他の店ではけっして置いていない本ばかりが目に付く。書店に行くとなかなか動かなくなる私なのだが、ここにくると帰る気がしなくなる。できればここにお茶を飲みながら本を読めるようなところがあればと思うのだが、残念ながらそれはない。そんなところを作ったら、みんなそこで本を読んで、買って行かなくなるのかもしれない。

 この書店の奥まった部屋ではちょっとした展示空間があり、陶芸や革製品、手芸品などいろんな手作りの工芸品などが展示されている。ここで早川茉莉さんが主催した本の帯の展示会があった。彼女が編集に関わった本の帯封を中心に壁一面に貼り付けてあり、その一つ一つの帯の色や形や文章にも興味がひかれたが、壁一面の帯封の展示が作り出す色彩と模様の風情にもなかなかの感慨を持った。彼女のエッセイを読んで分かったのだが、彼女はかなり色とか形などの外見にこだわりを持っているようだった。彼女のエッセイ集は他の二人と異なり森鴎外の娘である作家の森茉莉の作品から人柄から何から何までファンであることを、森茉莉宛の手紙という形式で書いたものであるが、そうでありながら彼女自身の好みや人生観をじんわりと見せている。

 私は、森茉莉の作品はずいぶん昔に一つだけ読んだことがあった。「恋人たちの森」という作品で、読んだのはおそらく刊行されてまもなくだったように思う。あまり女性作家の本を読まない私が森茉莉の本を読んだのは、女性作家が増えてきているので、少し読んでみようと思い立ったことと、森鴎外の娘という色眼鏡で考えたことの両方が理由だったように思う。読んだ印象はけっして良いものではなかった。その頃の私は、赤貧とはいえないまでも貧しい生活をしていたから、森茉莉の生活臭のないお姫様の書いた小説に反感を抱いたこともあったし、およそ彼女の関心事と私の関心事は重なるところがまったくないと思った。それ以来、彼女の小説はもちろん、女性作家の作品を読もうと積極的に思ったことはなかった。早川茉莉さんの「森茉莉かぶれ」でも、私がもはや貧しいという生活ではなくなったけれども、そして早川さんが森茉莉のようなお姫様生活をしていないこともよく分かったが、やはり関心の重なりを見つけることはなかった。唯一、カフェで本を読むことについて、同じ生活上の嗜好を見つけた。

 そういうことで、私が女性作家の本をつづけて4冊も読むようになるとは自分でも思ってみなかった。読んだのは、体調が良くなく、パソコン仕事を根を詰めて長時間やるのが辛くなったこともあり、読書に充てる時間が増えたことと、これらの本が作家たちからわが連れ合いに贈られてきたこと、ご本人達にも彼女を通じて会う機会があったことなどが理由である。だからすぐに女性作家の作品を好きになったと言うわけではないが、読みたくないというこれまでの気持ちから少しは読んでみた方がいいのかもしれないという気持ちにさせてもらった。3人の作風は少しずつ違うが、共通して自分の周りの風景を愛しんでいるのが感じられ、私の風景を見る目が少し変わってきたようにも思う。

「人間」の「静かな大地」

2010-10-12 | 読書
池澤夏樹の「靜かな大地」を読んだ。明治維新で侍の身分を失った淡路島の人たちが、明治政府太政官の命で、蝦夷地に入植する。そこでアイヌの人たちに出会う。主人公の宗形三郎・志郎の兄弟はアイヌの少年と仲良くなるが、多くの和人はアイヌを軽蔑し、差別し、遠ざける。宗形三郎は、アメリカの牧畜を学び、静内にアイヌの友人と共にアイヌのための牧場を開き、成功する。しかし、アイヌびいきと言われ、和人からいとまれ、妬まれ、圧力を受ける。アイヌが日本政府による「土人同化政策」によって徐々に死に絶え、抹殺されていくのと軌を一にして、宗形牧場も衰え、希望を失った彼は妻の死に際して自らも自死する、という物語だが、この小説にはモデルとなる人物がいる。そして和人の入植によって民族の消滅への道を歩まされていくアイヌの人々の様子を、うかがい知ることができる。アイヌを差別しいじめ抜いた和人の中にも、江戸時代の松浦武四郎のように、そしてこの宗形三郎のように、アイヌを差別することを嫌い、アイヌと共に生きた人がいたということ、そこに一つの小さな灯りを見ることができた。

 私が15年間住んだ北海道だが、アイヌ民族の存在はアイヌ人とはっきりさせて観光業に従事している人を除けば、日常でアイヌの存在を知覚することはなかった。しかし、戦前の地図をみると、アイヌという言葉がちゃんと印刷され、図示されている。この人たちは多くは日本人に同化することを強いられ、自らのアイデンティティを失っていったのだろう。北海道はまさに侵略された土地なのだ。もっとも日本という国も、大陸から渡来してきた今の日本人の祖先によって侵略された土地なのだけど。

 しばしばアイヌの人たちの生きる知恵を書物などで教えられてきた。食べ物は神から送られた贈り物であり、食べた後は感謝して神の国に送り返す。生き物を捕らえ食べるときには、かならず取り尽くすことはしない。熊や狐やフクロウたちにも食べ物を分ける。そのような自然を敬うアイヌの生き方と、何ものも取り尽くそうとする和人の生き方の違いが、この本にはよく分かるように書かれている。宗形三郎の夢に現れたアイヌの神カムイはこう言った。「今、和人は驕っているが、それが世の末まで続くわけではない。大地を刻んで利を漁る所業がこのまま栄え続けるわけではない。与えられる以上を貪ってはいけないのだ。いつか、ずっと遠い先にだが、和人がアイヌの知恵を求めるときが来るだろう。神と人と大地の調和の意味を覚るときが来るだろう」。それは今ではないだろうか。

微笑みと憎悪

2010-08-15 | 読書
微笑
                    峠 三吉

あのとき あなたは 微笑した
あの朝以来 敵も味方も 空襲も火も
かかわりを失い
あれほど欲した 砂糖も米も
もう用がなく
人々の ひしめく群の 戦争の囲みの中から爆じけ出された あなた

終戦のしらせを
のこされた唯一の薬のように かけつけて囁いた
わたしにむかい
あなたは 確かに 微笑した
呻くこともやめた 蛆まみれの体の
睫毛もない 瞼のすきに
人間のわたしを 遠く置き
いとしむように湛えた
ほほえみの かげ

むせぶようにたちこめた膿のにおいのなかで
憎むこと 怒ることをも奪われはてた あなたの
にんげんにおくった 最後の微笑

そのしずかな微笑は
わたしの内部に切なく装填され
三年 五年 圧力を増し
再びおし返してきた戦争への力と
抵抗を失ってゆく人々にむかい
いま 爆発しそうだ

あなたのくれた
その微笑をまで憎悪しそうな 烈しさで
おお いま
爆発しそうだ!


原爆症で死んだ峠三吉の残した言葉の数々は、いまも鋭く私たちを刺す。戦争への力はいまも強く、抵抗を失う人はいまも増え続ける。 今日、敗戦の日。そして解放の日。

公害と薬害と原発の共通点

2010-06-19 | 読書
かなり昔、1990年代に出版された広瀬隆著「腐蝕の連鎖」という本を読んだ。エイズやスモン病などの薬害をまき散らしたミドリ十字や武田薬品などの製薬会社の幹部たちが、戦時中に捕虜を使った人体実験で著名な731部隊といろんなところで関わりがあることを明らかにした書だ。ミドリ十字という会社が731部隊の姿を変えたものだということは聞いていたが、その他の薬害を引き起こした製薬会社も閨閥などで731部隊の人脈につながっていたとは知らなかった。さらに水俣病を引き起こしたチッソの創業者が大陸で731部隊とも関わっていたという。日本の公害と薬害は、けっして偶然に起こったものではなかったことがよく分かる。人をモルモット代わりにして医学の実験を行っていた軍事医官たちが、アメリカに免責されて、戦後も同じ感覚を持ち続けていたのだろう。

 さらにこの書は、中曽根康弘という日本の原子力開発に国家予算を初めて投入した首相とその閨閥が、日本の原発建設に関わりを持つ多くの企業人と親類関係を持ち、その人脈がさらに薬害とつながっていることを明らかにした。日本人の健康を台無しにして、さらに将来の日本人を放射能の危険にさらしているのが、一握りの血縁、友人関係にある人たちであるというのは、本当に恐ろしいことだ。

 そして、原発がきわめて危ない日本列島の活断層のうえにあること、それを知らぬ振りを決め込む政府の役人たちやデータを都合良く解釈して原発は安全だと言う御用学者たちが、よく調べるとみんな閨閥や友人関係でつながっているという。そう言う目で見ると、彼らの行いがよく見えてくる。彼らのグループに属しているが、中にはきっと良心の呵責に苦しんでいる人もいるに違いないと思うのだが、そう言う人はいつのまにか暗闇に押し込まれてしまうのだろう。日本を牛耳る一握りの人々。彼ら血でつながるものたちは、彼らの利益と栄華のために、日本人の健康も生活も未来も踏みにじって顧みない人たちなのだろう。日本とはそう言うところだと言うことが分かった。目から鱗の本だった。