ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

検察の越権と外相の無策

2010-09-29 | 政治
菅内閣のやり方は、やはり官僚主導なのだろうか。それとも間違った政治主導なのだろうか。中国の漁船船長を逮捕して、粛々と司法手続きを進めると言ったのは菅首相であり、前原外務大臣だった。ところが那覇地検が「日中関係に配慮して」船長を釈放した。官僚主導の釈放のように見えた。なぜ那覇地検という一官僚組織が外交的配慮で物事を決めたのか。いつから検察はそんな権力を持ったのか。検察の思い上がりも甚だしい。

 やっぱり菅内閣はカンカラカン(菅から官)の内閣だったか、と思ったのだが。ところが、どうやらそうではなかったらしい。仙谷官房長官が外務官僚を沖縄に派遣し、日中間の関係に配慮して釈放するよう働きかけたという。ここには二重の誤りがある。

 先日のブログにも書いたように、政治的に船長を釈放することは必要だったと思う。しかし、それは検察が外交に配慮して起訴保留にするということではない。検察にそんな権限はないのだ。検察の大罪がここにある。政治的に釈放するとすれば、それは当然政治主導で行われる必要がある。政府は指揮権発動ととられるのを怖れて、あくまでも検察の独自判断だと言っている。しかし、これはおかしい。政治的な決着をするのが政治家の仕事である以上、外交上必要と判断したら堂々と指揮権発動をやればいい。権限もないはずの官僚組織である検察に外交判断をさせると言うこと自体、政治主導を掲げる菅内閣の大罪である。

 前原外相は釈放に反対だったようだ。岡田前外相も粛々と司法手続きをすべきだといっていた。やはりこの二人は外交に向かない。岡田は外交ができない人だし、前原は硬直した思想で、やはり外交はできない。今回の失態の責任は、事件当時ただちに政治判断をしなかった岡田前外相と、前原外相にある。ともに責任をとって外務大臣を辞するべきではないか。対中国にパイプを持つ小沢一郎が今こそ必要だ。

日本外交の貧弱さ

2010-09-23 | 政治
いつまでも暑い残暑だったが、ようやく30℃を下回った。今日から急激に温度は下がってくるという予報だ。これでようやく人間らしい生活が始まる。明日の朝は京都も20℃を下回るらしい。

 しかし、南の海は熱く波高しだ。尖閣諸島周辺の海で中国の漁船と日本の巡視船が衝突した事件で、船長が日本側に拿捕され、日本の司法手続きで処罰されようとしているからだ。中国はさまざまな手段で船長の身柄を解放するよう要求している。日本は「尖閣諸島は日本固有の領土である。東シナ海に領土問題は存在しない」という立場だし、中国は「尖閣諸島は中国固有の領土だ」と主張しており、中国の領土での衝突事件を日本が裁くことは許せないという立場だ。尖閣諸島については台湾も台湾の領土だと主張している。

 尖閣諸島の魚釣島は、小さな無人島なので領土そのものにそれぞれの国は特別固執してはいないのだろうが、鉱物資源の豊富さと経済水域の大きさから、どの国も尖閣諸島を自国の領土と主張している。だから領土問題は存在しないというのは、日本の勝手な思いでしかない。あきらかに尖閣諸島は領土問題なのだ。それは、北方四島についての日本とロシアの主張を考えてみればいい。ロシア(ソ連)は一度は北方四島の二島について日本の主権を認めた。しかし、その後日本とソ連・ロシアとの間には冷戦を挟んで領土問題に進展はない。しかも、ロシアからは「日露間に領土問題は存在しない」という声も聞こえるようになった。

 尖閣諸島の領土問題もこれと同じ構図だ。日本は領土問題は存在しない、といっているが、それは一方的な言い方に過ぎない。中国や台湾が尖閣諸島は自分の領土だと主張している以上、領土問題は存在しないとは言えない。北方四島も日本が日本の領土だと言っている以上は、領土問題は存在しないということは事実ではないように。

 領土問題で日中がいま軋轢を強めるのはけっして良いことではない。日中関係が小泉政権以来、緊張関係を続けてきて、ようやく日中の間に協力の機運が出てきたときだ。領土問題をいまこじらせることはけっして得策ではない。日本の民主党政権では外務大臣が替わったばかりだが、岡田外相にしても前原外相にしても、堅い印象が強すぎる。「粛々と日本の法律に基づいて進めている」と繰り返しているが、それこそ自国の領土だと主張している中国にとっては許せないと言わざるを得ない言い方だ。ここは、かつてソ連が良くやっていたように、日本の漁船が北方四島周辺の海で密漁していたのを捕らえても、かならずしもソ連・ロシアの法律で裁くだけではなく、政治的な情勢を考えて、「人道的に」船長を釈放するということをしばしばやってきた。今回の場合も、そうするのがもっとも日本のためにもなると思う。

 「人道的に」釈放するというのは、「政治的に」釈放すると言うことだ。アメリカは日本の立場を支持し、日本の司法手続きをするべきと言ってくれている。しかし、アメリカの本心は別にあると思える。中国が日本と離反することをアメリカは本当は望んでいるのだ。実際、中国は日本を非難する一方で、アメリカに近寄り始めた。アメリカが台湾に武器を輸出したことを機に、中国はアメリカとの距離を取り始めていた。アメリカとの軍事交流を中断した。ところが今日のニュースでは、中国はアメリカに軍事交流の再開を提案したという。まさにアメリカの思惑通りになってきた。アメリカにとっては、日本が領土問題を盾に中国と距離を置いてくれれば、米中関係をアメリカの都合の良い方向に進めることができると思っている。だから、親切ごかしに日本を支持し、けしかける。これがアメリカ外交だ。

 それに比べると日本の外交は硬直しすぎている。前原外相はもっとも外相としては不向きな人ではないか。岡田外相もそうだったが。適材適所といいながら菅内閣の人事は論功行賞が主で、外交に長けた人を外相にはしなかった。前原外相は、中国脅威論を考え方の中心に置いている人だ。そう言う人に対中外交は難しい。正しいと思う主張だけをしていては外交とは言えない。その無策がさっそく日中関係で試されている。アメリカ外交のしたたかさに、またもややられっぱなしかもしれない。中国とどうつきあっていくか、菅内閣は明確な戦略を持たねばならない。アメリカの言うなりになれば、気がついたら日本だけが外れていて、米中蜜月時代が始まっているかもしれない。

検察の闇 今こそ政治主導で

2010-09-21 | 政治
大阪地検の特捜部の前田恒彦主任検事が、郵政不正事件に絡んで証拠として押収したフロッピーディスクのファイルの日付を書き直していたと報道されている。そして、前田主任検事は、その事実を認めているらしい。検察の腐敗はずいぶん進んでいると聞いていたが、やはりという感じがする。権力を持つ検察や警察が、身内には甘く、敵対するものには団結の力で証拠を隠滅したり改ざんしたりしているだろうとは、およそ想像されていた。そうでもなければ、起訴した事件の有罪率を99.9%にすることなど考えられない。スターリンやヒットラーの専制政治ならしらず、日本のこの有罪率は世界に他に例を見ない高率らしい。

 検察の裏金疑惑が出てきたときに、内部告発をすると言っていた大阪高検の公安部長であった三井環氏をテレビ局との接触直前に無理矢理ひねり出した罪状で逮捕して、実刑判決にして刑務所に放り込み、検察の悪を暴く奴は身内といえども許さないという権力の脅しを見せつけた。その大阪高検の特捜部の検事がやっていたことは、証拠のねつ造だったことが初めて明るみに出た。三井事件もあらためて捜査をやり直してはどうか。大阪高検ではなく、別の公正な捜査ができる組織が再捜査を行うべきではないか。

 「国策捜査」という意識で大阪に限らず東京や名古屋の特捜部検事は、権力を行使している。鈴木宗男議員も、彼らの権力の意向をくみ取った国策捜査で有罪になった。そして身内の悪はあくまで隠す。善良な市民を罪に陥れても彼らは平気だ。高知県で起こった白バイがスクールバスに衝突した事件では、警察官のスピード違反を隠すため、動いていないバスの運転手を、タイヤの跡を警察がねつ造してまで犯人に仕立て上げ、警察の身内をかばった。そのために、犯人にされたバスの運転手は実刑判決を受けた。無実の罪で刑務所に入れられた彼の悔しさはいかばかりだったろうか。

 その他にも検察や警察が作り上げたえん罪と思われる事件は枚挙にいとまがない。村上厚子元厚生労働局長も、一昔前の自民党長期政権時代だったらきっと有罪にされていただろう。検察は何でもできるのだ。証拠など有罪にするためならなんとでもする。なければ作り出すし、不利な証拠なら改ざんする。日本の検察はいつのまにか戦前の特高になりかかっている。

 官僚の中の官僚とも言える東京地検特捜部検事たちが、官僚主導のこの世の中を変えられてはたまらないと思って、あることないことをマスコミに垂れ流し、マスコミを味方につけながら鳩山・小沢のコンビを疑惑の中に沈めることに成功した。これまでならほとんど罪に問われることもなかった形式的な政治資金規正法違反で小沢秘書を起訴し、小沢一郎になにかカネに絡んだ疑惑があるかのように宣伝し、民主党政権から追い落とし、さらにうまくいけば自民党の復活をもくろんだ。参議院選挙では、その「政治とカネ」という不思議なフレーズがマスコミを賑わし、実態のない疑惑の雲を民主党政権にかぶせて、自民党を復権させようと検察が動いたと言うことではないか。参議院選挙ではそれがうまくいった。自民党時代に政府の官房機密費をもらっていたマスコミも、それに乗って「政治とカネ」と大宣伝した。

 さらに民主党の議員の中で、小沢のせいで参議院に負けたと自らの責任を転嫁したい議員が、小沢を追い落とすために「選挙とカネ」という言葉を利用した。検察の思惑は、検察の手を離れてからも、みずから動いていった。今回の大阪地検特捜部の証拠ねつ造事件は、そのような全体の動きの中で表に出てきたものに過ぎない。検察をこの際幹部を一掃するなど徹底的に改革する必要がある。最高検察庁が捜査に乗り出し、前田主任検事を逮捕したようだが、検察はきっと彼の個人的な犯罪として片付けようとするだろう。しかし、そうさせてはならない。検察庁が検察の闇を暴けるはずがない。いまこそ政治主導が必要だ。小沢さんや三井環さん、鈴木宗雄さん、佐藤優さんなど国策捜査の被害者を特命検事に任命し、検察のやり方を徹底的に暴いて欲しい。マスコミがどう動くか、今度こそ監視の目を強めていかねばならない。

 まずやることは、検察庁の幹部を総入れ替えすることだ。大阪高検の特捜部は廃止しよう。

チンパンジーの戦争

2010-09-20 | 日記風
国際霊長類学会という類人猿などを研究する学者の集まりで、市民公開講座が京都大学で開かれた。講座のタイトルは「暴力の起源とその解決法」という。面白そうなので聞きに行った。一般市民が対象なので、さまざまな人が来ている。そしてさすが京都だけあって、着物姿の女性が目立つ。外国人も多い。なぜかというと、講師はハーバード大学のリチャード・ランガム教授と京都大学の市川光雄名誉教授、同志社大学の小原克博教授の3人で、メインはランガム教授の「チンパンジーと人類の戦争の起源」という非常に興味深い話だったからである。

 ランガム教授はチンパンジーの研究を長年続けている生態学者で、彼の講演は興味深い新発見が紹介されていた。チンパンジーでは、集団で赤ちゃんチンパンジーを襲って食べてしまうという行動が十数年前に発見されて、話題になった。チンパンジーは雑食なのだが、生きた動物の肉も食べる。その対象に、同じチンパンジーの赤ん坊も入ると言うことが衝撃を伴って受け入れられたのだ。しかし、あくまでそれは何か異常な興奮があったときにたまたま近くの赤ん坊サルが攻撃に対象になってしまったいわば過誤によるものではないかと考えられた。ところが、同じような例がその後も見つかったことから、かならずしも例外的なことではないかもしれないと思われるようになった。

 最近の研究では、チンパンジーの群れの間では、ときどき攻撃が起こり、その結果死亡するサルが出ていることが明らかになった。チンパンジーの群れ同士が戦争をするというきわめて人間的な行為が観察されるようになったらしい。戦争は人間だけのものだと考えていたが、人類の進化的兄弟と思われる類人猿でも戦争に類似したことが起こっているというのは、衝撃的な話であった。そこから、彼の話は人類の戦争の起源に結びつく。その行程は、(1)群れの離合集散が続き、(2)群れ間の数の不平等が生じ、(3)戦闘による結果、大きい群れが小さな群れを吸収してさらに大きくなる、(4)それがさらに群れ間の確執を大きくして、戦争に発展するというシナリオが、初期人類の群れ間でも起こったのだろうという。その上で、ランガム教授は、戦争を回避する努力を人間の義務として紹介する。

 一方、市川名誉教授は、南米のインディオやアフリカのピグミーなど原始的な生活をおくる人々の生活を追いかけてきた文化人類学者であるが、彼の講演は、このような民族の生活が基本的には戦闘や戦争を避けるような共存、共生の生活様式を持っているかを紹介した。所用のために、小原教授の話は聞けなかったが、神学者の彼の話は宗教と暴力の話だったようだ。

 途中で出てしまったが、この講演会はなかなか面白かった。ランガム教授の話では、暴力の内容が戦争とその解決法というくくりで話されたが、市川さんの話では個人的な戦闘が中心で、群れの中の暴力を避ける仕組みを人間の群れが作りだしていくありさまが中心であった。部族間の戦闘=戦争もその延長上で話されたように思う。面白く感じたのは、ランダム教授が基本的に個体間や群れ間の関係を闘いという目を通して考えているのに対して、市川さんの話は、共存と共生を中心に考えているというところだった。アングロサクソンの白人の考え方が競争や闘争を諸関係の動因としてとらえるのに対して、モンゴロイドの日本人の考え方は、自然との共生や個体間・群れ間の共存を中心に考えるという違いがきわめて鮮明だったことである。もちろん、日本人研究者も西洋科学の影響を受けて競争や戦闘を個体間の関係を解明する中心に置く人が増えてきている。しかし、やはり私たち日本人には、競争・闘争ではなく、共存こそが個体間、群れ間の関係性を説明するものであるはずだ、あるべきだ、と思う信条があるように思う。

 宗教と暴力や戦争との関係は、またきわめて面白く興味深いものだが、類人猿から始まる暴力や戦争と、類人猿には見られないと思われる宗教との関係については、やはり違った面から考える必要があるだろう。霊長類学会が主催する講演会で宗教と暴力の関係がどのように議論されるのか、関心はあったが、俗世間の関心事に負けて最後まで聞けなかったのは、ちょっと残念だった。

 北海道の地の果てに近いところや、関東でも田舎に住んでいると、このような知的な刺激を受ける機会は少ないが、京都の町中に住んでいると、そのような機会は溢れるほど多い。その結果、大事に思わずに、またの機会に等と思ってしまう。でも関心のあるこのような催しをすべて参加していたら、私の日常は成り立たない。山へ行く機会も持てなくなってしまう。悩ましい。贅沢な悩みかもしれないが。

狂った夏 サンナシ小屋で

2010-09-18 | 環境
狂ったような暑い夏が続いている。仲秋の名月である9月22日や秋の彼岸の23日まで、関西地方は30℃を超えると予想されている。京都では8月の平均気温が、記録を取り始めてから130年来の最高記録だという。京都府の京田辺市では最高気温が39.9℃を記録したという。もっともこの記録は温度計の誤測定だったと後から発表されたらしい。まあ、記録はともあれ、激しく暑い夏だったことは間違いない。これは世界中の気候に連動している変化らしいから怖い。

 暑さがまだ盛りの頃の9月はじめ、北海道の釧路へ飛んだ。京都の暑さにもうダウン寸前だった私は、釧路へ行くことでパラダイスに行けると思ってその日を楽しみにしていた。ところがこの猛暑は釧路にも来ていた。釧路を中心とした道東太平洋岸は、8月も半ばを過ぎれば秋風が吹き、トリカブトやキンミズヒキ、ミソハギなどの秋の花が乱れ咲く。ところが今年は釧路も猛暑の影響を受けて暑い。道東で夏といってもじっとしていて汗をかくことなど経験したことがなかったが、今年は汗が出てくるような気温が続いていた。日射しもまるでジリジリと炙られるような、これも経験したことがないような暑さだった。道東では夏と言っても過去の記憶では半袖になることが少なかった。せいぜい一週間ほど半袖を着ていたが、すぐに長袖になった。8月でもストーブを入れていた夏もあった。それが今年は暑い暑いというほどだ。冷房を入れた事務所や店もあったようだ。普通の家では冷房はおろか扇風機もない家が多い。暑い夏も団扇一つで十分乗り切れたのだが、そろそろそれもダメになりつつある。

 サンナシ小屋に行く途中の野原では、見渡す限り無数の黄色い蝶が乱れ飛んでいた。よく見ると90%くらいがモンキチョウだ。一部、モンシロチョウやスジグロシロチョウも混じっているが、とにかく蝶が多い。道路にも蝶が押し寄せていて、車を走らせている間に蝶に次々とぶつかる。40分くらい車で走っている間におそらく数百匹の蝶とぶつかって殺したことだろう。それほど蝶が大発生していた。これも今年の猛暑と関係あるだろうと思う。道東では寒い夏には蝶をほとんど見ないこともある。数年に一度くらい蝶がたくさん見られる夏があったが、こんなに多くの蝶をみたことは一度もない。

 日本の上に、いや地球の上に、なにかたいへんなことが起こっているように思う。それはよく言われる地球温暖化の現れなのかもしれないが、ひょっとしたらもっと大変なことが起こっているのではないかと、恐ろしく思う。得体の知れない恐ろしいものが、狂暑の京都でも、極楽のように見える蝶の乱舞するサンナシ小屋でも、姿を見せ始めているのではないかという恐怖が襲ってくる。

 IPCCの気候変動を論議している研究者たちが、22世紀に入る頃には気温が今より4℃から6℃も上昇しているかもしれないという予想を発表していたが、そんなのんきなことを言っている場合ではないじゃないかと思ってしまう。2100年には、人類は生きていける場所がほとんど残っていないのではないかと危惧する。でもマスコミも政府も、2050年までにCO2の排出量を今の半分に減らすなどという目標を立てて、それでも目標が達成できそうもないなどとシラッとして言っている。たとえ半分にしたっていまよりはもっとCO2の濃度は上がっているのだ。今でもこれだけの異常気象が起こって、それが毎年のように規模が拡大している。2050年までにそれが壊滅的にならないなどといったい誰が言えるのだろうか。それでも経済界では明日の自らの利益を上げることだけに目を奪われて、人類が破滅の危機に立っているかもしれないという意識など持ってはいない。

 排出量を今より減らすなどという議論ではもう手遅れだろう。目標は大気中のCO2濃度をいかにして減らすかという目標をつくらないといけない。それができない以上は、今年よりも来年はさらに大規模な異常気象が起こり、さらに再来年はもっとひどくなるということになるだろう。温暖化は一部の学者がつくりだしたウソだという言説が最近流行っているが、ではそう言う人は温暖化はウソだと証明したのだろうか。けっしてそうではない。科学的には確かにCO2濃度と温暖化の間の関係が本当にあるのかという問題は完全に解決されていないことは確かだが、だからといってその結果が起こるまで対策を取らないというのは自殺行為になりかねない。刑事事件では犯罪が証明されるまでは推定無罪であるが、環境問題に関しては、推定無罪というわけにはいかない。その関係性のおそれがないと科学的に証明されるまではあくまで関係性があると推定して対策を立てるべきなのだと思う。

 風が寒くなってきた釧路から帰ってきたら、京都もさすがに少し涼しくなっいた。予報によると今月末から急激に冷え始めるという。今年の冬は逆に極寒の冬になりそうな気配でもある。やれやれだが、これも人間の仕業であることは間違いないだろう。

沖縄を切り捨てた菅内閣 民主党を見限った沖縄

2010-09-17 | 政治
とうとう民主党は沖縄の人たちを完全に切り捨てたようだ。そして沖縄の人たちは民主党を見限った。7月の参議院選挙で、民主党は候補を擁立することもできなかったし、比例区で一位だった社民党に遠く及ばず、自民党にさえ負けた。比例区で出て沖縄の声を国会に届けて活躍していた喜納昌吉さんをも落選させた。先月の名護市議選では、基地建設反対を掲げて市長になった稲嶺進の与党系18名のうち16名が当選し、市議会の過半数を制したが、唯一の民主党候補は落選した二人の内の一人だった。

 先日の民主党の代表選挙で、党員やサポーターの獲得ポイントで菅首相に5倍の差をつけられて敗れた小沢さんが、沖縄では圧倒的なポイントをとっていたことは、沖縄の人たちがいかによく政治を見ているかを示した。もっとも日本全体では党員票のポイントは249対51で、圧倒的に菅首相が取ったのだが、これは総取り制(小選挙区制みたいなもの)というやり方が原因で、票数で見ると6対4くらいの差でしかない。

 外務官僚と防衛官僚のいうままに日米合意を推し進める構えの菅首相は、いまや沖縄の民意がもっとも彼の前に立ちはだかる邪魔と思うようになったようだ。たかだか市議選のために、民主党政権をあげて反市長派を応援した。前原国交相は、市議選の前にわざわざ名護市を訪れて反市長派の頭目の島袋前市長を訪ねて会談した。明らかにこれは反市長派=辺野古基地受け入れ派の露骨なてこ入れだった。しかも、菅内閣が自由に使えるようになった官房機密費を反市長派に渡しに行ったというのが、前原国交相の訪問のもう一つの役割だったと言われている。

 菅首相は代表選挙に勝った後も、普天間問題は日米合意に基づいて進めるとしか言わない。そして彼が決めた新外相に前原誠司氏が座った。これはまさに沖縄の人たちに辺野古の基地建設をこのまま進めるぞと言う脅しだろう。前原氏は強固な日米同盟主義者であり、アメリカの言うことを大事にすることが最も大事と考えているのだから。沖縄なぞは考慮するに値しないと思っているだろう。沖縄は民主党に議席を与えないし、あんなやつらの意向を汲むこともないと本気で思い始めている。民主党の幹事長になった岡田克也氏は、かつて鳩山内閣の中で辺野古への回帰に強く反対していた福島瑞穂大臣に、官僚の使った言葉そのままに批難をした。彼も日米同盟至上主義者だ。

 11月には沖縄県知事選挙がある。現職の仲井真知事は、いまだに辺野古基地建設に賛成とも反対とも言わない。しかし、彼は最後には建設に賛成することは既定路線である。いま賛成といわないのは沖縄県民の民意が反対にあることをよく知っているからであろう。民主党の菅内閣は、辺野古基地を造る路線を進めるためには、自民党の推薦する仲井真知事をいっしょに推薦することを狙っているという。自民党も民主党もアメリカのために働きたいと思っているのは同じなのだ。でも、沖縄の人たちはもうその手には乗らないだろう。宜野湾市長の伊波洋一氏が知事選挙に立候補する意向を示している。彼は明確に普天間基地の国外移設を主張している。彼が知事になったら、民主党政権そのものがもたないだろう。菅内閣は来年3月まで持たないという小沢一郎氏の見方はそこにある。沖縄県知事選挙で民主党は負け、国会では行き詰まる。小沢氏の反撃がそこから始まるのかもしれない。

 菅直人氏は小沢氏の「政治とカネの問題」という意味不明なマスコミ用語で小沢氏を破って代表選挙に勝った。菅内閣はクリーンを旗印に掲げた。しかし、クリーンであることが国民の幸せにつながるとは限らない。むしろ小泉内閣が良い例だが、クリーンな政府は国民に過酷であった。多少カネに汚くても、国民のために働く政治家が欲しい。私腹を肥やしただけのフィリピンのマルコスのようなことがなければ、子分にカネを配るために多少のやましいことがあったとしても、私たちは目をつぶることができる。クリーンな政府を標榜した犯罪者が昔ドイツでナチス政府をつくったことがある。

カンカラカンよりイチロー

2010-09-05 | 政治
マスコミは朝日から産経までそろいもそろって小沢憎しの論評ばかりだ。マスコミの世論調査を武器に小沢一郎の代表選挙出馬に相も変わらず「政治とカネ」の大合唱。菅首相までが「政治とカネ」を問題にしている。菅首相は政策論争をといわれて、またまた消費税増税を持ち出した。この男は、参議院選挙で示された民意を何とも思わないのだろうか。いや、カンカラカン(菅から官)に変わったのだろうか。それでも消費税を出してくると言うのは、アホとしか言いようがない。

 マスコミの世論調査というのが、マスコミが喜ぶ世論誘導の調査で、結果はやる前からほぼ決まっている。「政治とカネ」と言えば、調査をされるほとんどの人はマスコミの論調に併せて回答する。そうすると小沢はダメだという結論に結びつける。検察特捜部の思うつぼでもある。そしてそれはアメリカの世論操作の結果でもある。内閣の官房機密費がマスコミにずっと垂れ流されていたのは、明らかになったが、アメリカのCIAから日本のマスコミは裏金をもらっていないと言えるのだろうか。

 官僚はこれまでの自民党政権でアメリカの言うなりになることが自分たちの地位の安定と利益になることを学習してきた。官僚は菅首相を昔の路線に引き戻したいと思っていろいろ入れ知恵をしている。くさかんむりがとれてカンカラカン(菅から官)と菅直人の総理大臣のクビが落ちては困る奴らがいっぱいいるんだろう。マスコミの中にも。インターネットではマスコミの世論調査とはまったく逆の結果が出ている。

 クリーンでオープンな政治は、たしかに必要だと思うけれども、クリーンといわれたコイズミ首相がいったいどんな政治をしたか。アメリカの言うなりになり、金持ちを優遇し、日本の郵便貯金200兆円をアメリカ資本に差し出した。もう少しでアメリカ資本がそれを手に入れようとしたところで、政権交代が起こり、郵政見直しが始まった。しかし、まだ法律を通すところまで行っていない。そして菅首相は郵政見直しをやろうとしない。このままではゆうちょ銀行の預金はアメリカ資本に食い物にされてしまう。

 自民党出身だから、多少そのやり方にカネの臭いがするけれども、犯罪と言うほどのこともないのだから、ここはぜひ一度小沢一郎に総理大臣をやってもらい、マニフェストの主なところはきちんとやり遂げてもらいたい。カンカラカンでは民主党も自民党となんら変わりない。民主党をかならずしも支持していない私としては、カンカラカンがこのまま続いて、国民から民主党も指示されなくなっても一向にかまわないのだが、政権交代しても同じだとみんなが思いこみ、政治に無関心になるのが一番怖い。

 マニフェストの中でも、国会議員の定数削減という公約は止めて欲しいが、そのほかの多くはぜひとも実現して欲しいものが多い。国民の生活第一という言葉は、カンカラカンとどこかへ置き去りにして欲しくないものだ。小沢一郎にここは期待する。首相がころころ変わるというのもたしかに困ったものだが、これだけころころ変わっている以上、いまさら一人変わろうが変わらなかろうが、たいした違いではない。それよりも、国民の生活がどうなるか、それの方が大事だ。こんな時にも消費税の増税を持ち出す菅直人では、国民の生活はどん底から抜け出せない。