法務省の勉強会は、殺人など重大な犯罪について、死刑などの特に重い罪については公訴時効を廃止し、それ以外の罪についても時効を延長する方向で見直すべきだとの最終報告を発表した。時効撤廃を強く求めている被害者や遺族の要望に応えたもので、法務省は今秋の法制審議会に刑事訴訟法の改正などを諮問する考えだという。マスコミは例によって時効廃止の大合唱をしている。しかし、私は反対だ。
反対の理由は大きく三つほどある。その一つは、冤罪が多発する可能性が多いと言うこと。殺人など死刑に相当する罪の現在の時効は25年。それをそれ以上伸ばしても、事実上新しい証拠を見いだすことは難しいし、既存の証拠も劣化する。粗雑な捜査が行われ、罪もない人が罪を着せられる可能性がいまよりもずっと高くなる可能性が大きい。今でもたくさんの人が冤罪に泣いているというのに。
反対する二つ目の理由は、現実に無理だろうということ。もし、時効が廃止になって、無限に捜査が続くことになれば、刑事の数は今の数倍が必要になる。増員をやらずに時効を廃止したら、結局のところ犯罪捜査の刑事・警官が過労になり、犯罪の検挙率は今よりずっと落ちるだろう。昔の犯罪にいつまでも足を取られて、今の犯罪も捜査がずさんになってしまうのだ。さらに、犯人が知らない間に死んでしまっていたら、捜査は無限に続けざるを得なくなる。いつまで経っても捜査を止めることができなくなるからだ。これはものすごくお金が掛かる。今の政府や自治体の財政ではとてももたないだろう。公訴時効の制度は、現実の制度の限界から考えられたものである。時効廃止などと言うのは非現実的だ。
最後の理由は、被害者のすべてがいつまでも犯人捜しを希望してはいないだろうと思うからだ。マスコミには、いつまで経っても犯人が捕まらない限りは、心の傷は治らないという被害者の遺族のコメントに溢れている。しかし、本当にそんな人ばかりだろうか。けっしてそうは思わない。早く忘れたいと思っている人もいる。そしてどんなに身近な人が非業の死を遂げたとしても、いつかはかならず人の心から忘れ去られるときが来る。生き残った遺族は時効がなければ、いつまでも被害者のことを思い出さざるを得なくなる。それは本当に良いことだろうか。癒されるのは、犯人逮捕ではなく、時間が過ぎ去ることだ。
それでも時効で犯人が許されることが納得できないという人も多いのかもしれない。しかし、それは個人の感情であって、国の司法が考えるのはそういう報復感情ではない。人々に法を尊重させ、治安を守るための司法なのだから、絶対に許せない犯罪はそうあるものではないのだ。凶悪な犯罪件数はどんどん減少している昨今なのに、なぜか人々の報復感情は激しやすくなっている。これと意味の不明な(手当たり次第の)殺人の出現とは、同じ事象の裏表に過ぎないように思える。死刑になりたいために誰でも良いから殺すという、死刑があるから起こる犯罪も起き始めている。
ただ一つ、私が時効を撤廃しても良いと思うのは、ドイツがナチスの人道に背く犯罪に適応したような「人道に反する犯罪」だ。「数人の人を殺せば殺人犯だが、たくさん殺せば英雄だ」といわれるような戦争犯罪は本来許してはいけない。近くは、アフガンとイラクで数十万人を殺したブッシュ米大統領。そして米軍のイラク侵攻を即座に支持したコイズミ元首相。この二人の罪は永久に時効は来ない。
反対の理由は大きく三つほどある。その一つは、冤罪が多発する可能性が多いと言うこと。殺人など死刑に相当する罪の現在の時効は25年。それをそれ以上伸ばしても、事実上新しい証拠を見いだすことは難しいし、既存の証拠も劣化する。粗雑な捜査が行われ、罪もない人が罪を着せられる可能性がいまよりもずっと高くなる可能性が大きい。今でもたくさんの人が冤罪に泣いているというのに。
反対する二つ目の理由は、現実に無理だろうということ。もし、時効が廃止になって、無限に捜査が続くことになれば、刑事の数は今の数倍が必要になる。増員をやらずに時効を廃止したら、結局のところ犯罪捜査の刑事・警官が過労になり、犯罪の検挙率は今よりずっと落ちるだろう。昔の犯罪にいつまでも足を取られて、今の犯罪も捜査がずさんになってしまうのだ。さらに、犯人が知らない間に死んでしまっていたら、捜査は無限に続けざるを得なくなる。いつまで経っても捜査を止めることができなくなるからだ。これはものすごくお金が掛かる。今の政府や自治体の財政ではとてももたないだろう。公訴時効の制度は、現実の制度の限界から考えられたものである。時効廃止などと言うのは非現実的だ。
最後の理由は、被害者のすべてがいつまでも犯人捜しを希望してはいないだろうと思うからだ。マスコミには、いつまで経っても犯人が捕まらない限りは、心の傷は治らないという被害者の遺族のコメントに溢れている。しかし、本当にそんな人ばかりだろうか。けっしてそうは思わない。早く忘れたいと思っている人もいる。そしてどんなに身近な人が非業の死を遂げたとしても、いつかはかならず人の心から忘れ去られるときが来る。生き残った遺族は時効がなければ、いつまでも被害者のことを思い出さざるを得なくなる。それは本当に良いことだろうか。癒されるのは、犯人逮捕ではなく、時間が過ぎ去ることだ。
それでも時効で犯人が許されることが納得できないという人も多いのかもしれない。しかし、それは個人の感情であって、国の司法が考えるのはそういう報復感情ではない。人々に法を尊重させ、治安を守るための司法なのだから、絶対に許せない犯罪はそうあるものではないのだ。凶悪な犯罪件数はどんどん減少している昨今なのに、なぜか人々の報復感情は激しやすくなっている。これと意味の不明な(手当たり次第の)殺人の出現とは、同じ事象の裏表に過ぎないように思える。死刑になりたいために誰でも良いから殺すという、死刑があるから起こる犯罪も起き始めている。
ただ一つ、私が時効を撤廃しても良いと思うのは、ドイツがナチスの人道に背く犯罪に適応したような「人道に反する犯罪」だ。「数人の人を殺せば殺人犯だが、たくさん殺せば英雄だ」といわれるような戦争犯罪は本来許してはいけない。近くは、アフガンとイラクで数十万人を殺したブッシュ米大統領。そして米軍のイラク侵攻を即座に支持したコイズミ元首相。この二人の罪は永久に時効は来ない。