ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

小沢氏の無罪判決を喜ぶ

2012-04-26 | 政治
小沢一郎氏が無罪判決を勝ち取った。司法の権力癒着がこれまであまりにひどかったので、今回も最後には有罪にしかねないと心配していたが、まあ、常識的な判決になった。検察審査会は、この判決を受け止めて控訴を断念すべきである。検察が小沢一郎氏を有罪にするために事件をでっち上げたことが、明らかになってしまった以上、控訴すべき理由はまったく見当たらない。控訴するとすれば、小沢一郎氏が政治的に復権することに恐怖を抱くアメリカと日本の政権の人たちの利益を考えてのことだろう。検察審査会の「市民」が、本当に市民であるなら、そんなことはありえない。もっとも検察庁の意向を受けての強制起訴だったから、控訴もあり得るのかも知れないが。

財務官僚いいなりの消費税増税、経済産業省官僚いいなりのTPP参加や原発再稼働、防衛官僚いいなりの人工衛星へのミサイル対応など、官僚いいなりの野田政権では、民主党への国民の支持は遠のくばかり。これで解散総選挙をすると、橋下徹や石原慎太郎など君が代大好き政党が天下をとりかねない。民主党に初心に返った民主党になってもらうためには、小沢代表の実現を望むばかりだ。

小沢―鳩山路線をもう一度実現して、アメリカと対等に渡り合い、普天間基地を返還させ、辺野古基地を断念させ、原発のない社会をつくるためのエネルギー政策を作ってほしい。アメリカは財界や政界のあらゆるコネクションを利用して裏工作をするだろうが、鳩山さんのアジア共同体構想を進めてアメリカの影響を排除し、日本がアジアの一員として生きていく方向を作って欲しい。そうすれば、北朝鮮の核開発を止めさせ、人工衛星の成功をいっしょに喜べるときが来るだろう。

サンナシ小屋で、時の流れを知る

2012-04-19 | 花と自然
七ヶ月ぶりにサンナシ小屋を訪れた。春の兆しはたしかに道東の地にも感じられるが、例年と違いその歩みは遅いようだ。さすがに道路には雪はないが、道路を外れれば、まだまだ雪が多い。川の上には氷が覆っている。川の水は雪解けで濁り、水かさも増して、あちこちで小さな洪水が起こっている。例年なら、福寿草が咲き乱れ、日当たりの良いところではギョウジャニンニクが芽生えて、気の早い人たちは山菜採りに入っているころだが、今年は福寿草が少し咲いているだけで、蕗の薹もまだ蕾のままのものが多い。ギョウジャニンニクは影も形もない。

 水たまりには、まだ氷が浮かび、エゾアカガエルは声も姿もない。それでも雪解けは毎日確実に進んでいるようで、歩く道はぬかるみがひどい。長靴なしではとても歩けない。

 サンナシ小屋は、建ててから今年ではや9年目になる。当初は、木の外壁が白々しくて、周囲の風景から浮いていたが、その外壁も黒く色が変わり、小屋の姿が周りの風景にとけ込んでしまった。それはそれでとっても良いのだが、黒くなったのは木が腐朽してきたことも意味する。

 今日は、サンナシ小屋への道でタンチョウの姿を見なかった。いつもなら、2羽で並んで餌を探していて、私の姿を見かけると、あの鶴の一声で警戒音を発して、さらに近づくと大きな羽を羽ばたかせて、みごとな飛翔を見せてくれるのだが。そういえば、水鳥観察館で、今年は雪と氷が湿原の上からまだ無くならないから、タンチョウの夫婦が巣作りができなくてウロウロしているという話を聞いた。この季節の遅れが、タンチョウの行動にも大きく影響しているらしい。今日は、その代わり、オジロワシが珍しく10羽近くも大空を悠然と飛び回っていた。ふだんオジロワシが見られても、せいぜい1羽か2羽程度だから、これだけ勢揃いして大空を飛翔しているのは、さすがに豪勢な光景だ。オオワシも1羽ほど混じっている。

 どろんこ道を苦労してサンナシ小屋にたどり着いて、驚いた。小屋の土台は、太いトドマツの丸太で造っているが、その一つがつぶれている。さらにそのせいで、もう一つの土台も傾いている。つぶれた土台は、どうやら腐朽菌が入ったらしく、中はすかすかになっている。これでは小屋の重量は支えきれないだろう。みごとにつぶれてしまった。9本の土台の7本はまだ問題はなさそうなので、小屋は一応平衡を保っているようだが、つぶれた土台の一番近い窓は、多少変形が始まっていて、開きにくい。

 濃霧で知られる厚岸の気候の中では、9年もたてば、木造のサンナシ小屋がいつまでも原形をとどめていられるはずはないのは、頭で考えれば当たり前なのだが、これまで私が死ぬまでにこのような事態が来るとは、考えてもいなかった。なんとか対策を考えないといけない。とは言いながら、今回はどうしようもない。なんとなく、自分の死ぬときが見えてきたような気持ちになって、帰ってきた。

 もっとサンナシ小屋を使う頻度を増やし、対策も取っていかねばならない。年を取っても若いつもりでいるのと同じように、時間が過ぎていってもそう思わない人間の感じ方が、有無を言わせぬ時の流れの前に、ただただ頭を下げるほかないことを思い知った日だった。

野田の顔は見たくない

2012-04-16 | 政治
民主党の仙谷由人政調会長代行は、原発の全炉停止は、経済や社会のあり方を考えれば、自殺行為だ・・・という趣旨の発言をしたという。この人の感覚は、人間の感覚と違うのではないか。福島第一原発であんな恐ろしい事故を起こし、依然として危機一髪の状態が続いているのに、原発を再稼働させなければ自殺行為と言い放つのは、政治家として自殺行為ではないか。事故の収束もままならないのに。再稼働こそ自殺行為だ。

 東電の福島第一原発2-3号炉では、汚染水の再循環ポンプがしばしば漏水して汚染水を垂れ流している。4号炉では、冷却水循環ポンプが不具合で長時間停止した。これが止まれば、1時間ごとに冷却水の温度が0.5℃ずつ上昇するという。ということは、一日で12℃、5日止まれば水は沸騰する。ふたたび核燃料がむき出しになる可能性があった。まだまだ一触即発の事態は続いている。

 仙谷由人という人は、もう少しまともな人だと思っていたが、消費増税路線をひた走り、原発再稼働を引っ張って、まさに経済団体の使い走りとしか思えない。民主党の政権交代の意義を踏みにじり、初心に返れという小沢一郎を徹底的に排除している張本人が、仙谷由人だ。テレビにはあまり顔を出さなくなったが、今の政権の舵取りをやっているらしい。

 テレビでもっとも見たくない顔は、野田佳彦首相の顔だ。あの脂ぎった顔を見るとテレビのスイッチを切りたくなる。野田内閣の支持率が25%に低下したとか。でもなぜまだ25%もあるのか、不思議だ。おそらく自民党政治を止めさせたいと思って民主党に政権交代をさせた人たちの一部が、民主党はまだまだ自民党よりましだから、野田のやることはおかしいが、まだしばらく民主党政権を支持したいと思って支持しているのだろう。でも、今の野田内閣のやることは、ほとんど自民党政権と同じだ。みんなの党からさえも、自民党政権そのものという批判が出ているほどだ。自民党とそれほど違うと思えないみんなの党でさえ、そう思うほどなのだから。

 一刻も早く、野田首相を辞めさせたい。

飯道山の麓で道に迷う

2012-04-09 | 花と自然
遅かった桜もようやく咲きほころび、うららかな気候になった。京都の桜に大勢の観光客が来て、毎年のような賑わいがたけなわである。待ちわびた春に、人間も花もいっせいに動き出した。その桜と人に背を向けて、信楽高原の飯道山に登った。バス、京阪、JR東海道線、草津線、信楽高原鉄道と乗り継いで、距離的に近い割には交通は不便なところだ。

飯道山は、標高664m。低山である。もっとも信楽高原そのものが高原という名前にもかかわらず、わずか200m前後の標高しかない。今年に入って登った山がみんな極めつけの低山ばかりで、山登りという感覚はなかった。今回は前2回よりも少し標高は高い。体が弱っているのかたるんでいるのか、高い山に一気に登る自信がなくなったので、夏の高山登山に向けて、すこしずつでも標高を上げていこうと考えた。その結果の664mだから、2000mを超えるのはいつのことになるやら。

貴布川から歩き始め、飯道寺(三大寺)や日吉神社を通って、登山道を歩く。登山者は誰も居ない。しかし、この日は最高の天気で、朝方冷え込んだが、歩いている内に日だまりでは汗が噴き出てくるようになった。低山登山が暑さで無理になるのもまもなくだ。飯道山観光協会という名前の道標があちこちにあり、道に迷う心配はない。これだけ親切に道標が整備されているのに、ほとんど歩いている人はいないのは、どうしたことだろう。人が来ないので、観光協会が道標を作って人を呼んでいるのかも知れない。だとすると、今のところ効果はなさそうだ。頂上までに2ヶ所ある休憩所も立派な作りの小屋である。でも人はいない。

左羅坂(ざれざか)とよばれる花崗岩のごろごろした道が枯れ沢の横に付いている。沢は枯れたが、この坂道には、水がしみ出している。枯れ沢の奥に、狭い段々畑のような石積みがつづく。場所からしても棚田の大きさからしても、これは稲作の跡では無さそうだ。水は涸れているが、おそらくわさび田のあとだろう。昔はこの沢に、きれいで冷たい水が流れていたのだろうが、いまは水のひとしずくもみられない。気候変動が影響したのだろうか。それとも山の開発だろうか。でも頂上方面には林道の開鑿以外、特別人手が入っているようにも思えない。

頂上には、二つのグループが憩っていた。ここで昼ご飯にしようと楽しみにしていたのだが、狭い頂上の広場の真ん中に陣取っている3人組の男たちが、全員煙草を吸っていて、その煙が頂上の広場のどこに居ても漂ってくる。とてもたまらず、頂上には20秒くらいいて、すぐに下山に掛かった。20分ほど下ったところで林道に出た。日の光がさんさんと降り注ぐ林道の上に座り込み、ゆっくり弁当を食べる。

下りは早い。あっというまに麓の飯道神社に到着した。このあたりの有名な神社らしくて、平安朝の時代の創建だという。ゆっくり見る暇もなく、下山する。信楽の町に出て、信楽高原鉄道の雲井駅を探す。ここで駅の位置が分からなくなって、たいへん苦労をした。というのは、地図を見ながら駅の方をさして歩いていると、道標がある。その道標が左を指している。地図では直進のはずなのに。ちょっと迷ったのだが、道標の言うとおりに左にまがり、駅を目指した。ところがどうもおかしい。それらしい駅はもちろん、線路も見えない。電車も走っていない。もっとも信楽高原鉄道は、一時間に一本しか電車は走っていないので、普段は電車を見ることがほとんどないということが、後で分かったのだが。

変な沢に入り、沢沿いの道をどんどん歩いていると、行き止まりになり、しかたなく目の前の川を渡ると、どうやら民家の敷地の中に入ってしまった。慌てて回り右をして、もとの道標のところまで歩いていると、信楽から貴布川に向けた電車が走ってくるのが見えた。ようやく線路のありかがそれで確認できたが、駅の場所はやっぱり分からない。道標のところに来て、もう一度確認したが、やはり矢印はさっき私が行った方向を向いている。ふたたび道標の指示に従って歩いて行くと、同じところに出てしまう。そろそろ足も棒になってきた。三度、道標のところまで来て、考えた。道標を無視して、地図で考えられる方向を目指そうと。重い足を引きづりながら歩いて行くと、ようやく駅が見えてきた。

どうやら、道標が誤ってつけられていたようだ。新しい道標ではないが、大きくて、しっかりと石柱に取り付けられているから、まさか道標の向きが違っているとは思わなかったのが、敗因だ。親切な道標が整備されているため、ついつい信じてしまった。でも、道標はウソを言ってもらっては困る。だれかがきっと誤って取り付けたのだろうが、これまで誰も指摘しなかったのだろうか。それとも最近、道標が倒れたりして緊急に取り付け直したときに、作業員がよくわからないまま適当に縛り付けたのだろうか。どちらにしても、人騒がせだ。

雲井駅について、疲れた体を癒やす。電車はまだ40分以上待たないとこない。時間繋ぎの本も持って来なかったので、昼寝でもするしかない。うらうらと春の日が差し込む古い駅舎で、いねむりをするのも良いかもしれない。と悔しさを紛らせながら、長い間電車を待った。

信楽には、信楽焼の竈があちこちにあり、民家の軒下には、信楽焼の狸の置物がずらっと並んでいる。車できたら、もっといっぱい見るところがあるのだろうが、駅前を通る巡回バスも、日曜祝日は運休とか。動いていても午前1回、午後1回程度だから、とても観光には使えない。

待ちくたびれて、歩きくたびれて、家に帰った。この程度の山歩きで足がこんなに疲れるようでは、困る。歩けなくなるまでに、もっともっと山を歩きたいから。



人工衛星と喜ぶ自衛隊

2012-04-02 | 政治
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、金日成生誕100周年を記念して、気象予報の情報を得るための人工衛星を打ち上げると発表したことについて、およそお門違いの反応が続いている。メディアはいっせいに「ミサイル発射」と言い、北朝鮮バッシングを開始した。人工衛星の打ち上げに使うロケットは実質的にミサイルの技術だからだと言うのだが、でも、これまでどの国が行った人工衛星でも、打ち上げに使ったロケットはすべてミサイルに使える技術である。しかし、これまでの各国の人工衛星打ち上げに、メディアがミサイルだと言って批判したことがあっただろうか。北朝鮮だけにそのような非難をするのは、ダブルスタンダード=二枚舌でしかない。

 日本政府ときたら、このロケットを打ち落とすなどと言って、自衛隊のイージス艦やPAC3部隊を南西諸島に緊急配備し、破壊命令を出すという。もしミサイルで人工衛星打ち上げロケットを破壊できなかったら、日本の自衛隊がお笑いの種になるだけだし、逆に打ち落としたら、それこそ戦争の危機が訪れる。自衛隊の本当のねらいは、実はそんなことにはなく、これを良い機会に沖縄県民に反発の強い自衛隊の南西諸島配備を一気に進めたいということなのが、みえみえだ。自衛隊にとって、北朝鮮の人工衛星打ち上げは、願ってもない勢力拡大のチャンスだった。防衛省の官僚や制服組にとっては、北朝鮮さまさまだろう。

 北朝鮮が発表した発射航路は、ミサイルと言われた前回と違って、日本の上空やアメリカ本土方向を回避し、どこの領土もなるべく飛ばないように設定されている。前回の人工衛星が失敗した可能性もある中で、北朝鮮がこの人工衛星の成功に並々ならぬ力を入れていることと外国への配慮がうかがわれる。

 北朝鮮の人工衛星を「挑発」などと言って、国際的な制裁を加えようというアメリカの態度も、オバマ大統領の姿勢を見る限り、どうも本気では無さそうである。大統領選挙までは、なんとか強硬姿勢を見せておかねばならないが、本気で北朝鮮を刺激しようとは思っていない。ようやく米朝合意を引き出し、核開発を停止させる道筋ができたばかりなのだ。日本は相変わらずアメリカに代わって強硬姿勢をとり続けているが、気がついたらアメリカは北朝鮮と国交を開き、日本が取り残されるということが起きかねない。中国外交で同じことが起こったのに、日本の外務省は相変わらず歴史に学ぼうとしない。

 日本政府が取るべき態度は、以下のようなものだと思うのだが。
まず、北朝鮮の人工衛星打ち上げに関心を持っていることを表明し、成功を祈るという親書を送る。その上で、日本の隣の国の人工衛星のデータを日本と共有し、いっしょに気象情報の解析や天気予報の精度向上にあたろうと提案する。もちろん自衛隊の緊急配備などはけっして行わない。

 北朝鮮の瀬戸際外交などと批判するメディアは、日本が北朝鮮の人工衛星ロケットの迎撃破壊を行うという政策がいかに戦争につながる瀬戸際政策であるかを、もっと批判すべきではないか。もっとも日本のメディアはアメリカの利益と寄り添っているだけということはよく分かっているのだから、叶わぬ望みなのだけど。