ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

ナラ枯れ

2009-10-30 | 日記風
旅に出ることは多いが、どこも仕事で行くことがほとんどなのでゆっくりといろんな土地の自然を眺める余裕があまりない。仕事と個人的理由で、山へ行く余裕もなくなってきたので、日頃は緑を求めて近くの散歩道を歩くことにしている。

 京都の仕事場の近くに、吉田山という低い丘があり、麓には吉田神社がある。三高寮歌「紅萌ゆる」で歌われる吉田山だ。ときどき気分転換に吉田山に登る。登ると言っても、登り口から一気に登れば、頂上地点までわずか6-7分で到着する。

 頂上からは周りの木々のこずえ越しに大文字山の大文字が真正面に見える。周りが暗いため、送り火のときや、お月見や流星雨を見るときなどは格好の場所だ。頂上広場(といっても5坪くらいの広さだが)からは、あちこちに向かって散策路が延びているので、適当に選んで散歩をすることができる。といっても、どちらに歩いていっても麓まではほんの少しだ。

 この吉田山は少しだけ杉林があるが、天然林が多く残っていて、緑に囲まれた散歩道なので、歩いていてもほっとする。照葉樹と落葉樹が半々くらいで、落葉樹もまだまだ葉を落としていないから、林床は暗い。あまり林床に花もなく、歩いていても花は楽しめない。でも蝶や甲虫など虫はいろいろなものが現れる。当然蚊も多い。ようやく蚊が減ってきたというところ。

 この林の中に、コナラやカシの類が多いのだが、太い楢や樫の木の多くに楊子のようなものが刺さっている。最初はだれかがいたずらでもしたのかなと思っていたが、どうもそうではないらしい。細いプラスチックのチューブが木の幹にいっぱい差し込まれて、ときにはそのチューブの先にプラスチックの試験管がかぶせてある。どうやら誰かが研究をしているらしい。その一本の木に小さな紙切れがつけられており、そこに「ナラ枯れの研究中」と書かれてあった。

 「松枯れ」というのは良く聞くが、「ナラ枯れ」というのは、あまり聞いたことがなかった。注意してみるとコナラやシラカシなどの木の下に細かい木の粉がつもっている。カシノナガキクイムシという小さな甲虫がこの木の幹に穴を開けて棲んでいるらしい。このキクイムシは、ナラ菌という菌類を巣穴の中で培養して、それを餌にすると言うかなり高等な生活をしているらしい。そのナラ菌がナラやカシの木を殺しているという。

 確かによく見てみると、吉田山に生えているコナラの8割くらいがこのカシノナガキクイムシに穴を開けられているようだ。木の根元に木の粉がまるでおが屑のように積もっている。マツノキクイムシのように松を全滅させるほどの被害は出ていないようだが、被害は急激に全国に広がっているらしい。カシノナガキクイムシは昔から日本にいたようなのに、ほとんど被害は知られていなかった。突然、被害が出るようになった原因はよくわかっていないようだが、一説には外国から浸入した別のグループが急激に広がっているのではないかと言われている。そうすると、これも松枯れと同じように、人間が持ち込んだ厄災なのかもしれない。それとも、人間が壊してしまった自然環境がそれまで無害だった動物や菌類を有害化させたのかもしれない。どちらにしても人間の所業が原因であることは、おそらく間違いない。もっと私たちは自然のシステムを大事にし、私たちの行為が自然のシステムを壊していないかもっと慎重になる必要があるのではないだろうか。短い散歩をしながらそんなことを考えた。

エゾシカは増えて困るか?

2009-10-26 | 日記風
周辺の木々の紅葉も終わり、風が一吹きするたびに落ち葉を盛大に散りまいている。久しぶりにやってきたサンナシ小屋では、もうすっかり晩秋の装いだった。朝から空を覆っていた雲は、小屋へ向かって草原を歩き始めた頃から少しずつ減り始め、小屋の近くに来たときはもう青空がいっぱいだった。秋の空はどこまでも青く澄んで、久しぶりに心も広々と洗われるようだ。

 今年は北海道では例年になく雨が多かったせいで、小屋までの道も至る所水がたまりぬかるんでいて、長靴なしでは歩けない。それなのに、毎年近くの小川沿いの柳の木に出てくるヌメリスギタケモドキというキノコが今年はまったく見られない。毎年秋にはこのキノコをラーメンに入れて秋の味を楽しんでいたのだが、今年は残念ながらあの味を味わえない。

 夏にあれほど威勢良く繁茂していた草も、多くは枯れ伏して、遠くの景色もよく見える。小屋のベランダでひなたぼっこをしていると、至福の時が流れていく。澄み切った青空にトビに混じって巨大なオジロワシの悠然とした飛翔が眺められた。まるで鳥の王様のようなその大きさ。群れに混じっているオオタカにも負けない貫禄だ。尾羽の真っ白な色が青空に見事なコントラストを作っている。

 突然、すぐ近くで鋭い銃声が響いた。そういえば昨日から今年の遊猟解禁が始まっていた。続いて10発くらいの銃声がとどろき、立派な角を持った牡鹿の群れが小屋の周りの草原を駆け抜け、森の中に駆け込んだ。毎年とはいえ、人の土地に入り込んで鹿を撃つハンターには本当に腹が立つ。道東には鹿が確かに増えていると感じるし、鹿の食害が問題になっている。サンナシ小屋の周りでも鹿の群れはほとんど毎日見られるし、鹿に樹皮を食われた木も見つかる。

 北海道のエゾシカの数は、近年増えて現在では4-50万頭を超えたと言われている。一度は絶滅の危機に瀕したエゾシカがここまで数を回復したのは、人々がエゾシカを保護し、狩猟も禁止してきたことも効果があったと言われているが、温暖化によって冬の豪雪による鹿の死亡率が減ったことも大きい。さらに放棄された牧草地や道路の路肩・側壁が外来種の草によって緑化されたため、冬でも鹿が餌不足にならなくなったことが大きいと私は思っている。道路行政の副作用というわけだ。

 鹿が増えすぎて困るから、もっと駆除しようとか、もっと鹿を食べて減らそうと言う議論がかまびすしい。でも、日本人がここ蝦夷の土地へ侵入してきた明治の初期に、エゾシカを大量に狩猟したこと、その捕殺量が7-80万頭だったことなどはあまり知られていない。つまり、今の個体数と同じくらいのエゾシカを明治初期に殺したのだ。ということは、日本人が来る前にはエゾシカはいまよりももっともっと多かったことになる。でも深い森はあちこちにあり、蝦夷の地は森と川と海の自然豊かな土地であった。エゾシカも今よりいっぱいいたが、エゾシカの食害によって森林が荒廃することもなかった。森林が荒廃したのは、日本人が入ってきて木を切り回ったためなのだ。

 サンナシ小屋の周りにも鹿は増えてきた。しかし、食害によって森林の被害があるとは思えない。もっとも小屋の周りに植えたカラマツの苗は、あっというまに鹿に食べられてしまったが。つまり、鹿が食害するのは人間が持ち込んだ樹木なのだ。鹿は樹皮を食べて樹木を枯らすことも本当だけど、ほとんどは風で倒れたり枯れたりした木の皮を食べている。生きた木の皮を食べるのは、ほとんどの場合人間が持ち込んだ木なのだ。つまり、それは鹿が森林を食害しているのではなく、人間が鹿に餌をやっているから食べているだけだと思える。

 鹿が増えて困っている人はいるかもしれないが、鹿が増えて駄目になる森林はあまりない。鹿をもっと殺せと言う人たちの言うことを、私はあまり信用していない。サンナシ小屋でエゾシカたちの姿を見ていると、そういうことがよく見えてくるような気がする。

退屈だった「時代祭」

2009-10-24 | 日記風
京都も秋の装いだ。京の三大祭りの一つ、「時代祭」を群衆の一人として見た。三大祭りのどれもまだ見ていないので、初めて見る京のお祭りだった。さすが京都は外国人の観光客が多い。時代祭の群衆も外国人の割合が半分くらいはいるのではないかと思われるほどだ。

 肝心の「時代祭」だが、何の感動もない。つまらない。要するに仮装行列だった。あまり考えもなく、もう少し違うものを期待していったのだが、よく考えると時代祭という名前からも分かるように、いろんな時代の扮装をして町を練り歩くだけだ。平安神宮の創建に併せて明治時代に始まった時代祭は、明治維新から平安時代までの衣装を着た市長や市会議長、商工会長などの地方のお偉方がただ黙って平安神宮から御所まで練り歩くだけ。歌舞音曲も盛り上がりも何もない。それでも観光客は多い。外国からの観光客はその服装が物珍しいし、喜んでいるが、その意味が分かる人はほとんどいないのではなかろうか。

 3年前から室町時代の扮装が始まったが、それまでは南北朝時代の南朝を正統とする戦前の皇国史観の影響で、室町時代の政権は国賊とされ、時代祭にも出されていなかった。太平洋戦争が終わって60年もたっても、日本人は皇国史観を克服できなかったということだろうか。足利義満の金閣寺が京都でもっとも多くの観光客を集めているのにもかかわらずである。

 他の祭りのうち、「葵祭」は公家のお祭りで、「祇園祭」は庶民の祭りだという。祇園祭は見てみたいと思うが、公家の祭り「葵祭」は見てみたいとも思わない。どうせ上から目線の祭りなのだろうから。やはり地方の力あるお祭りに比べて、京都のお祭りはつまらない。

青森から函館へ

2009-10-20 | 日記風
気持ちがなんとなく暗くなるのは天候の理由だけなのだろうか。雲がたれ込めた青森の海を半日眺めたあと、JRで海峡を越えて函館に来た。海峡のあちらとこちらでなぜか雰囲気がかなり異なる。住みたい町の日本一が函館なんだそうだ。なぜなんだろうか。水産業と函館どっくしか産業はないといわれた函館が、住みたい町と慕われる理由がよく分からない。

 しかし、住みたい町の第3位が京都だと言うのを聞いて、ああなるほどと思った。函館も京都も観光地が多い。神戸も横浜も函館と同じ港町の伝統を持っているが、函館はその中でもエキゾチックな雰囲気が強いのかもしれない。港町の雰囲気と蝦夷地としてのエキゾチックさが、その理由なのだろう。京都が住みたい町に入っていることを聞いて、住みたいと思うのは住んでいない人なのだと言うことがよく分かった。住んでいる人は、ここがほかの町よりも住みやすいと思ってはいないだろう。

 函館市と隣の北斗市の境界あたりにある七重浜に海を見に行った。満潮に近い時刻だったので、砂浜は狭く海が広がっていたが、遠くまで砂浜が延びて、久しぶりに伸び伸びとした心持ちになった。やはり海はいいなあ。砂浜にはたくさんの貝殻が転がっていて、種類も多く見ていても楽しい。町のすぐ横の海岸でこれだけの砂浜があるところが日本では無くなってきている。昔わたしが若かった頃は、このような景色が至るところにあったような気がするが、今は探してもなかなか見られなくなった。函館市内でも探してみたが、ほとんどない。市内電車でのんびりと終点の谷地頭まで乗り、そこから歩いて立待岬のすぐそばにある白浜という場所に行ってみた。おそらく昔はそこにはきれいな砂浜があったのだろうが、行った先にはコンクリートで固められた海岸があり、わずかな浜がそのコンクリートの狭間にあるだけだった。

 浜からの帰りに驟雨があり、函館山の横にきれいな虹がかかった。久しぶりに見た虹だった。同じように雨に降られたのだが、青森の暗さと函館の明るさの違いはなんだろうか。不思議に思う。函館山の紅葉は今が盛り。すばらしい紅葉が期せずして見られた。京都へ帰ればこれから紅葉を巡る「狂騒曲」が始まる。

 残念ながら、カメラの電池が途中で切れてしまった。充電器も持ってこなかった。カメラ屋さんに聞いたが、デジカメの充電可能な電池はカメラと一体でしか売っていないそうで、電池も充電器も売っていないのだそうだ。これはいったいドウしたことなのか。電池が切れたり充電器をなくしたりしたら、カメラと一緒に買い換えないといけないと言うことなのだろうか。メーカーの販売戦略なのだろうか。無駄遣いを奨励する戦略だとすると、止めて欲しい。せっかく函館の海と山を眺めて楽しんだのに、カメラの件でちょっと嫌な気持ちになってしまった。素直に楽しめないのは私の性格なのだろうか。

電気を使わない選択へ

2009-10-18 | 環境
瀬戸内海に巨大な原発を作るという中国電力の計画は、海面埋め立てを巡って生活と命をかけて反対する祝島の人たちや、危険な原発を瀬戸内海という閉鎖系水域に作ることの危機感から集まった人たちの戦いによって、ブイを設置するという手続きはなんとか卑劣な手段を使って乗り越えたものの、実際に海を埋め立てることができないままになっている。もちろん彼らは次の卑劣な打開の道を探っているのだろう。

 しかし、私たち祝島の人たちと思いを同じくする人間にも、もっと考えてみるべきことがあるのではないか。ブイを台船に積み込ませないように漁船をつないで阻止線を張っている漁民たちに、中国電力の社員が拡声器で投げかけた言葉を聞きながら、そう思いついた。彼らは祝島漁民たちに向かって、島にも電気を送っている、と言った。それは、言葉には出さなかったが、おまえら誰に電気を作ってもらって生活しているんだ、文句を言うなら電気を送ってやらないぞ、という気持ちを投げつけたものだと私は聞いた。

 その言葉を聞き、気持ちを思って、私が考えたのは、「そうだなあ、そんな原発の電気なんかいらないぞ」と私たちが言えるかどうかが問われているんだということだった。原発は嫌いだ、いやだと言う人は多いが、その人たちは原発が作った電気をどの程度拒否できるのだろうかということだ。やはり原発の電気なんかなくってもいいんだとはっきり言える生活をする必要があるのではないだろうか。あまりに電気を垂れ流すような生活をしていないだろうか。そして口だけで原発反対を唱えていないだろうか。

 コンビニの24時間営業は電気の無駄、自動販売機の24時間営業は電気の無駄などと私もいろいろ主張してきた。そう私が言うとき、このように反論されることが多い。「明かりに使う電気なんか全体のほんの一部、工業などの産業に使われる電気が圧倒的に多いから、少しばかり明かりを消して見てもほとんど意味がない。」たしかに事実はそうだろう。でもそれをいいことに自分たちが無駄な電気を使っていていいのだろうか。私は決してそうは思わない。上関の原発に反対なら、中国電力の電気を使用することを少しでも減らす努力をするべきだし、東京電力の東海原発に拒否感を持つなら、東京電力の電気をなるべく使わないようにするべきではないか。

 見ていないときはテレビを消す、部屋のライトは半分に減らす、エレベーターやエスカレーターはなるべく使わない、職場の昼休みなどの部屋の照明は消す、などなど一つ一つの行為がすぐに効果があるとは限らないけれど、一人でも多くの人が心がけることによって、もっと多くの人がそれを行わないことに引け目を感じるような世の中になっていくだろう。そうすれば、きっと原発を作るという危険で高価な選択をしないでも、電気が足りないと言うこともなくなるだろう。

 そもそも今の発電事業は、無駄な電気を作ることを前提に行っている。なぜなら、もっとも電力が使用される時にでも停電しなくても言いように十分余裕のある発電量を確保するという政策があるからである。それは真夏にエアコンとテレビを皆が使うときだという。しかし、そんなに電気を作る必要があるんだろうか。電気を使いすぎたら停電になる方が、みんなが節電をしていいのではないか。去年だったか、地震やデータの不正・改ざんが露見して東京電力の原発がすべて停止になったことがあった。その夏、節電を呼びかけた結果、真夏にも電力が足りないという事態は避けられた。電力会社からの要請で、消費者が使用を控え、工場も一部操業を自粛するなど協力したからだった。やればできる。原発がなくてもなんとかなるし、最近は人口減もあり需要は減ってきているのだ。いま新しい原発を作るという選択をするべきではない。停電したっていいじゃないか。

色づき始めた京都のモミジ

2009-10-13 | 日記風

あれほど暑さにネを上げていたのは、ほんの1ヶ月前だったように思うのだが、今朝などは寒さに震えるような有様になってしまった。気温は10℃に届きそうになった。北の国ではもはや積雪が始まっている。一年が過ぎるのはつくづく早いと思うし、季節の過ぎゆくのもまるで夢のようだ。

 一年前に小江戸川越から京の都に移り住んだときに感じた季節が再び巡ってきた。去年のブログをみると、紅葉が色づき始めた有様を楽しんだことが何度も書かれている。今年も暑さが無くなって、そろそろ野山に足を運びたいと思っている。

 この連休で久しぶりに観光をしてみた。京都に観光に来る人たちが、おそらく必ず足を運ぶと思われる金閣寺(鹿苑禅寺)に行った。金閣寺はもう○十年も前、小学生の頃、四国の街から修学旅行で訪れたことがあったが、実にそれ以来、本当に久しぶりだった。

 小学校の修学旅行では、京都・奈良・大阪を回って帰るという当時としては一般的なコースだった。京都で泊まった「いろは旅館」は、いまでも三条京阪の駅のそばに昔とあまり違わない風情で建っている。もっとも中はまったく変わっているのだろうけれども。京都のことはあまり印象に残っていないが、残っているのは宿の名前と、観光で見た金閣寺と銀閣寺の二つだった。その当時、小学生の私に残った印象は、金閣寺のきらびやかな金箔を貼った方丈が、足利義満という時の権力者の権力誇示を思わせ、当時の虐げられた人々の生活との落差を思って、幼い義憤を感じさせたことであった。

 一方、銀閣寺は多くの人が愛好するように、わびさびの世界を実感させる質素な(本当はけっして質素ではないのだろうが)たたずまいが好ましく感じられ、それ以降なんどか京都を訪れたときには、銀閣寺を歩いた。しかし、それよりも銀閣寺のそばにある白沙村荘という庭園が気に入ってそちらへもっぱら通ったものだった。橋本関雪という日本画家の小さい庭園をもつ家だが、入場無料で、人も少なく、静かにお茶を飲んで一人で京の雰囲気を楽しめるところだった。でも今では、いつの間にか有名になって人が押しかけるようになり、いつの間にか入場料を取るようになっていた。

 去年京都へ来てから、銀閣寺も金閣寺も白沙村荘も訪れたことはなかった。銀閣寺を訪れた家人が、銀閣寺のコケの展示の説明に「(銀閣寺にとって)邪魔なコケ」「必要なコケ」などと書かれていたと聞いてから、ますます銀閣寺に行こうという気持ちはなくなってしまった。もっぱら銀閣寺の裏道から東山を登り、大文字山から京の街を眺めるのを良としてきた。

 金閣寺のたたずまいはおそらくほとんど○十年前と変わっていないように感じられた。もちろん細かいことまで覚えているわけではないが、金箔で飾られた方丈を眺める場所の雰囲気は当時とほとんど同じだったような気がする。大勢の観光客が金色の方丈を眺めて感嘆の声を上げているのも同じだ。その観光客の単純な感嘆の声に反発を覚えたのも、昔と同じだった。権力者のおごりをこの建物に感じる人は、おそらく少ないのであろう。

 金閣寺の金色の建てもののそばのモミジの樹の葉が、梢の方ではすでに赤くなり始めているのを見て、ちょうど一年前、京へ来た頃を思い出した。

中国電力の犯罪

2009-10-10 | 環境
山口県上関町の原発建設に反対する祝島の漁民の闘いは、9月13日のブログ「宝の海を守りたい」で書いたが、彼らの闘いは日本各地から集まったカヌーイストたちやサーファーなどの協力で続けられている。しかし、今月7日、台風が明日にも上陸するという日、中国電力は朝から台船を平生埠頭に向かわせ、祝島漁民らが漁船を並べて阻止線を張るのを見届けて、今日の作業は中止すると表明し、台船も引き上げさせた。そして祝島の漁船が引き上げるのを見届けた後、早朝に別の場所から別の台船を使用して埋め立て予定海域にブイを設置したと発表した。そして埋め立て免許の期限が切れる21日を前に、埋め立て工事に着手したと工事着手届けを提出した。中国電力は漁民を騙して工事を行うというまことに姑息な手段を使った。

 無事に工事に着手できて良かったと山口県知事側では述べているようだ。上関町の推進派も工事着手を喜ぶ談話を発表している。知事や町長はいったい誰のために働いているのだろうか。それを疑わせるのは、二井山口県知事の息子も元上関町長の息子も、今は中国電力の社員となっているのだ。中国電力のやり方は、いかにも悪質ではないか。

 先日、阻止線を張っていた祝島漁船の中に、普段はそんなところで漁などしていないのに、むりやり割り込んで刺し網を入れて祝島の漁船に漁の邪魔をするなと意地悪をしてみせた上関漁協平生支店の運営委員長も、息子が中国電力の社員なのだ。中国電力は、このような人びとの息子を自社に就職させることによって、賛成派を抱き込み、籠絡させている。いかにも悪質ではないか。

 反対派の住民が中国電力に電話で抗議をしたところ、中国電力広報係の人間は、「昔、核実験の時、放射能がいっぱいばらまかれたんだから、ちょっとくらいの放射能でむきになることはないではないですか」と言ったという。中国電力はこのような恐ろしい考え方で原発を作ろうとしているのだろうか。とても許せない発言だと思う。ぜひとも中国電力の人たちは原発の敷地の中に住んでもらいたいものだ。ちょっとでも放射能が漏れたら、瀬戸内海の魚はだれも食べなくなる。瀬戸内海の漁業は壊滅するだろう。ちょっとくらいの放射能にむきになるなという中国電力のような人たちは、一刻もこの世から消えて貰いたい。それが核廃絶を願う人びとの気持ちなのだ。

エコカーはエコか?

2009-10-09 | 環境

ハイブリッドカーとか電気自動車など、いわゆるエコカーの販売が好調だという。それにはエコカー減税という政府の政策が効果を現しているという。これは前の自公政権の時に始まった政策だ。この政策によって世界不況の中で落ち込んでいたトヨタなどの自動車工業が息を吹き返したらしい。そしてエコカー減税という政策に使われるお金は国民の税金である。

 もし、「エコカー」による二酸化炭素の排出量が大幅に抑えられれば、それはたしかにエコな政策で、それで自動車工業界も息を吹き返すなら、いわゆるグリーンニューディール政策として歓迎すべきものかもしれない。でも本当にハイブリッドカーとか電気自動車は二酸化炭素の減少に寄与しているのだろうか。そこのところは研究者にきちんと調べて貰いたいところだが、研究者の言うことは時々信用ができないから困る。なぜなら、たとえば薬の安全性を審査している研究者が、実はその薬を製造販売している会社から研究費を貰っていたりするからだ。エコカーが本当に二酸化炭素の削減に有効なのかどうか、自動車業界から金を貰ったことのない研究者に調べて貰いたい。

 でも、素直に考えて、電気で走る車がガソリン車より二酸化炭素を排出していないというのは、ちょっと信じがたい。電気で走れば二酸化炭素は出ないと考えている人が多いようだが、それは大きな間違いだ。なぜなら電気だって化石燃料を燃やして作っているのだから。しかもガソリン車がガソリンを燃やして走る熱効率にくらべ、電気を作る熱効率は非常に低い。重油を燃やして発電する火力発電では熱効率は40%くらいといわれている。原子力発電にいたっては、熱効率は30%しかない。熱効率を考えれば、ぜったいガソリン車の方が熱効率は良いはずだ。だから、道路を走っているときには電気自動車は二酸化炭素を出していないようにみえるが、実は電気を使った時点で多大な二酸化炭素を出していることになる。原発の電気なら二酸化炭素は出さないと思うのも大きな間違いだ。原発で使うウランの濃縮にどれだけの二酸化炭素を使うか、また使用済み燃料を安全に保管するのにどれだけのエネルギーと二酸化炭素を使うか考えてみれば、原発の電気だから江古田とはとても思えない。

 つまり、エコカーというのはけっして本当に二酸化炭素の削減に寄与するものではないのだ。それにもかかわらずエコカー減税という名前で政府が国民の税金で車屋を応援しているのは、詐欺でしかないということなのだ。ましてや、車を持たないで本当にエコ生活をしている人は、税金で他人の車の購入代金を負担させられ、さらに結局は二酸化炭素の放出を手助けさせられてしまうということになる。

 民主党政権に望むのは、なにが本当に地球環境を守ることになるのか、良く本質を見て政策を実行して貰いたいということだ。高速道路の全面無料化も同じ事。公共交通をもっと安く便利に利用できるようにすることが、もっともエコ政策なのだ。

土佐の山里

2009-10-05 | 日記風
四国高知の龍馬空港に降り立つと、南国の風と突き刺すような太陽の光が降りかかる。さすがに南国だ。でもねっとりと肌にまつわるような蒸し暑さはない。熱いがさわやかな暑さだ。朝早く起きたので、眠気が覚めないまま飛行機に乗った。最近はいつも離陸するまもなく寝込んでしまうのだが、このフライトはわずか飛行時間が45分という短さで、とても眠る暇もない。新聞を一通り見出しだけを追いかけて、さて眠ろうとした頃には、座席を元の位置に戻せと言うアナウンスがあり、まもなく着陸態勢にはいる。

 高知県の真ん中を流れる仁淀川に沿って山へ分け入る。四国の山は急峻なので、もうすっかり奥山に入ってしまったような錯覚に陥るが、高度計を見るとまだ標高160mくらいだ。平家の落人のが集まったような山村が、川の渓谷沿いに点々と見られる。両側の山がそびえ立つので、昼を過ぎると早々に太陽が山に沈んでしまう。空はまだまだ明るいのに、村は日陰に沈んでいく。肌をなぶる風も、日が落ちると急激に冷たくなり、暑さを忘れる山里の夕暮れだ。

 池川の釣り宿の民宿に今夜の宿を取る。部屋は河原に突きだした造りで、部屋の下にはススキの穂がなびいている。すぐ前の川には、釣り人が体を半分水の中に潜ませて、じっと竿を流れにのばしている。流れに釣り針を流しながら、じっとアマゴが食いつくのを辛抱強く待っている。何度か竿を上流から下流へ流した後、急に水から体を持ち上げた。竿の先には20cmくらいのアマゴが銀鱗を輝かせて水面を叩いている。釣り師はすばやく魚を取り込み、腰に付けた魚籠に放り込み、再び水の中に体を潜めて、竿以外は動かなくなる。水の中の人になる。

 日が暮れてくると、草むらからは虫の声が聞こえ、とおくでくぐもった鳥の声が響く。川の流れの音は絶え間なく部屋の枕に着けた耳に響いてくる。川の音だけが聞こえ、山の小さな町の夜は更けていく。この日は、10月3日。中秋の名月だった。煌々と山道を照らす満月の光。酔っぱらいの乱れた足音が、夜のしじまに時折響く。こんな夜が昔はもっといろんなところにあったような気がする。こんな夜のしじまをなくして、私たちはいったい何を得ることが出来たのだろうか。

怒! 小さく産んで大きく育てる 

2009-10-03 | 政治
全国40あまりのダムで、当初のダム建設費用から大幅に費用が増えていることが新聞の報道で明らかになった。増えた額は合計で20兆円を超えるという。八ッ場ダムに限らず、ダムは作り始めると費用がどんどん膨らんできて、最初の予算よりも何杯にも膨れあがることが、普通のことになっている。

 ダム建設関係の人に言わせると、ダム工事は「小さく産んで大きく育てる」のがコツなんだそうだ。ダム建設には地元の反対がつきもの。だから最初は金額をできるだけ押さえて、費用対効果が大きいように見せかける。建設が決まれば、まず中止という選択はこれまでありえなかったから、あとはどんどん費用を膨らませ、国や関係の自治体から好きなだけお金を出させることができるというわけだ。

 ダム建設を中止させるのは、この話を聞くだけで有意義だと思う。まずは、公共事業を途中で中止させることができるという前例を作るべきである。八ッ場ダムを中止すれば、補償などでかえってお金がかかるから、中止すべきではないというような論理を許してはいけない。まずは中止させると言うことが大事なのだ。最初はかえってお金がかかっても、中止させること。そうすれば今後の多くの公共事業がもっと慎重に計画されることになるだろう。その効果は一つのダムの建設を中止して補償金で赤字になったとしても、十分に元が取れる話なのだ。

 ダムだけではない。道路建設も橋の建設も、埋め立て工事も、すべて見直すべき時が来ている。鞆の浦の埋め立て・橋の建設を裁判所が差し止めを命じた意味は、一つの場所の景観論争を超えて、きわめて大きい。広島県も福山市も、この意味をもっと真剣に考えるべきだ。日本が素晴らしい方向に変わろうとしているのだから。