ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

東京で3600ベクレルの内部被曝

2012-10-31 | 日記風
昨日、下痢をした。水のような便が出る。このところ、ときどき原因不明の下痢が起こる。1~2日すると、下痢はけろっと治っている。よく考えると、そのような症状が出るのは、東京へ出張に出かけた直後であることが多い。東京では、1ヶ月で3600ベクレルの放射能の内部被曝があったという報告が出た。これは2011年度のことだから、今は少し低レベルになっているのだろうけれども、一般の人が考えるほど東京が安全なところではないということが明らかだ。そのせいだろうか。私は関東地方へ行くたびに、なにか体調不良を感じる。東京で食べる食物が原因なのだろうか。毎日東京で暮らしている人は大丈夫なのだろうか。放射線の影響は、数年後に出てくるガンの多発だけではない。フクイチから放出される放射線によって活性酸素が体内に生み出され、それによって心臓や内臓に不調を来たし、持病を持つ人はそれが悪化する。脳梗塞や心筋梗塞が多発するなど、健康被害が多くなると言われている。福島の人はもちろんだが、フクイチから250kmも離れている東京でも、十分そういう心配がある。東京から多くの母子が京都など関西に避難移住してきている。本当に大丈夫なのか。東京の人たち。金より命が大事だ。関西に来て、いっしょに関西電力の前で原発反対の声を上げよう。

無責任なだけの石原新党

2012-10-26 | 政治
石原慎太郎東京都知事が辞職して新党を結成、国政への復帰を目指すという。石原知事が都知事を辞職したのは、なにはともあれ良かった。こんな世界に恥ずかしい知事は、他にはいない。ほとんどやくざのような物言い。差別発言を平気で言う、反人権者。日本の首都の首長として、こんな人間をいつまでも知事にしておくのは、恥ずかしいばかりだ。知事の席を途中で放り投げることについても、大阪府の知事と同じように、無責任きわまりないのだが、それでも石原慎太郎が知事を辞めるということに比べれば、そのくらいは喜んで許してやろうじゃないか。

 それにしても尖閣問題で火を付けて、日中の友好的な関係を一気に潰してしまった責任は、石原慎太郎にある。もちろん野田内閣の責任もないことはないが、石原が外交音痴を発揮して、戦争挑発をしたことは許せない。おかげで日中間の貿易も、相互経済の発展も後退を余儀なくされてしまった。景気への影響も大きいし、中国で工場などを経営していた企業の損失は極めて大きい。経団連会長は、石原に厳重に抗議し、損害賠償請求をしたらどうだろう。知事にタヌキのようなジジイなどと言われて、すごすごと引っ込むのだろうか。原発推進にはあれだけ政府を脅し上げ、TPP参加で誘導してきた人物が、この日中問題の損失については、慎太郎に一言も言えない。情けない。

 たちあがれ日本などという養老院のような古い保守といっしょに国政に復帰するという石原新党は、早晩なくなる政党だろう。彼らも早く選挙をしたいに違いない。のんびりしていたら、どんどん党員が老衰していく。マスゴミは、第3極の芽とかおだてているが、第3極を作るのは、維新の会でもみんなの党でもなく、「国民の生活が第一」の小沢新党だ。もちろん石原新党など名前もまだ無い政党が第3極の中心になどなりようがない。明治維新と同じように、官僚政治に乗っ取られて、維新革命のつもりが結局は薩長土肥の派閥政治になるだけだろう。

 一日も早く、東京と大阪にまともな政治家が出て欲しい。東京も大阪も、タレント知事ばかりを輩出したどうしようもない低民度のところなのだから、しょせんかなわぬ夢なのかも。

早朝の山とジプシー音楽

2012-10-17 | 日記風
今年は「春夏夏冬」と言われるほど、暑い日が遅くまで続いた。快適な秋を感じさせたのは数日だったような気がする。あっという間に朝夕は寒さを感じるようになり、冬がもうすぐそこに来ている。暑い夏は、山に登らず、近くの小さな沢を歩いていたが、いよいよ低い山歩きには最適な時が来た。歩くぞ~~、と思ってみたが、この季節には週末はいろいろと文化的な催しがあり、山歩きをしたいなあと思いながら、土日は講演会や音楽会、美術館などで過ごすことが多くなり、山へ行くことができない。そのせいか、体重が夏を過ぎて一気に上昇しはじめ、高値安定となってしまった。これではいけない。

 日曜日には、午後から近くの春秋座で、ジプシー楽団による演奏会があり、ある人から入場券をいただいたので、行かない手はない。ロマの人たちの音楽は、楽しそうではないか。そこで、週末に少しでも山歩きをしておこうと、日曜日の早朝に近くの大文字山を歩くことにした。7時に家を出て、銀閣寺の山門の前を通り、裏手の山道に入る。早朝というのに、大文字山を登る人が三々五々歩いている。さすがに日曜の昼間に比べると少ないが、それでも他の山を歩くときに比べると圧倒的に多くの人が歩いている。さすが町のすぐそばにある山だ。毎日大文字山に登っている人が10人は下らないと言われているくらいだ。

 登山口から大文字の火床まで、約20分。急げば15分くらいで行くのだが、そんなに急ぐ必要も無い。もっとも花もほとんど見られない山なので、見るものもあまりない。ひたすら歩くばかりだ。火床には、毎日登っている人たちが集まっている。やはりお年寄りが多い。平日も朝から山に登るには、仕事を持っていては登りにくい。でも、私のよく行くレストランの主人は、まだ50前後だが、店を開ける前に、毎日大文字山に登っているという。健康には最高だろう。私も朝早く起きれば、仕事の前にちょっと歩いてくることもできないことでは無さそうだが、そこまでやろうという元気がない。いや、あの山を毎日登るモチベーションが湧かない。

 火床からさらに標高差100mくらい、時間にして約20分歩いて、大文字山の頂上に着く。頂上は最近少し広く整備して、丸太のベンチをたくさん揃えたようだ。シーズンになるとこのベンチがいっぱいになるくらい人が押し寄せるのだろう。この日は、朝早くでもあったから、数人がおしゃべりを楽しんでいた。私は、そのままもと来た道を戻った。下るのはさらに早く、登山口まで約20分くらい。自宅と登山口の間も20分くらいなので、自宅から頂上まで往復して、1時間半だ。朝の散歩にはちょうど良い。でも、体重対策にはなりそうもない。帰って体重計に乗ってみたが、行く前とまったく同じだった。

 午後から、ジプシー楽団の音楽会に出かけた。これが実にすばらしい演奏会だった。5人の楽団で、バイオリン、ビオラ、コントラバス、チェンバロ、クラリネット。これだけで、クラシック音楽からハンガリー民謡、ジプシー音楽、そして日本の歌(さくら、荒城の月)まで演奏する。とくに、リーダーの男性の操るバイオリンがすばらしい音色を聞かせてくれた。ロマの音楽でもヨーロッパの場所によってかなり音楽は違うようだ。この楽団は、ハンガリーからの人たちだった。ハンガリアンダンスの演奏ももちろんあった。また、民謡に会わせて、ハンガリーの踊りもあった。2時間半の演奏だったが、実に満足して帰った。これが無料だったのだから、こんな良いことはない。ちなみにお金を払うと8000円だとか。う~~ん。良い音楽でも、これだけ払っていく気がするだろうか。テレビ以外に音楽に触れる機会が無い私の貧しい文化生活に思い至って、ちょっと反省した。

秋晴れの一日 京都北山麓

2012-10-01 | 花と自然
京都北山のもっとも街に近いところに瓢箪崩山という変わった名前の山がある。一度登った瓢箪崩山がなかなか良かった印象があるので、涼しくなったこともあって、瓢箪崩山に登ろうと出発。出町柳から大原行きのバスで戸寺へ。ここで南へ行けば瓢箪崩山だけど、標識を見ると東海自然歩道が鞍馬方面に続いている。瓢箪崩山は、もっと紅葉が始まってからに取っておこうと、今日はまだ歩いていない江文峠方向へ歩き出す。山里の中の舗装道路をたどっていくと、まもなく江文神社に到着。ここまでは昔金比羅山に登ったときに、通ったはずなのだが、ほとんど思い出さない。
 江文神社から金比羅山に行く道を見送り、少し元来た道を引き返し、西に折れる道を行く。沢の半分を水の通る溝と歩く道に仕分けして整備した道をたどっていくと、やがて国道に出る。江文峠は、国道の途中にある。ここからしばらく国道を歩いて、静原の町に出る。車がひっきりなしに通っていて、危ない。こんな道が東海自然歩道になっているとは。静原は、京都市左京区の一部なのだが、田舎の風景が心地よい。コスモスでまちづくりをしているようで、いろんな休耕田にコスモスが植えられて、いまもっとも美しい時だ。静原神社にお詣りをして行く。静原神社は、下鴨神社の下社らしい。毎年、静原から下鴨神社のお祭りに手伝いがいくとか。神社も身分の上下が厳しいのかも知れない。田んぼの畦には、真っ赤なヒガンバナが咲いている。今年は遅くまでヒガンバナが見られる。曼珠沙華の花にナガサキアゲハ雌。子供の頃は、四国でもあまり見なかった南方種だが、今では京都でも多い。関東でも増えているらしい。これも温暖化が進んだ証拠だ。


 静原から、鞍馬へは薬王坂を越えていく。薬王坂への道はコンクリート舗装しているが非常に急坂で、途中放置されたような別荘が立ち並んでいる。バンガロウに使われたのかも知れないが、いまでは使っていない。その一つを改装して別荘?にしている家があった。でもこのまわりはほとんどがヒノキの林で、薄暗く、あまり別荘生活が快適とは思えない。舗装した坂がどんどん急になってくると、舗装が途切れ、ひと登りすると大木の下に板碑がある。1300年代に建てられた碑で、夫の死を悼んだ妻が建てたと書いてあるようだ。800年近くもたっているとは思えないように、コケもなく、花崗岩の板碑は白い。これは誰かが頻繁に掃除をしているのだろうか。それとも1300年代に建てられたのはウソかも。あまりにきれいすぎる。また、説明板にこの大木を赤松としていたが、これはどうみても杉の大木だ。
 そこから薬王坂はすぐのところだが、坂がきつい。登り付いたところで弾んでいる息を整え、昼ご飯にする。弁当は、戸寺で買った椎茸海苔巻き。椎茸は放射性物質が多いかも知れないので、ちょっと躊躇したが、京都のものなら汚染はそれほどでもないかと思って食べる。日本の食事は、これからずっとこういう風に心配しながら食べなければならなくなった。
 薬王坂から南に道を取り、竜王岳(500m)に登る。今日の唯一の三角点だ。比較的登りやすいアカマツ林の中の道を歩いて、頂上は15分くらいで着いた。頂上には、塚がある。誰かのお墓かなと思ったら、経塚だった。塚の下にはお経が埋められているのだろうか。



 薬王坂に戻り、鞍馬への道を下る。下り着いたところは小さな八幡宮。川を越えるとまもなく叡山電車鞍馬駅だ。