ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

野付半島と暗い未来

2008-08-28 | 環境
野付半島に行った。どこにあるか知っていますか?北海道の東のはずれ、知床半島と根室半島の中間に細い砂嘴でできている半島です。なんどかここへは来たけれど、いつ来てもここは寒い。今回も寒さに震えてネイチャーセンターの建物に逃げ込んだ。

 ネイチャーセンターには観光客がごった返していた。こんなに客がいるのを見るのも初めてだった。少しは野付半島が有名になったのかな? 野付半島にはトドマツの立ち枯れが海の中に見られるトドワラが有名だが、トドワラだけではなく、周辺の原生花園や干潟、アマモ場なども一度は見てほしいと思う景観だ。

 日本にこんなところがあったのかと思えるようなすばらしい自然が残っている。霧に包まれていたり、寒い吹雪の中で見る野付半島の自然は、まるであの世の風景を見るようだ。天候がいい花の季節に見ると、天国のようにも見えるし、天候が悪いときには、地獄の風景にも見える。なんども来たことがあるが、どちらかといえば後者が多かったような気がする。この世の果てに来たような、そんな気がする場所である。

 でもこの野付半島が今消滅の危機に直面しているらしい。地盤の沈下や温暖化による海面の上昇によってツバルに負けないほど平坦な野付半島とその湿原は、海に飲み込まれる運命にある。その時はいつなのか?100年先か1000年先か? 温暖化も人間の仕業だが、それに加えて人間が砂の供給を止めてしまったために、野付半島の砂嘴がなくなるのは20年先だという専門家の意見もあるらしい。そうなると知床半島にも負けないほどのすばらしい自然がなくなってしまうことになるという。

 人間はいったい何をやってきたんだろうか?もう後戻りはできないのだろうか?石油がなくなったときに人間はどういう生活をしようとしているのだろうか?今から考えておいたほうが良い。石油がなくなっても同じような生活をしようとすれば、原発に依存するしかないだろう。そうすると、2-30年前に盛んに言われた「核兵器による人類の終末」という未来図は、「原発事故による人類の終末」という未来図に書き換えることになるだろう。どちらにしても明るい未来は見えてこない。

秋が足早に通り過ぎる

2008-08-25 | 日記風
とうとう昨日、ストーブに点火した。いよいよ道東は秋から冬へ進んできたようだ。寒さにこらえきれずに、ストーブの暖かさを楽しんだ。

 関東はまだまだ30度近い暑さのようだが、サンナシ小屋周辺は一気に秋の気配。花がふたたび咲き始めた。紫色が主体の花が多い。秋は紫なのか。

 サンナシ小屋の近くでキタキツネに出くわした。相手はまったくこちらのことを予想もしないでぴょんと飛び出してきたが、人がいたのでびっくりしたらしい。飛び出したそのまま横っ飛びに飛んで逃げた。その動作がかわいく、滑稽でもあり、しばらく一人で笑っていた。

 その近くではノウサギも出てきて、真ん丸い目でしばらくこちらを見ていたが、やがてどこともなく姿を消した。シマリスも瞬時だがお目にかかった。秋になると来る冬に備えて獣たちは忙しそうだ。エゾシカの群れも人を気にしないで一生懸命草を食べている。まもなく草も枯れていくから、いまが鹿も太っておかねばならない時期だ。

 タンチョウの夫婦と今年生まれの子供も餌を探すのに忙しそうだ。邪魔をしてしまった。

いよいよ秋も深まる道東。サンナシ小屋もまもなくストーブのための薪を集めておかねばならない時期が来る。

暑さは怒りを増幅する

2008-08-23 | 日記風
釧路は昨日から寒くなった。夜などはストーブを点火したいほど冷え込んできた。東京も少し気温が下がったようだが、まだまだ30度はありそうですね。みなさん、暑さに負けずにお元気ですか?

海はおだやかで、秋刀魚船の漁火が近くに見える。今年は燃料の高騰で秋刀魚の値段も高いままだ。それでも漁民は燃料高にあえいでいるという。秋刀魚船も毎日は出漁していないし、漁も遠くまで行かないようにしているらしい。幸いなことに今年は秋刀魚が近海に近づいているらしいので、ごく近くでも秋刀魚が取れるらしい。それにしても秋刀魚に限らずいろんな物価の上昇はかつてのオイルショック以来の激しさだし、政府の無策は相変わらずだ。油の高騰で庶民が苦しい思いをしているのに、米軍への燃料供給をまだまだ続けたいとはいったい自民党政権はどこを向いて政治をしているのだろうか。腹立たしいことこの上もない。

でも涼しい道東にいると怒りもやや緩和されてしまう。暑い関東にいると怒りは増幅されるのだけど。もう少し涼しいところですごすつもりです。では、みなさん、またね。

いまこそ核の廃絶のために

2008-08-17 | 政治
今年もあの暑い夏の日の8月6日、9日、15日が、時間とともに薄まりつつある悲惨な戦争の記憶とともに過ぎていった。あれから63年の月日が過ぎ去った。私たち戦後の廃墟で大きくなってきた日本人が切望してきた核兵器の廃絶は、いまだに成就されていないばかりか、イスラエル、パキスタンというもっとも危険な紛争地帯の国が核兵器を持ったばかりか、北朝鮮やインドなどあらたな核兵器所有国が増えるばかりだ。

 アメリカはいまだに広島や長崎の非戦闘員への原爆投下に一言の謝罪もないばかりか、核兵器の使用を正当化してきた。いまだにその姿勢は変わらない。核兵器の実戦での使用も戦後何度か計画されてきたという恐ろしい報告もある。唯一の被爆国である日本でさえ、核兵器を所有すべきだと思っている一定の数の政治家が自民党や民主党の中にいる。毎年のように広島と長崎の市長が格調高く核兵器の廃絶を訴えていても、悲観的にならざるを得ないような現実が続いていたような気がする。日本人さえも、一時のような熱心な核廃絶運動は下火になり、核兵器の廃絶など言うだけ無駄という無気力な人々が支配的になってきたように感じる。

 しかし、日本が核兵器の廃絶を本当に先頭に立って訴えてきたようにはどうしても思えない。日本政府はアメリカの顔色をうかがうのに懸命で、本気で核廃絶を大国に訴えては来なかった。

 今年になって核兵器の廃絶に向けた動きが徐々に出始めている。サミット9カ国の国会議長が9月に日本に集まることになっているが、河野衆院議長の呼びかけにこたえて広島で会合を持つことになった。アメリカの両院議長は広島に来るだろうかと心配されたが、アメリカの政治の中枢政治家では初めて広島を訪れることになった。全員で原爆記念碑に花輪を捧げ、平和資料館を見学することになった意義は、きわめて大きいと思う。

 さらにそれに加えて、アメリカ民主党はオバマ氏を大統領候補として戦うが、その選挙綱領にアメリカの政治家として初めて核兵器の廃絶を公約に掲げた。アメリカの政治史上、核兵器の廃絶を掲げた公約は初めてのことである。時代は進みつつある。アメリカも核兵器の無意味さを少しばかり認めざるを得なくなってきたのだろう。われわれは希望を持ってみることができるだろうか。そのために、日本の政治家が今やることは多い。日本の誰がその運きを動かせるだろうか。来るべき総選挙では、それを争点にして欲しいと願う。

暑い暑い暑い暑い!

2008-08-15 | 日記風
暑い!暑い!暑さの小江戸に帰ってきました。今日の予報では35℃を超えるという。道東の涼しさから一気に灼熱地獄へと突き落とされた感じだ。さらにいろんな災難がワラワラと降ってくる。電話が昨日から突然不通になった。いよいよ古い電話機も寿命が来たかとあきらめて新しい電話機を買ってきた。しかし、それでもやはり電話は繋がらない。どうやら回線の途中に問題があるらしいことが分かったが、新しい電話機が一つ無駄になってしまった。腹立たしいことこの上もない。暑いと腹立たしさがいっそう募る。

明日からもっと暑い九州へ行かざるを得ないことになっている。暑そうだなあ。
 

暑さを忘れ天国気分

2008-08-11 | 日記風
埼玉県の中央は、やはり大陸気候のはしりだろう。熊谷が夏の暑さでは有名だが、小江戸川越も似たようなものだ。うだるような暑さの中では頭も回転しない。何事もやる気がおきない。クーラーは使わないので、暑さに耐えるのが毎日の仕事になっていた。

 ここ道東は、別天地。あの暑さはわずか3日で忘れてしまった。今朝は寒くて目が覚めた。毛布一枚では明け方寒い。昼間もTシャツでは肌寒い。今朝は長袖の毛のシャツを着込んでちょうどいい。暑さに耐えることから解放されて、気持ちがゆったりとなる。快さについついのんびりしてしまって、やはり仕事がはかどらない。

 もっともこちらにいるとインターネット環境にないので、調べ物には不便だ。図書館に行っても必要な本があるとは限らない。ブログを書くのもネットカフェまで行かねば書けない。忙しい仕事も道東のペースでやらしてくれるならいいのだが、原稿の締め切りやイベントの打ち合わせなどなど、仕事の忙しさは変わらない。

 でも、やはりこの涼しさは何者にも変えがたいと思う。

 サンナシ小屋は、先月の地震(震度4)にも大丈夫だった。夏草は生い茂り、草刈に汗を流した。花はもう秋の花が咲きつつある。トリカブトの花があちこちに紫のきれいな色を添えている。キンミズヒキの黄色が引き立つ。丈の高い草の陰にいたタンチョウの夫婦がわたしの影に驚いて飛び立ったが、タンチョウは体が大きいせいで突然は飛び立てない。しばらく助走しないと飛べないのだ。あわてて飛び立とうとして一度落下してきた。こっけいなしぐさに笑いがこぼれる。でもタンチョウ夫婦は必死だったに違いない。すぐに大きい翼を広げてなんとか低空飛行で逃げ出していった。

 サンナシ小屋の周辺にも秋の風が吹いている。もう少しでまた冬のたたずまいに変わるだろう。今年、あと何回サンナシ小屋で静寂のひとときをすごせるだろうか。

  霧深し 船の灯りも 月も消え        釧路海岸で詠む

 

レストランと個人情報

2008-08-06 | 日記風
レストランやファーストフッドの店に行くと、アルバイトだろうか若い女性が大きな声で「いらっしゃいませ、こんにちは」と声を掛ける。いや、声を掛けるのではなく、声を出している。この声を聞くと白々しく感じるのは毎度のことだ。義務として声かけをしているというのがミエミエだから。

 まず、「いらっしゃいませ」か「こんにちは」のどちらか一つにして欲しい。その方がお客に対してもっと親身に話しているような気がする。「いらっしゃいませ、こんにちは」と続けられるといかにも義理の声掛けですと言わんばかりだ。

 もう一つ気になることは、お客が注文をしたら、その内容を大きな声で復唱することだ。間違いがないようにという意味で復唱するのは良いことだけど、なにも隣近所に知らせるほどの大声で復唱する必要はないのではないか。また、注文を受けたら厨房に向かってまた大声で注文の内容を叫んでいる。なぜ厨房に行って小さな声で注文を教えないのだろう。

 注文取りの時だけではなく、食後にレジでお金を払うときにも、大きな声でお客の注文内容をあらためて叫んでくれる。でも、私がどんなメニューを注文して、何を食べたかというのは、大きく言えば私のプライバシーだ。個人情報でもある。隣近所の人に私は何を食べてどのくらい払ったかを知られたいとは思わない。なのに何故彼女らはあのように大きな声で個人情報を叫びあげるのだろうか。大声で個人情報を叫ばれる身にもなって欲しい。

 中には今日自分が食べた食事の内容をみんなに大声で知らせたいと思う人もいるかもしれない。とくに特別の高級料理をたべに来た人は、できるだけ大きな声でみんなにそれを知らしめることに快感を覚える人もいるかもしれない。でも、それはほんの一部の変態か、プチブルくらいだろう。私と同じようにほとんどの人は他の人に自分が今日何を食べ、いくら支払ったか知って欲しくないと思う。

 注文の品はぜひそっと小さな声で確認して欲しいと思う今日この頃だ。

金魚ちょうちんと電線

2008-08-04 | 日記風
瀬戸内海の海に行ったが、暑くて死にそうだった。ところが帰ってきても暑さが極限まで来ている。じっとしていても汗が流れてくる。頭がボーッとしてくる。いよいよ8月になったんだなあと実感する。

 山口県の東の方に柳井市という町があるが、そこの町では金魚の形をした提灯が名物らしい。小江戸川越と同じ蔵づくりの町並みが有名だが、その蔵づくりの町に金魚ちょうちんが暑さの中で涼しげに揺れていた。何だが昔懐かしいような風情だ。どこかで見たことがあるようなないような、懐かしさがある。



 小江戸川越では、川越祭りの山車の行進のために、電線と電信柱を撤去して地中化したため、町の空が広く感じられる。柳井の町でもやはり電線と電信柱がない。地中化したらしく、町の通りがすっきりとしている。蔵づくりの町並みにはやはり電線と電信柱は似合わないのかもしれない。

 電線の地中化はお金が掛かるらしいが、できればいろんなところで地中化してはどうだろうか。世界が少し違って見えるような気がする。広々として。

小江戸脱出

2008-08-01 | 日記風
今年の3月頃に、ある決心をしたとブログに記した。その決心とは、サンナシ小屋から小江戸へ移ってきたのは2年前だが、また小江戸を去ろうという決心だった。
来月、小江戸を脱出して、新しい土地で新しい生活を始めることにした。

 暑い小江戸だが、今度の土地はもっと暑そう。サンナシ小屋にはさらに遠くなるが、暑い夏はできるだけサンナシ小屋にいきたいとは思っている。

 年も取ってからの転居は面倒だけど、これから一ヶ月ほど家探しから引っ越しまでなにかと面倒が多く忙しくなりそうだ。暑い夏にあまりしたくないことばかりだ。

 このブログもあと一ヶ月くらいで一度閉めようかと考えている。そのあとどうするかは、いま考慮中。住めば都というけれど、どこに住んでもいい人はいっぱいいる。新しいすみかでもいい人たちに巡り会えればいいが。