ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

緑資源機構のやったこと

2007-05-26 | 南の海
農水省の外郭団体(100%政府出資)である緑資源機構が官製談合をずっと続けていたことが明らかになった。天下り人事を続けるために官製談合をやるという構図が温存されてきたことが次々と明らかにされている。

 まあ、予想されたことではある。林野庁の予算がどんどん削られており、緑資源機構が扱うお金が昔に比べればわずかになってきた。しかし、それでも林道工事などの林業整備事業で比較的大きい予算を使っている。そのお金を使って自分たちの利益を計ってきたわけだ。この構造には徹底的にメスを入れて欲しい。もっとも国交省のようなもっともっと大きい予算を使って公共事業をしているところがこれまで同じことをやっていたのが、官製談合取り締まりがきつくなって表に出てこなくなっただけかもしれない。

 緑資源機構はこれまで何をやってきたか。林業振興と称して各地に林業振興にはほとんど効果のない大型林道(観光道路と思えるような)を各地に建設して、日本の貴重な自然を徹底的に破壊してきた。官製談合や天下りも悪いが、本当に悪いのはこのような自然破壊だった。緑資源機構をこの際社会保険庁と同じように取りつぶして二度と自然破壊をできないようにして欲しいものだ。

 急なことだが、明日から韓国で開かれる集まりに出ることになった。ラムサール条約などで保全されるべき湿地がどのようになっているのか、そしてどのように保全すべきかについて話し合う会議らしい。わたしはピンチヒッターで出席することになった。またしばらくブログをお休みすることになる。帰ってきたら韓国の土産話を書こう。乞うご期待。
  

美しい地球?(爆笑)

2007-05-25 | 環境
アベシンゾー首相が、2050年までに温暖化ガスの排出量を今の半分に減らすことを提案したことは昨日のブログにも書いた。そのスローガンが「美しい地球」だって!噴飯ものだ。「美しい日本」が評判いいと思ったのか、その伝をG8でも使おうと言うことらしい。語彙・思想の貧困さが透けて見える。

 アベ首相は、アメリカや中国、インドなどの主要な排出国が参加しない京都議定書では駄目だから、新しい提案をしたという。たしかに、これらの国が参加しない排出規制は実効性が薄いかもしれない。しかし、だから京都議定書の約束を守らなくてもいいというのでは、40年以上先の約束なんかだれも信用しない。そういうならまずアメリカを説得して京都議定書への復帰を実現したらどうでしょう。アベさん。それをやらずに40年以上先のことをいっても所詮口先だけのことと、本性がばれてしまうだろう。

 いまだに経済との両立なんかを言っていては、地球の温暖化を阻止することなんかできるわけがない。深刻さの認識が甘すぎる。二昔前に「環境と経済との両立を」なんて言って公害で人々を塗炭の苦しみに落としたことを我々は反省したはずだ。環境を守ることは経済とは両立しないと考えるべきだ。経済よりも人類の生存の方が絶対に優先する。アメリカが京都議定書を離脱したのもブッシュが経済界の反対に乗ったためだった。温暖化のA級戦犯はアメリカにある。しかし、日本も姿勢は同じだ。

 アメリカが参加しようがどうしようが、日本はEUやロシアとともにまず2010年までの京都議定書の約束をなんとしてでも守る努力をすべきだろう。経済が停滞しても。
 

技術では生き延びられない

2007-05-24 | 環境
地球温暖化が予想以上の速さで進んでいるという。アメリカのイエローキャブは二酸化炭素排出削減のためにすべてハイブリッド車にするとニュースで伝えていた。同じニュースで安倍シンゾー首相は2050年には二酸化炭素の排出を今の半分に減らすと言っていた。アベシンゾー内閣ではイノベーションによる極楽未来を予想して見せている。イノベーションとは「技術革新」を偉そうに言った言葉に過ぎない。

 あきれたな。まあ、何とでもいえる。先のことは。ましてや自分の内閣はとっくの昔になくなっているはずだから。京都議定書で日本は2010年までに1990年代初頭の6%を削減すると約束した。しかし、その約束は反故にされそうだ。実際は今年までに1990年代初頭の8%以上増加させたままだ。その現実と責任には目をふさいで、2050年のことを言挙げする。まさに参議院選挙の前の無責任なリップサービスでしかない。

 日本は省エネ技術では世界でも群を抜いて優秀な技術を持っているという。その技術をしても京都議定書の目標に遠く及ばず、温暖化をただ天災のように嘆いてみせるだけだ。なぜ優秀な技術の日本で二酸化炭素を減らせないのか。

 その理由は? まず、技術が優秀であるが故に日本の技術依存いや技術信仰が強すぎると言うこと。そして技術に頼って温暖化などの地球環境問題に対処しようとしていることだ。ここに根本的な問題がある。今の車社会、消費型社会をそのままにして技術でなんとか切り抜けようという対症療法はもう役に立たないことを知るべきだろう。脱車社会・脱消費社会を作り上げない限り、未来はないと思うべきだ。

 トヨタに遠慮してそれを言い出せない日本の政治家たち。石器時代にもどれというのかと人々を脅す企業家たち。石器時代に戻るのをおそれる消費者が、浪費の宴を尽くしている間に、石器時代以前に戻る事態が地球に起ころうとしている。自分たちで紀元前の世界に立ち戻らねばならない事態を招くよりも、その前に自分たちで江戸時代まで戻ろう。それ以外には生き延びる道はない。いや、一つだけあった。それは人口を今の10分に1に減らすことだ。これからの政治家は真剣にそのことを考える必要がある。少子化対策なんてもってのほかじゃないか?
  

VISTAは使いにくい

2007-05-24 | 日記風
4月のはじめにパソコンが壊れてしまった。スイッチを押してもパイロットランプはつくのだけれども、画面はうんともすんとも言ってくれない。画面が壊れたのかと思ってほかのものを付けて試してみたが、やはり駄目。結局3年半くらいの間に書き上げた日記や家計簿、アドレス帳、メールなどすべてのデータが取り出せないまま廃棄せざるを得なかった。こんな悔しいことはない。唯一、写真のデータは8割くらい別のパソコンにもコピーをとっていたので助かった。パソコンが完全にぽしゃる1ヶ月くらい前から何かおかしいと感じていたが、それはそれで何とかなったのでそのままにしておいたのが失敗の元だった。おかしいと思ったらすぐにバックアップをとっておくべきだった。愚者の知恵は後知恵。

 そこでしかたなく新しいパソコンを買った。実は、北海道から引っ越すときに皆さんからお餞別をいただいた。それでパソコンが買えたのでちょうど助かったのだ。新しいパソコンを電気量販店へ買いに行った。前回は注文組み立ての小規模メーカーの製品だったので安かったのだが、それがよくなかったかなと思って、今回はメーカー品を買うことにした。しかし、売っているメーカー品はほとんどすべてOSがインストール済みのもので、しかもwindows vistaばかり。壊れたパソコンのwindows XPのCDを持っているのでOSの入っていないパソコンを買おうと思っていたが、そういうメーカー品はないのだそうだ。しかたなくwindows vistaの入ったパソコンを買ってきた。

 Windows vistaは鳴り物入りで売り出したが、あまり盛り上がらず売れ行きも芳しくないとのこと。使ってみたがたしかにどこがよくなったのかさっぱりわからない。むしろ使いにくいなと感じるところが多い。慣れないせいもあるのだろうけど、一ヶ月近く使ってみてやはりXPの方がよかったと思う。VISTAを使っている人でここが便利という人、教えてください。
 

列車内レイプと民営化

2007-05-22 | ちょっと一言
JR北陸線の特急サンダーバードの中でレイプ事件があったという。昨年8月のこと。そして犯人が逮捕されたのはそれから8ヶ月たってからだった。同じ車両には40人以上の乗客が乗っており、一部始終を見ていた人もかなりいたはずだと言うが、20代の女性客がしつこく性的いたずらをされ、あげくのはてトイレに連れ込まれてレイプされたというのに、乗客の誰一人として車掌にも警察にも届けるものがいなかったという、本当に信じられないことがあったらしい。

 自分に関係のないことには関わらないという現代の人間の非人間的な面については多くのメディアで取り上げられた。なぜ女性が「助けてくれ」と大声を上げなかったのだろうという疑問もないことはないが、どちらにしても彼らの非人間性、正義感のなさには、おおいに問題があるだろう。しかし、ここではその問題は論じない。

 乗客の非人間性は大きい問題だが、論じられていない大きい問題がある。それはJRの車掌が列車に一人しか乗っていないことだ。国鉄時代はそんなことはなかった。常に何人かの車掌が乗車し、鉄道公安官も乗車していた。彼らは車両を巡回し乗客の要求に応え、また不正乗車を見つけるべく努力していた。あの時代ならこのような事件はおこらなかっただろう。

 国鉄の分割民営化によって車掌の人員は減らされ、ホームは無人になり、鉄道公安官は鉄道警察に身売りした。人員は減らされ、乗客の安全は二の次になった。JR西日本の大事故は民営化のたどり着いた結果だった。金儲け至上主義が大手を振って乗客の安全を切り捨てた「非公共」交通の行き着いた先だった。

 レイプ事件はほかにも余罪があったという。1件だけではなかった。彼らは無法な行為を車掌でさえもとがめない(とがめられない)という確信を持って、次から次へとかよわき羊を求めていた。民営化によって生け贄にされた女性を悲しむだけの我々を哀しむ。

 今年の夏からは郵政が民営化される。アメリカ資本が喜ぶだけの郵政民営化。郵政公社はすでに郵便事業から徐々に手を引きつつある。見えないところから、弱いところから、声を上げないところから。そして民営化した後、都会に住まない人々への大規模な郵政レイプが始まるだろう。
 

勇気と創造力

2007-05-22 | 日記風
久しぶりに古いビデオでチャップリンの「ライムライト」を見た。ずいぶん昔に見たので筋書きはほとんど忘れていた。そのおかげで新鮮だった。しかしチャップリンの映画はいつ見てもすばらしいと思う。技術的にはもちろん今の映画にかなうものではないが、彼のまっすぐな姿勢が本当にすばらしい。時代も考え方も古いかもしれないが、人間の考えることや感情にそれほどの変化があるわけでもない。

 この映画を見ていて、チャップリンの「人生でもっとも大事なことは、ほんの少しの勇気と創造力だ」という言葉に出会ってはっとした。この言葉は私が好きで最近まで公開していた本名のホームページの巻頭に掲げていた言葉だった。すっかり忘れていたが、ライムライトでチャップリンが語った言葉だった。古いビデオテープを引っ張り出して見た甲斐があった。

 もう一度この言葉をかみしめている。ほんの少しの勇気と創造力が我々には必要だ。この閉塞した時代にあって、チャップリンの言葉は輝き続けている。
 

ミンダナオの海(その5)-ジュゴンのエコツアー-

2007-05-20 | 南の海
ジュゴンが出現するミンダナオのマリタの海岸へジュゴンの調査を体験しながら、ジュゴンと生きる人々の生活も体験するという「ジュゴンエコツアー」を地元の人々が企画したいと考えている。このツアーには、ジュゴンを観察することはもちろん、ジュゴンの出現する海でシュノーケリングしたり、海草の観察と調査も体験することができる。地元では小さいながらジュゴンの標本を展示した博物館を作ろうとしている。

 私もこのエコツアーが実現したら、是非協力したいと思っている。日本からのお客さんを地元では期待しているようだが、はたしてこのジュゴンエコツアーにお客さんが来てくれるのだろうか?それが心配だ。ダバオまでの航空券が往復10万円前後。泊まるところは民宿程度。それをふくめた合計で6泊7日15万円くらいになるか?この金額でいったいお客は来るだろうか?ブログを見てくれているあなた。行きたいと思いますか?

 いや、ぜひ一緒にいきましょう。
  

ミンダナオの海(4)-フィリピン選挙事情-

2007-05-19 | 南の海
われわれがミンダナオに滞在している間、フィリピンは議会の選挙だった。国会議員から地方議会までいろんな議会議員の選挙が行われていた。フィリピン人は選挙に非常に熱心で、投票率もかなり高い。都市は低くて地方は高いというのは日本と同じ構図であるが、人々の選挙への熱の入れようは日本の比ではない。

 写真のように町の至る所にびっしりといろいろな素材で作られたポスターが景色が変わるほど掲げられている。宣伝カーも候補者の名前を大書してスピーカーで町を練り歩く。日本と違うのは名前の連呼はあまりなく、選挙カーは明るい音楽を流しているものが多い。もちろん日本の右翼のような歌ではない。乗りの良いポップスが多いようだ。名前を連呼しているものもあるが、少数派だ。

 われわれは人口6万程度の地方都市マリタの郊外にあるバランガイ()の民家の庭にあるニッパハウスに泊めてもらったのだが、選挙の前の日は高校や大学に通うためにダバオ市に住んでいるそこの娘や息子たちもみんな3時間かけてバスで帰ってくる。そのほかにも一族郎党が各地から投票のために集まってくる。住んでいるところではなく登録しているところで選挙が行われるらしい。そのために、選挙前日は一族郎党で家はあふれかえり、ダバオから帰ってきた息子は庭でテント住まいのありさま。そんなにしても選挙には里帰りするらしい。日本では考えられない選挙への熱情である。

 もう10数年以上前に、マルコス政権を打倒した民衆の黄色い花の革命とよばれる革命があった。マルコス政権を倒してアキノが政権を取ったのだが、実質これは民衆の革命であった。そのときからフィリピンでは実質的な民主主義が始まった。泊めてもらった民家に集まった人たちも、選挙を「民主主義の選挙」と説明してくれた。これを聞いてお寒い日本の民主主義事情を思った。民衆革命の歴史を持たない日本人は、こころからは民主主義を大事にしないのかもしれない。昨今の日本の投票率の低さや憲法改訂論議などを聞いていると、フィリピンに比べて日本が情けなく思えるようになる。

ミンダナオの海(その3)-ジュゴンの涙-

2007-05-18 | 南の海
今回は、ジュゴンを海中で観察したいという強い希望を持ってミンダナオへやってきた。場所は昨年と同じミンダナオのマリタ海岸。ジュゴンを海中で見るためには、次のような戦術を立てた。

 まず、海岸に建てたジュゴン観察用の塔の上に人を配置し、ジュゴンが出現したら旗を振って知らせてもらう。ジュゴンが出現するまでわれわれは海岸のベンチに座って海を眺めながら待機する。この待機が長い。朝から夕方までずっと待機することも多い。ジュゴンが出現したという知らせを受けたら、急いで自分でジュゴンを確認する。できなくても近くに来ていることがわかれば、とにかく潜ってみる。重いタンクを担いで海岸からエントリーする。うまくいけば餌の海草を一生懸命食べているジュゴンに海中でお目にかかれるわけだ。

 しかし、実際はそううまくはいかなかった。最初の頃はジュゴンを驚かさないように先に海底に行って待つ戦術を考えた。ジュゴンが出現したという知らせを受けたらとにかくすぐに海に潜ってじっと海底でジュゴンがやってくるのを待つというやり方だった。しかし、透明度は良いといっても見渡せる範囲は5-6mくらい。その範囲にうまくジュゴンが入って餌を食べてくれる確率は、途方もなく小さい。海底で息を潜めてじっと待っているのも、最初の頃は面白かった。海底に腹を乗せて首だけ周りを見ながらじっと横たわっている。呼吸音をジュゴンが嫌うという話もあるので、できれば息も止めて待っていたいがそうもできない。なるべく呼吸回数を減らそうとすると吸気の時に大きい音で空気を吸い込んでしまうことになるのでそれも困る。しかし、呼吸を止めるわけにはいかないので気持ちだけ息を潜めて待った。海底でじっとしていると、体が冷えてくる。熱帯の海とはいっても体温よりはかなり水温は低い。そのうち潮が変わって深い方から冷たい水があがってくると体が冷え切る。というわけでこの戦術もすぐに止めてしまった。

 次に採用したのが、ジュゴンが出現したらスキンダイビングで近くまで表面を泳いでいき、ジュゴンを上から見つけてから潜るというもの。さっそくジュゴンが出現したという合図を待ってシュノーケリングで表面を泳いでいった。しかし、海底では比較的透明度が高くて5-6mの範囲が見えていたのに、表面から見ると3mの海底がぼんやり年か見えない。これでは海底の見える範囲はほんの直径2mくらいにしかならない。結局、このやり方でもジュゴンの姿を見ることができなかった。

 すぐ近くにジュゴンの息づかいを感じながら、ジュゴンの姿を見ることができないというのは本当に悔しい。結局、今回のミンダナオ行きではジュゴンを海中で見るという最初の目的は達成できなかった。友達はあきらめきれずにあと一週間ほど滞在してジュゴンの水中撮影に挑戦するという。彼とジュゴンをミンダナオに残して、悔しいながら帰ってきた。

ミンダナオの海(その2)-カラオケと日本人?-

2007-05-18 | 南の海
マリタ市の海岸にあるジュゴンの観察ポイントのすぐ真ん前に小さなニッパハウスが新しく建っていた。ニッパハウスとは、壁も屋根もニッパヤシの葉でふいた小屋のことである。この海岸に多く住む貧乏な漁師たちはほとんどがこのニッパハウスに住んでいる。われわれは漁師の家ではなく、観光客用に作られた小さなニッパハウスに泊まることにした。地元の人の紹介で泊まらせてもらうので、宿泊費はほとんど無料に近い。

 目の前が砂浜海岸で満潮の時は2m先まで海水がやってくる。波の音、風の音、椰子の葉ずれの音が聞こえる。風は海から直接吹き、小屋に付属したベランダに座ると心地よい風が身をなぶる。これは天国だ、と思ったのもつかの間。隣の小屋からけたたましい音が聞こえてきた。カラオケの音だ。

 フィリピン人はカラオケが大好きだ(ビデオケともいう)。それも巨大なスピーカーを据え付けて大音量で流す。どのようなところにもカラオケの機械が据え付けてある。隣の小屋もコーラとビールなどわずかの飲み物を置いているだけだが、カラオケの機械が真ん中にどーんと置いてある。われわれも日本人ならカラオケは大好きだろうと誘われる。とんでもない。こんな自然いっぱいのところへ来てカラオケなんかお断りだ。しかし、このすてきなニッパヤシの小屋のすぐ横で毎朝、毎晩夜中の12時過ぎまでカラオケが轟き渡る。本当につらい。寝ることもできない。

 フィリピンのカラオケは日本と違って歌っているのはほとんどが若者だ。それも10代が中心。なかには子供じゃないかと思われる声も聞こえる。ちょうど学期の終わりの休みにあたったので、若者たちがカラオケに朝から晩まで浸っている。おかげでこちらは睡眠不足。何とかして欲しい。カラオケは日本人の優れた発明だといわれるが、迷惑もいっしょに世界中に広げてしまったようだ。しかも日本人だからカラオケは好きだと勘違いして、サービスのつもりでわれわれにカラオケを聴かせてくれていたようでもあった。騒音が特に嫌いな私にとっては、つらいつらいフィリピン滞在だった。海の中に潜っているときが唯一心落ち着く静けさの世界だった。