失敗は黒い鉛筆にあるのではなからうか ― 僕の青春のシンボルであるあのカステル25の色鉛筆をつかふのを怠つたことに、運命の恩寵が離れたのではないだらうか。 … 黒い手記にこのノオトをしようとねがはなかつた。しかし結果はさうなつた。 … このかんがへはまへから心の底に、不思議にたゆたうてゐて、いま不意に光のやうに眼のまへにきらめいた、もつと早く、この考へは浮かぶべきであつたのだ、 … 一切がふたたび転換するだらう、希望を信じる方向に、そして、すべてがよくなる方向に ― ( 日記ハ此処ヨリ青鉛筆ヲ以テ記セラル、とある。 )
( 1967年角川書店版 『 立原道造全集第五巻 』 より 「 ノオト 」 から )
どうもこういう風景を見ると立原道造を思ってしまうのだ。それでつい何か彼の文章を引用したくなってしまうのである。もうひとつ、詩を引用してみる。詩集 『 優しき歌 』 から 「 さびしき野辺 」 の一節。
だれかが 私に
花の名を ささやいて行つた
私の耳に 風が それを告げた
追憶の日のやうに
昨夜からの雨が上がって、だんだんと雨雲が去って行き午後には秋の爽やかな風が吹いている。こんな日は思い切ってドライヴに行ってもいいかも知れないナ … と、 「 風がそれを告げた 」 ように思う。 「 そして、すべてがよくなる方向に 」 風が吹くといい、と思う。