清水茂編 『 片山敏彦 詩と散文 』 ( 1989年・小澤書店刊 ) より 「 清澄 」 という詩を紹介する。片山敏彦 ( 1898-1961 ) は優れた詩人であり、西欧文学の、殊にロマン・ロランやリルケの紹介者としても知られる文学者でもある。僕としては、彼の文体は閑雅にして清澄、という印象がある。片山敏彦の文学はなんといってもロマン・ロランであるが、しかし詩も好きな詩が多くある。 「 清澄 」 を書きうつしてみる。
愛したことがあるのでなければならなかつた
愛して 悩んだことがあるのでなければならなかつた。
愛して喜んで苦しんだために
いろいろなものが
輝いたことがあるのでなければならなかった。
愛したために そして愛が変わりやすいために
心がきずついたのでなければならなかった。
しかしそのために ただそのために
あたらしく生れ出る清澄に
或る夕べ 気づいたのでなければならなかった。
そしてこの清澄が
その後 ( のち ) は 心からも どこからも
もう消えないのでなければならなかった。
今日、ギャラリーの本の片付けをしていてこの本を読み出していたら、結局作業も進まず、その内に来店されたお客様とお茶をいただいたから、一日がやっぱり思う通り ( 作業が中断するかも、という ) に過ぎて行ったのである。明日もどうなるか … 東京からの未だお会いしたことのないお客様が来店する。 夜、眠る前にもう一度この詩を読む。