ディテールと文体

2013-10-04 | 日記

    

新興都市のビルディングの窓 ? または有名建築家による建築デザイン ? のような … 。物のディテールというのはいろいろな想像をかき立ててくれるし、時に思わぬデザインを見せてもくれるのである。これは実は、網目になった厚さ5cmくらいの排水側溝のメッキされた金属製のフタである。それが積み重ねて置いてあったのである。全体をちょっと脇から撮ると下の写真のように写って、まるで地震に揺れたビル街の一画のようである。どうでしょう、そんなふうに見えないだろうか ? と言うことを書いて一日の慰めとしよう … 。

    

今日のギャラリーでは午前中のお客さまが帰った後、絵の整理と少し掛け替えをした。午後、 『 朝活 』 の棚橋クンという主催者の一人の方が見えて、また料理研究家の松丸さんも見えてギャラリー閉店を惜しむ話になった。そんな話の中でもやはり僕は楽天的なのだろうか、という思いがフトしたのである。いろいろなことがあるにはあっても、シビれることがあるにはあってさえ、オプチミストはそれらのことはドストエフスキーが述懐したように 「 不思議な、刺すような甘美さ 」 を持っていることは確かにあるにはあるのである。スリルと言ってもいいかも知れない。スリルというのは、大げさに言えば絶望や危険性や焦慮の中にある種の 「 甘美さ 」 を潜ませているように思う。別言すれば、スリルの中に 「 刺すような甘美さ 」 を感ずる精神を持つ人のことを、そう呼ぶのかも知れないナ。

今日はもう六時になったからギャラリーを閉じて、そう言えば宮崎駿の 『 風立ちぬ 』 をこれから見ようかナ … と思う。映画にもやはり作者の 「 文体 」 があると思う。 「 文体 」 とは、一人の人間が生きて行く 「 姿勢 」 のことだろう。窓の外はとっくに暗くなっている。