恐竜の声の記憶を樹の裡に抱きて立てりメタセコイアは
『生きてる化石』この言葉は科学的な言葉であると同時にロマンティックな響きを持つ。
この言葉で思い出すのは動物ならシーラカンス、植物ならメタセコイアだ。
化石で発見されたメタセコイアが日本に今でも存在するのが発見されたのは昭和20年代のことだそうだ。
どこかの神社にひっそりとあった。
そして初めてメタセコイアがメタセコイアとして植えられたのは皇居の庭だそうだ。
今では公園の木、郊外の道路の並木に見ることが出来る。
まっすぐに伸びる幹、円錐形の整った樹形。
見ていて美しい。
このメタセコイアは恐竜が闊歩していた時代も知っているのだなと思って詠った歌。
こういう詠いかたがわたしにはできない。
感覚がないんですね。
某総合誌で拝見したときに「またやられた」って思いました(笑)
わたしが入院していたとき、病院の向かいにメタセコイアの大きな樹があって、赤くなった葉が一斉に落葉するさまが圧巻でした。
一年後にその前を通りかかったら切り倒されていました。なんとも切なくなったのを覚えています。
ボブさんの歌は現実のものを見てもそれからイメージがかもし出され幻想に近い歌ですね。
そういう路線も私は好きで、自分をどの路線に定めるかはまだ決まっていないですね。
自分の思いを託した木が切り倒されると本当に悲しいですね。
体の一部を失ったような。
私もまた最近別のミモザの大木が短く切り揃えられているのを見つけて悲しくなりました。