アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

円熟の秋山!心に響き渡った名演奏~シベリウス

2021-10-10 08:00:00 | 音楽/芸術

新日本フィルハーモニー交響楽団も新たなシーズンを迎え、新しい定演のシリーズ「すみだクラシックへの扉」公演を鑑賞してきた。

先月のマーラーから新しいシーズンに突入している訳だが、無念にも出向く機会を逸し配信鑑賞のみに終わっているから、今回はかなり久しぶりな印象を以ってトリフォニーへと向かった。有料配信とはいえ、自分のPC上で画像を観て、そしてスピーカーからの擦り切れた音色を聴くことには限界がある。解っていながら、気になって観てしまうのが正直なところだが、演奏の外面はなぞれても、指揮者とオケとの意思疎通、細かな表情づけが判らず、やはり演奏の良し悪しは何となく分かっても、そこから先には到達できないでいた。もう何十とこのオケを聴き、そういった体験の中から解釈しようとしても、やはりアントンKには限界があったのだ。やはり今後も実演至上主義で鑑賞したいと思い直したのだ。

今回の楽曲は、後半のシベリウスがメインの楽曲だが、今鑑賞してみて前半に置かれた2曲も、かなり渇いた心に突き刺さってしまった。ドヴォルザークの「謝肉祭」と言えば、若い頃親父が好きだった楽曲で、一緒になってよくレコードを聴いたもの。短い曲だが、色々な場面展開があって聴きどころは多い。楽曲の出だしから秋の祭りを思わせる派手な曲想は、オケの音色のバランス感覚は最良であり、賑わいを見せる農婦の光景が目に見えるよう。中間部での趣のあるイングリッシュホルンに載せて現れるコンマス崔氏のソロは、懐かしさとはかなさが込められており心に染みた。

2曲目のコンチェルトだが、ショパンでも第2番とは、アントンKにはお初かもしれない。一番印象的だったのは、今回のソリストであるリモルディの卓越した技量と響きの美しさだった。ショパン特有の装飾音の粒の際立ちがとても心地よく、和音の響きの透明感も特質物だった。オケもソリストの個性的解釈によく付けていて、指揮者秋山氏のこういった卒の無さは流石だったと思えるのである。

そして後半のメインプロは、シベリウスの第2交響曲。わが国でシベリウスの交響曲というと、昔からなぜが第2番が数多く取り上げられてきた。アントンKの知人の中に、クラシック音楽は、このシベリウスの第2しか聴かないという変り者もいたが、確かにシベリウスの交響曲の中では一番親しみやすい楽曲のようにも思える。アントンKにとっては、このシベリウスの第2は、やはり若き頃、シベリウスでは「フィンランディア」の次に聴いた楽曲だった。しかしそれ以降、鑑賞の幅も徐々に広がり、シベリウスもある程度聴き込んで行った時、やはり後期の交響曲にこそ、シベリウスの独自の世界観があることに気づき、今では好みとしては第5、第6あたりの楽曲を取りたくなる。

シベリウスを聴くと、いつも暗く垂れこめた低い雲の重怠い景色が目に浮かんでしまう。真冬の北海道で聴くシベリウスは、自分の中では五感が震えていつも寒さと切なさが心を支配してしまうのだ。特に第4以降の曲想が、アントンKをいつもそうさせるのだが、今回の秋山氏の演奏では、そういったはかなさよりも、明日への希望の光が勝っていたように思っている。

「アルペン」の時にも感じたが、秋山氏は今回もオーケストラを容赦なく鳴らしていた。それも、曖昧な小節は皆無で、硬質で鋭角的な音色に感じた。シベリウスという楽曲からか、そのような演奏は実に的を得ており、アントンKもワクワクが止まらず一気に音楽の中へと埋没していったのである。ベースやチューバ等の低音部を意識して大切に鳴らし、展開する楽曲作りはかつての朝比奈かと思わせるほどの充実ぶり。さすが指揮者十八番の楽曲ということがここからも理解できた次第。

そして最後にはなってしまったが、この楽曲においての弦楽器群の集中力は半端なく、常に指揮者に寄り添って演奏の華となっていたことを書き記しておく。今回のコンマスも崔文洙氏だが、彼の響きの厚みは相変わらず超ド級であり、あの音色はおそらくベルリン・フィルやシカゴ響のコンマスからも聴けないだろう。つまり今や世界一ということだ。コンサートマスターという職人芸は、アントンKにはとても計り知れない仕事なのだが、今回は特に指揮者とともに音楽に埋没し、オーケストラ全体の手綱を引っ張っていたように強く感じたのであった。螺旋階段を一歩ずつ上るように前に進んで行く・・というのは、朝比奈隆の言葉だが、この日のコンマス崔氏の演奏姿を観ていて、その言葉を思い出し生きる勇気を再び享受した想いになったのである。

新日本フィルハーモニー交響楽団定演 すみだクラシックへの扉第2回

ドヴォルザーク   序曲「謝肉祭」OP92

ショパン      ピアノ協奏曲第2番ヘ短調 OP21

シベリウス     交響曲第2番ニ長調 OP43

ソロアンコール        ラフマニノフ  10の前奏曲    OP23-10

指揮        秋山 和慶

ピアノ       エマニュエル・リモルティ

コンマス      崔 文洙

2021年10月8日 すみだトリフォニーホール   


黄金の海原に泳ぐサメ~EF66 100

2021-10-08 21:00:00 | 鉄道写真(EL)

夜明けが遅くなり、またこの季節がやってきた。斜光にススキが映える季節。1年で一番好きな季節。

街を歩けばキンモクセイの香りが心地よく、まるで大地に霜が降りたような白い花を咲かすのは、蕎麦の華。赤い彼岸花がいいアクセントで写欲をそそる。そんな光景を想像しつつ、今年は旅できるだろうか。今から楽しみなのだ。

いつも出向いている新鶴見界隈でも、その気になれば秋を十分に堪能できる。ススキが朝日を浴びて黄金に輝き、光る二条のレールにサメ(EF66100)が躍り出る。日常が特別な時間に代わる瞬間だ。今年もそんな時間を探しに行きたいと思っている。

2020-11        EF66 100    東海道貨物線:新鶴見付近


補機の付いた金谷川を往く~ED71 and 485系

2021-10-07 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

北の大動脈である東北本線は、新幹線開通によって大きく変化した路線の一つだ。アントンKが鉄道趣味を始めた時代、東海道には間に合わなかったが、まだ東北線や上信越線には多くの優等長距離列車が存在していて、今思い出しても華やかな路線だったことを思い出せる。当時の印象は、立て続けにやってくる特急列車に驚かされていたとともに、列車によってカメラを向けるのも止めていたものも多い。限られたフィルムの中で、自分の行程を考えシャッターを切っていかないと、手持ちのフィルムが無くなり、目的の列車でさえ撮影出来ずに終わってしまうからだ。特にバケペン(PENTA67)は10枚撮りで、撮り切るタイミングまで考えて撮っていたことが今では懐かしく思い出せるのだ。

そんなことを想いながら旅した秋の東北路の写真を掲載しておく。

今や忘れ去られてしまい、話題にすらならないことだが、案外東北本線には連続勾配区間が散在していて、昔からみても悪戦苦闘の歴史が刻まれている。最も有名であろう奥中山の峠道は、第三セクター化でも存在しているはずだが、阿武隈越えや越河越えなども、実際にロケハンして現地を歩いてみると、想像以上の路線が目の前に現れて度肝を抜かれた当時の想いが蘇ってくるのだ。勾配区間というと、当時はどうしても奥羽本線の板谷峠や、磐西の更科越えなどに眼が行きがちだったが、列車本数は比較にならないほど多くの列車が、喘ぎながら坂を上る光景は、何よりも増してアントンKには魅力的に感じていた。写真の金谷川でも、上り列車に対して長い上り坂が福島から続いている。さすがに電車はへこたれずに上ってくるが、貨物列車は後補機を付けて長い勾配を行き来していた。補機付きが貨物列車全てではないのは、西の瀬野八と近似していたが、赤い小粒のED71が孤軍奮闘する姿は、秋の東北路によくマッチしていたのだ。補機仕業を終え、側線で一休みしているところに、後続のL特急「ひばり」が爆走して抜き去っていくシーン。これこそ、アントンKにとって東北路の印象そのものなのである。

1982-10-15    1008M      特急「ひばり8号」 と ED71 14    東北本線:金谷川にて


懐かしき新興駅の賑わい~DE10

2021-10-06 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

「新興駅」と聞いてピンとくるファンの方々はどのくらいいるだろうか・・

京浜東北線の新子安にほど近いこの駅は、貨物駅として国鉄時代は随分と賑わっていた。当時の取引先が、この駅の目と鼻の先にあり、ほぼ毎日のように通っていた関係で、絶えず貨車がガタガタとジョイント音を刻んで入替している光景を見ていたものだった。さすがに勤務中に目を盗んで貨物列車を狙ったことはなかった!はずだが、ゴハチが晩年を迎えた1984年頃は、新子安でよく荷物列車を撮影していたためか、その勢いで貨物線にもカメラを向けていたようだ。

駅そのものは廃止となり久しく時間が経ってしまったが、まだ線路は貨物線としてもちろん残っている。根岸までオイル列車を牽く貨物列車が今でも見られるのは嬉しい限りだ。ただ、ヤードはレールが剥がされ、草に覆われジャングル化した路線を見ると、とても悲しくなってくる。国鉄時代に感じた「鉄道であることの誇り」は何処へ行ってしまったのだろう。この場所を通るといつも、そんな想いになってしまうのだ。

掲載写真は、新興駅で入替作業に励むデーテン(DE10)の横を団体列車が通り過ぎるシーン。この日は、ミステリー列車の入線がありアントンKもたまらず撮影していたようだ。ちょうど今頃の季節、秋晴れの昼下がり、いつもの日常がどよめいたのだった。

1986-10-14     入替DE10 98     高島貨物線:新興駅にて


令和時代に偉大な鉄道文化を尊ぶ~C11 325

2021-10-05 20:00:00 | 鉄道写真(SL)

走行テストを兼ねて関東近郊を約500キロほど廻ってきた。

目的は運転そのものだが、あるゆる場面に立ち向かう愛車を味わうだけでは、アントンKには少し物足りない。ハンドルを握りアクセルを踏むと同時に、心地よい音楽は欠かせないのだ。それをMD(ミニディスクオーディオ)で聴く。この瞬間をどのくらい待っただろう。この自動車のテーマは、80年代に味わったあの時間の復活。気持ちをとことん入れて録り溜めた当時のMDは、長い長い暗黒時代を今や抜け出したのだった。M.ジャクソンに始まり、B.ジョエルやカーペンターズの音色は、瞬く間に昭和時代へと心を運んでいった。そしてX JAPANのLast Songにまた涙した。しかしアントンKの大本命は、この空間でマーラーやブルックナーなどの往年の名演奏を鳴らすことにあった。まさに80年代は、アントンKにとっては音楽鑑賞が衣食住よりも勝っていた時代。不思議と当時の演奏を鳴らすと当時の想いが蘇ってきてしまうのだ。しかし当時は辛く悲しい思い出も、これだけの時間空間を経てしまうと、不思議と懐かしく清々しい緑色に変化して音楽を通して伝わってくる。やはり音楽とは深く大きなもの。また再認識させられたのだった。

そんな大切な、貴重な時間を持てたことに感謝したい。そんな想いに浸って撮影した東武鉄道の蒸気機関車を掲載しておく。遠くからドラフトを響かせ、ヨ8000という車掌車を引き連れてやってきたC11は、この令和時代にも万人の心に灯をともしていくことだろう。また会えて良かった!そんな思いでシャッターを切っていた。

2021-10        7列車    SL大樹 C11 325         東武鉄道鬼怒川線:倉ケ崎付近