アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

電車区を跨ぐ人道橋~EF64

2021-10-20 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

アントンKの原点とも言うべき、三鷹電車区近郊。学生時代、自転車にまたがり、よくこの界隈まで出向き遊んでいた思い出深い場所だ。1970年代のことだから、ざっと45~6年前まで遡ってしまう。何という長い年月だろうか。こう思うと、人生なんて案外短いものなのかもしれない。

そんな当時からあった、三鷹電車を南北に跨ぐ人道橋が、近く取り壊されるという情報を聞きかじった。自転車で行き来していたから、たもとに駐車して階段を駆け上り、よく電車区にいた車両を眺めていたものだった。金網が高く撮影には向かないはずだが、それでもチャレンジしている当時の写真が残されている。中央線本線は、今では電車区横から高架線へと続くようなスロープが始まっているようで、景色そのものが車両たちを含めて様変わりしているから、無くなる前に一度再訪したいと考えているのだ。

掲載写真は、その昔、模型店とともにセットでよく出掛けていた時代のスナップ。EF64の貨物列車の背後に写る陸橋が、今回話題にした人道橋である。太宰治ゆかりの陸橋だったとは最近知ったというおとぼけのオチまで付いていた。

1975-08-27      487     EF64 32       中央東線:三鷹-武蔵境


賑わいを見せた早朝の大宮駅~EF58

2021-10-19 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

前日夜の普通電車で水上へ入り、続々と到着する夜行列車を迎え撃つ。もちろんこの時は、峠の主EF16がターゲットだったが、ゴハチやロクヨン、はたまたEF15がゆっくりホームに滑り込んできて、EF16の連結をしばし待つ時間の緊張感が好きだった。真夏だというのに、この時間だと上着を羽織らないと寒いくらいだったことも懐かしい。でもよく考えたら、撮影中はお構いなしで、無我夢中。寒さなど感じるのは全ては終わった時間だった。

下り夜行列車を水上で見送った後、今度は上り上野行き夜行列車で上京する。もちろん寝台は使わず、12系や雑形のボックスシートで仮眠しながら戻ったと思うが、こんなこと何度か繰り返しているのだから、まだまだ若かったと感慨にふける。今のアントンKには、そんな真似も出来なくなったが、したくても出来ない(列車が無い)ことの方がやはり悲しいではないか。客車に振られながら感じた気だるさ、充実感、そして次へと進む活力は、今でも忘れないし今日まで継続してきたことの源だろう。

そんな夜行バルブ明けの、寝ぼけ眼で降りた早朝の大宮駅でのスナップ。4番線ホームだから、東北スジの列車を同じホームから撮影している。随分とホームが低い事がわかるだろうか。奥に見える跨線橋には、もちろんエスカレータはなく、幅広い階段が口を開けている。アントンKが一番懐かしく思える大宮駅のシーンである。

1980-07-26           6106     EF58108        八甲田60号    東北本線:大宮駅


九州に新たな電機登場か!~ED76

2021-10-15 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

全国から機関車が年々減少の一途を辿っている最中、一社鼻息の荒いJR貨物会社。昨今では、EF210 300番台が大量に増備されて、貨物列車のカマ模様が変わりつつある。増えるものがあれば、減っていくものもあるのが世の常。悲しいかな、また国鉄時代に誕生し活躍した親しまれた機関車が引退していくのか。今後の動向には目が離せなくなった。

そんな動きの激しい中、また新たな情報が飛び込んできた。九州地区のED76とEF81を新型電気機関車に置き換えるという内容だった。それも、EF510の300番台車を新製するというのだから、この時代驚嘆したのである。最近では、アントンKも九州にはご無沙汰が続き、直近の姿は目にしていないのだが、これらの電機たちも、今では相当痛んでいると容易に想像が出来てしまう。そして近い将来、新たなシーンが九州で展開されていくのだろう。世の中落ち着いたら、また九州を旅してみたいものだ。

ここでは、記事に合わせてJR時代の貨物機でもよかったが、やはり国鉄時代末期のブルートレインの画像を載せておく。民営化前、ブルートレインに再びヘッドマークが復活したが、その先頭を切ったのが九州ブルトレ達だった。独特のお椀型形状のマークは、一目で九州型とわかる個性派で、ここの「はやぶさ」も、関東地区で見るものとデザインは同じでも形状が違い、最初は違和感があったことを思い出している。この鹿児島本線を走破する寝台特急「はやぶさ」の一番の見どころは、やはり田原坂越えだろう。諸先輩方の九州における蒸機時代の写真には、必ずといって良いほど登場する田原坂。そんな写真を見て一度は行きたいと長年思っていた撮影地だったのだ。掲載写真は、この田原坂を往く上り東京行き特急「はやぶさ」。スケールが大きく、どこをどう撮ろうか悩んだファーストショット。この後、九州へ渡る機会が増えていき、ブルトレを追った日々を今でも忘れることは出来ない。

1986-07-28     4列車 ED76 73  はやぶさ     鹿児島本線:植木-田原坂


ダッシュ!ナナゴー / 鉄道の日に寄せて・・

2021-10-14 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今日は「鉄道の日」。朝から鉄道にまつわるSNSやTV番組が多いように感じている。

このアントンKの拙ブログも、最近では鉄道ブログ化してきた。本来なら趣味や興味ある出来事の備忘録として残していくつもりだったのだが、大分内容が偏ってしまった。まあそれも良いか。。所詮は自身のためのものとして綴っているのだから。東日本大震災の起きた2011年から何とか継続を観て今年で丸10年。そして来年2022年は、鉄道開業150周年を迎える。思い出に残る良い時間を送りたいものだ。

昔は「鉄道記念日」と呼んだものだが、そんな記念日にちなんで、アントンKの好きだった機関車を載せておきたい。長い越河の坂を重連で上るED75 1000番台の雄姿。現在の金太郎ことEH500も、流石にここでは甲高い唸り声を上げてくるが、先輩にあたるナナゴも、それは迫力満点な姿で目の前に現れたものだった。特に写真のような高速用1000番台の重連には惚れ惚れして見送った物。東北の主、ここにあり!!

1980-03-26       ED751034+1028            東北本線:白石-越河


オリエント急行 日本縦断!~EF65PF

2021-10-12 17:00:00 | 鉄道写真(EL)

長く鉄道趣味を続けてきた中で、悔やんでも悔やみきれない汚点は数々あれど、まずその一つに「オリエント急行」がある。

今から30年以上も前の話になるが、今にして思えばその時代はバブル景気真っ只中にあり、アントンKには、とても慌ただしい時代だったように思い出せる。公私共に時間が足りず、いつも苛ついていたようにも思えてくる。演奏会は、マーラーなどのチクルスが軒を並べ、海外からのオーケストラの来日が相次ぎ、スケジュールを把握するだけでも大変だったことも思い出せる。そんな時代背景だった当時、ヨーロッパに走るオリエント急行用の客車を来日させ、一定期間ではあるが日本中を駆け巡るという超特別な企画列車が走ったのだ。このオリエント急行の日本での最終列車のけん引機を、復活したばかりのD51 498が担い、上野からEF58とともに発車した快挙は、後世にも語り継がれるほどの有名な話となった。そしてこのツアーの上り最終列車にEF5861が登場したことも語り草となっている。

アントンKは、当時鉄道撮影は継続していたものの、仕事に割く時間がかなり増えてしまい、思うように動けなかった時期と重なっていく。今だからこうして解ることだけれど、当時にしたら、それでも必死にやり繰りしていたはずなのだ。日本中を駆け巡ったオリエント急行も、最終運行のD51とEF5861は撮影が叶ったが、関東地方で数回のEF65PFをどうにかカメラに収めただけという体たらくに終わっている。この結果には、やはり思い出せば出すほど悔しい思いが募るのだ。無理してでも北海道や大好きなED75でオリエント急行の雄姿を拝みたかった。もう二度と見ることが出来ないと思うとなお更そう思えてしまうのだ。

掲載写真は、駄作しかないストックの中から1枚載せておく。この日本ツアーは、ちょうど今の時期の日の短いシーズンだったためか、撮影条件は厳しく、また天候に恵まれず困難を極めたことを画像から振り返ることが出来る。東京区の65PFがヘッドマークを掲げて大森付近を通過する、この1105号機は、スノープロウを付けて今なお現役。素晴らしいことだ!

日本走行用に20系客車から改造されたとされる客車を最後部にオリエント急行が走り去る。美しく優雅だ!

「夢をもう一度・・」と願わずには居られない。

1988-11-28   9103   EF651105 オリエント急行     JR東日本/東海道本線:大森-蒲田(学校踏切)