アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

ついに始まった残土輸送

2017-07-16 22:00:00 | 鉄道写真(EL)

最近の川崎界隈の話題として注目を集める列車に、残土輸送列車がある。言わずと知れたリニア中央新幹線建設に伴う残土を輸送する専用貨物列車のことだ。

運転自体は5月から開始されたが、当初は期日限定の列車で、撮影するにもなかなかその機会に恵まれずヤキモキしていた。今月に入り運転日数も増えたようで、目撃するファンも多くなったことだろう。何せ運転区間が梶ヶ谷~扇町と短く、かつ主だった撮影ポイントは限られてしまうものの、専用コンテナを積んだ専用列車であること、上下列車で牽引機が異なり、それぞれで楽しめることなど、地味ではあるが今が旬の列車だろうと考えている。

掲載写真は、残土を下ろし再び梶ヶ谷へと戻る夕方の回送列車8151レ。この日は出場して間もないEF652057号機が抜擢され、美しい姿を露呈して目の前を通り過ぎて行った。建設工事もさらに本格化すれば、この輸送列車も増発されると聞いているから、今後秘かな楽しみとして注目すべきではないだろうか。

2017-07    8151レ  EF652057  リニア中央新幹線残土列車


JR30周年~節目の年

2017-07-15 22:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今年は国鉄がJRに移行して30年という節目なので、この鉄道写真においても、ある程度の区切りの年として認識できるような活動を心がけようと思っている。それは今後の活動計画であったり、また過去の撮りためた写真の整理であったりと、やろうとしている事柄は多岐に渡る。自分の画像から、この30年を顧みることも、この際有意義な時間の過ごし方なのかもしれない。お宝発掘とまではいかないだろうが、懐かしい写真に触れてリフレッシュできるだろう。時間をかけてコツコツと積み上げていきたいと思っている。

そんな想いの中、今回はJR化直前に運転のあった「国鉄記念」号。山口線の難所の一つ田代峠越えのシーン。当時は、レンタカーで林道をひた走り、その道が途絶えると、今度は道なき道をひたすら歩いた。けもの道から高度を上げて線路端にたどりついたと記憶しているが、現在はどうなっているのだろうか?想像もできないでいる。この日は、特別運転ということで、C571が雑系客車をけん引、特製のHMも装着だから、線路被り付きで撮影している。季節がら、爆煙を期待していたものの、拍子抜けした覚えが甦ってくる。今年は先輩方と久しぶりに山口線撮影の計画が持ち上がっている。どんな撮影行になるのか今から楽しみで仕方がない。

1986-11-12   9521レ C571  国鉄記念号     山口線:仁保-篠目にて

 


バケペン(PENTAX67)の思い出

2017-07-13 15:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

学生時代に憧れのカメラ「PENTAX 67」を手にしてから、被写体のアップばかり練習していた時期があった。こんなことも、モノクロのネガファイルを振り返らないと忘れてしまっていた事だが、こうしてブローニフィルムを眺めていると、当時の撮影光景が不思議と思い出される。

その当時は、所有していたレンズといっても限られていて、バケペンのレンズでは、標準の105mmと中望遠の200mmの2本だけで撮影していた。現代のようにズームレンズが当たり前となり、撮影地にレンズの長さを合わせるのではなく、撮影地に行ってから、所有しているレンズに合わせてポイントを決めていたこともどこか懐かしく感じてしまう。なるだけ被写体を画面一杯になるように構図を決めてシャッターをベストのタイミングで切る練習だ。

アントンKは、昔から基本的に三脚は使用せず、手持ちでの撮影がほとんどだったが、こういったドアップ写真も手持ちが多い。掲載した583系の「はくつる」も手持ちで撮影している。もちろん三脚の利点は重々承知しているつもりだが、即効を要する判断や機動力を総合的に考えると、手持ちが有利に感じている。

この写真は、バケペン200mm。つまり35mm換算で100mm相当で撮影。同じ場所で105mmでも撮影しているが、アップ度は上がるが、被写体が変に歪んで写ってしまい好みにそぐわない。この場所ではこの中望遠食らいの構図が583系らしさが出せているのではないかと思う。被写体深度の浅いバケペンだから、ピントを置く位置はシビアであり、細心の注意を払うのがこのピント合わせの部分だろうか。連写で慣れてしまった今のアントンKには、もうこれは撮れない構図だろう。

これらは言ってみれば、カメラの個性、癖のようなものだから、使う側がカメラに歩み寄り、そのカメラに慣れる以外に使いこなせなかったとも言える。そしてもう一つ、バケペンの個性で思い出されることは、視野率の悪さだ。80~90%(忘れてしまった!)とも言われたバケペンの視野率。これも撮影者がカメラに合わせて撮影したものだ。つまり、ファインダー内で被写体を納めて撮影したのでは、現像後の画像に物足りなさが残り、被写体がはみ出すくらいでシャッターを切ってちょうど良かったのだ。性能の良いデジカメに慣れた今のお若いファンには想像できないだろうか・・・

そして最後にもう一つ。バケペンの最大の個性は、シャッター音ではないか!

「バシャッ!」

ちょっと文字では表せない個性的な音が大きく響き、撮影地でもその存在感は絶大だったことを思い出す。シャッタースピードに関わらず、同じシャッター音だから、ファインダーギリギリでのシャッターは、被写体が飛び出てからも音が残っていると思われるほどラグがあったと感じていた。こんな個性丸出しのカメラは、もう今後生まれないだろう。

短期でモデルチェンジを繰り返す現代のデジタルカメラは、どこか家電と化してしまった。全てが平均以上であり、誰が撮っても綺麗に撮影できる。これはこれで素晴らしいことだが、このバケペンのようなある意味じゃじゃ馬的な個性的なカメラを思考錯誤しながら使い、何千何万とそのカメラを構えることで、カメラボディに自分が乗り移るような感覚も生涯にわたり貴重な体験になるのではないだろうか。はるか昔の写真をみて、そんな事を思ったのである。

1986-05-05   6013M  はくつる3号   

 


「ゆうづる」

2017-07-12 22:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

外出することがままならず、在宅の時間を使って画像の整理を続けている。もう忘れかけている画像も多く確認できて、ちょっと驚きと情けなさが同居している。好きで撮影してきたことなのに、忘れているなんて・・・やはり自分にも限界を感じている今日このごろ。記憶より記録の恩恵を感じるのだ。

そんな過去写真の中から、全盛期の「ゆうづる」の写真を掲載。何せ当時は上野~青森間に6往復の「ゆうづる」が走っていたのだから、今思えば隔世の感がある。残念ながらヘッドマークの装着のない時代。復活したのは、JR化直前の1986年のことだった。この日は7レが重連との情報を得て、ナナゴ好きの友人と出かけた。今も昔も重連好きのアントンKである。

1980-08-19   7レ ゆうづる9号  ED751038+160   東北本線:北福岡-一戸

 


ED79全盛時代

2017-07-09 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

ここのところ多忙となってしまい身動きがとれない。趣味から少し離れることで、あの時間の尊さが身に染みる。また落ち着いたら、どこか旅したいと今は思いにふけっている。

リクエストも頂いたので、ED79の写真を掲載してみる。今でこそ新幹線が通ってしまった海峡線であるが、撮影している1992年は、青函トンネルが開通して4~5年経った一番ED79にとっても脂の乗っていた時期ではなかったか。特急電車こそかなりの密度で走ってはいたが、そのほかの列車達は全てこのED79牽引だった。その代表は特急寝台列車達だろうが、快速列車「海峡」という客車列車も頻繁に走っていて海峡線華やかしき頃。貨物列車もおおよそ重連総括運転であり、被写体としては大いに魅力的だった。コンテナにも抜けがなく、ビシッと揃っている姿は、現在の専用コンテナ列車のようで、中々カッコいいものだ。

1992-05-01  3068レ  ED7920+102         JR北海道/津軽海峡線:渡島当別-釜谷にて