大阪フィルは、昔から年1回東京公演としてサントリーホールへと乗り込んでくる。アントンKも1980年代後半から、この東京公演を意識して毎年鑑賞してきた。当然のことながら、朝比奈隆存命時代は、彼の十八番だったベートーヴェンやブルックナーの楽曲が取り上げられることが多く、関東圏のファン増大に随分とつながったのではないだろうか。当時から彼等の録音は多々存在していたが、朝比奈の演奏は、生演奏こそ意味があると思えるからだ。同じプログラムを大阪で取り上げ、本番で熟成したところで上京する行程は現在も変わらずのようである。
さて今回のメインプログラムは、ブルックナーの第6交響曲だった。第6と言えば、中期の交響曲の中でも、最も地味で小規模の楽曲であり、演奏される機会が極端に少ない楽曲となっている。それは初期の第1や第2などと同じ扱いであり、世間からすればマイナーな交響曲とされているのだ。しかし、巨大建造物とも例えられる第5の後に完成した第6であり、聴けば聴くほど奥が深くはまってしまう楽曲に昔から感じていて、特に緩徐楽章は、そこだけ抜き取って聴くほど、アントンKのお気に入りなのだ。
で、今回の演奏はというと、おおよその想定を超えてきて、昔の大阪フィルの響きが蘇ってきたかのような錯覚に陥るくらい、重厚で豪快な演奏ぶりだったのである。それは朝比奈時代と同じ低音重視の図太い音楽が鳴り響き、聴衆を魅了した。今までの生真面目で緻密な音楽を作り出す指揮者尾高からすれば、予想も出来なかった響きと言ったら大袈裟か?最強奏に向かう上り坂では、自らが赤面して、オケに対し激烈なる要求をしていたのである。今振り返っても、第一楽章の出からしていつもと違っていたかもしれない。早めのテンポで弦楽器のリズムが刻まれると、VcとKbによる主題の提示がfで激烈に開始され(譜面上ここはPになっている)、この演奏はただ事では済まないと直感できたのである。どの楽章も日ごろ聴いている第6に比べると快速で進み、響きが重なって稜線が明確にならないポイントもあるが、推進力が凄く音楽の流れが的確なためか、細かな部分など不思議と気にならなくなっていた。こんなマエストロ尾高のストレートな要求に、オケも敏感に反応し音楽が構成されていたように思える。特に低弦を中心に音楽を作り、ピッチカートを大切に扱い、そして何といっても、TbとTubのここぞの威力は、この第6交響曲を支配していた。
今回もコンマスは崔さんが乗って下さり、その統率力をいかんなく発揮されていたように思うが、彼の奏でる音色は、このブルックナーでも確実に心の奥底にまで染み渡り、ふと安堵の気持ちを呼んでくれるのだ。特にアントンKが大好きな緩徐楽章での祈りの世界、またコーダ近くの天からの階段をゆっくり下ってくるような心のこもった下降音形は、いまだに耳について離れないでいる。
今年はブルックナー生誕200年にあたる年回り。今後多々演奏会に取り上げられそうだから、またとない機会を逃さないよう注目している。尾高氏のブルックナーも、今回の演奏を鑑賞して今後がますます楽しみになってきた。(掲載画像はネット上の画像を利用していますご了承ください)
大阪フィルハーモニー交響楽団 第56回 東京定期演奏会
武満 徹 オーケストラのための「波の盆」
ブルックナー 交響曲第6番 イ長調 ノヴァーク版
指揮 尾高 忠明
コンマス 崔 文洙
2024年1月22日 東京 サントリーホール
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