今までで場違いに感じた機関車の筆頭は、この東海道を往くEF62ではなかったか・・・
当然のことながら、この頃、近い将来碓氷峠が廃止になり、信越線を直通する列車も無くなるなんて、想像も出来なかった。ただ国鉄時代、あれだけ全国的に走り回っていたEF58が、あっという間に消え、荷物列車そのものが消滅するまでの「繋ぎ」の機関車としてEF62が山を下りてこようとは、びっくりしたものだった。それまで、ゴハチの荷物列車が当たり前だったポイントに、余剰となったロクニが全力で客車を牽き、今まで見たこともない速度で通過していった。大幹線である東海道は、今までの信越線よりも表定速度が速いのだろう。ロクニにしてみれば、その姿から老体に鞭打って必死だったように思えてしまう。そりゃそうだ。関東と下関を一気に駆け抜け、一運用で走行キロは何千キロにも及ぶはず。カマ本人にしては過酷極まりなかったことだろう。実際に、故障が相次ぎ、遅延やあるいは代走が多々発生していたと聞く。
そんな昔を思い出して、真鶴で撮影したEF62の荷物列車を掲載しておく。頭の固いアントンKは、最後まで東海道のロクニには馴染めず、消えていった印象。やはりここでは今もってEF58がお似合いだと思っている。画像のEF62 36号機は、正面ナンバーが通常より低いのか、顔つきが違って見える。
1986-10-19 荷32ㇾ EF62 36 東海道本線:真鶴
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