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アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

タブレット閉塞廃止の頃~八高線 DD51

2021-05-05 17:00:00 | 鉄道写真(DL)

鉄道ならではの光景の一つに、駅でのタブレット交換があった。国鉄時代はもちろん、民営化後であっても、全国的に見ることが出来た光景だったと思う。アントンKにとっては、そのタブレット交換で進む一番身近だった路線は八高線だった。駅間に複数列車が走ることのないように行われる駅でのタブレット交換。貨物列車など、駅を通過する際には、ホーム進入時に機関士がタブレット受けに投げ入れ、そしてホームを離れるまでにセット済の次のタブレットを受け取る。今にして思えば非効率そのものに思えるが、そんなシーンの鉄道マンの真剣な眼差しを今でも忘れることは出来ない。そしてルールに裏打ちされた鉄道の底力を感じたものだ。現代の鉄道風景では、忘れられてしまったことだろうが、いつまでも伝えたいシーンの一つなのだ。

ここでは、そんなタブレット閉塞の廃止に伴い、名残りを惜しむように運転された鉄道ファンによる団体列車の画像を掲載したい。今でこそ電車も走る八高線だが、当時北部はローカル線そのものの風情が残っていて、好んで撮影に出向いていた。

1992-04-17  回9236ㇾ  DD51 842   JR東日本/八高線:寄居付近


全国各地を彩ったお座敷列車~DD51

2021-03-19 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

何かと気忙しい年度末となり、落ち着かない日々が続く。今後のことを多々思い巡らすとさらに不安が重なってやり切れない。まあ、いつものことだが・・・

気候が緩み、春を感じる今日この頃、どこかへ行きたくなるが、相変わらずのコロナ感染症がその気持ちをむしばんでくる。行きたいところはいくらでもあるのに、もう少し穏やかに過ごしたいものだ。

JR化間もない時代のDD51を掲載。アントンKが好きな路線の一つに磐越西線がある。別に蒸機が復活したから好きになったのではなく、初めてカメラを持って訪れた1980年、沿線の魅力的なロケーション、四季折々の季節感や色どりに心奪われてしまった。専用機だったED77も好みだったし、客車列車あり重連貨物ありも被写体も素晴らしく思っていた。時代が進み、線路が強化されED75が入線可能になった頃、レジャー人口も急増していったように思う。1984年に御召列車が走ってから、国道も良くなり、高速道(磐越道)も開通していく。こうなると、アクセスはかなり便利には感じたが、磐西らしさは半減してしまったように思える。そして1990年の「磐梯会津路」号の蒸機復活を契機に、現在のような観光路線へと様変わりしていったのだ。もちろん今だって磐西は十分魅力的な路線だから、現状に合わせた楽しみ方で、再訪を考えたい路線なのである。

磐越西線で最も有名な撮影地であろう、通称山都の鉄橋をいく新潟局の12系お座敷列車。中間に「サロン佐渡」を挟んだフル編成でこの日はやってきた。このカヌ座も、当初は12系と同じような配色の外観だったが、ある時からご覧のような派手な井出達となった。機関車は、当時のスター3つ目のDD51 745が牽いている。

1989-08-26 9224ㇾ  DD51 745 12系カヌ座 JR東日本:磐越西線:山都付近


DD51重連!最期の晴れ姿だった「北斗星」

2021-03-17 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

改正で定期運用を失ったDD51だが、その歴史の中でも一番の晴れ姿は、20年以上もの間北の大地を重連運転で驀進した「北斗星」ではなかったか。JR化され、ブルートレイン塗装に身を纏ったDD51は、一時的ではあるが3往復にもなった「北斗星」や、付随する「エルム」、そして「トワイライトエクスプレス」や「カシオペア」「カートレイン」などなど、その時代の代表列車たちをけん引し、我々ファンを虜にしたのであった。

国鉄時代の急行「ニセコ」重連や、数々の夜行急行列車、また山陰線でのブルトレ「出雲」けん引等、数えれば一番輝いていたと思われるDD51が脳裏に浮かぶが、やはり民営化され、塗装まで変えて新しい時代を予感させた北海道のDD51たちが、アントンKにとっても、最も印象的な列車だったし、一番輝いていたシーンではなかったかと思い返している。

ここでは、JR化後初めて渡道しブルートレイン「北斗星」と向き合った時の画像を出しておく。天気予報は大きく外れ、内浦湾に漂う霧にやられて戦意喪失状態だったことを思い出す。北の大地における気象の厳しさが、身に染みたのもこの時だったように思う。

1989-06-03  3ㇾ    DD511138 北斗星3号  JR北海道/室蘭本線:大岸付近


ローカル線が華やいだシュプール号の記憶~DE10

2021-02-10 16:00:00 | 鉄道写真(DL)

年が明け桜が咲くまでのちょうど今の時期は、スキーシーズン真っ只中にあり、今思い返すと、臨時列車もたくさん運転されていた時代があった。アントンKがよく通った上越線は、国鉄時代の80年代前半で、あの時代は新幹線すらなかったから、EF58や165系電車がスキー臨に活躍していたが、その後上越新幹線も開業し、ガーラ湯沢駅とともに新たなスキー施設が出来ると、世はまさにスキーブーム到来を予感させたのだ。

それに合わせてか、JRもスキー客専用と銘打って「シュプール」号を登場させ、全国からのスキー客の輸送に力を入れた時代がやってくるのである。新潟、長野地区をはじめ、猪苗代や東北八幡平、山陰の米子にも「シュプール」号として運転されたと記憶している。普段は雪深い地方のローカル線だが、この時期週末だけは、スキー客を大勢乗せた見慣れない列車たちがこぞって次々とやってきた訳だ。鉄道ファンの視点からすれば、とても魅力的に感じてしまい、アントンKも当時は撮影のためにスキーヤーに混じってよく出掛けたものだった。しかし今思えば98年長野五輪あたりがピークに感じ、徐々にスキー熱が落ち着いていき、2000年を迎えると「シュプール」号は一時の賑わいを見せなくなってしまった。これは、スキー人口の減少というよりは、交通網が整備され、交通手段の分散化が主な原因と思われるが、いずれにせよ一時的とはいえ、雪深い地方において、列車たちの雄姿を何度も見られたことは、今もって良い思い出となっている。

今回は、関西方面から夜行で到着したシュプール「白馬・栂池」がキハ52のローカル列車と交換するシーン。この時は雨混じりのみぞれが降り続き、早朝のためか露出もなく難儀を極めたことを思い出す。

1994-03-13   9116ㇾ  DE101035 +20系/ キハ52116 JR西日本/大糸線:北小谷


色づいた山々を駆けるDD51重連

2020-10-20 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

あれほど身近な存在で、特に気にも留めてなかった凸型ディーゼル機関車DD51。いつの間にか数を減らし、全国的に見ても風前の灯状態となっているらしい。先日関西線に行き、久しぶりにDD51の牽く貨物列車を撮影したが、あらためて考えてみるともうこの地区くらいしか思い当たらないのだ。

北海道ではもちろん、東北のローカル線の貨物列車や、関東でも八高線など、山陰や九州と、全国に散らばっていた万能機関車だけに感慨も深くなる。同じようなことが入替機であるDE10でも言えるのだが、基本的に凸型を好まないアントンKだから、普段はこうして無関心になっていた。列車自体の消滅は居たたまれないが、後継のDF200型には興味が沸くから、また新たなシーンを期待したいところだ。

掲載写真は、思えばDD51の貨物列車では、おそらく一番撮影回数が多いだろう八高線の重連貨物。仕事帰りの駄賃として、あるいはヨコカルへの道中の合間を使ってよく沿線に出向いたもの。それなりのものしか残せていないが、今見返すと懐かしさがこみ上げてくる。

1994-11-25  5264ㇾ  DD51811+809  JR東日本/八高線:竹沢付近