goo blog サービス終了のお知らせ 

アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

異形式重連夕日に向かって~DD51+DF200

2020-10-06 20:00:00 | 鉄道写真(DL)

週末にかけて中京地区を廻ってきた。音楽鑑賞がメインの目的ではあるが、せっかくだからという貧乏根性丸出しで、心残りのないよう計画を立ててから出発。今年は久々の遠征となってしまったが、GoToキャンペーンとやらも開始され、不安ながらも出かける気持ちになったのは事実。もっとも鉄道撮影に関しては、音楽鑑賞の駄賃だから不純な動機だろうが・・

一度は撮影しておきたかった、ディーゼル機関車の異形式重連貨物列車。未だに中京地区では、DD51が数台動いている情報を頂いて、関西線に出向いてみた。数年前に四日市地区で貨物列車を狙ったことがあったが、その時にはまだDF200はいなかったはず。北海道ではポピュラーなDF200も200番代を名乗り、今では当地で着実に勢力を伸ばしていた。かなり日が傾き、赤くなりつつある頃、その重連は姿を現した。ちゃんと手を組んで現れるのか不安ではあったものの、大勢の地元の鉄チャンと思われる方々の群衆をみて、その不安も消え去った。中には、ドローンを使って上空から動画撮影をするという若者がいて驚嘆したのだが、何十年と撮影してくると、撮影方法も多種多様になるものだと、改めて思い返してしまった。掲載写真は、去りゆくDDとDFの重連オイル列車。乾いた風が心地よく、ゆっくりと進む列車を最後まで見送った。

2020-10-02  8075ㇾ DD51 857+DF200-220    JR東海/関西本線:永和付近


DD51重連「北斗星」の衝撃!

2020-06-24 20:00:00 | 鉄道写真(DL)

国鉄が分割民営化されてから生まれた列車は、多々存在しているが、アントンKにとって当時とてもショッキングな思い出の列車は、DD51が重連で走る「北斗星」だった。関東人であるアントンKは、凸型ディーゼル機関車といえば、入れ替えに従事している地味な機関車をイメージしてしまい、当時の八高の重連貨物列車でさえ驚愕には値しなかった。が、ヘッドマークを掲げ、全開で北海道の大地を揺るがすかのごとく突っ走る姿を初めて見た時、「これは凄い!」と心が熱くなったことを今でも思い出せる。それまで見たことが無かったブルーのDD51も、ひと際締って見えて重厚でカッコ良いのだ。

初めて撮影が叶ったのは1989年のことだから、すでに30年以上の時間が流れてしまったが、ファーストインプレッションの衝撃ははっきりと脳裏に刻まれている。この時の渡道は、メインがC62ニセコ号として渡道したのだが、あまりにもブルトレ「北斗星」が魅力的に思えてしまい、予定変更、毎月渡道して陸の王者C62とブルトレ「北斗星」を全力で追ってしまった。

確かにアントンKの経験上だが、鉄道写真の被写体の中で、「御召列車」と並んで「C62ニセコ号」は、最高の被写体だったといまだに思える。こんな列車とDD51重連のブルトレ「北斗星」とを両方狙えるなんて、とんでもなく贅沢な時間だったと今更ながら考えているのだ。

掲載写真は、初めて衝撃を受けた時のDD51重連の「北斗星」。もちろんデジタルカメラではなくカラーポジフィルムで撮影している。この時、今のようなデジカメがあれば、C62もデジタル撮影出来た訳で、そう思うと機材の進歩とともに、趣味の世界も広がりを見せるものだということが理解できる。噴火湾からの朝霧が濃く、とても暗い中、重低音を響かせながら突進してくる重連のDD51は、独特の雰囲気があり魅力的だった。

1989-06-03   5ㇾ  DD511054  北斗星5号  JR北海道/室蘭本線:豊浦付近


和式客車ローカル線をいく~DE15

2020-06-10 20:00:00 | 鉄道写真(DL)

むかし秋の東北を廻った時の画像から1枚。

この時の撮影目的は、当時の撮影メモによると、北東北での夜行列車撮影を中心に、季節柄多くの団臨設定があったようで、それを散りばめて撮影を楽しんでいるようだ。今回は陸羽東線で撮影したDE15けん引の和式列車。お天気が崩れ始め、自分の中ではボツ写真だが、データ化して復元を試みてみた。この編成は仙台局にあったオリエントサルーンという和式客車で、いわゆるジョイフルトレインの一員なのだ。専用の機関車まで用意して、随分当時は力が入っていたように感じたが、のどかな東北の原風景の中では、あまり溶け込んだ印象はなく違和感が残ったことを思い出す。どこか野暮ったくて田舎臭い。そんな印象だったが、そんな想いも良い記憶に代わっている。デーテンのようなDE15型ディーゼル機関車。ヘッドを付けて冬場は除雪に大活躍したことだろう。今でも出会えるのだろうか・・

1996-10-06  9735ㇾ DE151003      JR東日本/陸羽東線:東長沢付近


夕暮れの金子坂を上るDD51

2020-03-07 10:00:00 | 鉄道写真(DL)

確実に春が近づいていると感じるのに、世の中悶々としてしまい笑顔を忘れがち。こんな気持ちは長い人生でも初めてか・・アントンKの場合、花粉症ということもあるが、いつにも増してすっきりとしない日々を送っている。予定の演奏会もことごとく中止や延期の知らせ。聴衆ならともかく、演奏家の方々のモチベーションは如何なものだろうか。音楽は保存出来ないと考えているアントンKだから、あの限られた特別な空間の中の至福の時間芸術が、今は恋しくて仕方がない。アントンKの心のより所となっているのである。こんな時代だからこそ、今ここで生まれて消えていく響きの中に身を置きたいのだ。

日も随分と傾き、まもなく一日が終わろうとしている、そんな時間帯。上り坂を重連で懸命に上ってくるDD51。暗黒時代に光を求め、デーデーがそれを切り裂くように西日を浴びて近づく。必ず明日は輝くと信じよう・・

1994-05-18  5273ㇾ  DD51886+815       JR東日本/八高線:金子-箱根ヶ崎


若き血に燃ゆるもの~DD51石炭列車の軌跡

2020-02-10 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

専用貨物列車の流れを受けて、またかつての画像より掲載。

よくよく考えてみれば、国鉄時代まで遡れば、この手の専用貨物列車は、全国で見られたはず。アントンKには縁が無かったが、夕張や釧路臨海、はたまた室蘭本線で多数石炭列車は走っていたであろうし、九州地区でも数えればキリがないほどだろうか。こんな列車たちを見ることすら出来なかった腹いせも確かにあったと思うが、被写体として美しく撮り甲斐のある列車と考えていたアントンKだから、無意識のうちに、自然と狙っていたのかもしれない。

今回の掲載写真は、山口県美祢線を往く石炭専用列車。盆休みに帰省を兼ねて寄り道し撮影した時のもの。当時は半日もいれば、もう十分すぎるくらいの列車本数があり、こんなローカル線を忙しく動き回った思い出がある。非電化区間であり、凸型を好まなかった当時のアントンKだが、セキ6000形の貨車が延々と続く編成に、写真でしか見られなかったD51の石炭列車をダブらせたのかもしれない。久しぶりに画像を見て、あの頃の想いが浮かび上がる。

1996-08-08   5663ㇾ  DD51881  JR西日本/美祢線:湯ノ峠-松ヶ瀬(信)