風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

「劇画」と手塚「マンガ」(追記)

2009-06-18 18:38:16 | アート・文化
Masaaki_hardboiled_magazine 先の朝日新聞の9日付けの記事は以下のように続く。いかにいまだ「劇画」というものが、誤解に満ちた認識を持たれたものかと言うことを物語ると思うので、引用しておく。

 「劇画はそもそも、物語を主軸とする大人向けの作品として誕生したが、子ども向けのマンガとの対比で『悪』とみられがちだったからだ。」(6/9「朝日新聞」小川雪記者)

 「劇画」を悪書扱いしたのは、昭和34年当時のPTAそして識者(知識人)さらに朝日新聞をはじめとするマスコミである。ターゲットは殺し屋を主人公とした「劇画」を描いていた佐藤まさあきなどであったが、佐藤まさあきは大薮春彦などのハードボイル小説やフィルムノアール、日活映画などに影響を受けていた。昭和30年代、映画や大衆小説には愚連隊やギャングはもちろん、殺し屋、ブームになった拳銃コレクションなどが巷にあふれていた。いまなら改造拳銃になりそうな位精巧なモデルガンなどが、上野アメ横までいかなくとも売られていた。
 このような時代に「劇画」は、貸本文化を超えるほどの人気と認知力を獲得したゆえにスケープゴートにされてしまった。この頃、良識ある「児童マンガ」の砦の中に避難していた「ときわ荘」グループは知らぬ存ぜぬを決め込んで冷ややかに見ていた。

 それに貸本屋さんに群れて「劇画誌」を漁っていたのはボクら子ども世代だった。「劇画」は当時20歳代の作者に対する読者のボクらは10代だった。「大人」たちはむしろ山手樹一郎などの大衆小説を借りて読んでいたようである(中里介山『大菩薩峠』は全巻あったのか棚の多くを占めていた)。貸本屋さんにはいわゆる「純文学」はなかったと思う。太宰治も芥川龍之介も置いてなかったと思う。そこにあふれていたのは、大衆文学、俗悪文化、庶民のエンターティメントをになう大衆文化だった。
 だから「子ども」が読むものが「(児童・少年)マンガ」で、大人向けが「劇画」という構図は根本的に間違っている。

 「劇画」はそもそも俗悪なるもの、傍流のエネルギーだった。正当に評価されず、のけ者にされたもののアウトサイダーの文化だった。だからこそ、「劇画」は関西と言う土壌で生まれ、国分寺と言う東京のはしっこの武蔵野の大地で育った(上京した「劇画工房」の「ときわ荘」にあたるアパートは椎名町ではなく国分寺にあった)。

 「劇画」は焼跡闇市のような雑多なエネルギーにあふれていたが、60年代の高度成長期に青林堂(ここも「三洋社」という名で貸本出版をし、早くから白土三平を看板作家にしていた。代表作はボクらにショックを与えた『忍者武芸帖』だろう)の『ガロ』に結集したり、一部人気作家はマガジン、サンデーなどの少年週刊誌へ進出したが、それは一部の作家でそのほとんどは凋落するか「(児童・少年)マンガ」に吸収された(バロン吉元やみやわき心太郎、真崎守など)。辰巳ヨシヒロ、桜井昌一の兄弟はマンガ出版に一時は転身していた。

 水木しげるは「劇画」と「(児童・少年)マンガ」との架橋を果たした点で、特筆すべきだし、「劇画」表現をさらに深めた「ゴルゴ13」のさいとうたかを、白土三平の実質的なゴーストライターだった小島剛夕(「子連れ狼」)、時代劇で圧倒的な画力を発揮した平田弘史、独特のロマン、ポエジーで作品世界を構築した永島慎二などなど枚挙にいとまがないほどであるが、やはり「文学」にまさるとも劣らないほどに表現を深化させたつげ義春の名は落とすことができない。つげ義春において「劇画」表現は「芸術」と言えるほどの内容と手法を獲得したのだった。

 その道筋は手塚「マンガ」の延長にあった訳ではなく辰巳ヨシヒロが命名した貸本短編劇画誌の延長、俗悪で猥雑な大衆文化のひとつである「劇画」の道筋の中で到達したものなのである。

(付記の付記)ボクは来年か、この数年の内にこの「手塚治虫文化賞」か文化庁主催の「メディア芸術祭賞」がつげ義春に与えられるであろうことを期待も込めて予言しておく(おそらくちくま文庫版の「全集」が対象となろう)。
 それから、文中でふれなかったが今回第13回「手塚治虫文化賞」の「新生賞」を受賞した丸尾末広は『ガロ』出身の作家であり、言うまでもなくその意欲的な受賞作『パノラマ島綺譚』(江戸川乱歩原作)は、「劇画」表現であることを指摘しておく。

(写真)佐藤まさあき個人編集マガジン『佐藤まさあき/ハードボイルドマガジン』第15号。「黒い傷痕の男」第5部掲載。昭和37年(1962年)の1月に発行(三洋社)され「1962年のGUNカレンダー」が15号特別付録として付いた。中に「銃器室」という巻頭連載があり、「ワルサー25口径」のコレクション写真が掲載され、巻末には読者欄とともに読者が描いた短銃のイラスト・コンクールが載っている。佐藤の劇画作品とともに銃器マニアが読者としてついていることがうかがえる内容である(写真ともフーゲツのJUN、所有本)。



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