風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

慰霊と追悼と解放の日

2006-08-15 13:35:28 | コラムなこむら返し
 小泉首相が「終戦の日」の今日、8月15日午前7時40分に靖国神社を訪れ、現職首相としては中曽根首相以来21年ぶりに参拝した。在任中の土壇場で「いつ参拝しても批判されるならあえて「終戦の日」を選んだ」とインタビューに答えた。ある意味ではポスト小泉の政権に対して牽制球を投げたとも考えられる。と同時にアジア諸国(とりわけ中国、韓国)に対して「(靖国参拝をうんぬんする事は)内政干渉である」と言い続けてきた首相が、任期まぎわに放った最期のパフォーマンスとも考えられる。さすがに、モーニング姿の靖国神社の拝殿では、プレスリーの真似はしなかったらしいが……。
 首相は靖国神社参拝のあと戦没者墓苑(千鳥が淵)で献花し、つづいて「全国戦没者追悼式」(日本武道館)に参列とほとんど午前中を九段周辺ですごしたらしい。

 中国(台湾も)、韓国にとっては日本の「敗戦の日」の今日は、「解放の日」であり「植民地」から「独立国」へと民族自立のきっかけになっていく記念すべき日である(中国は国共内戦ののち人民中国の誕生)。とともに強制労働や従軍慰安婦として拉致同然で、人生をメチャクチャにされ、生命さえも搾り取られたひとびとへの追悼と慰安の日でもある。

 ひるがえって、植民地支配者側だった日本にとっても先の侵略戦争(というしかないだろう)で亡くなった310万もの戦没者(軍人・軍属230万、市民80万人)の慰霊を敬意をこめて安らかであれと祈り、平和を誓うのは当然であり、義務でもある。しかし、そのような追悼式もまた1本の標柱をたて天皇陛下をも押し頂いて政府主導、国家行事として行うのはどういうものだろうか?
 靖国神社に合祀されている中には、朝鮮人もいれば中国人もいるらしい。このセレモニーの標柱にも御霊としてのそれらの「日本人」「帝国陸軍軍属」もしくは一兵卒として死んで行った朝鮮、中国のひとびとも想定されているのだろうか?

 どこで読んだか忘れてしまったが、こんなコピーのような文章があった。一瞬なんのことかわからなかったが、ああ、なるほどとあとで納得したコピーだ。

 「日本の夏、八月は 六と九で 十五だ」

 8月は6日のヒロシマと、9日のナガサキがあって15日の終戦・敗戦があるという意味だが、たしかに硫黄島の無惨な戦いも民衆をも巻き込んだ沖縄戦があっても軍部は戦争をやめるどころか、情報統制をし、記事をねつ造しアメリカ軍の上陸後も国内でのせん滅戦に突入していく考えだった。そのようなヤケッパチの亡国、銃後の国民さえも殺そうとした指導者は東京裁判で「戦犯」として裁かれた。東京裁判の在り方には、批判もあるがあの裁判がなければ、おそらく日本国民それ自身も天皇とともに戦争責任を問われ、戦後復興どころではなかったかもしれないのだ。あの戦争においてヒバクシャであろうと、空襲の被災者であろうとヒメユリの女生徒であろうと免罪された「被害者」などいないのだ。

 ヒロシマとナガサキと人類が体験した事のない原爆(核)の人体実験をうけて軍部は、戦争内閣はかんぷなきまでの敗戦を認めたのであった。わたしたちの国は、あのナチスドイツ、ムッソリーニのイタリアと同盟国(3国軍事同盟)だったのだ。1940年代の「無法者国家」のひとつだったのである。
 東京空襲も、ヒロシマもそしてナガサキもその責任を問われるべきは時の指導者であり、「戦犯」として裁かれたひとだ。そして、銃後の息子を特攻におくりだした母たちであり、戦地におもむいて戦死するか生き延びて戦後を生きた父たちである。

 どうか戦没者への追悼の涙が、自らの戦争責任に、そして悔いる事のできないほどの後悔になり、生きている事の感謝になりますように……。


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