風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

春節を前に「鬼」を憶うこと

2010-02-13 00:01:57 | コラムなこむら返し
 今年の旧暦の元旦は、新暦の14日つまりセントバレンタィン・ディと同日である。中国での春節の帰省ラッシュはとっくに始まっているらしいが、13億の人民が大移動をする。故郷を目指して折り重なるように人々は詰め込まれ、列車の通路は座り込んだ家族で動くこともままならない。窒息死するような思いをして、労働者は懐かしき山河や親兄妹の待つ故郷で正月を過ごすために帰るのだ。
(6日の朝日新聞に中国国家発展改革委員会の予測で、春節前後の40日間に、鉄道で2億1千万人、バスで22億7千万人、のべ25億4100万人が、国内を移動する見込みと書いてあった。想像を絶する数であり、パワーである!)

 追儺の儀式はその中国から伝わった。もともとは、大晦日に行われた厄払いの宮中行事だったらしい(旧暦の大晦日とは、まさしく今日である!)。それに、方相氏という四つ目の仮面をかぶってやる厄払いの陰陽師がからんで、しだいに立春の前日の節分に行われるようになったらしい。厄を払ったシャーマン的存在の方相氏自体が「穢れ」として忌み嫌われるようになり、次第に「鬼」と同一視されていった。と言うのも「追儺」は「おにやらい」と読まれており、「穢れ」をおった方相氏は追放される方に、つまり「おに」とされたのだった。方相氏は宮中の葬儀にかかわる儀式をとりもっていたこともあり、より一層忌み嫌われた(中国では「鬼」は「キ」と読み、これは「帰」と同じ死霊を意味していた)。

 これに対し、この国独自の「おに」がいた。「鬼(oni)」は「隠(on)」が変化したものであるらしい。前にも書いたが、「鬼」は見えないものであり、ひとつ目だった。山地や辺境にひそかに隠れ棲むものだった。山人に通じる制圧された先住民族、少数民の末裔だったのかもしれない。

 すべてではないが「鬼ケ島」伝説のあるところは「平家落武者」伝説があるところがある。これはどういうつながりか不明だが、少なくとも落ち延びて「隠れ棲む」ことにおいては同じだったろう。

(まだ続くかもしれません……)


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