風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

書を拾い 街に種をまこう!(2)

2007-09-24 23:45:30 | アングラな場所/アングラなひと
Sept20_sunrise 「ヴィレ」は、日常のような喧嘩沙汰、カツアゲや、ヤクザと渡り合うようなすこぶるつきの新宿の不良が寄り集まった深夜ジャズ喫茶だったが、今から考えてみれば捩じれたようなその空間の特異さは結果として、資質があるにせよひとりの芥川作家(中上健次)と、ひとりの女性作家(中原みすず「初恋」)、そしてひとりのマンガ家(鈴木翁二)を生み出した(ボクもマンガ家としてデビューはしたが、有名作家にはなれなかった。自分には厳しく判断しよう)。ボクはさっさと「ヴィレ」から足を洗ってしまったが(だから「ヴィレのJUN」ではなく「フーゲツのJUN」なのです)「ヴィレ」は70年代のなかばまでは歌舞伎町のど真ん中にあったようだ。

 中上が『破壊せよ、とアイラーは言った』(1979年8月集英社)で懐かしがっていた「ヴィレ」とその仲間が、街に播いた種はどうなったのだろうか?

 ボクらはふたたび、書を捨てる(寺山修司)ことなく、街中の書を拾い集め分別するだろう。時代は若者に特有の「反抗」を許さない。不良よりも叡智が称えられるようだ。秩序は貫徹されたのだ。その上に、「成長の限界」(1970年の「ローマクラブ」の報告書の名前)、「宇宙船地球号」(B・フラーの造語)の資源の有限性に思いを果たさねばならない。むしろ環境派こそが手段を選ばないほど先鋭化している。ジェネレーション・ギャップで語られるのではなく、生存と生命へのおもいやりの深さがそれを決定する。
 若者にアイディンティのゆらぎや、クライシスなどというものが無くなったとは思えない。そのストレスは自傷行為や、自殺などの自己破壊に向かっているのかも知れない。

 有限の世界で、過剰になった人口。人口調整のため群れをなして本能のままに、海に飛び込み、自死する生き物。それってレミング(※1)というネズミ科の生物ではなかったか?
 で、レミングにそのような生態があるということは、事実ではなかったらしいが、まさかそれもまた寺山修司がついた一流のウソではなかったのだろうな?

※1:寺山が主宰した「天井桟敷」の最終公演作品はその名も『レミング』である。
(おわり)




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