風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

立春に「鬼」を憶うこと

2010-02-04 23:59:39 | アングラな場所/アングラなひと
Setubun_hiragi 節分の日に「鬼」は白魔として現れたのか? 3日夜、屋根の向こうを舞い散る雪をふたたび見た時はそう思った。いくら「福は内!鬼は内!」と豆を友好的に撒くにしても白魔は困る。

 今日、進退が極まって自ら引退表明をした横綱朝青龍は、昨日が節分だったことを思い出したのか、引退記者会見で「土俵の上では「鬼」になってきた」と振り返った。一番の思い出は?と問われてモンゴルから呼んだ両親の前で横綱武蔵丸を倒した時と答えて感極まって涙を拭った。さんざん叩かれた横綱だったが、本当はとてもいい人だったのではないか。ただ、日本の国技としての相撲と、外国人出稼者のプアー精神とファイティング・アスリートとしての乖離が朝青龍の悲劇だったような気がする。
 草原の夏を呼ぶ喜びとしてナーダム(草競馬)まつりに最強の英雄が降臨するモンゴル相撲と、神域において収穫の秋に収穫物や草を髪にくくりつけて外からおとづれるマレビトの英雄神の討伐制定劇の再現(たとえばスサノオによる)としての起源を持つ我が国の相撲との相違が相撲界の封建的な体質もともなって朝青龍には不利だった。
 その意味では朝青龍は「鬼」だったのである。夷を平定する英雄神になるどころか、追儺会(ついなえ)において追い払われ、討伐される夷、「鬼」となって結果追放されたのだから……。

(「鬼」はまだ憶われます。つづく)

(写真)メザシとヒイラギ(ともに鬼の嫌うもの)は、今年もかかげられていたが、今年はどこかのノラ猫が抜け目なくメザシを食べてしまっていた。鬼は追い払えてもネコは追い払えないのだ(笑)。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿