久方ぶりにこのブログ『風雅遁走!』のアクセス解析を試みてみた。すると開設からの通算アクセス数101,671という数字がはじきだされた(9月21日23時50分現在)。10万である。それはけっして多い数字ではないが、このどちらかといえばあまたある個人開設のブログの中でも内容が重く、文章が面倒臭い評論系(?)のブログとしては上出来ではないだろうか。ボクはひとにエンターティメントを供するためにこのブログを開設している訳ではない。
では、何のために多くの個人的時間を割いてこのブログをボクは書き続けているのだろう?
現在のようなインターネットの世界になる前から、印刷媒体でミニコミを出し続けていたボクの中では、その意識はミニコミ時代から断絶せずに繋がっている。紙媒体であれ、電子媒体であれ、ボクにとっては「表現」や「主張」という意味では同じである。古くさいたとえで申し訳ないが、ボクは当初からHPもBBSもブログも「壁新聞」のようなものと言い続けてきた。インターネットの表現手段も日進月歩である。HPがBBS(掲示板)になったかと思えば、いまやブログ。と見れば、最初は稚拙な表現方法だと思われたmixiのようなSNSもこのところYouTubeと結託したり、動画がのせられるようになってあなどれなくなってきた。
だとしても、そのコミュニケーションの方法は、液晶モニターという壁に映し出すページビューが基本であり、やはり文字情報が圧倒的に凌駕する。とはいえ、動画が主体になってもそれは壁に投射するフィルムと形態は同じであり、やはり壁新聞、壁面映画館なのだ。
夏の夜、風にはためくフィルムに心躍らせた体験がある世代は、ネットとは多く無縁かも知れないが、「ニュー・シネマ・パラダイス」のような世界は、この国にもあった。もう神話のような遠い世界だとしても……。
(写真:まだ夏空のような9月の雲)
では、何のために多くの個人的時間を割いてこのブログをボクは書き続けているのだろう?
現在のようなインターネットの世界になる前から、印刷媒体でミニコミを出し続けていたボクの中では、その意識はミニコミ時代から断絶せずに繋がっている。紙媒体であれ、電子媒体であれ、ボクにとっては「表現」や「主張」という意味では同じである。古くさいたとえで申し訳ないが、ボクは当初からHPもBBSもブログも「壁新聞」のようなものと言い続けてきた。インターネットの表現手段も日進月歩である。HPがBBS(掲示板)になったかと思えば、いまやブログ。と見れば、最初は稚拙な表現方法だと思われたmixiのようなSNSもこのところYouTubeと結託したり、動画がのせられるようになってあなどれなくなってきた。
だとしても、そのコミュニケーションの方法は、液晶モニターという壁に映し出すページビューが基本であり、やはり文字情報が圧倒的に凌駕する。とはいえ、動画が主体になってもそれは壁に投射するフィルムと形態は同じであり、やはり壁新聞、壁面映画館なのだ。
夏の夜、風にはためくフィルムに心躍らせた体験がある世代は、ネットとは多く無縁かも知れないが、「ニュー・シネマ・パラダイス」のような世界は、この国にもあった。もう神話のような遠い世界だとしても……。
(写真:まだ夏空のような9月の雲)
10代の若者が「裏ネット」などに「匿名」という過保護の鎧を着ての中傷・・
コミニュケーションの本質を知らないからそうなるのであって、けっして電子媒体のせいではない。
まあね・・「匿名」には「表現の自由」なんて許しちゃいけないよ!!
「おそれさんなつこ」って読ませるんだよね。寺山の中にある「風土」って民俗学的なものでもなく、さりとて仏教的なものでもなく、イメージの中の「東北」だったり「津軽」だったりする。
「恐山」には湯治場でもある温泉がある。ボクはその湯に癒されたよ。まさか地獄の釜ゆでに癒された訳じゃあるまいが……。
貯金できるかな?
寺山の映画はわりとモノトーンが多く(一部分のみ色がついてたりとか)・・
時に総天然色(死語?)になったり・・
あれはあいまいな「夢」の中を示しているのだろうか?
先日、「硫黄島からの手紙」クリントイーストウッド(監督)のをDVDで見ました。
あれも全体に淡い色なんですよ・・
「偽名」であっても、本人と特定できればいいんじゃない?
具体的に知ってるし・・