風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

ヒッピー・フェア!?

2007-09-22 23:55:58 | アングラな場所/アングラなひと
Hippie_fair いや、どうやら期限からいったら終わりかけらしかったんですが、新宿の「紀伊国屋書店」本店5階レジ前コーナーで「ヒッピー・フェア」が開催中だった。どうやら「サマー・オブ・ラブ40周年」を記念してと店内ポスターには書いてあったんですが、紀伊国屋書店って当時それに何か関係しましたか? 何かしましたっけね? いまだなんの貢献もしてませんよね(たとえば「まつり」のスポンサーになるとか……)。

 1967年当時の「紀伊国屋書店」の名物社長故田辺茂一さんは、たしかに破格のひとで、自らも随筆をよくし、新宿文化人と交流し、新宿を飲み歩いているひとでしたが(大島渚監督の『新宿泥棒日記』の万引きシーンの撮影に、自分の書店をこころやすく貸すという寛容のひとだったが、じっさいの万引きには厳しかったらしい)、だからといってヒッピームーブメントにも、フーテンという族にも理解があった訳ではないのです。むしろ「汚い連中」と嫌ってらした(ボクも嫌われた)。

 で、そのブックフェアにチョイスされた本は、たいして数はなかったのですが、DVDを同時販売していたりと、ヒッピー・ムーブメントの現在の受容と言ったものをうかがわせるものだった。書籍のチョイスにボクの本家サイト「電脳・風月堂」のブックリストが使われたか、参考にされたかは担当者がよく知っているでしょう(ちなみにボクのサイトは紀伊国屋書店の広報誌の「新宿特集」で協力しなかったのに掲載されました。つまりアチラさんはよく知ってらっしゃる訳です)。
 中心においてあるのはアリシア・ベイ=ローレルの2冊の本(「地球の上に生きる」1972、「太陽とともに生きる」1975)だったし、下にポンの『トワイライト・フリークス』(2001)も置いてあった。「紀伊国屋書店」はナナオの詩集をしっかりと常備してあるたいした書店ではあるが、ナナオの詩集は詩集コーナーにはあったが、このフェアからははずされていた。もしかしたら、ポンに遠慮したのか(笑)。

 ともかく、こういうコーナーが商魂逞しい「紀伊国屋書店」本店にあったということは報告しておこう(レジ前にもうけられたのは「万引き」を警戒するためだったのかどうかは確かめようもありませんでした(笑))。

(この記事は紀伊国屋書店からいくらかのお金をもらって書いたものではありませんから、「ヒッピー・ブック・フェア」が終了していても責任をとる訳にはいきません(笑))



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