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案の定会場には早朝から大勢の観客がつめかけている。それでも待つことなく中に入れ、流れも比較的スムーズだった。この観客数は会期中にどれだけになるのかも興味あるが、午前10時には入場制限がおこなわれており、待ち時間は40分という表示が出ていた(9/25現在、展覧会が始まって47日め観客数は30万人を突破したという!)。
それにしても、なぜ今またフェルメールなのか?
フェルメールは、もちろんいままで知られていなかった画家ではない。むしろその静謐な画風を好むひとはたくさんいた。だが、同時代のレンブラントの光の表現がドラマチックなのにくらべて、むしろひかえめで光は室内に、やさしく窓を通過した間接光として降り注ぐ。
ボク自身がそうだったのだが、ある時期(とりわけ戦後と言っていいのかもしれない)この国では古典的な絵画や、中世の作品はアカデミックでそれゆえに好まれなかったときがあったようだ。というか、奇をてらった、大衆には理解されない作品こそ「ゲイジュツ」だ、という奇妙な錯誤がまかり通っていた。フェルメールもその作品数の少なさもあって中世の日常を描いた「風俗画家」という定義で事足れりとしていた面も否めない。それに、それは職人的と言っていいほど確かな技術で、職業画家の有り様そのものに見えたからパトロンに依拠して生きるしかない姿は、否定的に思われた時代があった。
これは日本だけに限らないのかも知れないが、フェルメールを多くのひとが注目するようになった経緯には、「ギャラリー・フェイク」的な面白さ(「ギャラリー・フェイク」は『ビッグ・コミック』誌に2005年まで連載されていた細野不二彦作の漫画作品)が大きな要素をしめているような気がしてならない。今回の『フェルメール展/光の天才画家とエルフトの巨匠たち』は、東京都美術館とTBS、朝日新聞社がタイアップして企画主催するもので、その巨大なネットワークをもって波状的に宣伝するというマスメディアの関与はあるものの、もしかしたら12月中旬までの会期中に80万人を越えるかも知れない観客のひとりひとりは、フェルメールの絵画作品がたびたびミステリアスな盗難事件や、偽物(フェイク)騒動に巻き込まれ、そのたびにその絵画作品の評価が高まり、謎に満ちた話題を提供してきた、ということを知っている。
そもそもこんなにも大衆的な話題があるだろうか?
ボク自身はフェルメールの存在は、奇をてらった絵画のひとつと言えるかも知れないサルバドール・ダリの作品で知った。「偏執狂的=批判的習作」と称した作品の中にフェルメール作品の構図を換骨奪胎したシュールレアリズム絵画の一点があるのである。その実、ダリはフェルメールを絶賛しており、フェルメールの完璧な技法に大いに学んだ節が見受けられる。
30数点と言われるフェルメール作品のほぼ1/5が、一挙に上野で公開されたこの『フェルメール展』は、たしかにフェルメール全点踏破の旅(朽木ゆり子)の足掛かりになるかもしれないというほのかな期待の上でも見のがせない(もっとも、ボクはそのようなプチブル趣味の旅をする気はないが……)。
公式サイト→http://www.tbs.co.jp/vermeer/
(図版)今回の特別出展作品ヨハネス・フェルメール「手紙を書く婦人と召使い」(1670年ころ)
そう、おおせの事態を予測して根性をだして開館と同時くらいに入るようにしたのでした。
それは、正解でした。フェルメールの一点、一点を穴のあくほど見ることができたのですから……。
それにしても、美術館にお出掛けができるような位、回復なさったのですね!
よろこばしいことです。もっと元気になってください。