風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

ブリキのノーベル文学賞

2006-08-17 23:56:36 | コラムなこむら返し
Grass_g 「ブリキの太鼓」という傑作を書き、ドイツにおける先鋭的な反戦発言でも知られるノーベル賞作家ギュンター・グラス氏が第二次大戦中、17歳の時にナチス武装親衛隊(SS)に所属していた事をドイツの新聞のインタビューでその事実をはじめて告白し、大騒ぎになっているらしい。
 1999年に受賞したノーベル賞を返還すべきだと言う意見まであり、マスコミに総袋叩きの状態であるようだ。これはちょっと考えると、わが国で自分は戦争中「軍国少年(少国民)」でありましたと、告白したことに似ているがすこし違う(児童文学者の山中亘氏などがこのような告白的作品を書いている)。事は重大なのだ。
 それはSSの軍隊としての性格が、ナチスの中枢に位置付けられるものだからである。親衛隊(SS)は軍隊であって軍隊ではない。それは、ヒトラーに忠誠を誓ったヒトラーの私設軍のようなものだったからである。だから親衛隊(以下SS)は、ナチスの陸海空の全軍隊に匹敵する軍隊の中のエリート中のエリートだった。志願したところでおいそれとはなれるものではなく、厳密な資格審査があった。
 それは、このようなものだ。

 1. 身長180センチ以上 2. 満17歳以上25歳以下の屈強・強健な若者 3. ナチスが政権を獲得する前から党員であったこと 4. 総統に絶対の忠誠を誓えるもの

 それに、SSの制服がミリタリールックの究極のような美しさを持ち、ドイツの若者はその格好の良さに憧れた。強さと美しさを兼ね備えたヒトラー好みの軍隊だった。ちなみにヒトラー自身は身長173センチだったが、それをコンプレックスに感じていたらしく、しばしば長靴にヒールを仕組んで身長を誤魔化していたらしい。

 だから、グラス氏の言う「自発的な志願ではなく召還だった」「十代の頃にありがちな両親のくびきから逃げるためだった」という言葉がそらぞらしい言い訳に聞こえる。おそらく来月ドイツで出版されると言う自伝でも、そのあたりのことは事実にふれるだけで言い訳に終始するのではあるまいか。

 17歳の時、自分はバリバリのナチスにかぶれ、ヒトラーに忠誠を誓ったと認めればいいではないか、と思うのだが、きっとこころの中は千々に乱れているに違いない。

 ちなみに、SSは日本で言えば天皇の警護にあたる近衛兵、近衛師団に近い存在だと思われる。大戦が始まる頃には20万を超える大部隊になり、各地に転戦したところも似ているかも知れない。